第一回「ドア」から、第一三回「引っ越し」までの作品を対象とします。
賞は、「作品賞」「トリック賞」「男優賞」「女優賞」の四部門です。
各部門第六位まで順位をつけて下さい。
得点は、第一位を十点として第二位を九点として…、第六位を五点として計算して集計します。
もし、各部門で六位まで選べなければ、選べる順位まででも結構です。それぞれ一位しか選ばないのがあってもそれも一つの評価でしょう。
「作品賞」
個々の作品の評価で、順位を決めて下さい。
「トリック賞」
これは作品を離れて、トリックだけでの評価です。
問題編正解のトリックだけでなく、推理投稿者の間違った推理でも面白いトリックならそれも対象とします。 また、保山さんがテーマ「意外な犯人」で行なった大仕掛けや、半年掛かりで粗忽者を装っていたトリックなども対象です。
「男優賞」
「女優賞」
主演賞助演賞という分け方も考えたのですが、主演と助演のどこで線を引くかが難しそうだったので、男と女で分けました。 グリングリンは男優賞の候補になります。あと性別がはっきりしないのがいますが、その判断は皆さんに任せます。
第一回「ドア」から第一三回「引っ越し」までの全四十六作品を対象とし、計十二人からのアンケートの集計です。
作品賞
1 蔵の中 保山宗明玉 44点
2 どっちがどっち 保山宗明玉 41点
3 保山宗明玉殺人事件 池上宣久 34点
3 首なし妊婦 池上宣久 34点
3 紅一点の死 保山宗明玉 34点
6 スパイス大作戦 吉本正 33点
7 引っ越しのカサイ情報漏洩事件 池上宣久 23点
8 鎧伝説殺人事件 辻本真孝 20点
9 海の幸 安孫子正浩 19点
10 川田興業ビル連続墜死事件 池上宣久 18点
11 毒入り回転寿し事件 池上宣久 16点
11 読者への十の挑 保山宗明玉 16点
11 開かなかったか 安孫子正浩 16点
14 松虫草 丹羽 14点
14 雨 安孫子正浩 14点
16 童顔連盟 保山宗明玉 13点
17 見えるものと見えないもの 辻本真孝 10点
17 深海朝食 長井正広 10点
19 ぬくぬくベッド 池上宣久 9点
20 海乃幸殺人事件 池上宣久 8点
20 椅子と鬘とインディアン 池上宣久 8点
20 隣のおばさん 狸代 8点
20 レイン 安孫子正浩 8点
24 π 保山宗明玉 7点
24 カルネイ署長の長い一日 辻本真孝 7点
24 テリーの馬鹿 ジュニア 7点
27 抜かれなかったか 安孫子正浩 6点
28 迷惑館の殺人 保山宗明玉 5点
トリック賞
1 「迷惑館の殺人」&「π」 50点
2 首なし妊婦 25点
3 どっちがどっち 17点
4 紅一点の死 15点
5 No.355「ロード第二章」
(スパイス大作戦における僕(保山氏)の回答 10点
5 のぶりん=池上宣久トリック 10点
5 No.972「素晴らしいテーマ」
No.973「お、ドアをこじ開けようとする者がいる」
No.1686「時間の封印は」 10点
5 読者への十の挑戦 10点
9 スパイス大作戦 9点
9 魔界転生 9点
11開かなかったか 8点
11レイン 8点
12蔵の中 7点
12鎧伝説殺人事件 7点
15クリスマスの死 6点
15「川田興業ビル連続墜死事件」アヴァンギャルドバージョン 6点
15抜かれなかったか 6点
18天崎サカヤの事件簿その1 5点
18がんばれクリンクリン 5点
18深海朝食 5点
男優賞
1 神主 33点
2 箱崎 32点
3 満干全席 31点
4 諍屋 27点
5 グリングリン 26点
6 保山宗明玉 24点
7 横山権三「首なし妊婦」 18点
8 川田こうぎょうびるないにいたじんぶつでしかないわけですがそれはだれかというまえにみなさんにきいてもらいたいしゅきがここにあるのですこのじけんについてのしゅきですこれおいまからよんでみますはしもとはまんしょんのろくかいのじしつのまどからそとおなにげにみてこうえんとかわおはさんだまむかいにかわたこうぎょうびるというよんかいだてのたてものがあるのだがそのさいじょうかいにみっつならんだへやのまんなかのまどからひとがつきおとされるのおもくげきしたはしもとのへやのほうがいちがたかくてみおろすかたちになったのときいろいへるめっとをまぶかにかぶったはんにんがすぐにまどぎわからすがたをけしたためにんそうまでははんべつできなかったがはんにんのほうがひがいしゃよりもひとまわりおおきいおとこだということとひがいしゃもまたきいろいへるめっとおかぶっていたことはわかったこうえんのじゅもくがじゃまおしてかわたこうぎょうびるのさんかいからしたはみえなかったはしもとはすぐにけいさつにつうほうしたそのどうじこくきいろいへるめっとおかぶったおれはかわたこうぎょうびるのいっかいのしゅうかいしつでへるめっとはんばいせつめいかいがはじまるのをまっていたかいしじこくをかなりすぎているぜったいおおもうけできるというぱんふれっとにつられたのだがさんかしゃはおれのほかにひとりしょうばしというなまえでしんちょうにめーとるおこすきょたいのもちぬしだしかいなかったえいぎょうぶちょうはまぐちというなふだをつけただいおとことせいぞうぶちょうてらにしというしょうおとこからすこしかいしがおくれるということわりがあったけどはんばいのせつめいおすることになっているかわたしゃちょうはでてこなかったぜんいんがきいろいへるめっとおかぶっていたこばしがおてあらいにゆききがつくとへやにはおれひとりだけになっていたそのときがいでどんがらがっしゃあんというおおきなおとがするのがきこえたそのおとはかわたこうぎょうびるのせいもんのまえにじんどったけいじのたいぼくとえんどうにもきこえたがそのばおうごくわけにはいかなかったしめいてはいはんのふゆきがしりあいのきむらおたよってすがたおあらわすというつうほうがありせいもんをみはっていたからだびるはしほうおへいにかこまれていてでいりぐちはせいもんしかないかんしじょうたいにはいったのがおくれたたためふゆきはすでになかにはいってしまったかのうせいはあったがでてくるところおおさえられるかもしれないいちどだけひとのでいりがあってふゆきかとみがまえたがそれはてらにしだったたいぼくのけいたいがなりとるとけいさつしょからでもくげきつうほうがあってかわたこうぎょうびるのよんかいのへやからだれかがつきおとされたらしいかくにんしてくれというものだったえんどうにせいもんのみはりおまかせたいぼくはかわたこうぎょうびるのしきちにはいったすぐがびるのしょうめんげんかんでたてものにそってうらがわにまわったおおきくえだおはったきのねもとにたいりょうのきいろいへるめっとがさんらんしそこにおとこがたおれていたへるめっとはたいきゅうせいてすとおきゃくにみてもらうためにそこにぴらみっどじょうにつみあげられてよういされていたものでそのうえにおちたようだおとこはかわたこうぎょうしゃちょうのかわただったへるめっとおかぶりくびのほねをおってしんでいたしたいのがわになふだがおちていてしゃちょうかわたとかかれていたすぐにきんじょのけいさつしょからかんしきとけいじたちがかけつけてくれたのであとおまかせてたいぼくはびるのなかにはいりかいしゃのものおよびあつめたえいぎょうぶちょうのはまぐちせいぞうぶちょうのてらにしぎじゅつぶちょうのきむらのさんにんだありばいおかくにんするとはまぐちはおくじょうにてらにしはさんかいにきむらはにかいにそれぞれいたとしゅちょうするだけでうらづけるものはなかったたいぼくはさんにんをひきつれてよんかいにあがったかいだんはびるのしょうめんげんかんおはいったろびーにありそのよこにしゅうかいしつとといれのどあがならんでいたよにんはよんかいのまんなかのへやにはいったおおきなすがたみがにまいかべにたてかけてあるだけでつくえもいすもなにもないさっぷうけいなへやだったかわたこうぎょうはけいえいがゆきづまっていてげんざいしごとでつかわれているのはにかいのへやだけだったこんかいのせつめいかいはけいえいのきしかいせいおねらってのものだったがけいじたちはまるちしょうほうのうたがいおもってずっといぜんからまあくしていたのだったまどのしたわくのたかさはかなりひくくつかれたらひとたまりもなかっただろうけいたいがなったはしもとのしょうげんおききにまんしょんおたずねていたけいじのよしむらからだったまんしょんにめおやるとろくかいのまどにておふるよしむらのすがたがみえたはんにんはひがいしゃよりもひとまわりおおきいおとこらしいとよしむらはいったかわたはちゅうにくちゅうぜいのおとこだったということははんにんはだいおとこだということになるてらにしはしょうおとこだはまぐちときむらはだいおとこだがきむらにはりょううでがなかったしぜんとたいぼくのしつもんははまぐちにしゅうちゅうしたおれははんにんじゃないとつぜんはまぐちはたいぼくおつきとばしろうかにでてすこしまよってからひょうのかいだんおかけくだったかいだんはうらてにもうひとつあってそれはびるのうらぐちにつうじていたたいぼくはすぐにあとおおいかけたおれはしゅうかいしつでこはしといっしょにけいじからじんもんおうけていたしゃちょうのかわたがつおとされてころされたらしいがおれはずっとしゅうかいしつにいたのでしょうにんとしてはあまりやくにたてないどあがきゅうにひらいてはまぐちがらんにゅうしてきてあばれだしたのにはおどろいたけいじやけいかんがおさえこもうとするがかんたんにはいかずだいらんとうとなったそのときだいにのついらくじけんがおきていたよしむらはおとこがかわたこうぎょうびるのよんかいからおちていくのおもくげきしたさきのついしじけんとおなじへやのまどだったもういっしゅんはやくしせんおむけていればはんにんのすがたおもくげきできたかもしれないそうおもうとよしむらはくやしかったげんばけんしょうおおえたかんしきがかわたのしたいおたんかにのせていどうしたちょくごのことだったおとこはとちゅうのえだにいったんひっかかりそこからゆっくりずりおちてあたまからじめんにげきとつしたおとこはへるめっとおかぶっていなかったおとこはうつむけにたおれがくがわれてがんめんはちにそまっていたがまだいきはあったえんどうはおとこにちかづいたしかいのまどからつきおとされたはんにんはきいろいへるめっとおかぶったおれよりもひとまわりおおきなおとこそういいのこしておとこはしんだそのかおおみてえんどうはおどろいたしめいてはいはんのふゆきだっただいらんとうはしゅうかいしつからそとにうつったらんとうにまきこまれながらもおれがかくしんをもてたことがひとつあったはまぐちはいかりにわれおわすれてあばれていたがそのいかりはつみおおかしたゆえにはっせいしたのでなくけっぱくゆえであるということだそとにでるとすぐにらんとうはおさまっただいにのついらくじけんはっせいおしったからだそのときおれはみたまたかしたいからゆうれいがぬけでてきたのだおれはれいしのうりょくのもちぬしであってこれまでもこんなことがなんどかあったまずかおがおきあがりつぎにじょうはんしんがゆっくりもちあがりそこからにほんのあしでたちあがったびみょうにすけたからだまわりのけいかんたちはだれもきがつかないゆうれいはさいしょぼうぜんとつったっているだけだったがしばらくするとまわりおみまわしはじめおれにきがついたゆうれいはまっすぐおれにちかづいてきたあいだにけいかんがなんにんもいたがもちろんすどおりでとおりぬけてくるゆうれいはおれのめのまえでたちどまったせはちゅうにくちゅうぜいのおれとおなじたかさだったおれおころしたはんにんおさがしだしてくれゆうれいはそういっておれからはなれなくなったけいじにたずねるとじけんはっせいときにしきちないにいたのはおれのほかにはきゃくのおばせしゃいんのはまぐちてらにしきむらだけでなんしゃかがへいをこえたこんせきはなくびるないにだれもかくれていなかったというさらにふしぎなのはだいにのついらくじけんのときようぎしゃもけいじたちもふくめてぜんいんがいっかいにいたことだびるぜんたいをふうさしたじょうたいでしらみつぶしにしらべたのだがはんにんのすがたはなかったゆうれいはじぶんおころしたはんにんがわかればじょうぶつできるというだからはんにんをみつけてくれとおれおたよりにするへんになつくふうなのだがほんにんがひがいしゃなのだからいちばんわかるだろうというとあたまおうってきおくをいちぶなくしたようだとこたえるゆうれいがきおくそうしつってはてさてこまっただれがはんにんなのだろういじょうですもうおわかりなったはずです 12点
8 白澤実(見えるものと見えないもの&松虫草) 12点
10ニコラス・ペタス 10点
10修善寺音也「蔵の中」 10点
10辻本真孝 10点
10池上宣久 10点
14御殿山一郎「蔵の中」 9点
14和尚 9点
16マイペース「保山宗明玉殺人事件」 8点
17w・c「紅一点の死」 7点
17ロナルド 7点
19蟹田蟹蔵(深海朝食) 6点
19ジュニア 6点
21ユウキ 5点
女優賞
1 梅田メメ子 47点
2 狸代 23点
2 横山愛子「首なし妊婦」 23点
4 オリエント京子 22点
5 天崎サカヤ 21点
6 白澤慶子「松虫草」 19点
7 伝書鳩「ぬくぬくベッド他」 18点
8 翁藻「どっちがどっち」 9点
8 花野愛子「目はしがきいて賢い」 9点
10 増本恵子「見えるものと見えないもの」 8点
11 おばあちゃん「隣りのおばさん」 7点
11 雉「鎧伝説殺人事件他」 7点
11 七瀬 7点
14 貴子「引っ越しのカサイ情報漏洩事件」 6点
15 孫「隣のおばさん」 5点
2009年1月6日火曜日
第13回(2003.9.22~) テーマ:引っ越し
「引っ越しのカサイ情報漏洩事件」池上宣久
「引っ越しのカサイ情報漏洩事件」 池上宣久
□問題編
電話が鳴った。狭い事務所に明石以外に人はいない。明石は受話器を取った。同時に部屋の外で歓声が上がった。逆転されたか?
「はい。迅速丁寧、引っ越しのカサイです」
「引っ越しの見積りをお願いしたいのですが」
明石は慌てて机の上のメモ帳を手元に引き寄せ、胸ポケットからボールペンを取り出した。客は急いでいるのですぐに来て欲しい、条件が折り合えばその場で発注すると言う。 今月の営業成績がいまだゼロの明石にとって嬉しい見込み客だ。
「今仕事先に向かっている途中で、その仕事先に来てもらえると助かるのですが…」外からかけているようで、受話器の向こうで踏み切りの音がかすかに聞こえた。
明石は、仕事先の住所と客の名前と携帯の電話番号をメモ帳に書き写しながら、心の中で軽く舌打ちをした。住所が明石の担当地区ではなかったからだ。 本来ならすぐに地区担当者の勝田に引き継ぐべきだった。先月も獣田の仕事を奪って大騒ぎを起こしたところだ。だが、手前ぇこのままゼロだと首にするぞ、 と笠井社長に胸倉掴まれたのが昨日のことだ。ええい、ままよとそのまま電話を続けた。
客は仕事先に三十分後には到着し、そこに三時間はいるらしい。明石は頭の中で素早く計算した。引っ越し技能コンテストはあと三十分ほどで終わるだろう。 聞いた住所は船村の住いに近い。以前に彼を車で会社から送った時に三十分ほどかかったから、一時間後には行ける。しかし、明石は家から車でジャージのまま出社していた。 一旦帰宅して着替えなければならない。帰宅するのに三十分。家からだと客の仕事先まで一時間はかかるか。
明石は今から二時間後の五時に伺う約束をして、電話を切った。
「どこからの電話ですか?」ドアが開いて、事務員の連城リリ子が入って来た。
「いや、ちょっと」担当地区を侵す決意の明石はメモを手で隠しつつ、くちごもる。
「仕事っぽかったぞ」向かい合せの机の下から、恐ろしく背の低い銚子がのっそり立ち上がってきた。
「わっ。そんなとこで何してるんですか?」
「ここ涼しくて寝やすいんだよ」銚子は明石ににんまり笑いかけた。
「それより井口さん見かけませんでした?船村・権藤・勝田チームが今終わったところで、もう社長チームの番なんですよ」
「いや見てないなリリ子ちゃん。俺寝てたけど。で、順位はどうなってるの?」
「まだかろうじて銚子さんとこがトップですよ」
明石の勤める「引っ越しのカサイ」では、年に二回春と秋に「引っ越し技能コンテスト」を行なっていた。この日が秋の大会で、折角の休日を潰しての開催である。 四階建ての本社ビルで行われ、午前に一階の倉庫から荷物を屋上に運び上げる「搬入の部」を、午後に逆に運び下ろす「搬出の部」を行ない、トータルの所要時間を争うのだ。 「引っ越しのカサイ」には、引っ越しの実務担当が二人一組で四チームいるのだが、現場以外の人間も引っ越しの実務に精通していなければならないという社長の方針で、 これに営業の明石と勝田と獣田と事務員の連城がそれぞれ振り分けられて三人ずつのチームに編成された。最初に競技を終えた坂東・銚子・明石チームが叩き出した数字は まだトップの座を守っているらしい。
「そうか。じゃあ今夜の酒は豪勢にやれるかな」優勝チームには社長から金一封が与えられることになっていた。
連城と銚子が部屋を出て行き、明石は書棚から地図を取り出した。その時、窓に目を向けて、ぎょっとした。窓の外に獣田と猿野が立って明石をじっと睨んでいたからだ。 先月のことがあって以来、獣田は明石を恨んでいて、隙があったら客を奪うと宣言していた。猿野の方は聾唖者で読唇術を会得しており、人の顔を凝視するのが常ではあったが。 二人の所属は堂本チームで、明石たちの後に競技を終えていたはずだ。それからずっとそこに立っていたのだろうか。
二人が立ち去るのを見届けて、明石はメモに書いた住所を地図で探し出し、見つけたページをコピーした。一枚目の濃度が濃すぎたのでそれはゴミ箱に捨て、 濃度を薄めたら紙が詰まり、三枚目で綺麗なコピーが取れた。そのコピーを四角くたたみ、ちぎったメモ用紙と一緒にズボンのポケットに入れた。
明石は事務所から廊下に出て、倉庫に向かった。途中で後ろから井口が追い抜いて行った。井口の前の勤め先が金属部品の研磨工場で、指先で微細な凹凸を感知できることを 自慢していたのを思い出し、明石は何となく不安になって事務所に戻った。
メモ帳を見直す。明石は筆圧が強い方だ。斜めにすがめると、紙の表面に淡い凸凹が見えた。これに鉛筆の芯を斜めに当てて表面を塗り潰したら、字が浮かびあがりそうだ。 明石はメモ用紙を十枚ほど一挙に剥がし、シュレッダーにかけて細断した。
続いて、ゴミ箱から二枚のミスコピーを探し出し、これもシュレッダーにかけようとしたが、途中で引っ掛かって止まってしまった。コピーもシュレッダーももう寿命が近いようだ。 こういう時は、元OA機器メーカーのサービスマンをしていた堂本に頼るのだが、余り目立ちたくない。明石は紙を強引に引っこ抜き、手ですだれに切ってゴミ箱に捨てた。
コンテストは社長チームの逆転優勝に終わった。気合いの入った社長は、家具を壁や階段に当てまくっていたが、それを指摘する者は誰もいなかった。
明石はすぐに会社を出ようとした。板東が呼び止めるので振り返ると、いきなり胸ポケットに手を突っ込まれボールペンを取られた。
「返してもらうよ」忘れていた。出勤簿に名前を書くのに板東に借りたままだったのだ。
「すみませんでした」頭を下げて、明石は車に飛び乗った。
帰宅し、背広に着替え、メモ用紙と地図のコピーを上着のポケットに移し変え、あなたどこに行くの夜には子供たちと食事の約束がと追いすがる妻を、 仕事だこの契約が取れないと俺は首になるのだと振りほどき、明石は家を飛び出した。
目的のビルを見つけたのが、ちょうど五時だった。近辺には十分前に着いていたのだが、ビルが老巧化して取り壊し寸前で人が入れないように柵で囲まれていたため、 まさかこれではないだろうと、何度も前を通り過ぎていたのだ。
ビルに入り、部屋を見つけてノックした。
二時間後、明石は行きつけの居酒屋で飲んだくれていた。
「おかしいよ。な。絶対おかしいよな。約束の時間に行ったらさ、ごめん、今さっき別の引っ越し屋さんに頼んだところ、て言うんだよ。はあ?だよ。 じゃあ俺んところ以外の引っ越し屋にも見積り依頼してたのかと聞いたら、いやしていない、急に飛び込みセールスでやって来ただって。そんなわけねえだろ!」
明石はカウンターを拳で叩いた。
「そうだよねえ。潰れたビルに飛び込みなんてしないよねえ」
店主は困り顔で答える。この話、もう三回目なのだ。
「そうだよ」明石はコップのビールを飲み干して、「しかも、客はアート関係の人間で、廃屋ビルを使って何か面白いことができないかという思いつきで下見に行っていただけだったんだ。 そもそも客の引っ越しはそのビルとは全く関係ない場所で、そこにその時間に人がいたのも全くの偶然。そこへ引っ越し屋の営業が飛び込みでやって来て、 そしたらそこの人が引っ越しの見積りを待っていたなんて、そんな偶然があるか?ないっ!」
「だから、会社の誰かがその引っ越し屋に情報を漏らしたって言うんだね」
「名刺を見せてもらったら、すぐ近所の引っ越し屋だった。誰かが電話してそのビルで客が待ってると教えやがった奴がいるんだよ」
「でもその住所を誰も知るわけがないというのが謎なんだね」
「メモも地図も俺はずっと肌身放さず持っていた。電話を受けた時、住所名前電話番号は口にしなかった。具体的な事柄を言葉にしたのはアポイントの時間だけだ。 部屋にいた銚子さんとドアの外の連城にはそれは聞こえたかもしれないけど、メモの文字を見ることは絶対にできなかった。電話に盗聴器は仕掛けられていない。 先月に通販で盗聴器発見装置を買った社長が嬉しがって毎朝調べてんだよ。残ったメモ用紙もミスコピーも細断してゴミにした。その前に一度部屋を出たけど、 十秒も部屋を空けていない。誰かが入ったり出たりする余裕はないし、第一、ドアの前には俺がいたし、窓には内側から鍵がかかっていた」
「そのシュッレダーのさ、細く切ったのを探し出して並べ直したんじゃないかな」
「でもその場合シュレッダーを通っちゃってるから、元の凸凹はもう読み取れないと思う。地図の方は並べ直してどの町かというのは判るだろうけど、 俺は客のビルに丸をつけたわけじゃないから、そこまでだ。俺も色々と考えたよ。例えば、会社の電話の着信記録から電話番号を割り出して客を特定するとかね。 でも客の電話は携帯なんだよ。客はそのビルに急に行くことに決めたから、客側の関係者すらその時客がどこにいたのかを知り得ないとはっきり断言したよ。 俺が慌てて帰ったから、誰かが後を尾けたのかもと考えた。でもその引っ越し屋が来たのは四時過ぎだと言うんだ。俺の到着約一時間前だよ。判んねえ!」
明石はビールを手酌でコップに注ぎ、一気に飲んだ。
その時、明石から二席離れて、カウンターで一人で飲んでいた男が声をかけてきた。
「あの~。すみません。勝手に話を聞いていたんですけど、ちょっと宜しいですか?」
明石は濁った視線を男に向けた。
「はい?」
「その引っ越し屋さんにお客さんの情報を流した人が判ったと思うんです」
□解決編
明石は女の前に立った。
「君が犯人だったのか。貴子」
カウンターの男は、話を続けた。
「まず疑問に思ったのは、その情報を漏らした犯人はなぜ他の引っ越し屋さんに連絡したのかということなんです。明石さんの仕事を邪魔するだけなら、 引っ越しのカサイの誰かが営業に行けばいいのです。先月に仕事を取られた獣田さんでもいいし本来の地区担当の勝田さんでもいいでしょう。この二人が行っても、 明石さんは文句が言える立場ではありません。このままでは明石さんが同僚の仕事を取ろうとしたことも表沙汰にならず、当然受けるべきペナルティもなく、 次の機会があればまた平気で同じことをしようとするでしょう。まずはその場でとがめるべきです」
ぐうの音も出ない明石はとりあえず「ぐう」と言ってみた。
「ですから僕は引っ越しのカサイの従業員を疑う根本から疑うことにしました」
「でも社内の人間でさえ見ることができない俺のメモをどうやって外部の人間が見ることができるんだ?」
「それについてある考えが僕の中にすでにあるのですが、その前に聞きたいことがあります」
「何だよ?」
謎を解いてくれるという男に対して、明石は高圧的に答えた。
「明石さんが書いたメモ帳の形状についてなのですが、これぐらいの大きさで」男は両手で小さな長方形を宙に作って明石に示しながら、 「二百枚ほどが束になったのが糊でまとめられて」
「そうそう」明石があとを引き継いだ。「ボール紙の台紙に貼りつけられた、どこにでもあるメモ帳だよ」
「なるほど。分かりました。僕の思った通りです。犯人は、明石さんが書いたメモ用紙の、すぐ一枚下のメモ用紙に強い筆圧によって刻まれた凸凹の文章を、読み取ったのです。 恐らくそのままでは読みにくいでしょうから、鉛筆の芯で表面を塗り潰して凸凹を浮かび上がらせたのだとは思いますが」
「でも、それは俺がすぐに十枚まとめて剥がしてシュレッダーにかけたんだよ。あ、シュレッダーの調子が悪いっていうのを聞いて、実は細断されなかったとか思ってるの? 違うよ。あれ外から紙が細く切れていくのが見えるんだ。間違いなく細切れになった」
「細断されたのは元のメモ帳の三枚目以下の分でした。犯人が見たのは二枚目のメモです。三枚目にさえ字が浮かびあがりそうな凸凹が見えたのなら、 二枚目はもっとはっきりしていたはずです」
「だから、俺が事務所を出たのはほんの十秒ほどで、その間に人の出入りはなかったの。窓には鍵がかかってたし」
「例えばさ」店主が口を挟んだ。「事務所に銚子さんが隠れてたのを明石さんは見逃していたわけだから、もう一人隠れてたんじゃないの?」
「で、そいつが俺が部屋を出てる間に隠れ場所から出てメモを剥がしてまた隠れたって言うの?駄目」明石は顔の前で手を振った。「ホントにうちの事務所は狭いんだから。 他にスペースなんてどこにもない。違うよ。」
「私もそうだとは考えていません」男は首を横に振った。
「じゃあ、二枚目のメモを取れた人っていないじゃん」
「いました」
「それ誰だよ」
「あなたです」
明石は顔を顎から前に突き出して、「はあ?」
「あなたです」男は繰り返した。「あなたはメモ帳の一枚目だけを剥がしたつもりでしたが、そうではなくあなたは二枚をまとめて剥がしていたのです。よくあることです。 紙は薄くてくっつきやすい。メモ帳は大量生産で作られます。あの一冊一冊を一つずつ作るわけではない。もっと大きな紙を束ねて端を揃えて糊を塗り、 それを油圧の巨大なカッターであの形あの大きさにザックンザックン裁断していくのです。この時大きな圧が紙にかかります。市場に並ぶメモ帳は、四角の一辺は糊で固められ、 他の三辺はその圧のためにピタリとはりつき、まるで白くて四角い一つの固まりのように見えます」
明石は何かを言いかけたが、口を開いただけで何も言わなかった。
「メモ帳を一枚ちぎる。折り畳もうとしたら、ハラリと二枚に分離して、あれと思う。僕にも何回か経験があります。それに近いことでしたら日常茶飯事ですよね。 レジでお金を払って、お客さん千円札が一枚多いですよと注意されること。人数分のプリントを順々に廻していたはずなのに最後の人の分がなくて、 見直すと自分が二枚持っていたり。紙は薄くてくっつくのです。あなたは一枚だけちぎったつもりでしたが、二枚をちぎっていたのです」
「それはあり得るとして」明石は目の前の空のコップをじっと見つめなが言った。「でもそれじゃあ、その二枚目のメモもまた俺のジャージのポケットに入ったわけだから、 一枚目のメモと同じくやっぱり誰にも見る機会がないんじゃないの?」
「では明石さんは今その二枚目のメモ用紙を持っていますか?」
明石は背広のポケットから紙の束を取り出し、その中から一枚のメモ用紙を探し出した。
「いや。俺の書いたメモ用紙だけだ。やっぱり駄目だ。二枚目なんてないよ」
「なくて当然です。あなたはちぎったメモ用紙をジャージのポケットに収めました。そして帰宅して背広に着替え、ポケットの中身を背広に移し変えたのですよね」
「分かったあっ!」店主が叫んだ。興奮して明石の顔を指差した。「だからその時、二枚のメモは一枚目と二枚目に分かれてたんだよ。 車を運転したり歩いたりしたからその影響でポケットの中で紙が分離したんだ」
明石はポカンと口を開けた。
男は話を続けた。
「恐らくあなたはジャージのポケットに地図とメモを入れる時、メモの上に地図を重ねた形で入れたのではないですか?」
明石はうなづく。
「そしてジャージのポケットには元から色々な紙類が入っていた。それが普段からのあなたの習性ですよね。今の背広の中身もそうでしたし、 板東さんのボールペンを胸に刺したまま返し忘れたり、あなたは整理ができない人です。だから営業成績も悪い」
明石はもう言われるがままだ。
「帰宅し、ポケットの中身を入れ変える時、あなたはポケットの上側から中身を探る。まず地図が手に当たり、その下のメモ用紙が手に触る。 両者を引き出すとそれは地図のコピーであり客の住所を書き写したメモ用紙だった。あなたは何も疑わない。疑う理由がない。二枚を剥いだことに気づいていないのだから。 こうして、メモの二枚目がジャージのポケットに残りました。あなたの筆圧でくっきり文字が刻まれたメモ用紙です。鉛筆の芯で塗り潰さなくても読めるほどの凸凹が残っていたかもしれません」
明石は顔を両手で覆った。
「犯人は、貴子だったのか…」
「それが、奥さんのお名前ですか?」
明石は顔を隠したままうなづいた。
「あなたが出かけた後で、奥さんはジャージのポケットに残ったメモ用紙に気づいたのでしょうね。あなたは、仕事だこの契約が取れないと俺は首になるのだ、 と言って奥さんを振りほどいたと先ほど言われました。実際はもう少し詳しく話したはずです。外食の約束があったなら帰宅予定時間とかね。 しかもあなたが着替えた後にいそいそとメモ用紙をジャージから背広に移し変えるところを横で見ています。その上でメモの文章を読んだ奥さんにとっては自明のことだったと思います。 奥さんは住所から一番近い引っ越し屋を電話帳で探し出し、情報を伝えたのです。もし全くの勘違いで、メモの住所とあなたの向かった先が違っていても、 無駄足を踏んだ引っ越し屋が迷惑なだけで、奥さんは痛くも痒くもない」
明石は顔を上げない。
「女房怒らせると、怖いんだよなあ」店主が腕を組み、しみじみと言った。
男は声を和らげて、明石に言った。
「営業成績も大事だけど、その前にやるべきことがあるんんじゃないですか?少なくともこんなところで飲んでいる場合ではない」
明石は立ちあがった。
「大将。おあいそ」
「引っ越しのカサイ情報漏洩事件」 池上宣久
□問題編
電話が鳴った。狭い事務所に明石以外に人はいない。明石は受話器を取った。同時に部屋の外で歓声が上がった。逆転されたか?
「はい。迅速丁寧、引っ越しのカサイです」
「引っ越しの見積りをお願いしたいのですが」
明石は慌てて机の上のメモ帳を手元に引き寄せ、胸ポケットからボールペンを取り出した。客は急いでいるのですぐに来て欲しい、条件が折り合えばその場で発注すると言う。 今月の営業成績がいまだゼロの明石にとって嬉しい見込み客だ。
「今仕事先に向かっている途中で、その仕事先に来てもらえると助かるのですが…」外からかけているようで、受話器の向こうで踏み切りの音がかすかに聞こえた。
明石は、仕事先の住所と客の名前と携帯の電話番号をメモ帳に書き写しながら、心の中で軽く舌打ちをした。住所が明石の担当地区ではなかったからだ。 本来ならすぐに地区担当者の勝田に引き継ぐべきだった。先月も獣田の仕事を奪って大騒ぎを起こしたところだ。だが、手前ぇこのままゼロだと首にするぞ、 と笠井社長に胸倉掴まれたのが昨日のことだ。ええい、ままよとそのまま電話を続けた。
客は仕事先に三十分後には到着し、そこに三時間はいるらしい。明石は頭の中で素早く計算した。引っ越し技能コンテストはあと三十分ほどで終わるだろう。 聞いた住所は船村の住いに近い。以前に彼を車で会社から送った時に三十分ほどかかったから、一時間後には行ける。しかし、明石は家から車でジャージのまま出社していた。 一旦帰宅して着替えなければならない。帰宅するのに三十分。家からだと客の仕事先まで一時間はかかるか。
明石は今から二時間後の五時に伺う約束をして、電話を切った。
「どこからの電話ですか?」ドアが開いて、事務員の連城リリ子が入って来た。
「いや、ちょっと」担当地区を侵す決意の明石はメモを手で隠しつつ、くちごもる。
「仕事っぽかったぞ」向かい合せの机の下から、恐ろしく背の低い銚子がのっそり立ち上がってきた。
「わっ。そんなとこで何してるんですか?」
「ここ涼しくて寝やすいんだよ」銚子は明石ににんまり笑いかけた。
「それより井口さん見かけませんでした?船村・権藤・勝田チームが今終わったところで、もう社長チームの番なんですよ」
「いや見てないなリリ子ちゃん。俺寝てたけど。で、順位はどうなってるの?」
「まだかろうじて銚子さんとこがトップですよ」
明石の勤める「引っ越しのカサイ」では、年に二回春と秋に「引っ越し技能コンテスト」を行なっていた。この日が秋の大会で、折角の休日を潰しての開催である。 四階建ての本社ビルで行われ、午前に一階の倉庫から荷物を屋上に運び上げる「搬入の部」を、午後に逆に運び下ろす「搬出の部」を行ない、トータルの所要時間を争うのだ。 「引っ越しのカサイ」には、引っ越しの実務担当が二人一組で四チームいるのだが、現場以外の人間も引っ越しの実務に精通していなければならないという社長の方針で、 これに営業の明石と勝田と獣田と事務員の連城がそれぞれ振り分けられて三人ずつのチームに編成された。最初に競技を終えた坂東・銚子・明石チームが叩き出した数字は まだトップの座を守っているらしい。
「そうか。じゃあ今夜の酒は豪勢にやれるかな」優勝チームには社長から金一封が与えられることになっていた。
連城と銚子が部屋を出て行き、明石は書棚から地図を取り出した。その時、窓に目を向けて、ぎょっとした。窓の外に獣田と猿野が立って明石をじっと睨んでいたからだ。 先月のことがあって以来、獣田は明石を恨んでいて、隙があったら客を奪うと宣言していた。猿野の方は聾唖者で読唇術を会得しており、人の顔を凝視するのが常ではあったが。 二人の所属は堂本チームで、明石たちの後に競技を終えていたはずだ。それからずっとそこに立っていたのだろうか。
二人が立ち去るのを見届けて、明石はメモに書いた住所を地図で探し出し、見つけたページをコピーした。一枚目の濃度が濃すぎたのでそれはゴミ箱に捨て、 濃度を薄めたら紙が詰まり、三枚目で綺麗なコピーが取れた。そのコピーを四角くたたみ、ちぎったメモ用紙と一緒にズボンのポケットに入れた。
明石は事務所から廊下に出て、倉庫に向かった。途中で後ろから井口が追い抜いて行った。井口の前の勤め先が金属部品の研磨工場で、指先で微細な凹凸を感知できることを 自慢していたのを思い出し、明石は何となく不安になって事務所に戻った。
メモ帳を見直す。明石は筆圧が強い方だ。斜めにすがめると、紙の表面に淡い凸凹が見えた。これに鉛筆の芯を斜めに当てて表面を塗り潰したら、字が浮かびあがりそうだ。 明石はメモ用紙を十枚ほど一挙に剥がし、シュレッダーにかけて細断した。
続いて、ゴミ箱から二枚のミスコピーを探し出し、これもシュレッダーにかけようとしたが、途中で引っ掛かって止まってしまった。コピーもシュレッダーももう寿命が近いようだ。 こういう時は、元OA機器メーカーのサービスマンをしていた堂本に頼るのだが、余り目立ちたくない。明石は紙を強引に引っこ抜き、手ですだれに切ってゴミ箱に捨てた。
コンテストは社長チームの逆転優勝に終わった。気合いの入った社長は、家具を壁や階段に当てまくっていたが、それを指摘する者は誰もいなかった。
明石はすぐに会社を出ようとした。板東が呼び止めるので振り返ると、いきなり胸ポケットに手を突っ込まれボールペンを取られた。
「返してもらうよ」忘れていた。出勤簿に名前を書くのに板東に借りたままだったのだ。
「すみませんでした」頭を下げて、明石は車に飛び乗った。
帰宅し、背広に着替え、メモ用紙と地図のコピーを上着のポケットに移し変え、あなたどこに行くの夜には子供たちと食事の約束がと追いすがる妻を、 仕事だこの契約が取れないと俺は首になるのだと振りほどき、明石は家を飛び出した。
目的のビルを見つけたのが、ちょうど五時だった。近辺には十分前に着いていたのだが、ビルが老巧化して取り壊し寸前で人が入れないように柵で囲まれていたため、 まさかこれではないだろうと、何度も前を通り過ぎていたのだ。
ビルに入り、部屋を見つけてノックした。
二時間後、明石は行きつけの居酒屋で飲んだくれていた。
「おかしいよ。な。絶対おかしいよな。約束の時間に行ったらさ、ごめん、今さっき別の引っ越し屋さんに頼んだところ、て言うんだよ。はあ?だよ。 じゃあ俺んところ以外の引っ越し屋にも見積り依頼してたのかと聞いたら、いやしていない、急に飛び込みセールスでやって来ただって。そんなわけねえだろ!」
明石はカウンターを拳で叩いた。
「そうだよねえ。潰れたビルに飛び込みなんてしないよねえ」
店主は困り顔で答える。この話、もう三回目なのだ。
「そうだよ」明石はコップのビールを飲み干して、「しかも、客はアート関係の人間で、廃屋ビルを使って何か面白いことができないかという思いつきで下見に行っていただけだったんだ。 そもそも客の引っ越しはそのビルとは全く関係ない場所で、そこにその時間に人がいたのも全くの偶然。そこへ引っ越し屋の営業が飛び込みでやって来て、 そしたらそこの人が引っ越しの見積りを待っていたなんて、そんな偶然があるか?ないっ!」
「だから、会社の誰かがその引っ越し屋に情報を漏らしたって言うんだね」
「名刺を見せてもらったら、すぐ近所の引っ越し屋だった。誰かが電話してそのビルで客が待ってると教えやがった奴がいるんだよ」
「でもその住所を誰も知るわけがないというのが謎なんだね」
「メモも地図も俺はずっと肌身放さず持っていた。電話を受けた時、住所名前電話番号は口にしなかった。具体的な事柄を言葉にしたのはアポイントの時間だけだ。 部屋にいた銚子さんとドアの外の連城にはそれは聞こえたかもしれないけど、メモの文字を見ることは絶対にできなかった。電話に盗聴器は仕掛けられていない。 先月に通販で盗聴器発見装置を買った社長が嬉しがって毎朝調べてんだよ。残ったメモ用紙もミスコピーも細断してゴミにした。その前に一度部屋を出たけど、 十秒も部屋を空けていない。誰かが入ったり出たりする余裕はないし、第一、ドアの前には俺がいたし、窓には内側から鍵がかかっていた」
「そのシュッレダーのさ、細く切ったのを探し出して並べ直したんじゃないかな」
「でもその場合シュレッダーを通っちゃってるから、元の凸凹はもう読み取れないと思う。地図の方は並べ直してどの町かというのは判るだろうけど、 俺は客のビルに丸をつけたわけじゃないから、そこまでだ。俺も色々と考えたよ。例えば、会社の電話の着信記録から電話番号を割り出して客を特定するとかね。 でも客の電話は携帯なんだよ。客はそのビルに急に行くことに決めたから、客側の関係者すらその時客がどこにいたのかを知り得ないとはっきり断言したよ。 俺が慌てて帰ったから、誰かが後を尾けたのかもと考えた。でもその引っ越し屋が来たのは四時過ぎだと言うんだ。俺の到着約一時間前だよ。判んねえ!」
明石はビールを手酌でコップに注ぎ、一気に飲んだ。
その時、明石から二席離れて、カウンターで一人で飲んでいた男が声をかけてきた。
「あの~。すみません。勝手に話を聞いていたんですけど、ちょっと宜しいですか?」
明石は濁った視線を男に向けた。
「はい?」
「その引っ越し屋さんにお客さんの情報を流した人が判ったと思うんです」
□解決編
明石は女の前に立った。
「君が犯人だったのか。貴子」
カウンターの男は、話を続けた。
「まず疑問に思ったのは、その情報を漏らした犯人はなぜ他の引っ越し屋さんに連絡したのかということなんです。明石さんの仕事を邪魔するだけなら、 引っ越しのカサイの誰かが営業に行けばいいのです。先月に仕事を取られた獣田さんでもいいし本来の地区担当の勝田さんでもいいでしょう。この二人が行っても、 明石さんは文句が言える立場ではありません。このままでは明石さんが同僚の仕事を取ろうとしたことも表沙汰にならず、当然受けるべきペナルティもなく、 次の機会があればまた平気で同じことをしようとするでしょう。まずはその場でとがめるべきです」
ぐうの音も出ない明石はとりあえず「ぐう」と言ってみた。
「ですから僕は引っ越しのカサイの従業員を疑う根本から疑うことにしました」
「でも社内の人間でさえ見ることができない俺のメモをどうやって外部の人間が見ることができるんだ?」
「それについてある考えが僕の中にすでにあるのですが、その前に聞きたいことがあります」
「何だよ?」
謎を解いてくれるという男に対して、明石は高圧的に答えた。
「明石さんが書いたメモ帳の形状についてなのですが、これぐらいの大きさで」男は両手で小さな長方形を宙に作って明石に示しながら、 「二百枚ほどが束になったのが糊でまとめられて」
「そうそう」明石があとを引き継いだ。「ボール紙の台紙に貼りつけられた、どこにでもあるメモ帳だよ」
「なるほど。分かりました。僕の思った通りです。犯人は、明石さんが書いたメモ用紙の、すぐ一枚下のメモ用紙に強い筆圧によって刻まれた凸凹の文章を、読み取ったのです。 恐らくそのままでは読みにくいでしょうから、鉛筆の芯で表面を塗り潰して凸凹を浮かび上がらせたのだとは思いますが」
「でも、それは俺がすぐに十枚まとめて剥がしてシュレッダーにかけたんだよ。あ、シュレッダーの調子が悪いっていうのを聞いて、実は細断されなかったとか思ってるの? 違うよ。あれ外から紙が細く切れていくのが見えるんだ。間違いなく細切れになった」
「細断されたのは元のメモ帳の三枚目以下の分でした。犯人が見たのは二枚目のメモです。三枚目にさえ字が浮かびあがりそうな凸凹が見えたのなら、 二枚目はもっとはっきりしていたはずです」
「だから、俺が事務所を出たのはほんの十秒ほどで、その間に人の出入りはなかったの。窓には鍵がかかってたし」
「例えばさ」店主が口を挟んだ。「事務所に銚子さんが隠れてたのを明石さんは見逃していたわけだから、もう一人隠れてたんじゃないの?」
「で、そいつが俺が部屋を出てる間に隠れ場所から出てメモを剥がしてまた隠れたって言うの?駄目」明石は顔の前で手を振った。「ホントにうちの事務所は狭いんだから。 他にスペースなんてどこにもない。違うよ。」
「私もそうだとは考えていません」男は首を横に振った。
「じゃあ、二枚目のメモを取れた人っていないじゃん」
「いました」
「それ誰だよ」
「あなたです」
明石は顔を顎から前に突き出して、「はあ?」
「あなたです」男は繰り返した。「あなたはメモ帳の一枚目だけを剥がしたつもりでしたが、そうではなくあなたは二枚をまとめて剥がしていたのです。よくあることです。 紙は薄くてくっつきやすい。メモ帳は大量生産で作られます。あの一冊一冊を一つずつ作るわけではない。もっと大きな紙を束ねて端を揃えて糊を塗り、 それを油圧の巨大なカッターであの形あの大きさにザックンザックン裁断していくのです。この時大きな圧が紙にかかります。市場に並ぶメモ帳は、四角の一辺は糊で固められ、 他の三辺はその圧のためにピタリとはりつき、まるで白くて四角い一つの固まりのように見えます」
明石は何かを言いかけたが、口を開いただけで何も言わなかった。
「メモ帳を一枚ちぎる。折り畳もうとしたら、ハラリと二枚に分離して、あれと思う。僕にも何回か経験があります。それに近いことでしたら日常茶飯事ですよね。 レジでお金を払って、お客さん千円札が一枚多いですよと注意されること。人数分のプリントを順々に廻していたはずなのに最後の人の分がなくて、 見直すと自分が二枚持っていたり。紙は薄くてくっつくのです。あなたは一枚だけちぎったつもりでしたが、二枚をちぎっていたのです」
「それはあり得るとして」明石は目の前の空のコップをじっと見つめなが言った。「でもそれじゃあ、その二枚目のメモもまた俺のジャージのポケットに入ったわけだから、 一枚目のメモと同じくやっぱり誰にも見る機会がないんじゃないの?」
「では明石さんは今その二枚目のメモ用紙を持っていますか?」
明石は背広のポケットから紙の束を取り出し、その中から一枚のメモ用紙を探し出した。
「いや。俺の書いたメモ用紙だけだ。やっぱり駄目だ。二枚目なんてないよ」
「なくて当然です。あなたはちぎったメモ用紙をジャージのポケットに収めました。そして帰宅して背広に着替え、ポケットの中身を背広に移し変えたのですよね」
「分かったあっ!」店主が叫んだ。興奮して明石の顔を指差した。「だからその時、二枚のメモは一枚目と二枚目に分かれてたんだよ。 車を運転したり歩いたりしたからその影響でポケットの中で紙が分離したんだ」
明石はポカンと口を開けた。
男は話を続けた。
「恐らくあなたはジャージのポケットに地図とメモを入れる時、メモの上に地図を重ねた形で入れたのではないですか?」
明石はうなづく。
「そしてジャージのポケットには元から色々な紙類が入っていた。それが普段からのあなたの習性ですよね。今の背広の中身もそうでしたし、 板東さんのボールペンを胸に刺したまま返し忘れたり、あなたは整理ができない人です。だから営業成績も悪い」
明石はもう言われるがままだ。
「帰宅し、ポケットの中身を入れ変える時、あなたはポケットの上側から中身を探る。まず地図が手に当たり、その下のメモ用紙が手に触る。 両者を引き出すとそれは地図のコピーであり客の住所を書き写したメモ用紙だった。あなたは何も疑わない。疑う理由がない。二枚を剥いだことに気づいていないのだから。 こうして、メモの二枚目がジャージのポケットに残りました。あなたの筆圧でくっきり文字が刻まれたメモ用紙です。鉛筆の芯で塗り潰さなくても読めるほどの凸凹が残っていたかもしれません」
明石は顔を両手で覆った。
「犯人は、貴子だったのか…」
「それが、奥さんのお名前ですか?」
明石は顔を隠したままうなづいた。
「あなたが出かけた後で、奥さんはジャージのポケットに残ったメモ用紙に気づいたのでしょうね。あなたは、仕事だこの契約が取れないと俺は首になるのだ、 と言って奥さんを振りほどいたと先ほど言われました。実際はもう少し詳しく話したはずです。外食の約束があったなら帰宅予定時間とかね。 しかもあなたが着替えた後にいそいそとメモ用紙をジャージから背広に移し変えるところを横で見ています。その上でメモの文章を読んだ奥さんにとっては自明のことだったと思います。 奥さんは住所から一番近い引っ越し屋を電話帳で探し出し、情報を伝えたのです。もし全くの勘違いで、メモの住所とあなたの向かった先が違っていても、 無駄足を踏んだ引っ越し屋が迷惑なだけで、奥さんは痛くも痒くもない」
明石は顔を上げない。
「女房怒らせると、怖いんだよなあ」店主が腕を組み、しみじみと言った。
男は声を和らげて、明石に言った。
「営業成績も大事だけど、その前にやるべきことがあるんんじゃないですか?少なくともこんなところで飲んでいる場合ではない」
明石は立ちあがった。
「大将。おあいそ」
第12回(2003.8.25~) テーマ:サザンオールスターズ
「綺麗」abiko masahiro
「椅子と鬘とインディアン」池上宣久
「カルネイ署長の長い一日」辻本真孝
「綺麗」 abiko masahiro
□問題編
学生会館の廊下を行くと、天文学研究会、写真部、軽音楽部「フリーバード」、マスコ ミ研究会「DMF」、などとそれぞれのドアにはその部に相応しい、デザインや凝った字 体の施された名前の書かれた部屋が並んでいた。突き当たりの部屋が問題の部屋で、そこ には至ってシンプルに「サザンオールスターズF.C」とあった。制服の警官がドアの外 に一人、大学の職員と思しき背広の男が一人、それを遠巻きに眺めている学生らしい野次 馬が数人。
警官が敬礼するのへ軽く会釈を返す。それから箱崎は背広の男に「大学の方ですか」と 訊いた。男は頷き「事務局の松田と申します」と答えた。連絡してきた男だった。発見者 は学生だが、その学生たちからの知らせを聞き通報してきたのだ。箱崎は松田に簡単な自 己紹介をすると、ドアのなかへ入った。
小さい、どこにでもありそうな大学のクラブハウスだった。コンクリートブロックの 壁、安っぽいロッカー、地下なので窓はない。部屋の壁にはサザンオールスターズのポス ターが何枚も貼ってある。CDが発売されたときにレコード店頭に貼り出されていたのを 見たものがあった。テーブルの上には灰皿、パソコンで作っているらしいチラシ類、ミニ コミ誌のようなもの、雑誌の切り抜き、インターネットからプリントアウトしたらしい紙 類が山ほど。CD。懐かしいレコードのジャケットも。それから 死体。
机に俯せるようにして男が死んでいた。苦痛に歪んだ横顔を見せている。口の辺りに吐 瀉物が見られたが微量だった。見開かれた眼球の赤さの方が異常だった。
死体の側に、先に到着していた刑事たちがいる。部屋の隅にはワイシャツにネクタイの 男、職員だな、と思う。
「絞殺ですか」
箱崎がいうと刑事が頷いた。「このFCの代表、山村弘、4回生。発見者の女子学生た ちは隣の部屋にいる。この方は花沢さん、松田さんと同じ事務局職員だ」
花沢が頭を深々と下げるのに箱崎は答えた。それからもう一度、死体に目を戻す。俯せ た死体が抱え込んでいるものに目が留まる。「あれは?」
「ダイイングメッセージか、それとも単に被害者が好きだったアルバムを死の間際に発作 的に手にとったか、あるいは犯人が何らかの目的で持たせたか。判らんよ、まだ」
「……たまたまそこにあったのかも知れない」と箱崎。
「その可能性だってもちろんある、いやその可能性の方が高いとオレは思うね、警部」
レコードジャケットだった。CDではなく。白地に美しいピンクの薔薇が咲いている。 『綺麗』というのがそのアルバムのタイトルだった。山村の手がそれを抱え込んでいる。 その指先に、黒い髪が何本か絡み付いていた。
隣の部屋にいた女子学生はトモコといった。FCのメンバーであだなはチャコ。
「クラブの女の子にはたいてい、サザンの曲からとったあだながついていました。ちょっ としたお遊びなんですけど」
気恥ずかし気にいうのを聞きながら、箱崎は、普通の娘なんだな、と思う。何も、フリ ーキーにサザンに狂ってそうしているわけではないらしい、その気持ちは判らないでもな い。学生時代の楽しさのひとつだ。
容疑者は3人プラス・アルファだ、と先に聞き取りにあたっていた刑事たちから聞かさ れた。被害者の山村弘は代表の立場を利用し、女に手を出すことが多かったという。ただ 実際に誰が彼に弄ばれていたかは判らない。チャコ、栞、エリー、の3人がそうだと部員 たちは噂していた。事件の発見者は何人かで連れ立って部室に来た学生たちだが、そのな かにチャコことトモコはいた。栞、エリーはまだ来ていない。
箱崎は残りの2人についてチャコに訊ねた。
「栞っていうのはカオルの呼び名で、それは彼女の見た目からついたんです。エリーは本 当の名前がアユミ、泣き虫だからだったかな、それで。もしクラブにエリコとかいう名前 の人がいたら、アユミがエリーにはならなかったでしょうけど」
プラス・アルファだといわれたのは、職員の花沢だった。「花沢さんはトモコの恋人な んですよ」と教えてきたのは松田だ。「証拠はないですけどね、自分の恋人が弄ばれてた と知ったら、それがたとえ自分とつきあう以前のことであっても面白くはないんじゃない ですか」と松田がいうのを聞きながら、箱崎は、嫌な男だな、と思った。同じ職員という 立場にありながら、松田が花沢を売ろうとしている、という印象が拭えなかった。
再び山村の死んでいる部屋に戻ると刑事たちが顔を箱崎に、
「やっぱりダイイングメッセージの可能性は薄いな」
といった。
「アルバムにはチャコも、栞も、エリーも入ってない」
それには箱崎もとうに気づいていた。83年にリリースされた『綺麗』は他のアルバムよ りも女性を指す内容の曲やタイトルの曲が多いが、この3人は見当たらない。「いとしの エリー」は79年の曲、収録されているのは『10ナンバーズ・からっと』、「栞のテーマ」 は81年のアルバム『ステレオ太陽族』からのシングルカット曲、チャコは82年発売でスタ ジオアルバムには収録されていない。
『綺麗』には「マチルダ」「サラ」といった女の名前が見られた、それ以外にも女性を指 すような曲がある。「赤い炎の女」。箱崎はそのなかの1曲「EMANON」が気になっ ている。このタイトル、逆から読むと「NO NAME」なのだ。
□解決編
松田の手配で学生会館のなかの一室を臨時の捜査本部として使うことになった。所轄の 刑事に連れられて、栞ことカオルが入ってきたのを見て、箱崎は彼女が犯人ではないこと を知った。「見た目」からそのあだ名がつけられたというとおり、彼女はlong brown hair だった。現場にあった髪とは明らかに違う。
「痴情からだとしたらチャコの線も薄いだろう」
「どうして」
「松田のいったとおりさ、いまのチャコに花沢がいるなら彼女が過去にこだわって殺人ま で犯す理由がない、逆に花沢にとっても、チャコという恋人がいるならいま自分の側にい るなら、山村弘にこだわる必要がない。動機を欠くよ」
「山村がゲイで松田とつきあってたっていうのなら、また他の線も浮かび上がってくる ぜ」
「だとしても髪の問題があるだろう、それに『綺麗』の意味が残ったままになる」
やはりあれに意味があるんですか、と刑事が訊ねた。箱崎は、山村弘だろ、といって、 「犯人はエリーことアユミじゃないのか。あれは山村のダイイングメッセージではなく、 彼女の告白だったんだろ。ほら」
差し出されたCDを刑事は受け取った。現場に残されたレコードとサイズの違うそれの 裏面には曲名が並んでいる。
「『そんなヒロシに騙されて』っていいたかったんじゃないか、もしかしたら『NEVE R FALL IN LOVE AGAIN』かも知れないけれどね」
「椅子と鬘とインディアン」 池上宣久
□問題編
この物語はフィクションです。
200X年、恒例となった茅ヶ崎SAS祭り二日目の夜午前二時、会場のホールから車で三十分離れたホテルの自室で、桑田啓祐は携帯に電話を受けた。
関口和之からだった。
「もしもし桑田?」
「ああ。どうしたのこんな時間に?」
ライブが終わったのが午後十時で、ホールでの打ち上げが終わった午前0時までは一緒だった。
「良かった。生きてたのか・・・」
「は?」
「今、俺、お前の死体見つけちゃったんだよ。他殺死体ってんの?今目の前に胸にナイフが刺さって・・・」
「お前、何言ってんの?酔ってる?」
ドアが開いて、原由子が入ってきた。
「どうしたの?」
桑田は手で受話器を押さえて「関口からなんだけど、様子がおかしいんだよ」桑田は受話器に向き直り、声に力を添えた。「関口、落ち着いて、説明しろ」
「俺、打ち上げの後もスタッフや野沢や松田と一緒にホールに残ってて、酔いを覚まそうと中庭に出たら小さな建物があって、戸が開いてちょっと隙間ができてたんで、 つい開いたら何か変な雰囲気だったのでドアの脇を探ってスイッチ入れたら、お前の死体を見つけちまったんだよ。いや判ってるよ。お前生きてるもんな。こいつあれだよ。 ほら昨日のそっくりさん大会で予選敗退した人。俺たちでリアル桑田だって言ってた奴だ」
桑田はその男を覚えていた。名前は印田といって、桑田より三才年長だった。桑田も五〇才を越え、普段は中年のおじさんである。素の桑田にそっくりだったのだが、その点は審査では有利に働かなかった。
「ここ恐らく倉庫なんだろうけど、壁際の椅子に死体は腰掛けている」
「椅子に腰掛けてる?もう少し説明できる?」
「腰掛けていると言うよりは、横倒しに倒れたら椅子があったって感じで横にねじれてもたれた感じ。左半身が下。椅子のすぐ横に衣装ラックがあって、倒れる時に思わずつかんじまった感じで、 毛皮のコートをつかんでいる。何だ?太ももの上に何か紙が置いてある」ようやく関口の声に落ち着きが戻ってきた。「星座のカードだなこれは。何々?インディアン座だって。へぇ。こんな星座もあるんだ」
「それは何?手書きなの?」
「いや印刷物だ」ちょっと間があって、「ああ、判った。椅子の上に作りつけの棚があって、幾つか箱が積み重ねてある内の一つが横になって、蓋がない。えーと、蓋は床に落ちてて、タイトルが星座物語り。 箱の中にはまだ数十枚残ってるな。星座ごとに一枚ずつあって、伝説や見える時期や場所を説明してるみたい」
「インディアン座ってどんな形してるの?」
「五つの星を結んでて、強いて言えば漢字の『人』かな。一画目の留めのところからちょろっと横に線分が伸びるけど」
「関口。もういいや。あまり現場を荒らさない方がいい。すぐに人呼んで警察に連絡しなよ。俺もすぐそっちに行くことにするからさ」
「そうだな。判った。そうするよ」
切れた携帯を見つめながら、桑田はあることを思い出して青ざめた。桑田は鞄からノート型パソコンを取り出し、電源を入れた。
警察が到着し、捜査が始まった。
被害者は印田という男で、現場のホールに勤める雑用係りだった。死因は左胸に刺さったナイフで、死亡時刻は午前0時から一時までの間とされた。即死ではなかったようだ。
殺害現場は小倉庫で、主に衣装や帽子や鬘を収納するための部屋だったが、テーブルや竹椅子や籐椅子なども雑多に詰め込まれていた。死体は籐椅子に座っていた。 太ももの上の星座カードは一枚だけでなく、「インディアン座」の下に「蟹座」と「オリオン座」のカードが重なっていた。
現場に到着した桑田は、担当警部に面会を申し込んだ。桑田はノート型パソコンを持参していた。
「警部さん、この詩を読んで欲しいんです。『悪魔の湘南手毬唄』というテレビドラマの主題歌を依頼されて、昨日に作ったばかりなんですが」
こんな詩だった。
「竹で編んだ椅子にもたれて
剥いだ頭皮に指をからませ
見つめる俺はインディアン
殺して殺して殺しまくるぜ」
これが一番で、あと二番三番と続いていたが、警部は冒頭の詩の内容に驚いた。
「こ、これは」
「関口から現場の状況を聞いて、僕も驚いたんです。死体は椅子にもたれて、指に毛をからませ、ももの上にインディアン座のカードが置いてあったそうじゃないですか」
「では、犯人はこの詩に基づいて、死体を装飾したというのですか?」
「そうとしか考えられないのですが」
「しかしこの詩は昨日作られたばかりだとおっしゃる。この詩の内容を知る人は限られるのではありませんか?」
「ところが、昨日は茅ヶ崎SAS祭りの一日目で、ライブ終了後はそっくりさん大会なども含まれる一般ファンとの交流パーティがあって、その控え室にうっかりパソコンを置きっぱなしにしていたんです。 詩が読める状態で放置していたのではないのですが、操作すればかなりの人に見る機会があったはずです」
警部は考え込んだ。この詩を再現したのだとしても、その目的が判らない。とりあえず、桑田のパソコンを見る機会のあった者が一体何人くらいいるものかを部下に調べさせた。
そうすると意外な事実が明らかになった。桑田が放置したパソコンは、ホールのスタッフがホールの備品と勘違いをして控え室からすぐに持ち去られていたのだ。 パーティの終了間際に気がついて控え室に戻されたために、桑田はその事実に気付かなかった。その結果、一挙にパソコンを見る機会のある者が絞られることになった。 それは、SASのメンバーの五人-桑田啓祐、原由子、関口和之、野沢秀行、松田弘-だけだったのだ。
警部はその事実を桑田に告げた。
桑田は目をつぶり、そしてため息をついた。
「警部さん、それなら犯人は一人しかいません」
インディアン座の形は以下のURLにてご確認下さい。
みてみて→http://space.nasda.go.jp/db/utyu/seiza/seiza_j/indus_j.html
□解決編
桑田は説明を始めた。
「犯人は『悪魔の湘南手毬唄』の歌詞に見立てて殺害現場を装飾したように見えますが、微妙に詩の内容と状況に差異が認められます。例えば、詩には『竹で編んだ椅子』とあって、 現場には竹椅子があったのに、死体は藤椅子に座っていた点。詩には『頭皮』とあって、現場には鬘があったのに、毛皮のコートを握っていた点。 歌詞の通りに完璧に現場を装飾しようと思えば犯人にはそれができたはずなのに、それをしていません。犯人は詩の内容をうろ覚えだったのかもしれません。 しかしそうだとしてもおかしいのは星座カードです。詩には『インディアン』とあって、死体のももの上にインディアン座の星座カードが置いてあったのですから、 これは完璧な見立てになっていると言ってよいでしょう。しかし、蟹座とオリオン座のカードも一緒に重ねられていた点が余計です。犯人はなぜこんな余計なことをしたのでしょうか? 椅子の上の棚に箱が横倒しになってふたが開いていたということですから、何かの拍子に箱から蟹座とオリオン座のカードが死体の上に落ちたのかもしれません。 しかしそれならインディアン座のカードが一番下でないといけないし、逆に一番下のオリオン座を犯人が置いたのだと考えると、それでは歌詞の見立てが成立しません。
歌詞の内容と微妙にズレた見立て。もしかすると、全ては偶然であったのかもしれません。刺された被害者が倒れる時バランスを保とうと毛皮のコートをつかみ、そのまま椅子に倒れ込み、 その振動で棚の箱から星座カードが落ちて来た、とも状況が解釈できるからです。それがたまたま、歌詞の内容に符合してしまったのではないか。いや、それではあまりにも偶然が過ぎます。 偶然か必然か?必然だとしたなら、どのような説明が可能なのでしょうか?」
警部は身を乗り出した。
「桑田さん、あなたにその説明ができるのですか?」
「はい。一つの考え方があります。見立てが逆なのではないか、という解釈です。殺人現場の状況を歌詞の内容に見立てたのではなく、歌詞の方が現場の状況に見立てられたのです」
「は?だって、歌詞はあなたが…」
「はい。僕が書きました。『悪魔の湘南手毬唄』は、関口から電話で聞いた内容をもとに即興で書いた詩だったのです。僕は一度現場の倉庫に入ったことがあったので、 その時に見た竹椅子が記憶に残っていました。だから、関口から椅子と聞いた時に竹椅子しか頭に浮かびませんでした。『頭皮』というのは、インデイアンと毛の連想から使っただけの言葉だったのですが、 それが現場にあった鬘に結びつくとは想像もしませんでした。星座カードについても、関口からはインディアン座しか伝えられなかったからです」
「あなた、なぜそんなことをしたのですか?」
「関口から事件の連絡があった時、聞いた現場の状況が、ある人物の名を示していると思えたからです」
「人物の名?」
「僕は、被害者はインディアン座のカードと毛をつかんで竹椅子に座っていたのだと勝手に思い、それは被害者の残したダイイングメッセージだと解釈してしまったのです。 でも事実は、座っていたのは藤椅子で星座カードはインディアン座だけではなかったのですから、たまたまそうなってしまっただけで、被害者の意思は全然からんでいなかったのですね」
「そのままではやがてダイイングメッセージが解かれて犯人が暴かれると考えたあなたは、我々の捜査を見立て殺人にミスリードするために詩を書き上げたということですか」
「『悪魔の湘南手毬唄』の主題歌の依頼は本当で、参考に横溝正史の『悪魔の手毬唄』を読み終わった直後だったんです。すぐに見立て殺人というアイデアが浮かびました。 そして前夜にパソコンを控室に置きっ放しだったのを思い出して、あの時は不特定多数の人が入り乱れた夜でしたから、容疑を拡散できると考えました。だけどまさかそれが反ってやぶ蛇で、 容疑がうちのメンバーにまた罹ってくるとは予測外でした」
「また?」警部は敏感に反応した。「ダイイングメッセージが指し示すとあなたが考え守ろうとした人物は、サザンオールスターズのメンバーなのですか?」
「そうです。うちらを守るために嘘の歌詞を作ったのに、結局その歌詞がメンバーを縛ることになってしまったのですから、これ以上頑張っても仕方がありません。全てを打ち明けることにしました」
「そうなら、推理を述べるような妙な言い方でなく、ストレートに告白してくれればよろしかったのに」
「『悪魔の手毬唄』を読んだばかりで、金田一耕介に感化されたっていうか。すみません」
「ダイイングメッセージが指し示すとあなたが考えたのは、誰なんですか?」
「すみません」桑田はまた謝った。そして言った。「僕です」
警部は一瞬絶句した。「…あなた?」
「僕が犯人なんです。僕が印田を刺し殺したんです。死んだと思って現場を出たんですけど。関口から電話で聞いた状況が僕が現場を出た時と違っていたので、 まだ息が残っていた印田が最後の力を振り絞ってダイイングメッセージを残したのではないかと考えました。でも、インディアンと椅子と毛皮ですからね。 最初はこれの何が桑田啓祐を表わすのか全然わかりませんでした。でも倉庫にあった椅子が竹製であるのを思い出し、つまり『タケイス』ですから、 これに毛皮の『ケ』をつなげば『タケイスケ』となります。これだ、と思いました。でもそうすると残りの『インディアン』が『クワ』を表わすことになってしまいます。 これが全く見当がつかなかったのですが、関口からインディアン座の形を聞いて思い出すものがありました。それで、電話を終えてすぐにネット検索で調べました。 そうしましたら、僕の記憶が正しいことが判ったので、やはり現場の状況は僕が犯人だと指し示すダイイングメッセージだと確信してしまいました」
「インディアン座にはどういう意味があったのですか?」
「インディアン座は五つの星で構成され、『人』の字に一画を沿えた形です。これはローマ字の『Y』の縦棒の留めに一画を沿えた形とも見えるのです」
「そうだとして、それは何を示すのですか?」
「桑畑の地図記号です」
「カルネイ署長の長い一日」 辻本真孝
□問題編
この物語はフィクションです。
「なに! ロナルドがスパイだと!」
リオ市警のカルネイ署長は叫んだ。
「間違いないのか!」
署長はテレビに視線を移した。
マラカナンスタジアムで行われている北半球選抜と南半球選抜の試合は後半戦に進んでいた。
スコアは1対1。
前半、タカタのセンタリングにゼッカムが頭を合わせて北半球選抜が先制した。すぐさま南半球選抜のエスボマがミドルシュートで同点に追いついた。
スタジアムの観衆は地元ブラジルのロナルドのシュートを待ち望んでいた。
「まだ情報は流れていないんだな」
カルネイ署長の表情は硬かった。
「ロナルドが国家機密を国外に流そうとしているらしい。試合終了と同時にロナルドを逮捕するんだ。いや、選手全員を捕まえろ。国外のマスコミは一切近づけるな」
マラカナンスタジアムではロナルドコールが沸き上がっていた。
それに答えるかのように、ロナルドは個人技で北半球選抜を圧倒し、一人でゴール前まで詰め寄った。そして放たれたボールはキーパー・ハーンの右手をかすめてネットに突き刺さった。
スタジアムが揺れた。
ロナルドは胸にSouthern All Starsと書かれたユニホームを脱いで走った。そこに他の選手も集まってロナルドを称えた。
観衆の興奮も冷めず、ロナルドは歓喜のパフォーマンスをしたが、遅延行為としてイエローカードを受けた。
試合は、ロナルドのゴールが決勝点となって南半球選抜が2対1で勝った。
終了と同時にロナルドをはじめ選手・関係者全員がリオ市警に拘束された。
しかし、すでに情報はロナルドによって流されていた。
「どういうことなんだ!」
カルネイ署長は頭を抱えていた。
□解決編
マラカナンスタジアム
完成は1950年。ブラジルで開催されたワールドカップ用に建設され、当時は約20万人の収容を誇った世界最大のスタジアムだった。
以来、マラカナンは常に「世界最大」という形容詞で語られるようになったのだが、度重なる事故もあって現在の収容は約10万人に縮小されている。
1980年、電話局がマスコミ用にと両サイドのゴールポストの脇に2台ずつ計4台の公衆電話を設置した。
ゴールを決めるたびに選手が使用し試合進行の妨げになったので、現在では選手が試合中に使用するとイエローカードが出される。
今ではマスコミも使用していないが、電話局が宣伝の為そのままにしている。
「どういうことなんだ!」
カルネイ署長は頭を抱えていた。
マラカナンスタジアムの観衆は見ていた。
観衆だけではない、テレビを通してブラジルの国民が、全世界の人々が、見ていた。
ロナルドはゴールを決めたあと、公衆電話に駆け寄ったのだ。それは、ゴールの喜びを家族に、愛する人に伝えたものだと皆が思ったのだ。
カルネイ署長もそれに漏れることはなかった。
しかし、国家機密はその時漏れたのだった。
「なに! カルロス・ツジモトが殺されただと!」
リオ市警のカルネイ署長の一日はまだ終わらない。
「椅子と鬘とインディアン」池上宣久
「カルネイ署長の長い一日」辻本真孝
「綺麗」 abiko masahiro
□問題編
学生会館の廊下を行くと、天文学研究会、写真部、軽音楽部「フリーバード」、マスコ ミ研究会「DMF」、などとそれぞれのドアにはその部に相応しい、デザインや凝った字 体の施された名前の書かれた部屋が並んでいた。突き当たりの部屋が問題の部屋で、そこ には至ってシンプルに「サザンオールスターズF.C」とあった。制服の警官がドアの外 に一人、大学の職員と思しき背広の男が一人、それを遠巻きに眺めている学生らしい野次 馬が数人。
警官が敬礼するのへ軽く会釈を返す。それから箱崎は背広の男に「大学の方ですか」と 訊いた。男は頷き「事務局の松田と申します」と答えた。連絡してきた男だった。発見者 は学生だが、その学生たちからの知らせを聞き通報してきたのだ。箱崎は松田に簡単な自 己紹介をすると、ドアのなかへ入った。
小さい、どこにでもありそうな大学のクラブハウスだった。コンクリートブロックの 壁、安っぽいロッカー、地下なので窓はない。部屋の壁にはサザンオールスターズのポス ターが何枚も貼ってある。CDが発売されたときにレコード店頭に貼り出されていたのを 見たものがあった。テーブルの上には灰皿、パソコンで作っているらしいチラシ類、ミニ コミ誌のようなもの、雑誌の切り抜き、インターネットからプリントアウトしたらしい紙 類が山ほど。CD。懐かしいレコードのジャケットも。それから 死体。
机に俯せるようにして男が死んでいた。苦痛に歪んだ横顔を見せている。口の辺りに吐 瀉物が見られたが微量だった。見開かれた眼球の赤さの方が異常だった。
死体の側に、先に到着していた刑事たちがいる。部屋の隅にはワイシャツにネクタイの 男、職員だな、と思う。
「絞殺ですか」
箱崎がいうと刑事が頷いた。「このFCの代表、山村弘、4回生。発見者の女子学生た ちは隣の部屋にいる。この方は花沢さん、松田さんと同じ事務局職員だ」
花沢が頭を深々と下げるのに箱崎は答えた。それからもう一度、死体に目を戻す。俯せ た死体が抱え込んでいるものに目が留まる。「あれは?」
「ダイイングメッセージか、それとも単に被害者が好きだったアルバムを死の間際に発作 的に手にとったか、あるいは犯人が何らかの目的で持たせたか。判らんよ、まだ」
「……たまたまそこにあったのかも知れない」と箱崎。
「その可能性だってもちろんある、いやその可能性の方が高いとオレは思うね、警部」
レコードジャケットだった。CDではなく。白地に美しいピンクの薔薇が咲いている。 『綺麗』というのがそのアルバムのタイトルだった。山村の手がそれを抱え込んでいる。 その指先に、黒い髪が何本か絡み付いていた。
隣の部屋にいた女子学生はトモコといった。FCのメンバーであだなはチャコ。
「クラブの女の子にはたいてい、サザンの曲からとったあだながついていました。ちょっ としたお遊びなんですけど」
気恥ずかし気にいうのを聞きながら、箱崎は、普通の娘なんだな、と思う。何も、フリ ーキーにサザンに狂ってそうしているわけではないらしい、その気持ちは判らないでもな い。学生時代の楽しさのひとつだ。
容疑者は3人プラス・アルファだ、と先に聞き取りにあたっていた刑事たちから聞かさ れた。被害者の山村弘は代表の立場を利用し、女に手を出すことが多かったという。ただ 実際に誰が彼に弄ばれていたかは判らない。チャコ、栞、エリー、の3人がそうだと部員 たちは噂していた。事件の発見者は何人かで連れ立って部室に来た学生たちだが、そのな かにチャコことトモコはいた。栞、エリーはまだ来ていない。
箱崎は残りの2人についてチャコに訊ねた。
「栞っていうのはカオルの呼び名で、それは彼女の見た目からついたんです。エリーは本 当の名前がアユミ、泣き虫だからだったかな、それで。もしクラブにエリコとかいう名前 の人がいたら、アユミがエリーにはならなかったでしょうけど」
プラス・アルファだといわれたのは、職員の花沢だった。「花沢さんはトモコの恋人な んですよ」と教えてきたのは松田だ。「証拠はないですけどね、自分の恋人が弄ばれてた と知ったら、それがたとえ自分とつきあう以前のことであっても面白くはないんじゃない ですか」と松田がいうのを聞きながら、箱崎は、嫌な男だな、と思った。同じ職員という 立場にありながら、松田が花沢を売ろうとしている、という印象が拭えなかった。
再び山村の死んでいる部屋に戻ると刑事たちが顔を箱崎に、
「やっぱりダイイングメッセージの可能性は薄いな」
といった。
「アルバムにはチャコも、栞も、エリーも入ってない」
それには箱崎もとうに気づいていた。83年にリリースされた『綺麗』は他のアルバムよ りも女性を指す内容の曲やタイトルの曲が多いが、この3人は見当たらない。「いとしの エリー」は79年の曲、収録されているのは『10ナンバーズ・からっと』、「栞のテーマ」 は81年のアルバム『ステレオ太陽族』からのシングルカット曲、チャコは82年発売でスタ ジオアルバムには収録されていない。
『綺麗』には「マチルダ」「サラ」といった女の名前が見られた、それ以外にも女性を指 すような曲がある。「赤い炎の女」。箱崎はそのなかの1曲「EMANON」が気になっ ている。このタイトル、逆から読むと「NO NAME」なのだ。
□解決編
松田の手配で学生会館のなかの一室を臨時の捜査本部として使うことになった。所轄の 刑事に連れられて、栞ことカオルが入ってきたのを見て、箱崎は彼女が犯人ではないこと を知った。「見た目」からそのあだ名がつけられたというとおり、彼女はlong brown hair だった。現場にあった髪とは明らかに違う。
「痴情からだとしたらチャコの線も薄いだろう」
「どうして」
「松田のいったとおりさ、いまのチャコに花沢がいるなら彼女が過去にこだわって殺人ま で犯す理由がない、逆に花沢にとっても、チャコという恋人がいるならいま自分の側にい るなら、山村弘にこだわる必要がない。動機を欠くよ」
「山村がゲイで松田とつきあってたっていうのなら、また他の線も浮かび上がってくる ぜ」
「だとしても髪の問題があるだろう、それに『綺麗』の意味が残ったままになる」
やはりあれに意味があるんですか、と刑事が訊ねた。箱崎は、山村弘だろ、といって、 「犯人はエリーことアユミじゃないのか。あれは山村のダイイングメッセージではなく、 彼女の告白だったんだろ。ほら」
差し出されたCDを刑事は受け取った。現場に残されたレコードとサイズの違うそれの 裏面には曲名が並んでいる。
「『そんなヒロシに騙されて』っていいたかったんじゃないか、もしかしたら『NEVE R FALL IN LOVE AGAIN』かも知れないけれどね」
「椅子と鬘とインディアン」 池上宣久
□問題編
この物語はフィクションです。
200X年、恒例となった茅ヶ崎SAS祭り二日目の夜午前二時、会場のホールから車で三十分離れたホテルの自室で、桑田啓祐は携帯に電話を受けた。
関口和之からだった。
「もしもし桑田?」
「ああ。どうしたのこんな時間に?」
ライブが終わったのが午後十時で、ホールでの打ち上げが終わった午前0時までは一緒だった。
「良かった。生きてたのか・・・」
「は?」
「今、俺、お前の死体見つけちゃったんだよ。他殺死体ってんの?今目の前に胸にナイフが刺さって・・・」
「お前、何言ってんの?酔ってる?」
ドアが開いて、原由子が入ってきた。
「どうしたの?」
桑田は手で受話器を押さえて「関口からなんだけど、様子がおかしいんだよ」桑田は受話器に向き直り、声に力を添えた。「関口、落ち着いて、説明しろ」
「俺、打ち上げの後もスタッフや野沢や松田と一緒にホールに残ってて、酔いを覚まそうと中庭に出たら小さな建物があって、戸が開いてちょっと隙間ができてたんで、 つい開いたら何か変な雰囲気だったのでドアの脇を探ってスイッチ入れたら、お前の死体を見つけちまったんだよ。いや判ってるよ。お前生きてるもんな。こいつあれだよ。 ほら昨日のそっくりさん大会で予選敗退した人。俺たちでリアル桑田だって言ってた奴だ」
桑田はその男を覚えていた。名前は印田といって、桑田より三才年長だった。桑田も五〇才を越え、普段は中年のおじさんである。素の桑田にそっくりだったのだが、その点は審査では有利に働かなかった。
「ここ恐らく倉庫なんだろうけど、壁際の椅子に死体は腰掛けている」
「椅子に腰掛けてる?もう少し説明できる?」
「腰掛けていると言うよりは、横倒しに倒れたら椅子があったって感じで横にねじれてもたれた感じ。左半身が下。椅子のすぐ横に衣装ラックがあって、倒れる時に思わずつかんじまった感じで、 毛皮のコートをつかんでいる。何だ?太ももの上に何か紙が置いてある」ようやく関口の声に落ち着きが戻ってきた。「星座のカードだなこれは。何々?インディアン座だって。へぇ。こんな星座もあるんだ」
「それは何?手書きなの?」
「いや印刷物だ」ちょっと間があって、「ああ、判った。椅子の上に作りつけの棚があって、幾つか箱が積み重ねてある内の一つが横になって、蓋がない。えーと、蓋は床に落ちてて、タイトルが星座物語り。 箱の中にはまだ数十枚残ってるな。星座ごとに一枚ずつあって、伝説や見える時期や場所を説明してるみたい」
「インディアン座ってどんな形してるの?」
「五つの星を結んでて、強いて言えば漢字の『人』かな。一画目の留めのところからちょろっと横に線分が伸びるけど」
「関口。もういいや。あまり現場を荒らさない方がいい。すぐに人呼んで警察に連絡しなよ。俺もすぐそっちに行くことにするからさ」
「そうだな。判った。そうするよ」
切れた携帯を見つめながら、桑田はあることを思い出して青ざめた。桑田は鞄からノート型パソコンを取り出し、電源を入れた。
警察が到着し、捜査が始まった。
被害者は印田という男で、現場のホールに勤める雑用係りだった。死因は左胸に刺さったナイフで、死亡時刻は午前0時から一時までの間とされた。即死ではなかったようだ。
殺害現場は小倉庫で、主に衣装や帽子や鬘を収納するための部屋だったが、テーブルや竹椅子や籐椅子なども雑多に詰め込まれていた。死体は籐椅子に座っていた。 太ももの上の星座カードは一枚だけでなく、「インディアン座」の下に「蟹座」と「オリオン座」のカードが重なっていた。
現場に到着した桑田は、担当警部に面会を申し込んだ。桑田はノート型パソコンを持参していた。
「警部さん、この詩を読んで欲しいんです。『悪魔の湘南手毬唄』というテレビドラマの主題歌を依頼されて、昨日に作ったばかりなんですが」
こんな詩だった。
「竹で編んだ椅子にもたれて
剥いだ頭皮に指をからませ
見つめる俺はインディアン
殺して殺して殺しまくるぜ」
これが一番で、あと二番三番と続いていたが、警部は冒頭の詩の内容に驚いた。
「こ、これは」
「関口から現場の状況を聞いて、僕も驚いたんです。死体は椅子にもたれて、指に毛をからませ、ももの上にインディアン座のカードが置いてあったそうじゃないですか」
「では、犯人はこの詩に基づいて、死体を装飾したというのですか?」
「そうとしか考えられないのですが」
「しかしこの詩は昨日作られたばかりだとおっしゃる。この詩の内容を知る人は限られるのではありませんか?」
「ところが、昨日は茅ヶ崎SAS祭りの一日目で、ライブ終了後はそっくりさん大会なども含まれる一般ファンとの交流パーティがあって、その控え室にうっかりパソコンを置きっぱなしにしていたんです。 詩が読める状態で放置していたのではないのですが、操作すればかなりの人に見る機会があったはずです」
警部は考え込んだ。この詩を再現したのだとしても、その目的が判らない。とりあえず、桑田のパソコンを見る機会のあった者が一体何人くらいいるものかを部下に調べさせた。
そうすると意外な事実が明らかになった。桑田が放置したパソコンは、ホールのスタッフがホールの備品と勘違いをして控え室からすぐに持ち去られていたのだ。 パーティの終了間際に気がついて控え室に戻されたために、桑田はその事実に気付かなかった。その結果、一挙にパソコンを見る機会のある者が絞られることになった。 それは、SASのメンバーの五人-桑田啓祐、原由子、関口和之、野沢秀行、松田弘-だけだったのだ。
警部はその事実を桑田に告げた。
桑田は目をつぶり、そしてため息をついた。
「警部さん、それなら犯人は一人しかいません」
インディアン座の形は以下のURLにてご確認下さい。
みてみて→http://space.nasda.go.jp/db/utyu/seiza/seiza_j/indus_j.html
□解決編
桑田は説明を始めた。
「犯人は『悪魔の湘南手毬唄』の歌詞に見立てて殺害現場を装飾したように見えますが、微妙に詩の内容と状況に差異が認められます。例えば、詩には『竹で編んだ椅子』とあって、 現場には竹椅子があったのに、死体は藤椅子に座っていた点。詩には『頭皮』とあって、現場には鬘があったのに、毛皮のコートを握っていた点。 歌詞の通りに完璧に現場を装飾しようと思えば犯人にはそれができたはずなのに、それをしていません。犯人は詩の内容をうろ覚えだったのかもしれません。 しかしそうだとしてもおかしいのは星座カードです。詩には『インディアン』とあって、死体のももの上にインディアン座の星座カードが置いてあったのですから、 これは完璧な見立てになっていると言ってよいでしょう。しかし、蟹座とオリオン座のカードも一緒に重ねられていた点が余計です。犯人はなぜこんな余計なことをしたのでしょうか? 椅子の上の棚に箱が横倒しになってふたが開いていたということですから、何かの拍子に箱から蟹座とオリオン座のカードが死体の上に落ちたのかもしれません。 しかしそれならインディアン座のカードが一番下でないといけないし、逆に一番下のオリオン座を犯人が置いたのだと考えると、それでは歌詞の見立てが成立しません。
歌詞の内容と微妙にズレた見立て。もしかすると、全ては偶然であったのかもしれません。刺された被害者が倒れる時バランスを保とうと毛皮のコートをつかみ、そのまま椅子に倒れ込み、 その振動で棚の箱から星座カードが落ちて来た、とも状況が解釈できるからです。それがたまたま、歌詞の内容に符合してしまったのではないか。いや、それではあまりにも偶然が過ぎます。 偶然か必然か?必然だとしたなら、どのような説明が可能なのでしょうか?」
警部は身を乗り出した。
「桑田さん、あなたにその説明ができるのですか?」
「はい。一つの考え方があります。見立てが逆なのではないか、という解釈です。殺人現場の状況を歌詞の内容に見立てたのではなく、歌詞の方が現場の状況に見立てられたのです」
「は?だって、歌詞はあなたが…」
「はい。僕が書きました。『悪魔の湘南手毬唄』は、関口から電話で聞いた内容をもとに即興で書いた詩だったのです。僕は一度現場の倉庫に入ったことがあったので、 その時に見た竹椅子が記憶に残っていました。だから、関口から椅子と聞いた時に竹椅子しか頭に浮かびませんでした。『頭皮』というのは、インデイアンと毛の連想から使っただけの言葉だったのですが、 それが現場にあった鬘に結びつくとは想像もしませんでした。星座カードについても、関口からはインディアン座しか伝えられなかったからです」
「あなた、なぜそんなことをしたのですか?」
「関口から事件の連絡があった時、聞いた現場の状況が、ある人物の名を示していると思えたからです」
「人物の名?」
「僕は、被害者はインディアン座のカードと毛をつかんで竹椅子に座っていたのだと勝手に思い、それは被害者の残したダイイングメッセージだと解釈してしまったのです。 でも事実は、座っていたのは藤椅子で星座カードはインディアン座だけではなかったのですから、たまたまそうなってしまっただけで、被害者の意思は全然からんでいなかったのですね」
「そのままではやがてダイイングメッセージが解かれて犯人が暴かれると考えたあなたは、我々の捜査を見立て殺人にミスリードするために詩を書き上げたということですか」
「『悪魔の湘南手毬唄』の主題歌の依頼は本当で、参考に横溝正史の『悪魔の手毬唄』を読み終わった直後だったんです。すぐに見立て殺人というアイデアが浮かびました。 そして前夜にパソコンを控室に置きっ放しだったのを思い出して、あの時は不特定多数の人が入り乱れた夜でしたから、容疑を拡散できると考えました。だけどまさかそれが反ってやぶ蛇で、 容疑がうちのメンバーにまた罹ってくるとは予測外でした」
「また?」警部は敏感に反応した。「ダイイングメッセージが指し示すとあなたが考え守ろうとした人物は、サザンオールスターズのメンバーなのですか?」
「そうです。うちらを守るために嘘の歌詞を作ったのに、結局その歌詞がメンバーを縛ることになってしまったのですから、これ以上頑張っても仕方がありません。全てを打ち明けることにしました」
「そうなら、推理を述べるような妙な言い方でなく、ストレートに告白してくれればよろしかったのに」
「『悪魔の手毬唄』を読んだばかりで、金田一耕介に感化されたっていうか。すみません」
「ダイイングメッセージが指し示すとあなたが考えたのは、誰なんですか?」
「すみません」桑田はまた謝った。そして言った。「僕です」
警部は一瞬絶句した。「…あなた?」
「僕が犯人なんです。僕が印田を刺し殺したんです。死んだと思って現場を出たんですけど。関口から電話で聞いた状況が僕が現場を出た時と違っていたので、 まだ息が残っていた印田が最後の力を振り絞ってダイイングメッセージを残したのではないかと考えました。でも、インディアンと椅子と毛皮ですからね。 最初はこれの何が桑田啓祐を表わすのか全然わかりませんでした。でも倉庫にあった椅子が竹製であるのを思い出し、つまり『タケイス』ですから、 これに毛皮の『ケ』をつなげば『タケイスケ』となります。これだ、と思いました。でもそうすると残りの『インディアン』が『クワ』を表わすことになってしまいます。 これが全く見当がつかなかったのですが、関口からインディアン座の形を聞いて思い出すものがありました。それで、電話を終えてすぐにネット検索で調べました。 そうしましたら、僕の記憶が正しいことが判ったので、やはり現場の状況は僕が犯人だと指し示すダイイングメッセージだと確信してしまいました」
「インディアン座にはどういう意味があったのですか?」
「インディアン座は五つの星で構成され、『人』の字に一画を沿えた形です。これはローマ字の『Y』の縦棒の留めに一画を沿えた形とも見えるのです」
「そうだとして、それは何を示すのですか?」
「桑畑の地図記号です」
「カルネイ署長の長い一日」 辻本真孝
□問題編
この物語はフィクションです。
「なに! ロナルドがスパイだと!」
リオ市警のカルネイ署長は叫んだ。
「間違いないのか!」
署長はテレビに視線を移した。
マラカナンスタジアムで行われている北半球選抜と南半球選抜の試合は後半戦に進んでいた。
スコアは1対1。
前半、タカタのセンタリングにゼッカムが頭を合わせて北半球選抜が先制した。すぐさま南半球選抜のエスボマがミドルシュートで同点に追いついた。
スタジアムの観衆は地元ブラジルのロナルドのシュートを待ち望んでいた。
「まだ情報は流れていないんだな」
カルネイ署長の表情は硬かった。
「ロナルドが国家機密を国外に流そうとしているらしい。試合終了と同時にロナルドを逮捕するんだ。いや、選手全員を捕まえろ。国外のマスコミは一切近づけるな」
マラカナンスタジアムではロナルドコールが沸き上がっていた。
それに答えるかのように、ロナルドは個人技で北半球選抜を圧倒し、一人でゴール前まで詰め寄った。そして放たれたボールはキーパー・ハーンの右手をかすめてネットに突き刺さった。
スタジアムが揺れた。
ロナルドは胸にSouthern All Starsと書かれたユニホームを脱いで走った。そこに他の選手も集まってロナルドを称えた。
観衆の興奮も冷めず、ロナルドは歓喜のパフォーマンスをしたが、遅延行為としてイエローカードを受けた。
試合は、ロナルドのゴールが決勝点となって南半球選抜が2対1で勝った。
終了と同時にロナルドをはじめ選手・関係者全員がリオ市警に拘束された。
しかし、すでに情報はロナルドによって流されていた。
「どういうことなんだ!」
カルネイ署長は頭を抱えていた。
□解決編
マラカナンスタジアム
完成は1950年。ブラジルで開催されたワールドカップ用に建設され、当時は約20万人の収容を誇った世界最大のスタジアムだった。
以来、マラカナンは常に「世界最大」という形容詞で語られるようになったのだが、度重なる事故もあって現在の収容は約10万人に縮小されている。
1980年、電話局がマスコミ用にと両サイドのゴールポストの脇に2台ずつ計4台の公衆電話を設置した。
ゴールを決めるたびに選手が使用し試合進行の妨げになったので、現在では選手が試合中に使用するとイエローカードが出される。
今ではマスコミも使用していないが、電話局が宣伝の為そのままにしている。
「どういうことなんだ!」
カルネイ署長は頭を抱えていた。
マラカナンスタジアムの観衆は見ていた。
観衆だけではない、テレビを通してブラジルの国民が、全世界の人々が、見ていた。
ロナルドはゴールを決めたあと、公衆電話に駆け寄ったのだ。それは、ゴールの喜びを家族に、愛する人に伝えたものだと皆が思ったのだ。
カルネイ署長もそれに漏れることはなかった。
しかし、国家機密はその時漏れたのだった。
「なに! カルロス・ツジモトが殺されただと!」
リオ市警のカルネイ署長の一日はまだ終わらない。
第11回(2003.7.28~) テーマ:神主さま
「神主さまvs満干全席」長井正広
「天崎サカヤの事件簿その3~神主~」池上宣久
「保山宗明玉殺人事件」池上宣久
「神主さまvs満干全席」 長井正広
□問題編
満干全席の避暑のための別荘「夏の蟹荘」で「満干殉死事件」は起こった。
その死亡状況だが・・・。
まず満干全席は別荘の中の居室ではなく、執筆作業のために建てた、離れで服毒死を遂げていた。机の上には端を破かれた便箋に「私はつねに死ななければならない。ゆえにわれあり」との遺言が墨で書かれてあった。 全席は耳なし芳一のように、全身墨まみれだった。
離れは別荘の敷地にあるが、十メートルほど離れていて、その入り口まで勝手口から石畳が続いていた。前夜の雨のために、離れの入り口の手前、石畳の途切れた所に全席の足跡があった。
一方、勝手口すぐの厨房では、全席の一番弟子の満干半席が同じく服毒死を遂げていた。検視の結果、同じ毒だと、さらに死亡時刻もほぼ同時だと判明した。死亡推定時刻は雨の降ってるまさにその時間帯だった。
満干全席の宴に象徴される、料理を追求するエキセントリックな生き様に、もうついていけない、ともらしていた半席が同じ服毒死とは運命の皮肉を感じざるえなかった。
厨房はまさに料理人の死に様にふさわしい現場だった。半席は手に濡れた全席の遺言の切れ端をつかみながら、もう一方の手で、イカ焼きそばののった中華なべを握っていた。手は火で焼け爛れていた。 全席の死に比べ、これこそ料理人の死である。
二つの死体の発見者は満干上席だった。上席は朝食の準備を半席に伺いに来て、死体を発見、さらに全席に知らせようとして、また死体を発見したのだった。上席は泡を吹いて倒れ、石畳で後頭部を打ち、しばらく動けなかった。 上席は十年以上も修行しながら、なべをつかむことすらできなかった。もちろん、前夜も料理をさせてはもらっていなかった。全席の死に立ち会えたのがせめてもの恩返しだろう。
上席につっつかれて警察に連絡したのは、満干痰席であった。
痰席は別名「中華料理の殺人者」と呼ばれ、痰席の調理した料理を食べた人間は必ず腹痛を訴え、うむをいわさず動けなくするという料理人で、特別の許しをえなければ、料理をさせてはもらえなかった。 まともな弟子は半席しかいなかった、いや、全席はまともに修行させるのを嫌っていたのかもしれない。
当日、別荘にいた弟子は以上だが、もう一人、半席の友人の、切裂き研究家の霧裂雀三郎がいた。警察が来る前の現場で、霧裂は厨房で破かれた切れ端を見て、ああ、ついに、と呆然とするばかりだった。 霧裂はいつも携帯しているナイフをくるくると回しながら、何度もため息をついた。
だがしかし、ふいにイカ焼きそばのイカが宙に浮かび、回転し始めた!まるで伊賀の影丸の木の葉のように・・・。
「見たぞ・・・・」
そこにはイカにまみれた、あの神主さまの姿がっ!
「この世に見えぬものはなし! 人の世の不可思議、すべてを見通す!」
光につつまれて、推理のオーラを放ち、みえをきる、神主さまの姿!
「満干全席も人の心を持っていたのか・・・」
神主さまのつぶやきは遠く月までとどいていた。
□解決編
ふるふると体をふるわせて、イカを落とした神主さまは周囲を見渡し、優しく語り始めた。
「満干半席の死はまさに料理人の死にふさわしい死だった。全席にもう、ついてはいけない、ともらしながらも、蟹人間である上席や「中華料理の殺人者」と呼ばれる痰席に比べ、 じつは全席ともっとも深くつながっていたのが、半席だった。
半席の服毒死、自殺現場を見て、(衝動的な自殺だったのだろうが、全席はすぐに犯罪ではなく、自殺だと納得した。)全席はその死を料理人の死としてまっとうさせようとした。 イカ墨でイカに書かれた遺書をイカ焼きそばに代えて調理をし、調理台の墨の汚れはそのままにして、便箋の端を破って、床へ置いた。
次に、全席は離れへ向かい、破れた便箋に遺言を書き、さらには全身に墨を塗りたくった。こうすれば、全席の死を見た、半席が自殺したと考えられると思ったからだ。 丁寧に遺言書まで濡れしておいて。しかし、石畳の間に半席の足跡をつけ忘れて、ややこしくなってしまった。
本来ならば、全席の死に殉じようと、自殺現場を見た半席が全席に最後の晩餐のつもりで、遺言の墨を連想させるイカ焼きそばとともに自殺したという物語のはずだったが、半席の発見の痕跡がなくなってしまった。
だから、この事件は満干全席に対する半席の殉死ではなく、半席に対する全席の殉死だったのだ。したがって、作者は「満干殉死事件」としか表現できなかったのだ。これは単純な二重自殺事件にすぎない。 そうだろう・・・、作者よ」
神主さまはまた厨房の周囲を見渡した。
「作者は初めから「殉死事件」と書くしかなかったのだ」
そして、神主さまは作者が何らかの表現を講じないのを確かめると、満干全席ってば、人を心を最期に表すとは、と言いながら、つぶやきそのものとなって、やがて消失した。
だがしかし、事件現場でもう一人、ああついに、と何もかも見透かすようにため息をついていた霧裂は神主さまが姿を現わす前にいつのまにか逆に、姿を消していた。
「切裂き」を研究する霧裂へは神主さまは何も言及しなかったが、破かれた遺言とは何も関係はなかったのか。はたして・・・。
それは。厨房の端に放置された霧裂のナイフだけが知っていた・・・。
「天崎サカヤの事件簿その3~神主~」 池上宣久
□問題編
諍屋の所用で診療所が連休になったので、天崎サカヤは、従姉の天田ヒロミの別荘に、共通の友人たちを引き連れて、遊びに出かけた。
男四人女一人の一行が別荘に着いたのは、午後二時のことだった。荷物を別荘に運び込む時にアクシデントがあった。武蔵博之がつまづいて、 前を歩いていた徳之島徹と朝日昇の二人を押し倒してしまったのだ。難を逃れた村田一美が悲鳴を上げる。倒した本人は怪我一つなかったのに、徳之島は足を捻挫し、 朝日は腰を痛めてしまった。徳之島は武蔵の親友だったので問題はなかったが、犬猿の仲の朝日はカンカンになって怒った。
というわけで、天崎は朝日と部屋を交換することになる。別荘は母屋と離れの二つの建物からなっていて、最初は離れに天田、天崎、村田、母屋に武蔵、徳之島、 朝日という割り当てだったが、朝日が武蔵と同じ建物内は嫌だとゴネたのだ。
こうして一部険悪な雰囲気をはらんだまま六人は、パーティの始まる六時までを勝手に過ごすことになった。
お昼寝で時間を潰した天崎サカヤは、四時に自室のベッドで目を覚ました。
そろそろパーティの準備を始めなければならない。天田ヒロミは手伝ってくれない。そう宣言していた。パーティである仕掛けを用意していて、その準備があるからだそうだ。 そういえば、赤いドレスに凝ったヘアスタイル、濃い化粧と、いつにも増して気合いが入っていたような…。
天崎はふと窓の向こうに目をやった。
天崎の部屋は母屋の一番奥にあり、裏手に建つ離れを見ることができた。正面に離れの居間があって、その窓越しに、ちょうど天田ヒロミが居間に入って来るのが見えた。
彼女は大変怒っていた。どうやら居間に先に人がいて、その人に向かって激しくののしっているようだが、相手の姿は壁に隠れて天崎には見えなかった。
天崎は目を見張った。壁の陰から突然二本の腕が突き出され、その両手が天田の細い首を締めたのだ。あっという間に、天田は縊り殺された。血の流れを止めたというより、 頚骨を一気にへし折ったかのような勢いだった。
大変だっ!
天崎は立ち上がりドアに向かいかけた。ところが、離れの玄関が開いて村田一美が出て来るのが見えた。村田は、居間の惨劇には全く気づいていない様子だった。 天崎は村田に声をかけようと慌てて窓に近づき、足元がおろそかになった。足を滑らせ倒れた拍子に、頭を床に打ちつけて気を失ってしまった。
「君が気を失っていたのはどれくらいの時間だったのかな?」
時間は午後七時。通報を受けた警察の捜査はもう始まっていて、天崎サカヤは刑事による二回目の尋問の最中だった。
「五分後でした。気がついてすぐに腕時計を見ましたので、これは確かです。ドアを開けたら廊下に武蔵が立っていて、ヒロミが殺されたことだけ伝えて、 僕は別荘備え付けのサンダルを履いて裏玄関を出、二十メートルの距離を一気に走りました。武蔵がすぐ後を追いかけて来ました。僕は玄関に入る前に、 居間の窓から中を覗いてみました。居間は玄関の横の部屋なんです。そうしたら」天崎は手で顔を覆った。「ヒロミが床に俯けに倒れていました。 首が捻じ曲がって顔がこっちを向いてて、顔は苦悶に歪んで固まって、明らかに死んでて」
「それで、君たちは離れに上がったんだね」
刑事が先を促がした。天崎は息を整えて、答えた。
「はい。でも、居間のドアにも内側から鍵が掛かっていましたので、二人でドアを破ることにしました。息を合わせてドアに肩をぶつけて、 五回目にやっと鍵が壊れてドアが勢いよく内側に開きました。居間には死体が倒れているだけで、他に誰もいませんでした。 居間には戸棚や押し入れなど人が隠れられるスペースはありません。椅子とテーブルがあるだけです。ドアにはラッチ錠と差込み錠の二種類の鍵が取り付けられていて、 両方とも施錠された状態で壊れたのは明らかでした。とすると、これは完全密室殺人になります。必要以上に現場を荒らさない方がいいだろうと考え、僕たちは居間から出ました。 そして、僕が居間の前に見張りで残り、武蔵君が母屋から110番しました。電話は母屋にしかなく、携帯は元より圏外でしたから」
こうして、警察の出動となった。しかし、所轄の警官が別荘に到着する前に事件は新たな様相を見せる。
母屋で110番を終えた武蔵博之は、自室から出て来た徳之島徹から声をかけられる。徳之島はそれまで寝ていたと言う。武蔵は事件の説明をし、二人は離れに向かった。 離れに入ると、居間の前の廊下に天崎サカヤが村田一美と一緒にいた。村田はそれまで近くの林を散歩していて今さっき戻って来たと言う。 そのまま四人で警察の到着を待っていたが、姿を現わさない朝日昇のことが気になった。
四人で朝日の部屋に行き、声をかけたが返事がない。念のためノブを回すとドアが開いた。部屋の中で朝日が死んでいた。
机の上に朝日のPCの電源が入っていて、「私がヒロミを殺しました」という文章が打たれてあった。朝日は床に仰向けに倒れていて、そばにジュースの空瓶が転がっていた。 鑑識が調べると、中に毒が入っていたようで、それが朝日の死因であった。
状況は、天田を殺した朝日が自殺したように思えた。
警察の捜査が始まって、色々なことが確認された。
まず、天田ヒロミの死亡推定時間は、午後四時を中心として前後十五分の間とされた。死因は明らかな扼殺であった。
窓には隙間はなく、捻じ込み錠もしっかりかかっていた。鉄格子の幅は十センチしかなく、ここからの人の出入りは不可能である。
ドアの差込み錠の方は、糸を使えば何とか鍵をかけられそうだが、その糸を通す隙間がどこにもない。ラッチ錠の鍵穴はドアの表にも裏にも開いているが、 直接つながっていないので、鍵穴に糸を通すことはできない。差込み錠は吹き飛んで床に落ち、ラッチ錠は捻じ曲がり壁側の受け口は裂けていた。 どちらの錠もドアが壊された時、しっかり施錠されていたのは間違いない。ラッチ錠を開けることのできる唯一の鍵は、机の上に置いてあった。特別な意匠を施された鍵なので、 複製は不可能である。
朝日昇の死亡推定時刻は、午後四時十分を中心として前後十五分の間とされた。毒は無味無臭で即効性の高い種類のものだったが、 毒の入っていたジュースの瓶の容量が小さかったため、朝日は一気飲みできたようだ。
「朝日昇が犯人だとしても、密室殺人の謎は残る」
刑事の尋問は続く。
「そう考えると、本当に朝日は自殺したのかという疑問も湧いてくる。遺書はワープロで打ったものだから筆跡は関係なく、誰でも打てるからね」
「別に犯人がいて、罪を朝日になすりつけて自殺に見せかけて殺したと言うんですか?それでも、密室の謎を解かないといけないのは一緒ですよ」
「私は、君が犯人ではないか、と考えている。ドアに二つ鍵がついていたのがミソでね。君はまず差込み錠が掛かっただけのドアを壊して居間に入り、 天田さんを殺してからラッチ錠の鍵を外から掛けた。そして死体発見の時に鍵を机の上に置いたのだ」
天崎は愕然とした。
「違う。窓から居間を覗いた時には、差込み錠は壊れてなくてしっかり掛かっていた。机の上に鍵もあった。僕は犯人ではありません!」
天崎は隙をついて、諍屋の携帯に電話した。この窮状を説明して、知恵を借りなければならない。
しかし、諍屋の携帯はずっと圏外で、つながらなかった。
遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
雉の鳴く声?
天崎サカヤは、もしやと思って周りを見渡した。天崎は母屋の食堂で尋問を受けていた。
「ワハハハハハハ」と突如響く高笑い。しかし、刑事以外に人はいない。
その時、「チーン!」と鳴って、冷蔵庫の上の電子レンジの蓋が手前にパカッと開いた。中に人の顔があった。
「覗くぞ覗くぞ。お前の人生覗くぞ。お前の心の闇を覗くぞ。電子レンジの奥からチンと覗くぞ」
「あっ!貴様は覗き見探偵神主!何故こんなとこに?!」
電子レンジの顔が下に引っ込んで、冷蔵庫のドアが開いて、中から神主が全身を現わした。
「そんなことはどうでも宜しい。今から事件を解決しますから関係者を全員この場所に集めて下さい」
集まった。
神主は話を始めた。
「いつもならここで私の推理を披露するのですが、今回はQEDのテーマ「神主さん」にちなんで特別サービスです。皆さんに謎を解くチャンスを与えましょう」
天崎サカヤは首をひねった。「神主さん」にちなんでって?
「私、今回も覗いておりました。というか、殺人事件発生時に、私、現場の居間にいました。柱の一本が私でした。節穴から覗いてました。
皆さん、まず天崎さんの四時の目撃を疑っていませんか?死亡時刻が四時を挟んで前後十五分なのですから、実際の殺人は密室が破られた後に起こったのだとも考えられます。 つまり、四時に窓越しに天崎さんが見たのは殺人に見せかけたお芝居ではなかったか?居間のドアを破って天崎さん武蔵さんが入った時、 天田さんは実はまだ生きていて死んだ振りをしていたのではなかったか?」
神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います!」否定のポーズのようだ。「天崎さんが四時に目撃したのは間違いなく殺人の瞬間でした。なぜなら、私自身が居間の中にいて、 この目でしっかと目撃していたからです。天田さんの死亡時刻、それは四時一分です。この時、犯人もまた居間の中にいました。犯人が自分の手で天田さんを絞め殺しました。 私の目の前で殺しました。
しかし、問題はここからですね。まだ現場は密室になっていない。天崎さんは直後に気を失ってしまいました。ここに、密室状況を形成する時間的余裕が生じてしまいました。 もし天崎さんがすぐに現場にかけつけておれば事件は別の形になっていたかもしれません。
ではこの時に何が成されたのか?」
神主は目をつぶって顔の前で人差し指を振ってみせた。
「これは言いますまい言いますまい。私、ずっと居間にいて、ずっと見てましたけど、事件の根幹の部分ですからね。これは皆さんが考えて下さい。
話は、天崎さん武蔵さんによる死体発見場面に飛びます。皆さんは考えていますね。もしかすると、お二人がドアを破った時、まだ犯人は居間の中にいて、 どこかに隠れていたのではないか?」
神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います!お二人が母屋からやって来た時、私、まだ居間にいました。ずっといました。この時、犯人はすでに居間を脱出していました。居間の中には死体だけで、 犯人どころか他の人どころか人以外の生物も、いませんでした。壁の中に埋まってたという類いの発想も捨てて下さい。当然、自動鍵締め装置などという仕掛けも存在しません。 実は存在したのだけど、作業を終えた後に爆発して塵になったとか、バイオで土に返ったとかいうこともありません。元から存在していないのです。私、見てました。
だとすると、もしかすると施錠自体がまやかしだったのではないか、と考える人も出て来ますね。掛かっていたのは片方の錠だけで、もう一方はすでに壊れていたのではないか、 という刑事さんの推理。例えば他には、両方ともにすでに壊れていたのだけど、接着剤とかの別の要因で鍵が掛かっていたかのように思わせるトリック、とか」
神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います!差込み錠もラッチ錠もともにしっかり掛かってました。壊れていません。両方の鍵は私の目の前で、天崎さん武蔵さんのアタックで吹き飛び、壊されました。 世界に一つしかない複製不可能なラッチ錠の鍵は、天崎さんが居間に飛び込んだドサクサに机の上に置いたのではなく、その前から机の上にありました。私がそれを見てました。 間違いありません。勿論、窓の施錠も完璧でした。
だとすると、あと考えられるのは、抜け道の類いですね。壁が取り外しが利いたとか、屋根が浮いて隙間ができたとか。 居間を脱出してから外から釘打ちなどしてその痕跡を消してしまうというような類い、ですね」
神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います! 壁にも屋根にも床にも、人や人以外の生物や物体が出入りできる隙間や穴は全くなく、部屋及びその周辺に、改修補修解体建築増築新築移動傾け落下回転浮遊などの事実は全くありません。 私、見てました。間違いありません」
神主はくるりと振り向いて、天崎たち関係者に顔を向けた。
それまで虚空に向かって話しかけていたのだ。
「潰せるトリックは大方潰しました。さて、密室殺人はどのようにして構成され、犯人は誰なのでしょうか?」
□解決編
「説明します」神主は謎解きを始めた。「密室が破られた時、犯人は室内に隠れてはおらず、二つの鍵は施錠されていて、自動鍵締め装置のような仕掛けはなく、 部屋に抜け道の類いもなく、早業殺人でも早業鍵放り込みでもなく、密室の中に死体一体しか存在しなかったという状況です。したがって、答は一つです。 居間の内側から鍵をかけたのは、死体の人なのです。死体の人が居間に入り、内側から鍵をかけ、そして死にました」
「え?でも死体は天田ヒロミだったんだよ。天田は絞め殺された。絞め殺した犯人はどこに行ったんだよ。それが問題なんじゃないか」
「ですから、居間に鍵を掛けた死体の人は、天田ヒロミではないのです。居間の死体は二回入れ替わっているのです」
「二回入れ替わって?じゃあ、入れ替わったもう一体の死体っていうのは、誰の死体なんだよ?」
「この事件にはもう一体の死体が見つかっていますね。朝日昇さんの死体です。天崎さん武蔵さんのお二人が密室を破った時に居間で倒れていたのは、彼女の死体だったのです。 毒を飲んで苦悶の表情でしたし、この時彼女は天田さんとまったく同じメイク、ヘアスタイル、服装をしていましたので、見間違うのも仕方のないところです。 もうお分かりでしょうが、これが天田さんがパーティの前に宣言していた「ある仕掛け」でした。何かの拍子に天田さんは自分と朝日さんが似ていることに気づき、 これを利用して二人で入れ替わったり同時に別々の場所に現われたりして、驚かせてやろうと企んでいたのです。
では最初から説明しましょう。
まず、四時一分に居間で天田ヒロミが扼殺され、これを天崎さんが目撃します。すぐに天崎さんが現場に駆けつけておれば、事件の展開は変わっていたでしょうが、 彼は頭を打って気を失ってしまいました。その間に天田さんを殺した犯人は死体を居間に置いておくわけにはいかないと判断して、死体を天田さんの部屋に移動しました。 ここで大きな偶然が重なりました。すでに天田さんと同じ扮装をすませていた朝日さんが、犯人と入れ違うようにして居間に入り、鍵を掛けた上、毒を飲んで死んでしまったのです。 その直後に天崎さんたちがドアを破って居間に乱入しました。天田さんに積極的に似せようと扮装している上に苦悶の表情ですし、自分自身の直前の目撃がありますから、 天崎さんはその死体がまさか天田さん以外の何者かである可能性など頭に浮かびようもありません」
「でもそれじゃあ、居間の死体は朝日ってことになって、でも警察が調べた死体は天田で、朝日は自分の部屋で死んでいたのだから…。あれ?どういうこと?」
「さっき死体は二回入れ替わったと言いました。警察が来るまでの間に居間の朝日さんの死体は彼女の部屋に運び込まれ、 天田さんの部屋に運ばれていた彼女の死体がまた居間に戻されたのです。こうして、一貫して天田さんの死体は居間にあったという状況が作り上げられ、 完全密室殺人事件が成立してしまったのでした」
「じゃあ、犯人は?」
「この犯罪が可能なのは、武蔵さんだけですね。村田さんには天田さん殺しの時のアリバイが成立していますし、足を捻挫した徳之島さんには天田さんの死体の移動は無理です」
ここまで神主の推理を聞いて、武蔵は観念して全てを告白した。
武蔵博之は実は朝日昇のことを愛していたのだが、成すことすべてが裏目になって彼女から嫌われてしまう。絶望した武蔵は朝日を殺してしまおうと考え、彼女に毒入りジュースを手渡す。 偶然から武蔵の企みを知った天田ヒロミは居間にいた武蔵を難詰するが、自暴自棄になっていた武蔵は彼女を絞め殺す。一旦天田の死体を彼女の部屋に移した武蔵は親友の天崎に助けを求めるために母屋に行く。 ところが、天田殺害場面を目撃してしまった天崎は興奮していて聞く耳を持たず、離れに走ったので、武蔵も後を追わざるを得ない。その間に、朝日が居間に入って、 毒を飲んで死んでいた。さっき自分の手で殺して天田の部屋に運んだはずの死体がいつの間にか居間に戻って、しかも内側から施錠されていたのだから、武蔵は激しく困惑する。 しかし、密室を破り、警察に知らせる段になって、ようやく武蔵は事態を理解する。天崎に相談して、天田を殺した朝日が自殺した状況を二人で作り上げることにする。 朝日の死体と毒入りジュースの空き瓶を彼女の部屋に運び込み、天田ヒロミの扮装を解き、PCを立ち上げて遺書を書き残したのだ。服と鬘は天田の部屋に移し、天田の死体を居間に戻してから、 武蔵は母屋に行って110番したのだった。
天崎は頭を下げた。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が、また鳴いた。
神主は小さく頷いた。
「保山宗明玉殺人事件」 池上宣久
□問題編
この物語はフィクションです。
タクシーに乗ったみのもんたを見送って、池上宣久は大きく伸びをした。
「さあ、飲むぞ」
「QED開設一周年記念パーティ」は盛況のうちに幕を下ろそうとしていた。しかし池上にとってはこれからが本番である。式次第はすべて済んだ。あとは飲むだけ。 裏方に徹した池上はまだ一滴のアルコールも口にしていなかった。残りたい人は残り、帰りたい人は帰る。会場が正宗屋であろうが帝国ホテルであろうが、この流儀は変わらない。
「鳳凰の間」に戻ると、ほとんどの人がまだ残っていて、広い会場のあちこちで談笑の輪を作っていた。
雅な歌会のように聞こえたのは、歌羽弐無法、歌羽経乃、奇天可、翁藻、睥倪地見世可、睥倪地千里可、静寂緒たちの会話だった。
横山愛子と白澤慶子が何やら熱心に話し込んでいる。それぞれの隣りで横山権兵衛と白澤栄三が憮然とした表情をしているのが可笑しかった。すぐ横で増本恵子が白澤実を嬉々としてブランド物で飾り立てていた。 立川慎也と安藤京子が取り成そうとするが聞く耳を持たない。
横山権三は、サム・ライミ、塚原卜伝、狩野宗逸、狩野香逸、木蓮の転生センター組と、四葉頼太、戸松田新三を相手に、生と死を分かつものについて持論を熱く語っていた。
丹羽が、具瑠芽衣子、山本益博子に、肉まんと餃子の中身は絶対に違うと涙ながらに語っている。
野田アーサー、オリエント京子、Dr.O、ソルティ乃木、宇崎四郎時貞、ジュ-ク東郷のπグループが、北出、西岡、南田、東畑、中川、連続殺人鬼上野と仲良く酒を飲み交わしていた。 最初に顔を合わせた時には一触即発の雰囲気だったが、ニコラス・ペタスが仲裁に入って「押忍」の心を説き、この時ばかりの仲直りを成立させたのだ。
その隣りのテーブルでは、満干全席がようやく機嫌を直したようで、楽しそうに話をしていた。パーティの途中に急に即席料理を作ると宣言して立ち上がったのだが、 過去に彼の料理でひどい目に合った人たち―T・ヒットマン一等航海士、古語三郎航海医、海老沢海雄二等航海士、蟹田蟹蔵艦長、見城和夫鍼灸師、金城花子家事手伝い、 顎山巌石材職人、田頭聡美術鑑定家―から一斉に抗議の声が上がってすごすご引き下がったのだ。特に「ペンタグラム」の四人は、口角泡を飛ばしつつガンガン身振り手振りを交えてだったので、 同じテーブルでアニメ話で盛り上がっていた睦子、涼平、紗香、康平の四人が口をつぐんだほどの迫力だった。
満干全席のテーブルには、包丁万太郎、蟹江、満岸全席、満干半席、なにわのラーメン大王高橋一介、その息子一郎、次郎、伝説の名コックマース・オオヤマ、カジワラ、 カクタの料理人たちと、抜田抜造、修善寺音也、「隣のおばさん」事件の隣のおばさん、おじさんといったグルメたちが同席していた。修善寺音也は涎をすすりながら周りの人たちを物色している様子だったので、 いつでも取り押さえられるように、御殿山一郎と修善寺春子が彼のすぐ後ろに控えていた。
似た顔がずらりと並んだテーブルがあった。箱崎一家だ。箱崎警部に、探偵箱崎、高校生の箱崎少年、大学生の箱崎青年、ジョージ箱崎たちだった。
ジミーは相変わらず相棒のハーヴェイに話しかけていた。それを不気味そうに道成寺晃と児玉信弘が身を寄せ合って見ていた。
川田興業の浜口営業部長、寺西製造部長、木村技術部長がヘルメットを手に、その効能を同席のテリーとロビンソンに熱心に説明していたが、よく伝わってないようだ。
安田博之、周明華、小座成夫、千野、吉川秋広、ドリーは、戻ってきた自らの首を祝って何度も乾杯を繰り返している。
永、敏、椎井、諍谷、橋本、冬木、小橋、佐脇の八人は、新しいあっち向いてホイで遊んでいた。勝ち残りと負け残りの人が決まるまでジャンケンを繰り返し、決まった瞬間にその二人の間だけであっち向いてホイをするのだ。 何が面白いのかわからなかったが、八人は大層盛り上がっていた。
「川田興業ビル連続墜死事件」の俺は、誰もいない空間に向かって「お前成仏したのじゃなかったのかよ。そうなつくなって」と文句を垂れていた。その様子を手塚と張がポカンと口を開けて見ていた。
会場の隅の方で、辻本真孝が小錦、モハメド・アリ、乙武、タモリに取り囲まれていた。何かを固辞している風だったが、しばらくすると諦めたように首を横に振り、鞄から取り出したのがドミノだった。 辻本は床にドミノを並べ始めた。
そんな参加者たちの様子を見ながら池上は、今回のパーティは概ね成功だったなと確信し、今日一日のことを思い返した。
パーティに参加表明のあったのは、QED主催者三人(辻本、安孫子正浩、池上)、問題出題者五人(保山宗明玉、長井正広、丹羽、狸代 吉本正)、投稿者九人 (平加屋吉右ヱ門、高橋、梅田メメ子、おね、松岡亜湖、宙人、マイペース、山口ユリ、ゲームメーカー)、生QED参加者三人(玉井扶美、街子あかね、フレンチカンカン) の計二十人で、仕事が残業で遅れて参加する高橋を除く全員に、夕方四時に梅田のショットバーに集まってもらったのだった。もう一人前日に急に思いついて、 池上は友人の和尚という男に「のぶりん」役で参加してくれないかとお願いしていたのだが、直前に寝過ごしたという連絡が入って、これも遅れての参加となった。 ついでに前日に保山にジュニア役の人をどうしますかと問い合わせたのだが、そんな者を用意する必要はないと珍しく不機嫌悪そうな答だった。
ショットバーが約二十人でパーティをするには手頃な広さだったので、そこが会場だと思った参加者もいたようだが実はそうではなく、そこはオリエンティーリングのスタート場所だった。
池上は参加者に地図と暗号と手掛かりを渡して、順々に街に送り出した。街中に散りばめられた謎を解くことによって真のパーティ会場にたどり着ける仕掛けである。 スタート前にパーティ代を徴収しているので、パーティの開始時間に遅れれば遅れた分だけお金を損することになる。結局たどり着けなければパーティ代は丸損だ。 といってそれほど難しいコースを用意したわけではなく、ほとんどの人が開始前には会場にたどり着けた。
会場についた参加者は皆口をあんぐり開けた。会場が、大阪最高級帝国ホテル、三百人収容の「鳳凰の間」だったからだ。壁の一面は芝生の中庭に面していて、 そこも貸し切りになっていた。しかも、司会進行役はみのもんただ。
これは全てQEDの管理人辻本のお陰である。ブラジルの叔父さんが亡くなって入った遺産を全額提供してくれたのだ。
しかし、いくら参加者の負担がゼロだといっても、三百人の広間に二十人である。大きな無駄遣いだと言っていい。しかし、この趣向の謎はすぐに解けることになる。
参加者の紹介が済んだ後、みのが、記念すべきQED初作品「開かなかったか」の最初の登場人物として箱崎警部をステージに呼び寄せたのだ。
「あれ?箱崎って本当にいたの?」あちらこちらのテーブルで声が上がる。
みのは次いで「開かなかったか」の被害者を呼び寄せ、さらに二番目の作品「開かれたドア」の被害者黒井、そして青田とその息子三人と勘臓秘書と腎臓運転手を呼び寄せた。みのは次々と名前を読み上げ、 遂にはQED全十回三十九作品の登場人物約二百人がステージに並ぶことになった。死んだはずの被害者も捕まったはずの犯人まで全員が揃っていた。
みのは、被害者は「転生センター」で甦えらせ、犯人は国にかけあって今日だけの超法規的措置で刑務所から出てきてもらったと説明したが、そんなわけがない。 実はほとんどは金で雇った役者で、それぞれの登場作品を読ませて、役作りをしてもらったのだ。そのギャラも全部辻本が出してくれたお金で賄った。辻本さまさまである。
参加者たちもみのの説明を心底信じたわけではないが趣向には乗ってくれて、テーブルについた登場人物たちを捕まえては熱心に話しかけ、役者たちもその役柄になり切って対応した。
しかし、実を言うと中には本物もいる。池上の書いてきたものの一部は実話だし、他の作者の作品にもそういうものがあるらしい。「あるらしい」と曖昧に書くのは、 池上たち作者はその詮索をあえてしなかったからである。作者が本人を呼べる場合は本人を呼び、呼べない場合はそれをリストにして、役者を派遣する芸能プロダクションに個別に提出したために、 誰が本物で誰が役者なのかは作者以外は知ることができないのだった。その方が皆を実在の人物だと思えて面白かろうという判断である。
最も参加者を驚かせたのは、グリングリンの出現だった。ステージに上げるわけにはいかないので、登場人物たちが舞台に勢揃いした後で中庭に連れて来たのだ。 右肩に兄のクリンクリンを乗せ、頭の上には伝書鳩をとめていた。皆がグリングリンの背中に乗りたがって長蛇の列を作った。ちょうど今は、紙村弁護士と鷺沢時彦と鷺沢舞子の三人が乗っていた。嬉しそうだ。
残念なのは、諍屋ととうとう連絡がつかなかったことだ。携帯が全然つながらない。古尾谷雑把、古尾谷専、板倉、高松、佐藤、木村、佐々木、堂島、赤松、名村、山井、竜胆、間宮たち下駄拳一派も不参加となった。
登場人物たちは名札に名前を記入して胸につけてもらっていた。登場人物の中には「抜かれなかったか」の“オレ”や、「シジフォス」の“俺”のように名前を与えられなかった者がいるので、 名前の下に備考欄を用意して、「金庫の中の遺言状を見つけられなかった男」とか「毎日色々なことをしてからカンタを殺す人」とか、書き込めるようにしておいた。海乃幸や「蔵の中」の被害者の少年など、 名札がなくてもそれと判る者も中にはいたが、参加者とのコミュニケーションに大いに役立ったようだ。
会場入り口には受付けを設けていて、そこで参加者たちにも名札を渡していた。受付け係りは、「見えない人」事件の自然公園の門番である。
式次第は、QEDカルトQクイズ大会、テーマ「一周年」で生QEDと、進んだ。
QEDカルトQでは、ボタンを押すと天辺がパカンと立つアメリカ横断ウルトラクイズ払い下げの帽子を、全員が被ってクイズに参加した。
「狸代さんQED初投稿の時のタイトルは何だったでしょう?」
「ピコーン」
「はい。狸代さん」
「すっ推理です、だったと思うんですが」
「ブー。間違いです」
「あがっ!」
「ピコーン」
「はい。マイペースさん」
「一応。。。推理です」
「ピンポンピンポンピンポン。正解です。では次の問題。猫舌六三郎さんの職業は何でしょう?」
「ピコーン」
「はい。マイペースさん」
「運転手」
「ピンポンピンポンピンポン。正解です。では次の問題。冤罪に関するテレ」
「ピコーン」
「はい。マイペースさん」
「なんたることの、なにごとぞ」
「ピンポンピンポンピンポン。正解です」
そうして、各部門年間最優秀賞の発表でもって、「QED開設一周年記念パーティ」のすべての企画は終わったのだ。後は飲むだけだ。
池上はさらにテーブルの間を練って歩いた。
壁際の大きなソファにふんぞり返って座っているのは、年間最優秀主演賞を獲得した覗き見探偵神主だ。黒のサングラスをかけ、両腕をソファの背もたれに乗せ、足を高く組んでいた。 周りを、浅倉麻由美、池本貴志や、天崎サカヤ、天田ヒロミ、武蔵博之、徳之島徹、朝日昇、村田一美や、花野愛子、花山大吉、花田おさるの顔なじみが取り囲んでいた。
ステージでは、保山宗明玉がライブを勝手に始めていた。歌うはゴスロリユニット「バッハ」の代表曲「毎月三日は消費税三パーセント」である。ゴシックロリータのスカート姿で、今日はずっとこのいでたちだった。 おねがバックで踊り、ステージの前には鯨本幸、野寺かをり、京本茜、高橋玲子、家政婦悦子、山口ゆり、玉井扶美、待子あかねといった女の子のグルーピーがいつの間にやら形成されて、キャーキャー声援を送っていた。
「まいちゅき♪まいちゅき♪みい~っかには♪しょ~おひぜ~いは♪さ~んぱ~せ~ん♪」
中庭に目を向けると、松岡亜湖がグリングリンの背中に乗るところだった。その時池上は嫌な生き物を見た。静寂緒が連れて来たペットの牝猫、魑魅だった。声をかける暇もなく、 グリングリンが魑魅に気がついて「ガオ~ン」と一声鳴いて松岡を乗せたまま走り出した。
「た、助けて~!」悲鳴を上げる松岡。
グリングリンは受付けを無茶苦茶にし、鳳凰の間の中央に向かった。
多くの人は逃げたが、バリケードを築いて踏みとどまる一群がいた。彼らの背後には、辻本が作り上げたドミノの列があったのだ。平加屋が吹き飛ばされ、磯崎と鯨本が宙に飛び、 フリーダム降田氏とゲームメーカーが踏み潰され、やっとグリングリンが進路を変えた。
そこへ、紅三四郎が紅い空手着をグリングリンの顔に投げて視界を奪い、貝原が銛を足元に放って動きを封じ、「アメリカンロデオショー」の調教師が背中に飛び乗って松岡を助け、 ボブと演出家がグリングリンをなだめて、何とか騒ぎを収めた。クリンクリンと伝書鳩がやって来たので、あとはまかせることにした。グリングリンはしょぼんとして、中庭に戻って行った。
その騒ぎの間に保山のライブが終わっていたので、池上は挨拶に行った。
「保山さん、お疲れ様です」
しかし、保山はライブ後でハイになっているのか、「アオアオアオアオ」と答えるのみだった。
携帯電話が鳴ったので出てみると、梅田メメ子からだった。
「池上さん、降参。会場どこ?教えて」
「…君、まだ到着してなかったの?」
簡単なコースのつもりだったが、決断力と行動力ある方向音痴の彼女には難しかったようだ。池上は会場の場所を告げて、電話を切った。
池上は電話に気を取られて、足元がおろそかになっていた。
「ガシャン」
足が何かを蹴飛ばした。「カチャカチャカチャ…」と音が続き、周りで「あ~!」という悲鳴とも溜め息ともつかぬ声が上がった。さっきグリングリンの暴走から皆で力を合わせて死守したドミノを今、 池上が台無しにしたのだ。皆が一斉に口々に「この粗忽者、この粗忽者」と言い募るのでその場を慌てて逃げ出した。
ようやく池上は、吉本正、長井正広、宙人、マイペースたち関西学院大学推理小説同好会OB会が陣取るテーブルを見つけて、席についた。
近くのテーブルには、関学走り幅跳び同好会OBの田村緑、赤目、灰谷、紫頭巾、紺野、黄河たち、十種競技同好会OBの水溜、橙田、桃木、群青、栗具たち、 大相撲同好会OBの浜地 田井、井倉、勝尾たちが座って、一大学閥を形成していた。
「高橋はまだなん?」
「さっきもうすぐ来るて連絡あった」
「保山さんに挨拶した?」
保山はOB会の先輩である。
「何かテンション高かったな」
「アオアオ言うてはった」
「あ、懐かし」
「僕が声をかけた時は、アーベンイーベン言うてはった」
「それも懐かしいな」
「僕の時は、ゲンガンボンビンガラビンゲンやった」
「それを言うならガンボンゲンガンバラビンゲン」
「君も間違えてる。ボンゲンガンバンガラビンゲンやん」
「そやったそやった。」
そこへ高橋がやって来た。
「すいません。遅なりました」
「仕事やってんからしようがないやん」
「で、安孫子さんは凹んではいませんか?」
と、まずそれを気にする。
池上は背伸びをして、安孫子の姿を捜した。
安孫子は、コステロ、アボット、マリリン・モンンロー、W.Cと同席していた。意気投合しているようで、破顔大笑している。
「元気そうやで」
「そうですか。それは良かった」と高橋はひとまず安堵し、「では、久し振りに新エリュシスでも行きますか」と言って、カバンから取り出したトランプをテーブルの上に広げた。
三十分が経った。
酔いがさらに進み、テーブル間の行き来も激しくなって、誰がどこにいるのか判りにくい状況になっていた。
その間に、メメ子がようやく会場に到着した。
トランプに熱中する池上たちのテーブルにやって来て、
「池上さん、むっちゃ難しかった。なんで携帯の電源切ってたんよ」
「え、ずっと舞台の袖口で走りまわってたから、邪魔にならんように」
「場所わからんし、携帯つながらないし、泣きそうやった」
「え~と、どなたですか?」
「あ、マイペースと宙人は初めてやったね。こちらメメ子さん」
そこへ和尚がやって来た。
「すまーん。寝坊したあ」
池上が横目で睨む。
「また豪快な寝坊やなあ。何時間の遅刻や?」
「いや、午前と午後を取り違えてもて」
「どんな間違え方や」
その時、会場の奥から女性の悲鳴が聞こえた。
「キャー。保山さんが殺されてる~!」
皆、顔を見合わせて立ち上がった。
和尚が叫ぶ。「何?ほざんそうみょうだまさんがっ?!」
間違いを訂正する気も起こらず、池上たちは悲鳴のした方向に走った。
扉があり、その向こうが廊下になっていて、お手洗いや更衣室が並んでいる。ある部屋の前にひとかたまりの集団ができていた。一宮、六田、二村、三河、四条カオル、五木の高校生たちだ。
その部屋は、小倉庫だった。台車やホワイトボードや看板が並ぶ中に、保山宗明玉が左胸にナイフを刺して俯けに倒れて死んでいた。ゴスロリファッションからいつもの服装に着替え中だったようで、 あと、レインボウ色の長靴下を履くだけの状態になっていた。脱いだゴスロリファッションはすぐ近くの床に散乱していた。
すぐに、古語三郎、馬井、比嘉の医者たちがやって来たが、「あ、だめだこりゃ」と言って退散した。
入れ替わりに、平居、箱先、大木、遠藤、吉村の警察関係者が来たが、「あ、これは110番110番」と言って、走り去った。
その間に池上は保山の右腕の先に気がついた。床に黒い文字があった。それは、「神主」と読めた。ダイイングメッセージである。
保山を知る者の中に保山を知らぬ者なしとまで言われた関西インディーズ界闇のカリスマ保山宗明玉は、こうして帰らぬ人となったのである。
警察が来て、捜査が始まり、色々なことがわかった。
保山の死亡時刻は、死体発見までの三十分の間とされた。
死因は胸をナイフで刺されたためのもので、即死ではなくダイイングメッセージを残す時間はあったと思われる。
ダイイングメッセージを構成していたものは、看板に貼るだけになっていた文字のシールだった。シールは袋に入っていたのだが、保山が犯人と争った時に床にばら撒かれたようだ。 元々それは「八十日丹精マヨネーズ 羽王」という文字で、翌日にマヨネーズ会社の新製品発表会で使われる予定のものだった。保山はその中から、「ネ」と「日」と「―」と「王」と「ズ」の濁点の一つを選び、 「神主」という文字を作り上げたのだった。「ネ」は「しめすへん」となり、「-」は縦棒になって「日」と重なって「申」となり、それらは合わさって「神」になった。 「王」と「、」が一緒になって「主」になる。
防音扉のために声は外に届かず、保山は筆記用具を会場の自席に置いたままで身につけていなかった。床には特殊なコーティングがされていたので、血は床に定着せず、 体に刺さったナイフで床に文字を刻もうにも、体から引き抜くと大量の出血を呼んですぐに死んでしまうかもしれなかった。保山は仕方なくシールでダイイングメッセージを構成するのを選んだのだろう。
そうすると、犯人は神主なのだろうか?しかし、神主には完璧なアリバイが成立していた。彼はずっと「鳳凰の間」のソファに座ったきりで、そこをずっと動いていない。
では、誰が犯人なのか?
受付け担当の門番が会場入り口に常に陣取って目を光らせていた。グリングリンのために芳名緑や名札はズタズタになってしまったが、それまでに参加者のほとんどが会場入りしていたし、 事前に渡していたパーティ参加者リストを門番は完璧に覚えていた。
「会場に入ったのは、参加者リストに載っていた者だけじゃ。人を殺めるような怪しい人間は一人も通っておらん!もし、おったとしたなら、そいつは透明人間じゃ!」
と、門番はお得意の見栄を切った。犯人はパーティ参加者の中の誰かであるのは間違いない。帰ってしまった者―「これから悪だくみがあるので」と言って帰った御戸老人、 宮脇秘書、大島弁護士と、「もう寝る時間ですから」と言って帰った「隣のおばさん」事件の老女と孫と隣家の三人兄弟の、計八人―もいたが、それは式次第が終わってすぐで、保山の死亡時刻を外れていた。
死体を発見した高校生たちが、注目すべき証言をしていた。彼らは保山にサインを求めたのだが、着替えをしてからにしてくれと断られたらしい。この時更衣室は満員で、保山は小倉庫で着替えをすることにした。 高校生たちは会場に戻って保山が出て来るのを待っていたのだが、あまりにも時間がかかり過ぎるので、催促に行って死体を発見することになる。この時、重い防音扉を開けた時、 廊下から強い風が中に吹き込んで、床の文字を動かしたような気がすると言うのだ。どの文字がどう動いたのかは、判らない。それどころか、これは全員の意見ではないが、 文字の一部が飛んで他の使わなかった文字の一群に混じってしまったような気がするという者まで現われた。
とすると、本当のダイイングメッセージはどんなものだったのだろうか?
ずっとソファに座ったままの神主のまわりに、箱崎一家、満干全席、犯罪学博士、翁藻、木地凱、「テリーの馬鹿」事件の“俺”、「読者への十の挑戦」事件の正解者、オリエント京子、クリンクリン、 木蓮、ゲ-ム探偵ユウキが集まった。この中に、諍屋の姿がないのが寂しい、と池上は思う。
翁藻が口を開いた。
「名探偵たくさんいてもしょうがない。この事件どなたが謎を解きますか?」
「神主さん、私たちは、ダイイングメッセージで名指しされてますし、また年間最優秀主演賞も受賞されたあなたの手に解決を委ねるのが、最も良いのではないかと考えているのですよ。どうですか?」
それを横で聞きながら、池上は辻本の肘をつついた。
「あれでいいんですか?あの人役者さんなんでしょ?」
辻本は困った顔になった。
「え?」池上は目を見張った。「まさか本物なの?」
辻本は小さく頷いた。
神主は言った。
「宜しい。私が事件を解決しましょう」
「しかし」池上は辻本の耳に囁いた。「あの人にアリバイが成立しているということは、あの人、今回は殺害現場を覗けなかった、ということですよ。神主はそれで事件を解決できるんでしょうか?」
遠くで、雉の鳴く声がした。
□解決編
「今から事件を解決しますから関係者を全員この部屋に集めて下さい」
集まった。
神主は壁際のソファにふんぞり返って座ったまま動こうとしなかったので、関係者二百数十人がソファを取り囲む形になった。両腕をソファの背もたれに乗せ、足を高く組んでいる。
神主は話を始めた。
「まず、ダイイングメッセージの解釈です。『神主』が指し示す私にはアリバイが成立しますから、死体発見の高校生たちの目撃を考え合わせれば、元もとのダイイングメッセージは別のもので、 風のせいでそれを構成する文字が飛んだり動いてしまった結果、『神主』と読めてしまったのだと解釈するべきでしょう。『神主』という文字は、『ネ』と『日』と横棒と『王』と濁点で作られていました。 これらを残し、他のシールのどれかを継ぎ足して、なおかつパーティ参加者の誰かの名前となる組み合わせは、私には一通りしか考えられませんでした」
神主は言葉を切った。皆が固唾を飲む。
「それは保山宗明玉です。『八』と『十』を組み合わせればカタカナの『ホ』になります。『ヨ』を横にすれば『山』です。『マ』は裏向けにして横にすれば『ム』です。『ネ』はそのまま使い、 『申』は風で動いて重なったのだと考えて『日』と縦棒を離し、縦棒に『羽』の字の片側だけを合わせると、『明』の字になります。あとは簡単ですね。 『主』の濁点の位置を変えるだけで、『玉』の字になります。元のダイイングメッセージは『ホ山ムネ明玉』であったのです。つまり保山さんです」
「え?じゃあ保山さんが犯人だって言うの?被害者が保山さんなんだよ?」
「そうですね。普通に考えればおかしい。被害者の方が保山さんではなかった、と考えればどうでしょうか」
「そんなことはないよ。僕は昔から保山さんを知っているけど、あの死体は保山さんだった。それともあれは保山さんのそっくりさんだって言うの?」
「いえ、あの死体は保山さんでした。いや正確に言い直しましょう。肉体は保山さんでしたが、精神は保山さんではなく、別の人格に体を乗っ取られてしまっていたのだという解釈です」
「別の人格って?」
「それはジュニアしかいないでしょう。保山さんはテーマ『意外な犯人』で、ジュニアとの一人二役という離れ業を演じられました。その効果をより上げるために、『首』『ふりだし』と三回続けて一人二役を演じ続け、 その期間は三ヶ月に及びました。保山さんはやり過ぎたのです。その間にジュニアはジュニアとしての人格を形成し、遂には保山さんの人格を駆逐して体を乗っ取ってしまったのでした」
それを聞いて、池上には色々と思い当たることがあった。
保山は「意外な犯人」の解決編で、『「π」がジュニアの最後の作品』だと言明していたにもかかわらず、ジュニアはテーマ「雨」で「てんぷらとして死す」という作品を投稿していた。 保山は嘘をついたことになるが、こんなことで嘘をつくような人ではないのだ。ジュニアに一挙に人格を乗っ取られたのでなく、徐々に人格の侵食を受けたのではないだろうか? テーマ「花の香り」ではジュニア作品はなく保山作品だけだった。次のテーマ「雨」では保山作品はなくジュニア作品だけで、テーマ「ゲーム」では保山作品だけでジュニア作品はなかった。 凄まじい両人格の綱引きの様子がこの辺りにはっきりと垣間見られるではないか。そして最新テーマ「神主さま」では、とうとうジュニア作品も保山作品も姿を消した。決着がついた小休止と捉えるべきだろう。
そして、ジュニアは保山としてパーティに現われた。だからだ!池上は今にしてはっきりとわかる。池上が保山に挨拶に行った時、「アオアオアオアオ」としか答えなかったのも、 他の者に対して「アーベンイーベン」としか言わなかったのも、最近生まれた人格だからなのだ。記憶しさえすれば「毎月三日は消費税三パーセント」を歌ったり踊ったりはできるが、 昔馴染みとの会話を成立させるのは不可能だ。「ゲンガンボンビンガラビンゲン」の言い間違えも、聞いた者の聞き間違いだと勝手に解釈してしまったが、これはジュニアの覚え間違いであった。 ジュニア役の用意を保山に打診した時、機嫌が悪かったのも無理はない。池上はジュニア本人に代役の相談をしてしまったことになる。おおっ全ての辻褄が合うではないか。
神主の説明は続いた。
「完全に駆逐したと思われた保山さんの人格はわずかに残骸を残していました。ジュニアが小倉庫に入った時に保山さんは最後の反撃を試みたのです。 一瞬に体のコントロールをジュニアから奪い取り、ナイフで胸を刺したのでした。人格を取り戻したジュニアは自分がもう助からないことを悟り、ダイイングメッセージを残したのです。犯人は『保山宗明玉』だと」
「おおっ」という声が上がり、場の空気がやや弛緩した。しかし、次の神主の発言が爆弾だった。
「と、犯人は思わせたかったのです」
空気が一瞬で固くなった。
「ど、どういうことですか?」
「つまり、ダイイングメッセージは偽物だということですよ。犯人は冤罪を作りたくなかったのでしょうね。それで『保山』というにせのダイイングメッセージを残し、 被害者がジュニアで保山が犯人だという解釈に警察の判断を誘導したかったのです」
「なぜそんなことがわかるのですか?」
「ダイイングメッセージをシールの組み合わせで作っているからですよ。左胸をナイフで刺されているのですよ。そんな悠長な作り方が許される状況ではありません」
「でも、保山さんは筆記用具を持っていなかったし、床は血をはじくコーティングがされていたし、あ、例えば服に血で書けば良かったというような意見ですか?」
「違います。もっと簡単なダイイングメッセージの残し方がありました。それは名札です。参加者全員が名札を胸につけています。保山さんも例外ではありませんでした。確かに殺された時には着替えの最中で、 着替えた服には名札はついていませんでしたが、脱いだゴスロリファッションの方には「保山宗明玉」と書いた名札がついたままでした。ちょっと手を伸ばせば、 簡単に保山が犯人だと示せる名札がすぐそばにあったのに、それを使わずに文字の組み合わせでダイイングメッセージを示そうとした行動には矛盾しかありません。 だから、このダイイングメッセージは犯人によるにせの手掛かりだと言うのです」
「それは判りましたが、でもそれだと犯人もその条件にそぐわなくなってしまいませんか?だって犯人はパーティ参加者なのだから、保山さんが名札をしていたのを知っていたはずです。 誰が犯人であっても、保山さんに名札を握らせるでしょう」
「良いことを言ってくれました。したがって犯人は保山さんが名札をしていたことを知らなかった人間なのです。さらに言うと、受付けで名札を渡されて参加者全員が名札の着用を義務付けされていたことを、 知り得なかった人物です。そんな人間はこの中に三人しかいません」
神主は自分を囲む人々の顔を見回した。
「グリングリンの大暴れを思い出して下さい。そのお陰で、受付けは無茶苦茶になり、名札はズタズタになりました。以降に会場に現われた参加者は名札を与えられなかったのです。 彼らは、参加者全員が名札をつけるのだということを知る機会を持ち得ませんでした。その三人とは、グリングリンの大暴れ以降に会場に現われた、高橋さん、梅田メメ子さん、和尚さんです。 実際メメ子さんが池上さんのテーブルにやって来た時に、マイペースさんと宙人さんは彼女が何者なのかを池上さんに尋ねています。もしこの時彼女が名札をつけていたなら、 こんな問い掛けは無意味です。この三人の中に保山さん殺しの犯人がいるのです」
囲む人間が身を離したのでそれぞれの三人の周りに空間ができ、その空間に押し出されるようにして、三人が神主の前に出て来た。
「一人ずつ検討していきましょう。高橋さんは、保山さんの死亡推定時刻の前に会場にやって来て、事件の発生までずっとトランプをしてテーブルを離れませんでした。 したがって、高橋さんにはアリバイが成立します。犯人ではありません。
次に、和尚さんですが、彼は保山さんと面識がなく、QEDを読んでの関係しかありませんでした。死体発見の時、彼は叫びました。『ほざんそうみょうだまさんがっ!?』と。 保山さんの名前を『そうみょうだま』と読んでいた人に、『ホ山ムネ明玉』というダイイングメッセージは残せません。したがって彼も犯人ではありません。ということは」
神主は梅田メメ子を睨み据えた。
「メメ子さん、あなたが犯人ですね」
彼女は何も言い返さなかったが、その表情が犯行を認めていた。
池上は神主に言った。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が、また鳴いた。
神主は小さく頷いた。
「ちょっと待ったー!」
人々の後ろから声が響いて、人を掻き分けて前に出てきたのは、保山だった。
「早くも転生センターで蘇ってまいりました保山です。そんなことはどうでもよろしい。神主さん、あなた今回はずっとそのソファに座っていて、現場を覗けなかったはずです。 推理だけで真相に辿りついたのかと感心もしていたのに、でも覗いたと言う。その説明やいかに?」
神主はしばらく保山の顔を見ていたが、やがてソファに乗せていた左手をサングラスにかけ、ゆっくり外してみせた。
おおっ!!
どよめきと共に人々は後ろに一歩下がった。
神主には目がなかった!暗い眼窩があるだけだ!
そして神主は右手を持ち上げた。それまでソファの背もたれの陰に隠れていた指の先が現われた。人差し指と中指の二本の指が異常に長い。いや、長いどころではない。 指が紐のようになって会場の壁沿いにずっと伸びているではないか。しばらくすると、遠くからシュルシュルという何かが絨毯の上を滑る音が聞こえてきた。 音はどんどん近づいてきて、遂にその正体がわかった。神主の伸びた指が縮んでいるのだ。電気掃除機のコンセントが収納されるのに似ていた。 指の先が遠くの床に見えたかと思った次の瞬間には、指は普通の長さに戻っていた。その先端についているのは、二つの目玉だった。
神主は、目のない顔に笑みを作ってみせた。
「ちょっと待ってー!」
叫んだのはメメ子だった。
「何だかもう終わりそうな雰囲気だけど、まだ駄目ぇー!あたしがなぜ保山さんを殺さねばならなかったのか説明がまだじゃない」
では、動機はメメ子さん自らに語ってもらいましょう。
お任せします。
□犯人の自供(梅田メメ子)
……こんばんは、皆さんには多大な御迷惑ヲお掛けしました、梅田メメ子です。豪華で盛大な、二度と行われないだろう記念的パーティーを、人の血で台無しにしてしまって、 本当に御免なさい。特に、相続した遺産ヲ全てなげうってくださった辻本さん、そして何より、殺されてしまった保山さんには、お詫びの言葉すら見付かりません。なんだか、 ワタシには当日の記憶がないのですが……とにかく、ワタシが保山さんヲ殺してしまったそうなので、其れは、全人生ヲかけて償っていこうと思います……?
さて、肝心の、梅田メメ子が保山宗明玉さんヲ殺すに至った動機ですが……なんせパーティーに参加した記憶がないので、ワタシ自身あやふやなのですが、数日、 自分の胸に詰問してみました。そうして……思い出したのです。故意に封印された記憶ヲ……。
ジュニアさんが保山さんのもうひとつの別の人格であるように、池上さんにも別の人格がありました。言わずと知れた「のぶりん」です。この「ジュニア」と「のぶりん」は、 一見Net上での便宜的な使い分けにしか見えませんが、実は、保山さんと池上さんの精神ヲ現実に蝕んでいるアイデンティティだったのです。この隠された人格には、 それぞれ確固たる職業がありました。「ジュニア」は神主で、「のぶりん」は和尚です。神主については、ダイイングメッセージ「ホ山ムネ明玉」に内包された 「神主」の字でも記されていますし、和尚は、池上さんが「のぶりん」役ヲ和尚さんに頼んだという記述で明らかにされています。保山さんも池上さんも普段、 会社員として生活しながら、人格が入れ替わるとそれぞれ、神社と寺で職務ヲ全うしていました。
ワタシが、寺の住職である「のぶりん」の現実での存在に気付いたのは、先月、毎日のように池上邸で芝居の稽古ヲしていた為です。池上さんが会社から帰ってくるまで、 ワタシは出演女優と池上邸で稽古していました。その時よく、押入の中から見慣れない木魚や見覚えのない袈裟が発見されました。それが一体何に使われているのか、 ワタシは何故か本人に訊けませんでした。見てはいけないものヲ見たような、触れてはいけないことに触れてしまうような気がしたのです。
その芝居には池上さんにも出演していただいたのですが、彼は「二三行の台詞でないと、よう覚えられん」と言いながら、二頁にも及ぶ長台詞ヲ難なく覚え、 朗々と発してみせてくれました。しかし、女優との対話の場面になると途端に台詞がつまり、何度もやり直しヲ繰り返されました。これはひょっとして、 あの長いお経ヲ読むのに慣らされているからではないだろうかと、日々押入から怪しい和尚グッズを見付けていたワタシは考えました。
そして公演も差し迫ったある日、ワタシは遂に決定的なものヲ見付けてしまったのです。それは、ある土地ヲ巡った権利書や借用証の書類でした。大阪の、 ある閉館した劇場の跡地に、お寺ヲ建てようという計画がそこに展開していました。池上さんの闇なる人格「のぶりん和尚」の野望です。しかし、 同じようにその土地ヲ狙っている別の人物がいました。神社ヲ建てようとしている「ジュニア神主」です。ひとつの土地ヲ巡ったふたりの争いが、書類には記されていました。 ふたりはお互いに、闇から多大な金ヲ用意し、土地ヲ買い取ろうとしていました。その争いはみるみるエスカレートし、ついには宗教争いにすら発展したようです。 人間の醜い欲望で汚れた書類ヲ、池上邸の戸棚の奥から発見して、ワタシは驚愕しました。
「見てはならないものを見てしまったね……」
闇に囁く声に気付き振り向くと、そこには佇立する池上さんがいました。
「池上さん…」
「私は池上さんではないよ、のぶりんだよ……」
のぶりんの右手には、木魚ヲ叩くバチが握られていて、それがやおら振り上げられると……。
そこから先はあまり覚えていません。気付くと、芝居の公演は終わり、「QED開設一周年記念パーティ」が開かれていました。まるで夢ヲ観ていたように、 誰かに操られていたように、他人の眼から見た曖昧な記憶しかありません。
とにかく、ワタシは「ジュニア」である保山さんヲ殺し、劇場の跡地には、立派なお寺が建つそうです。そしてその寺には、「のぶりん」という名の和尚が就くということです……。
「天崎サカヤの事件簿その3~神主~」池上宣久
「保山宗明玉殺人事件」池上宣久
「神主さまvs満干全席」 長井正広
□問題編
満干全席の避暑のための別荘「夏の蟹荘」で「満干殉死事件」は起こった。
その死亡状況だが・・・。
まず満干全席は別荘の中の居室ではなく、執筆作業のために建てた、離れで服毒死を遂げていた。机の上には端を破かれた便箋に「私はつねに死ななければならない。ゆえにわれあり」との遺言が墨で書かれてあった。 全席は耳なし芳一のように、全身墨まみれだった。
離れは別荘の敷地にあるが、十メートルほど離れていて、その入り口まで勝手口から石畳が続いていた。前夜の雨のために、離れの入り口の手前、石畳の途切れた所に全席の足跡があった。
一方、勝手口すぐの厨房では、全席の一番弟子の満干半席が同じく服毒死を遂げていた。検視の結果、同じ毒だと、さらに死亡時刻もほぼ同時だと判明した。死亡推定時刻は雨の降ってるまさにその時間帯だった。
満干全席の宴に象徴される、料理を追求するエキセントリックな生き様に、もうついていけない、ともらしていた半席が同じ服毒死とは運命の皮肉を感じざるえなかった。
厨房はまさに料理人の死に様にふさわしい現場だった。半席は手に濡れた全席の遺言の切れ端をつかみながら、もう一方の手で、イカ焼きそばののった中華なべを握っていた。手は火で焼け爛れていた。 全席の死に比べ、これこそ料理人の死である。
二つの死体の発見者は満干上席だった。上席は朝食の準備を半席に伺いに来て、死体を発見、さらに全席に知らせようとして、また死体を発見したのだった。上席は泡を吹いて倒れ、石畳で後頭部を打ち、しばらく動けなかった。 上席は十年以上も修行しながら、なべをつかむことすらできなかった。もちろん、前夜も料理をさせてはもらっていなかった。全席の死に立ち会えたのがせめてもの恩返しだろう。
上席につっつかれて警察に連絡したのは、満干痰席であった。
痰席は別名「中華料理の殺人者」と呼ばれ、痰席の調理した料理を食べた人間は必ず腹痛を訴え、うむをいわさず動けなくするという料理人で、特別の許しをえなければ、料理をさせてはもらえなかった。 まともな弟子は半席しかいなかった、いや、全席はまともに修行させるのを嫌っていたのかもしれない。
当日、別荘にいた弟子は以上だが、もう一人、半席の友人の、切裂き研究家の霧裂雀三郎がいた。警察が来る前の現場で、霧裂は厨房で破かれた切れ端を見て、ああ、ついに、と呆然とするばかりだった。 霧裂はいつも携帯しているナイフをくるくると回しながら、何度もため息をついた。
だがしかし、ふいにイカ焼きそばのイカが宙に浮かび、回転し始めた!まるで伊賀の影丸の木の葉のように・・・。
「見たぞ・・・・」
そこにはイカにまみれた、あの神主さまの姿がっ!
「この世に見えぬものはなし! 人の世の不可思議、すべてを見通す!」
光につつまれて、推理のオーラを放ち、みえをきる、神主さまの姿!
「満干全席も人の心を持っていたのか・・・」
神主さまのつぶやきは遠く月までとどいていた。
□解決編
ふるふると体をふるわせて、イカを落とした神主さまは周囲を見渡し、優しく語り始めた。
「満干半席の死はまさに料理人の死にふさわしい死だった。全席にもう、ついてはいけない、ともらしながらも、蟹人間である上席や「中華料理の殺人者」と呼ばれる痰席に比べ、 じつは全席ともっとも深くつながっていたのが、半席だった。
半席の服毒死、自殺現場を見て、(衝動的な自殺だったのだろうが、全席はすぐに犯罪ではなく、自殺だと納得した。)全席はその死を料理人の死としてまっとうさせようとした。 イカ墨でイカに書かれた遺書をイカ焼きそばに代えて調理をし、調理台の墨の汚れはそのままにして、便箋の端を破って、床へ置いた。
次に、全席は離れへ向かい、破れた便箋に遺言を書き、さらには全身に墨を塗りたくった。こうすれば、全席の死を見た、半席が自殺したと考えられると思ったからだ。 丁寧に遺言書まで濡れしておいて。しかし、石畳の間に半席の足跡をつけ忘れて、ややこしくなってしまった。
本来ならば、全席の死に殉じようと、自殺現場を見た半席が全席に最後の晩餐のつもりで、遺言の墨を連想させるイカ焼きそばとともに自殺したという物語のはずだったが、半席の発見の痕跡がなくなってしまった。
だから、この事件は満干全席に対する半席の殉死ではなく、半席に対する全席の殉死だったのだ。したがって、作者は「満干殉死事件」としか表現できなかったのだ。これは単純な二重自殺事件にすぎない。 そうだろう・・・、作者よ」
神主さまはまた厨房の周囲を見渡した。
「作者は初めから「殉死事件」と書くしかなかったのだ」
そして、神主さまは作者が何らかの表現を講じないのを確かめると、満干全席ってば、人を心を最期に表すとは、と言いながら、つぶやきそのものとなって、やがて消失した。
だがしかし、事件現場でもう一人、ああついに、と何もかも見透かすようにため息をついていた霧裂は神主さまが姿を現わす前にいつのまにか逆に、姿を消していた。
「切裂き」を研究する霧裂へは神主さまは何も言及しなかったが、破かれた遺言とは何も関係はなかったのか。はたして・・・。
それは。厨房の端に放置された霧裂のナイフだけが知っていた・・・。
「天崎サカヤの事件簿その3~神主~」 池上宣久
□問題編
諍屋の所用で診療所が連休になったので、天崎サカヤは、従姉の天田ヒロミの別荘に、共通の友人たちを引き連れて、遊びに出かけた。
男四人女一人の一行が別荘に着いたのは、午後二時のことだった。荷物を別荘に運び込む時にアクシデントがあった。武蔵博之がつまづいて、 前を歩いていた徳之島徹と朝日昇の二人を押し倒してしまったのだ。難を逃れた村田一美が悲鳴を上げる。倒した本人は怪我一つなかったのに、徳之島は足を捻挫し、 朝日は腰を痛めてしまった。徳之島は武蔵の親友だったので問題はなかったが、犬猿の仲の朝日はカンカンになって怒った。
というわけで、天崎は朝日と部屋を交換することになる。別荘は母屋と離れの二つの建物からなっていて、最初は離れに天田、天崎、村田、母屋に武蔵、徳之島、 朝日という割り当てだったが、朝日が武蔵と同じ建物内は嫌だとゴネたのだ。
こうして一部険悪な雰囲気をはらんだまま六人は、パーティの始まる六時までを勝手に過ごすことになった。
お昼寝で時間を潰した天崎サカヤは、四時に自室のベッドで目を覚ました。
そろそろパーティの準備を始めなければならない。天田ヒロミは手伝ってくれない。そう宣言していた。パーティである仕掛けを用意していて、その準備があるからだそうだ。 そういえば、赤いドレスに凝ったヘアスタイル、濃い化粧と、いつにも増して気合いが入っていたような…。
天崎はふと窓の向こうに目をやった。
天崎の部屋は母屋の一番奥にあり、裏手に建つ離れを見ることができた。正面に離れの居間があって、その窓越しに、ちょうど天田ヒロミが居間に入って来るのが見えた。
彼女は大変怒っていた。どうやら居間に先に人がいて、その人に向かって激しくののしっているようだが、相手の姿は壁に隠れて天崎には見えなかった。
天崎は目を見張った。壁の陰から突然二本の腕が突き出され、その両手が天田の細い首を締めたのだ。あっという間に、天田は縊り殺された。血の流れを止めたというより、 頚骨を一気にへし折ったかのような勢いだった。
大変だっ!
天崎は立ち上がりドアに向かいかけた。ところが、離れの玄関が開いて村田一美が出て来るのが見えた。村田は、居間の惨劇には全く気づいていない様子だった。 天崎は村田に声をかけようと慌てて窓に近づき、足元がおろそかになった。足を滑らせ倒れた拍子に、頭を床に打ちつけて気を失ってしまった。
「君が気を失っていたのはどれくらいの時間だったのかな?」
時間は午後七時。通報を受けた警察の捜査はもう始まっていて、天崎サカヤは刑事による二回目の尋問の最中だった。
「五分後でした。気がついてすぐに腕時計を見ましたので、これは確かです。ドアを開けたら廊下に武蔵が立っていて、ヒロミが殺されたことだけ伝えて、 僕は別荘備え付けのサンダルを履いて裏玄関を出、二十メートルの距離を一気に走りました。武蔵がすぐ後を追いかけて来ました。僕は玄関に入る前に、 居間の窓から中を覗いてみました。居間は玄関の横の部屋なんです。そうしたら」天崎は手で顔を覆った。「ヒロミが床に俯けに倒れていました。 首が捻じ曲がって顔がこっちを向いてて、顔は苦悶に歪んで固まって、明らかに死んでて」
「それで、君たちは離れに上がったんだね」
刑事が先を促がした。天崎は息を整えて、答えた。
「はい。でも、居間のドアにも内側から鍵が掛かっていましたので、二人でドアを破ることにしました。息を合わせてドアに肩をぶつけて、 五回目にやっと鍵が壊れてドアが勢いよく内側に開きました。居間には死体が倒れているだけで、他に誰もいませんでした。 居間には戸棚や押し入れなど人が隠れられるスペースはありません。椅子とテーブルがあるだけです。ドアにはラッチ錠と差込み錠の二種類の鍵が取り付けられていて、 両方とも施錠された状態で壊れたのは明らかでした。とすると、これは完全密室殺人になります。必要以上に現場を荒らさない方がいいだろうと考え、僕たちは居間から出ました。 そして、僕が居間の前に見張りで残り、武蔵君が母屋から110番しました。電話は母屋にしかなく、携帯は元より圏外でしたから」
こうして、警察の出動となった。しかし、所轄の警官が別荘に到着する前に事件は新たな様相を見せる。
母屋で110番を終えた武蔵博之は、自室から出て来た徳之島徹から声をかけられる。徳之島はそれまで寝ていたと言う。武蔵は事件の説明をし、二人は離れに向かった。 離れに入ると、居間の前の廊下に天崎サカヤが村田一美と一緒にいた。村田はそれまで近くの林を散歩していて今さっき戻って来たと言う。 そのまま四人で警察の到着を待っていたが、姿を現わさない朝日昇のことが気になった。
四人で朝日の部屋に行き、声をかけたが返事がない。念のためノブを回すとドアが開いた。部屋の中で朝日が死んでいた。
机の上に朝日のPCの電源が入っていて、「私がヒロミを殺しました」という文章が打たれてあった。朝日は床に仰向けに倒れていて、そばにジュースの空瓶が転がっていた。 鑑識が調べると、中に毒が入っていたようで、それが朝日の死因であった。
状況は、天田を殺した朝日が自殺したように思えた。
警察の捜査が始まって、色々なことが確認された。
まず、天田ヒロミの死亡推定時間は、午後四時を中心として前後十五分の間とされた。死因は明らかな扼殺であった。
窓には隙間はなく、捻じ込み錠もしっかりかかっていた。鉄格子の幅は十センチしかなく、ここからの人の出入りは不可能である。
ドアの差込み錠の方は、糸を使えば何とか鍵をかけられそうだが、その糸を通す隙間がどこにもない。ラッチ錠の鍵穴はドアの表にも裏にも開いているが、 直接つながっていないので、鍵穴に糸を通すことはできない。差込み錠は吹き飛んで床に落ち、ラッチ錠は捻じ曲がり壁側の受け口は裂けていた。 どちらの錠もドアが壊された時、しっかり施錠されていたのは間違いない。ラッチ錠を開けることのできる唯一の鍵は、机の上に置いてあった。特別な意匠を施された鍵なので、 複製は不可能である。
朝日昇の死亡推定時刻は、午後四時十分を中心として前後十五分の間とされた。毒は無味無臭で即効性の高い種類のものだったが、 毒の入っていたジュースの瓶の容量が小さかったため、朝日は一気飲みできたようだ。
「朝日昇が犯人だとしても、密室殺人の謎は残る」
刑事の尋問は続く。
「そう考えると、本当に朝日は自殺したのかという疑問も湧いてくる。遺書はワープロで打ったものだから筆跡は関係なく、誰でも打てるからね」
「別に犯人がいて、罪を朝日になすりつけて自殺に見せかけて殺したと言うんですか?それでも、密室の謎を解かないといけないのは一緒ですよ」
「私は、君が犯人ではないか、と考えている。ドアに二つ鍵がついていたのがミソでね。君はまず差込み錠が掛かっただけのドアを壊して居間に入り、 天田さんを殺してからラッチ錠の鍵を外から掛けた。そして死体発見の時に鍵を机の上に置いたのだ」
天崎は愕然とした。
「違う。窓から居間を覗いた時には、差込み錠は壊れてなくてしっかり掛かっていた。机の上に鍵もあった。僕は犯人ではありません!」
天崎は隙をついて、諍屋の携帯に電話した。この窮状を説明して、知恵を借りなければならない。
しかし、諍屋の携帯はずっと圏外で、つながらなかった。
遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
雉の鳴く声?
天崎サカヤは、もしやと思って周りを見渡した。天崎は母屋の食堂で尋問を受けていた。
「ワハハハハハハ」と突如響く高笑い。しかし、刑事以外に人はいない。
その時、「チーン!」と鳴って、冷蔵庫の上の電子レンジの蓋が手前にパカッと開いた。中に人の顔があった。
「覗くぞ覗くぞ。お前の人生覗くぞ。お前の心の闇を覗くぞ。電子レンジの奥からチンと覗くぞ」
「あっ!貴様は覗き見探偵神主!何故こんなとこに?!」
電子レンジの顔が下に引っ込んで、冷蔵庫のドアが開いて、中から神主が全身を現わした。
「そんなことはどうでも宜しい。今から事件を解決しますから関係者を全員この場所に集めて下さい」
集まった。
神主は話を始めた。
「いつもならここで私の推理を披露するのですが、今回はQEDのテーマ「神主さん」にちなんで特別サービスです。皆さんに謎を解くチャンスを与えましょう」
天崎サカヤは首をひねった。「神主さん」にちなんでって?
「私、今回も覗いておりました。というか、殺人事件発生時に、私、現場の居間にいました。柱の一本が私でした。節穴から覗いてました。
皆さん、まず天崎さんの四時の目撃を疑っていませんか?死亡時刻が四時を挟んで前後十五分なのですから、実際の殺人は密室が破られた後に起こったのだとも考えられます。 つまり、四時に窓越しに天崎さんが見たのは殺人に見せかけたお芝居ではなかったか?居間のドアを破って天崎さん武蔵さんが入った時、 天田さんは実はまだ生きていて死んだ振りをしていたのではなかったか?」
神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います!」否定のポーズのようだ。「天崎さんが四時に目撃したのは間違いなく殺人の瞬間でした。なぜなら、私自身が居間の中にいて、 この目でしっかと目撃していたからです。天田さんの死亡時刻、それは四時一分です。この時、犯人もまた居間の中にいました。犯人が自分の手で天田さんを絞め殺しました。 私の目の前で殺しました。
しかし、問題はここからですね。まだ現場は密室になっていない。天崎さんは直後に気を失ってしまいました。ここに、密室状況を形成する時間的余裕が生じてしまいました。 もし天崎さんがすぐに現場にかけつけておれば事件は別の形になっていたかもしれません。
ではこの時に何が成されたのか?」
神主は目をつぶって顔の前で人差し指を振ってみせた。
「これは言いますまい言いますまい。私、ずっと居間にいて、ずっと見てましたけど、事件の根幹の部分ですからね。これは皆さんが考えて下さい。
話は、天崎さん武蔵さんによる死体発見場面に飛びます。皆さんは考えていますね。もしかすると、お二人がドアを破った時、まだ犯人は居間の中にいて、 どこかに隠れていたのではないか?」
神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います!お二人が母屋からやって来た時、私、まだ居間にいました。ずっといました。この時、犯人はすでに居間を脱出していました。居間の中には死体だけで、 犯人どころか他の人どころか人以外の生物も、いませんでした。壁の中に埋まってたという類いの発想も捨てて下さい。当然、自動鍵締め装置などという仕掛けも存在しません。 実は存在したのだけど、作業を終えた後に爆発して塵になったとか、バイオで土に返ったとかいうこともありません。元から存在していないのです。私、見てました。
だとすると、もしかすると施錠自体がまやかしだったのではないか、と考える人も出て来ますね。掛かっていたのは片方の錠だけで、もう一方はすでに壊れていたのではないか、 という刑事さんの推理。例えば他には、両方ともにすでに壊れていたのだけど、接着剤とかの別の要因で鍵が掛かっていたかのように思わせるトリック、とか」
神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います!差込み錠もラッチ錠もともにしっかり掛かってました。壊れていません。両方の鍵は私の目の前で、天崎さん武蔵さんのアタックで吹き飛び、壊されました。 世界に一つしかない複製不可能なラッチ錠の鍵は、天崎さんが居間に飛び込んだドサクサに机の上に置いたのではなく、その前から机の上にありました。私がそれを見てました。 間違いありません。勿論、窓の施錠も完璧でした。
だとすると、あと考えられるのは、抜け道の類いですね。壁が取り外しが利いたとか、屋根が浮いて隙間ができたとか。 居間を脱出してから外から釘打ちなどしてその痕跡を消してしまうというような類い、ですね」
神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います! 壁にも屋根にも床にも、人や人以外の生物や物体が出入りできる隙間や穴は全くなく、部屋及びその周辺に、改修補修解体建築増築新築移動傾け落下回転浮遊などの事実は全くありません。 私、見てました。間違いありません」
神主はくるりと振り向いて、天崎たち関係者に顔を向けた。
それまで虚空に向かって話しかけていたのだ。
「潰せるトリックは大方潰しました。さて、密室殺人はどのようにして構成され、犯人は誰なのでしょうか?」
□解決編
「説明します」神主は謎解きを始めた。「密室が破られた時、犯人は室内に隠れてはおらず、二つの鍵は施錠されていて、自動鍵締め装置のような仕掛けはなく、 部屋に抜け道の類いもなく、早業殺人でも早業鍵放り込みでもなく、密室の中に死体一体しか存在しなかったという状況です。したがって、答は一つです。 居間の内側から鍵をかけたのは、死体の人なのです。死体の人が居間に入り、内側から鍵をかけ、そして死にました」
「え?でも死体は天田ヒロミだったんだよ。天田は絞め殺された。絞め殺した犯人はどこに行ったんだよ。それが問題なんじゃないか」
「ですから、居間に鍵を掛けた死体の人は、天田ヒロミではないのです。居間の死体は二回入れ替わっているのです」
「二回入れ替わって?じゃあ、入れ替わったもう一体の死体っていうのは、誰の死体なんだよ?」
「この事件にはもう一体の死体が見つかっていますね。朝日昇さんの死体です。天崎さん武蔵さんのお二人が密室を破った時に居間で倒れていたのは、彼女の死体だったのです。 毒を飲んで苦悶の表情でしたし、この時彼女は天田さんとまったく同じメイク、ヘアスタイル、服装をしていましたので、見間違うのも仕方のないところです。 もうお分かりでしょうが、これが天田さんがパーティの前に宣言していた「ある仕掛け」でした。何かの拍子に天田さんは自分と朝日さんが似ていることに気づき、 これを利用して二人で入れ替わったり同時に別々の場所に現われたりして、驚かせてやろうと企んでいたのです。
では最初から説明しましょう。
まず、四時一分に居間で天田ヒロミが扼殺され、これを天崎さんが目撃します。すぐに天崎さんが現場に駆けつけておれば、事件の展開は変わっていたでしょうが、 彼は頭を打って気を失ってしまいました。その間に天田さんを殺した犯人は死体を居間に置いておくわけにはいかないと判断して、死体を天田さんの部屋に移動しました。 ここで大きな偶然が重なりました。すでに天田さんと同じ扮装をすませていた朝日さんが、犯人と入れ違うようにして居間に入り、鍵を掛けた上、毒を飲んで死んでしまったのです。 その直後に天崎さんたちがドアを破って居間に乱入しました。天田さんに積極的に似せようと扮装している上に苦悶の表情ですし、自分自身の直前の目撃がありますから、 天崎さんはその死体がまさか天田さん以外の何者かである可能性など頭に浮かびようもありません」
「でもそれじゃあ、居間の死体は朝日ってことになって、でも警察が調べた死体は天田で、朝日は自分の部屋で死んでいたのだから…。あれ?どういうこと?」
「さっき死体は二回入れ替わったと言いました。警察が来るまでの間に居間の朝日さんの死体は彼女の部屋に運び込まれ、 天田さんの部屋に運ばれていた彼女の死体がまた居間に戻されたのです。こうして、一貫して天田さんの死体は居間にあったという状況が作り上げられ、 完全密室殺人事件が成立してしまったのでした」
「じゃあ、犯人は?」
「この犯罪が可能なのは、武蔵さんだけですね。村田さんには天田さん殺しの時のアリバイが成立していますし、足を捻挫した徳之島さんには天田さんの死体の移動は無理です」
ここまで神主の推理を聞いて、武蔵は観念して全てを告白した。
武蔵博之は実は朝日昇のことを愛していたのだが、成すことすべてが裏目になって彼女から嫌われてしまう。絶望した武蔵は朝日を殺してしまおうと考え、彼女に毒入りジュースを手渡す。 偶然から武蔵の企みを知った天田ヒロミは居間にいた武蔵を難詰するが、自暴自棄になっていた武蔵は彼女を絞め殺す。一旦天田の死体を彼女の部屋に移した武蔵は親友の天崎に助けを求めるために母屋に行く。 ところが、天田殺害場面を目撃してしまった天崎は興奮していて聞く耳を持たず、離れに走ったので、武蔵も後を追わざるを得ない。その間に、朝日が居間に入って、 毒を飲んで死んでいた。さっき自分の手で殺して天田の部屋に運んだはずの死体がいつの間にか居間に戻って、しかも内側から施錠されていたのだから、武蔵は激しく困惑する。 しかし、密室を破り、警察に知らせる段になって、ようやく武蔵は事態を理解する。天崎に相談して、天田を殺した朝日が自殺した状況を二人で作り上げることにする。 朝日の死体と毒入りジュースの空き瓶を彼女の部屋に運び込み、天田ヒロミの扮装を解き、PCを立ち上げて遺書を書き残したのだ。服と鬘は天田の部屋に移し、天田の死体を居間に戻してから、 武蔵は母屋に行って110番したのだった。
天崎は頭を下げた。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が、また鳴いた。
神主は小さく頷いた。
「保山宗明玉殺人事件」 池上宣久
□問題編
この物語はフィクションです。
タクシーに乗ったみのもんたを見送って、池上宣久は大きく伸びをした。
「さあ、飲むぞ」
「QED開設一周年記念パーティ」は盛況のうちに幕を下ろそうとしていた。しかし池上にとってはこれからが本番である。式次第はすべて済んだ。あとは飲むだけ。 裏方に徹した池上はまだ一滴のアルコールも口にしていなかった。残りたい人は残り、帰りたい人は帰る。会場が正宗屋であろうが帝国ホテルであろうが、この流儀は変わらない。
「鳳凰の間」に戻ると、ほとんどの人がまだ残っていて、広い会場のあちこちで談笑の輪を作っていた。
雅な歌会のように聞こえたのは、歌羽弐無法、歌羽経乃、奇天可、翁藻、睥倪地見世可、睥倪地千里可、静寂緒たちの会話だった。
横山愛子と白澤慶子が何やら熱心に話し込んでいる。それぞれの隣りで横山権兵衛と白澤栄三が憮然とした表情をしているのが可笑しかった。すぐ横で増本恵子が白澤実を嬉々としてブランド物で飾り立てていた。 立川慎也と安藤京子が取り成そうとするが聞く耳を持たない。
横山権三は、サム・ライミ、塚原卜伝、狩野宗逸、狩野香逸、木蓮の転生センター組と、四葉頼太、戸松田新三を相手に、生と死を分かつものについて持論を熱く語っていた。
丹羽が、具瑠芽衣子、山本益博子に、肉まんと餃子の中身は絶対に違うと涙ながらに語っている。
野田アーサー、オリエント京子、Dr.O、ソルティ乃木、宇崎四郎時貞、ジュ-ク東郷のπグループが、北出、西岡、南田、東畑、中川、連続殺人鬼上野と仲良く酒を飲み交わしていた。 最初に顔を合わせた時には一触即発の雰囲気だったが、ニコラス・ペタスが仲裁に入って「押忍」の心を説き、この時ばかりの仲直りを成立させたのだ。
その隣りのテーブルでは、満干全席がようやく機嫌を直したようで、楽しそうに話をしていた。パーティの途中に急に即席料理を作ると宣言して立ち上がったのだが、 過去に彼の料理でひどい目に合った人たち―T・ヒットマン一等航海士、古語三郎航海医、海老沢海雄二等航海士、蟹田蟹蔵艦長、見城和夫鍼灸師、金城花子家事手伝い、 顎山巌石材職人、田頭聡美術鑑定家―から一斉に抗議の声が上がってすごすご引き下がったのだ。特に「ペンタグラム」の四人は、口角泡を飛ばしつつガンガン身振り手振りを交えてだったので、 同じテーブルでアニメ話で盛り上がっていた睦子、涼平、紗香、康平の四人が口をつぐんだほどの迫力だった。
満干全席のテーブルには、包丁万太郎、蟹江、満岸全席、満干半席、なにわのラーメン大王高橋一介、その息子一郎、次郎、伝説の名コックマース・オオヤマ、カジワラ、 カクタの料理人たちと、抜田抜造、修善寺音也、「隣のおばさん」事件の隣のおばさん、おじさんといったグルメたちが同席していた。修善寺音也は涎をすすりながら周りの人たちを物色している様子だったので、 いつでも取り押さえられるように、御殿山一郎と修善寺春子が彼のすぐ後ろに控えていた。
似た顔がずらりと並んだテーブルがあった。箱崎一家だ。箱崎警部に、探偵箱崎、高校生の箱崎少年、大学生の箱崎青年、ジョージ箱崎たちだった。
ジミーは相変わらず相棒のハーヴェイに話しかけていた。それを不気味そうに道成寺晃と児玉信弘が身を寄せ合って見ていた。
川田興業の浜口営業部長、寺西製造部長、木村技術部長がヘルメットを手に、その効能を同席のテリーとロビンソンに熱心に説明していたが、よく伝わってないようだ。
安田博之、周明華、小座成夫、千野、吉川秋広、ドリーは、戻ってきた自らの首を祝って何度も乾杯を繰り返している。
永、敏、椎井、諍谷、橋本、冬木、小橋、佐脇の八人は、新しいあっち向いてホイで遊んでいた。勝ち残りと負け残りの人が決まるまでジャンケンを繰り返し、決まった瞬間にその二人の間だけであっち向いてホイをするのだ。 何が面白いのかわからなかったが、八人は大層盛り上がっていた。
「川田興業ビル連続墜死事件」の俺は、誰もいない空間に向かって「お前成仏したのじゃなかったのかよ。そうなつくなって」と文句を垂れていた。その様子を手塚と張がポカンと口を開けて見ていた。
会場の隅の方で、辻本真孝が小錦、モハメド・アリ、乙武、タモリに取り囲まれていた。何かを固辞している風だったが、しばらくすると諦めたように首を横に振り、鞄から取り出したのがドミノだった。 辻本は床にドミノを並べ始めた。
そんな参加者たちの様子を見ながら池上は、今回のパーティは概ね成功だったなと確信し、今日一日のことを思い返した。
パーティに参加表明のあったのは、QED主催者三人(辻本、安孫子正浩、池上)、問題出題者五人(保山宗明玉、長井正広、丹羽、狸代 吉本正)、投稿者九人 (平加屋吉右ヱ門、高橋、梅田メメ子、おね、松岡亜湖、宙人、マイペース、山口ユリ、ゲームメーカー)、生QED参加者三人(玉井扶美、街子あかね、フレンチカンカン) の計二十人で、仕事が残業で遅れて参加する高橋を除く全員に、夕方四時に梅田のショットバーに集まってもらったのだった。もう一人前日に急に思いついて、 池上は友人の和尚という男に「のぶりん」役で参加してくれないかとお願いしていたのだが、直前に寝過ごしたという連絡が入って、これも遅れての参加となった。 ついでに前日に保山にジュニア役の人をどうしますかと問い合わせたのだが、そんな者を用意する必要はないと珍しく不機嫌悪そうな答だった。
ショットバーが約二十人でパーティをするには手頃な広さだったので、そこが会場だと思った参加者もいたようだが実はそうではなく、そこはオリエンティーリングのスタート場所だった。
池上は参加者に地図と暗号と手掛かりを渡して、順々に街に送り出した。街中に散りばめられた謎を解くことによって真のパーティ会場にたどり着ける仕掛けである。 スタート前にパーティ代を徴収しているので、パーティの開始時間に遅れれば遅れた分だけお金を損することになる。結局たどり着けなければパーティ代は丸損だ。 といってそれほど難しいコースを用意したわけではなく、ほとんどの人が開始前には会場にたどり着けた。
会場についた参加者は皆口をあんぐり開けた。会場が、大阪最高級帝国ホテル、三百人収容の「鳳凰の間」だったからだ。壁の一面は芝生の中庭に面していて、 そこも貸し切りになっていた。しかも、司会進行役はみのもんただ。
これは全てQEDの管理人辻本のお陰である。ブラジルの叔父さんが亡くなって入った遺産を全額提供してくれたのだ。
しかし、いくら参加者の負担がゼロだといっても、三百人の広間に二十人である。大きな無駄遣いだと言っていい。しかし、この趣向の謎はすぐに解けることになる。
参加者の紹介が済んだ後、みのが、記念すべきQED初作品「開かなかったか」の最初の登場人物として箱崎警部をステージに呼び寄せたのだ。
「あれ?箱崎って本当にいたの?」あちらこちらのテーブルで声が上がる。
みのは次いで「開かなかったか」の被害者を呼び寄せ、さらに二番目の作品「開かれたドア」の被害者黒井、そして青田とその息子三人と勘臓秘書と腎臓運転手を呼び寄せた。みのは次々と名前を読み上げ、 遂にはQED全十回三十九作品の登場人物約二百人がステージに並ぶことになった。死んだはずの被害者も捕まったはずの犯人まで全員が揃っていた。
みのは、被害者は「転生センター」で甦えらせ、犯人は国にかけあって今日だけの超法規的措置で刑務所から出てきてもらったと説明したが、そんなわけがない。 実はほとんどは金で雇った役者で、それぞれの登場作品を読ませて、役作りをしてもらったのだ。そのギャラも全部辻本が出してくれたお金で賄った。辻本さまさまである。
参加者たちもみのの説明を心底信じたわけではないが趣向には乗ってくれて、テーブルについた登場人物たちを捕まえては熱心に話しかけ、役者たちもその役柄になり切って対応した。
しかし、実を言うと中には本物もいる。池上の書いてきたものの一部は実話だし、他の作者の作品にもそういうものがあるらしい。「あるらしい」と曖昧に書くのは、 池上たち作者はその詮索をあえてしなかったからである。作者が本人を呼べる場合は本人を呼び、呼べない場合はそれをリストにして、役者を派遣する芸能プロダクションに個別に提出したために、 誰が本物で誰が役者なのかは作者以外は知ることができないのだった。その方が皆を実在の人物だと思えて面白かろうという判断である。
最も参加者を驚かせたのは、グリングリンの出現だった。ステージに上げるわけにはいかないので、登場人物たちが舞台に勢揃いした後で中庭に連れて来たのだ。 右肩に兄のクリンクリンを乗せ、頭の上には伝書鳩をとめていた。皆がグリングリンの背中に乗りたがって長蛇の列を作った。ちょうど今は、紙村弁護士と鷺沢時彦と鷺沢舞子の三人が乗っていた。嬉しそうだ。
残念なのは、諍屋ととうとう連絡がつかなかったことだ。携帯が全然つながらない。古尾谷雑把、古尾谷専、板倉、高松、佐藤、木村、佐々木、堂島、赤松、名村、山井、竜胆、間宮たち下駄拳一派も不参加となった。
登場人物たちは名札に名前を記入して胸につけてもらっていた。登場人物の中には「抜かれなかったか」の“オレ”や、「シジフォス」の“俺”のように名前を与えられなかった者がいるので、 名前の下に備考欄を用意して、「金庫の中の遺言状を見つけられなかった男」とか「毎日色々なことをしてからカンタを殺す人」とか、書き込めるようにしておいた。海乃幸や「蔵の中」の被害者の少年など、 名札がなくてもそれと判る者も中にはいたが、参加者とのコミュニケーションに大いに役立ったようだ。
会場入り口には受付けを設けていて、そこで参加者たちにも名札を渡していた。受付け係りは、「見えない人」事件の自然公園の門番である。
式次第は、QEDカルトQクイズ大会、テーマ「一周年」で生QEDと、進んだ。
QEDカルトQでは、ボタンを押すと天辺がパカンと立つアメリカ横断ウルトラクイズ払い下げの帽子を、全員が被ってクイズに参加した。
「狸代さんQED初投稿の時のタイトルは何だったでしょう?」
「ピコーン」
「はい。狸代さん」
「すっ推理です、だったと思うんですが」
「ブー。間違いです」
「あがっ!」
「ピコーン」
「はい。マイペースさん」
「一応。。。推理です」
「ピンポンピンポンピンポン。正解です。では次の問題。猫舌六三郎さんの職業は何でしょう?」
「ピコーン」
「はい。マイペースさん」
「運転手」
「ピンポンピンポンピンポン。正解です。では次の問題。冤罪に関するテレ」
「ピコーン」
「はい。マイペースさん」
「なんたることの、なにごとぞ」
「ピンポンピンポンピンポン。正解です」
そうして、各部門年間最優秀賞の発表でもって、「QED開設一周年記念パーティ」のすべての企画は終わったのだ。後は飲むだけだ。
池上はさらにテーブルの間を練って歩いた。
壁際の大きなソファにふんぞり返って座っているのは、年間最優秀主演賞を獲得した覗き見探偵神主だ。黒のサングラスをかけ、両腕をソファの背もたれに乗せ、足を高く組んでいた。 周りを、浅倉麻由美、池本貴志や、天崎サカヤ、天田ヒロミ、武蔵博之、徳之島徹、朝日昇、村田一美や、花野愛子、花山大吉、花田おさるの顔なじみが取り囲んでいた。
ステージでは、保山宗明玉がライブを勝手に始めていた。歌うはゴスロリユニット「バッハ」の代表曲「毎月三日は消費税三パーセント」である。ゴシックロリータのスカート姿で、今日はずっとこのいでたちだった。 おねがバックで踊り、ステージの前には鯨本幸、野寺かをり、京本茜、高橋玲子、家政婦悦子、山口ゆり、玉井扶美、待子あかねといった女の子のグルーピーがいつの間にやら形成されて、キャーキャー声援を送っていた。
「まいちゅき♪まいちゅき♪みい~っかには♪しょ~おひぜ~いは♪さ~んぱ~せ~ん♪」
中庭に目を向けると、松岡亜湖がグリングリンの背中に乗るところだった。その時池上は嫌な生き物を見た。静寂緒が連れて来たペットの牝猫、魑魅だった。声をかける暇もなく、 グリングリンが魑魅に気がついて「ガオ~ン」と一声鳴いて松岡を乗せたまま走り出した。
「た、助けて~!」悲鳴を上げる松岡。
グリングリンは受付けを無茶苦茶にし、鳳凰の間の中央に向かった。
多くの人は逃げたが、バリケードを築いて踏みとどまる一群がいた。彼らの背後には、辻本が作り上げたドミノの列があったのだ。平加屋が吹き飛ばされ、磯崎と鯨本が宙に飛び、 フリーダム降田氏とゲームメーカーが踏み潰され、やっとグリングリンが進路を変えた。
そこへ、紅三四郎が紅い空手着をグリングリンの顔に投げて視界を奪い、貝原が銛を足元に放って動きを封じ、「アメリカンロデオショー」の調教師が背中に飛び乗って松岡を助け、 ボブと演出家がグリングリンをなだめて、何とか騒ぎを収めた。クリンクリンと伝書鳩がやって来たので、あとはまかせることにした。グリングリンはしょぼんとして、中庭に戻って行った。
その騒ぎの間に保山のライブが終わっていたので、池上は挨拶に行った。
「保山さん、お疲れ様です」
しかし、保山はライブ後でハイになっているのか、「アオアオアオアオ」と答えるのみだった。
携帯電話が鳴ったので出てみると、梅田メメ子からだった。
「池上さん、降参。会場どこ?教えて」
「…君、まだ到着してなかったの?」
簡単なコースのつもりだったが、決断力と行動力ある方向音痴の彼女には難しかったようだ。池上は会場の場所を告げて、電話を切った。
池上は電話に気を取られて、足元がおろそかになっていた。
「ガシャン」
足が何かを蹴飛ばした。「カチャカチャカチャ…」と音が続き、周りで「あ~!」という悲鳴とも溜め息ともつかぬ声が上がった。さっきグリングリンの暴走から皆で力を合わせて死守したドミノを今、 池上が台無しにしたのだ。皆が一斉に口々に「この粗忽者、この粗忽者」と言い募るのでその場を慌てて逃げ出した。
ようやく池上は、吉本正、長井正広、宙人、マイペースたち関西学院大学推理小説同好会OB会が陣取るテーブルを見つけて、席についた。
近くのテーブルには、関学走り幅跳び同好会OBの田村緑、赤目、灰谷、紫頭巾、紺野、黄河たち、十種競技同好会OBの水溜、橙田、桃木、群青、栗具たち、 大相撲同好会OBの浜地 田井、井倉、勝尾たちが座って、一大学閥を形成していた。
「高橋はまだなん?」
「さっきもうすぐ来るて連絡あった」
「保山さんに挨拶した?」
保山はOB会の先輩である。
「何かテンション高かったな」
「アオアオ言うてはった」
「あ、懐かし」
「僕が声をかけた時は、アーベンイーベン言うてはった」
「それも懐かしいな」
「僕の時は、ゲンガンボンビンガラビンゲンやった」
「それを言うならガンボンゲンガンバラビンゲン」
「君も間違えてる。ボンゲンガンバンガラビンゲンやん」
「そやったそやった。」
そこへ高橋がやって来た。
「すいません。遅なりました」
「仕事やってんからしようがないやん」
「で、安孫子さんは凹んではいませんか?」
と、まずそれを気にする。
池上は背伸びをして、安孫子の姿を捜した。
安孫子は、コステロ、アボット、マリリン・モンンロー、W.Cと同席していた。意気投合しているようで、破顔大笑している。
「元気そうやで」
「そうですか。それは良かった」と高橋はひとまず安堵し、「では、久し振りに新エリュシスでも行きますか」と言って、カバンから取り出したトランプをテーブルの上に広げた。
三十分が経った。
酔いがさらに進み、テーブル間の行き来も激しくなって、誰がどこにいるのか判りにくい状況になっていた。
その間に、メメ子がようやく会場に到着した。
トランプに熱中する池上たちのテーブルにやって来て、
「池上さん、むっちゃ難しかった。なんで携帯の電源切ってたんよ」
「え、ずっと舞台の袖口で走りまわってたから、邪魔にならんように」
「場所わからんし、携帯つながらないし、泣きそうやった」
「え~と、どなたですか?」
「あ、マイペースと宙人は初めてやったね。こちらメメ子さん」
そこへ和尚がやって来た。
「すまーん。寝坊したあ」
池上が横目で睨む。
「また豪快な寝坊やなあ。何時間の遅刻や?」
「いや、午前と午後を取り違えてもて」
「どんな間違え方や」
その時、会場の奥から女性の悲鳴が聞こえた。
「キャー。保山さんが殺されてる~!」
皆、顔を見合わせて立ち上がった。
和尚が叫ぶ。「何?ほざんそうみょうだまさんがっ?!」
間違いを訂正する気も起こらず、池上たちは悲鳴のした方向に走った。
扉があり、その向こうが廊下になっていて、お手洗いや更衣室が並んでいる。ある部屋の前にひとかたまりの集団ができていた。一宮、六田、二村、三河、四条カオル、五木の高校生たちだ。
その部屋は、小倉庫だった。台車やホワイトボードや看板が並ぶ中に、保山宗明玉が左胸にナイフを刺して俯けに倒れて死んでいた。ゴスロリファッションからいつもの服装に着替え中だったようで、 あと、レインボウ色の長靴下を履くだけの状態になっていた。脱いだゴスロリファッションはすぐ近くの床に散乱していた。
すぐに、古語三郎、馬井、比嘉の医者たちがやって来たが、「あ、だめだこりゃ」と言って退散した。
入れ替わりに、平居、箱先、大木、遠藤、吉村の警察関係者が来たが、「あ、これは110番110番」と言って、走り去った。
その間に池上は保山の右腕の先に気がついた。床に黒い文字があった。それは、「神主」と読めた。ダイイングメッセージである。
保山を知る者の中に保山を知らぬ者なしとまで言われた関西インディーズ界闇のカリスマ保山宗明玉は、こうして帰らぬ人となったのである。
警察が来て、捜査が始まり、色々なことがわかった。
保山の死亡時刻は、死体発見までの三十分の間とされた。
死因は胸をナイフで刺されたためのもので、即死ではなくダイイングメッセージを残す時間はあったと思われる。
ダイイングメッセージを構成していたものは、看板に貼るだけになっていた文字のシールだった。シールは袋に入っていたのだが、保山が犯人と争った時に床にばら撒かれたようだ。 元々それは「八十日丹精マヨネーズ 羽王」という文字で、翌日にマヨネーズ会社の新製品発表会で使われる予定のものだった。保山はその中から、「ネ」と「日」と「―」と「王」と「ズ」の濁点の一つを選び、 「神主」という文字を作り上げたのだった。「ネ」は「しめすへん」となり、「-」は縦棒になって「日」と重なって「申」となり、それらは合わさって「神」になった。 「王」と「、」が一緒になって「主」になる。
防音扉のために声は外に届かず、保山は筆記用具を会場の自席に置いたままで身につけていなかった。床には特殊なコーティングがされていたので、血は床に定着せず、 体に刺さったナイフで床に文字を刻もうにも、体から引き抜くと大量の出血を呼んですぐに死んでしまうかもしれなかった。保山は仕方なくシールでダイイングメッセージを構成するのを選んだのだろう。
そうすると、犯人は神主なのだろうか?しかし、神主には完璧なアリバイが成立していた。彼はずっと「鳳凰の間」のソファに座ったきりで、そこをずっと動いていない。
では、誰が犯人なのか?
受付け担当の門番が会場入り口に常に陣取って目を光らせていた。グリングリンのために芳名緑や名札はズタズタになってしまったが、それまでに参加者のほとんどが会場入りしていたし、 事前に渡していたパーティ参加者リストを門番は完璧に覚えていた。
「会場に入ったのは、参加者リストに載っていた者だけじゃ。人を殺めるような怪しい人間は一人も通っておらん!もし、おったとしたなら、そいつは透明人間じゃ!」
と、門番はお得意の見栄を切った。犯人はパーティ参加者の中の誰かであるのは間違いない。帰ってしまった者―「これから悪だくみがあるので」と言って帰った御戸老人、 宮脇秘書、大島弁護士と、「もう寝る時間ですから」と言って帰った「隣のおばさん」事件の老女と孫と隣家の三人兄弟の、計八人―もいたが、それは式次第が終わってすぐで、保山の死亡時刻を外れていた。
死体を発見した高校生たちが、注目すべき証言をしていた。彼らは保山にサインを求めたのだが、着替えをしてからにしてくれと断られたらしい。この時更衣室は満員で、保山は小倉庫で着替えをすることにした。 高校生たちは会場に戻って保山が出て来るのを待っていたのだが、あまりにも時間がかかり過ぎるので、催促に行って死体を発見することになる。この時、重い防音扉を開けた時、 廊下から強い風が中に吹き込んで、床の文字を動かしたような気がすると言うのだ。どの文字がどう動いたのかは、判らない。それどころか、これは全員の意見ではないが、 文字の一部が飛んで他の使わなかった文字の一群に混じってしまったような気がするという者まで現われた。
とすると、本当のダイイングメッセージはどんなものだったのだろうか?
ずっとソファに座ったままの神主のまわりに、箱崎一家、満干全席、犯罪学博士、翁藻、木地凱、「テリーの馬鹿」事件の“俺”、「読者への十の挑戦」事件の正解者、オリエント京子、クリンクリン、 木蓮、ゲ-ム探偵ユウキが集まった。この中に、諍屋の姿がないのが寂しい、と池上は思う。
翁藻が口を開いた。
「名探偵たくさんいてもしょうがない。この事件どなたが謎を解きますか?」
「神主さん、私たちは、ダイイングメッセージで名指しされてますし、また年間最優秀主演賞も受賞されたあなたの手に解決を委ねるのが、最も良いのではないかと考えているのですよ。どうですか?」
それを横で聞きながら、池上は辻本の肘をつついた。
「あれでいいんですか?あの人役者さんなんでしょ?」
辻本は困った顔になった。
「え?」池上は目を見張った。「まさか本物なの?」
辻本は小さく頷いた。
神主は言った。
「宜しい。私が事件を解決しましょう」
「しかし」池上は辻本の耳に囁いた。「あの人にアリバイが成立しているということは、あの人、今回は殺害現場を覗けなかった、ということですよ。神主はそれで事件を解決できるんでしょうか?」
遠くで、雉の鳴く声がした。
□解決編
「今から事件を解決しますから関係者を全員この部屋に集めて下さい」
集まった。
神主は壁際のソファにふんぞり返って座ったまま動こうとしなかったので、関係者二百数十人がソファを取り囲む形になった。両腕をソファの背もたれに乗せ、足を高く組んでいる。
神主は話を始めた。
「まず、ダイイングメッセージの解釈です。『神主』が指し示す私にはアリバイが成立しますから、死体発見の高校生たちの目撃を考え合わせれば、元もとのダイイングメッセージは別のもので、 風のせいでそれを構成する文字が飛んだり動いてしまった結果、『神主』と読めてしまったのだと解釈するべきでしょう。『神主』という文字は、『ネ』と『日』と横棒と『王』と濁点で作られていました。 これらを残し、他のシールのどれかを継ぎ足して、なおかつパーティ参加者の誰かの名前となる組み合わせは、私には一通りしか考えられませんでした」
神主は言葉を切った。皆が固唾を飲む。
「それは保山宗明玉です。『八』と『十』を組み合わせればカタカナの『ホ』になります。『ヨ』を横にすれば『山』です。『マ』は裏向けにして横にすれば『ム』です。『ネ』はそのまま使い、 『申』は風で動いて重なったのだと考えて『日』と縦棒を離し、縦棒に『羽』の字の片側だけを合わせると、『明』の字になります。あとは簡単ですね。 『主』の濁点の位置を変えるだけで、『玉』の字になります。元のダイイングメッセージは『ホ山ムネ明玉』であったのです。つまり保山さんです」
「え?じゃあ保山さんが犯人だって言うの?被害者が保山さんなんだよ?」
「そうですね。普通に考えればおかしい。被害者の方が保山さんではなかった、と考えればどうでしょうか」
「そんなことはないよ。僕は昔から保山さんを知っているけど、あの死体は保山さんだった。それともあれは保山さんのそっくりさんだって言うの?」
「いえ、あの死体は保山さんでした。いや正確に言い直しましょう。肉体は保山さんでしたが、精神は保山さんではなく、別の人格に体を乗っ取られてしまっていたのだという解釈です」
「別の人格って?」
「それはジュニアしかいないでしょう。保山さんはテーマ『意外な犯人』で、ジュニアとの一人二役という離れ業を演じられました。その効果をより上げるために、『首』『ふりだし』と三回続けて一人二役を演じ続け、 その期間は三ヶ月に及びました。保山さんはやり過ぎたのです。その間にジュニアはジュニアとしての人格を形成し、遂には保山さんの人格を駆逐して体を乗っ取ってしまったのでした」
それを聞いて、池上には色々と思い当たることがあった。
保山は「意外な犯人」の解決編で、『「π」がジュニアの最後の作品』だと言明していたにもかかわらず、ジュニアはテーマ「雨」で「てんぷらとして死す」という作品を投稿していた。 保山は嘘をついたことになるが、こんなことで嘘をつくような人ではないのだ。ジュニアに一挙に人格を乗っ取られたのでなく、徐々に人格の侵食を受けたのではないだろうか? テーマ「花の香り」ではジュニア作品はなく保山作品だけだった。次のテーマ「雨」では保山作品はなくジュニア作品だけで、テーマ「ゲーム」では保山作品だけでジュニア作品はなかった。 凄まじい両人格の綱引きの様子がこの辺りにはっきりと垣間見られるではないか。そして最新テーマ「神主さま」では、とうとうジュニア作品も保山作品も姿を消した。決着がついた小休止と捉えるべきだろう。
そして、ジュニアは保山としてパーティに現われた。だからだ!池上は今にしてはっきりとわかる。池上が保山に挨拶に行った時、「アオアオアオアオ」としか答えなかったのも、 他の者に対して「アーベンイーベン」としか言わなかったのも、最近生まれた人格だからなのだ。記憶しさえすれば「毎月三日は消費税三パーセント」を歌ったり踊ったりはできるが、 昔馴染みとの会話を成立させるのは不可能だ。「ゲンガンボンビンガラビンゲン」の言い間違えも、聞いた者の聞き間違いだと勝手に解釈してしまったが、これはジュニアの覚え間違いであった。 ジュニア役の用意を保山に打診した時、機嫌が悪かったのも無理はない。池上はジュニア本人に代役の相談をしてしまったことになる。おおっ全ての辻褄が合うではないか。
神主の説明は続いた。
「完全に駆逐したと思われた保山さんの人格はわずかに残骸を残していました。ジュニアが小倉庫に入った時に保山さんは最後の反撃を試みたのです。 一瞬に体のコントロールをジュニアから奪い取り、ナイフで胸を刺したのでした。人格を取り戻したジュニアは自分がもう助からないことを悟り、ダイイングメッセージを残したのです。犯人は『保山宗明玉』だと」
「おおっ」という声が上がり、場の空気がやや弛緩した。しかし、次の神主の発言が爆弾だった。
「と、犯人は思わせたかったのです」
空気が一瞬で固くなった。
「ど、どういうことですか?」
「つまり、ダイイングメッセージは偽物だということですよ。犯人は冤罪を作りたくなかったのでしょうね。それで『保山』というにせのダイイングメッセージを残し、 被害者がジュニアで保山が犯人だという解釈に警察の判断を誘導したかったのです」
「なぜそんなことがわかるのですか?」
「ダイイングメッセージをシールの組み合わせで作っているからですよ。左胸をナイフで刺されているのですよ。そんな悠長な作り方が許される状況ではありません」
「でも、保山さんは筆記用具を持っていなかったし、床は血をはじくコーティングがされていたし、あ、例えば服に血で書けば良かったというような意見ですか?」
「違います。もっと簡単なダイイングメッセージの残し方がありました。それは名札です。参加者全員が名札を胸につけています。保山さんも例外ではありませんでした。確かに殺された時には着替えの最中で、 着替えた服には名札はついていませんでしたが、脱いだゴスロリファッションの方には「保山宗明玉」と書いた名札がついたままでした。ちょっと手を伸ばせば、 簡単に保山が犯人だと示せる名札がすぐそばにあったのに、それを使わずに文字の組み合わせでダイイングメッセージを示そうとした行動には矛盾しかありません。 だから、このダイイングメッセージは犯人によるにせの手掛かりだと言うのです」
「それは判りましたが、でもそれだと犯人もその条件にそぐわなくなってしまいませんか?だって犯人はパーティ参加者なのだから、保山さんが名札をしていたのを知っていたはずです。 誰が犯人であっても、保山さんに名札を握らせるでしょう」
「良いことを言ってくれました。したがって犯人は保山さんが名札をしていたことを知らなかった人間なのです。さらに言うと、受付けで名札を渡されて参加者全員が名札の着用を義務付けされていたことを、 知り得なかった人物です。そんな人間はこの中に三人しかいません」
神主は自分を囲む人々の顔を見回した。
「グリングリンの大暴れを思い出して下さい。そのお陰で、受付けは無茶苦茶になり、名札はズタズタになりました。以降に会場に現われた参加者は名札を与えられなかったのです。 彼らは、参加者全員が名札をつけるのだということを知る機会を持ち得ませんでした。その三人とは、グリングリンの大暴れ以降に会場に現われた、高橋さん、梅田メメ子さん、和尚さんです。 実際メメ子さんが池上さんのテーブルにやって来た時に、マイペースさんと宙人さんは彼女が何者なのかを池上さんに尋ねています。もしこの時彼女が名札をつけていたなら、 こんな問い掛けは無意味です。この三人の中に保山さん殺しの犯人がいるのです」
囲む人間が身を離したのでそれぞれの三人の周りに空間ができ、その空間に押し出されるようにして、三人が神主の前に出て来た。
「一人ずつ検討していきましょう。高橋さんは、保山さんの死亡推定時刻の前に会場にやって来て、事件の発生までずっとトランプをしてテーブルを離れませんでした。 したがって、高橋さんにはアリバイが成立します。犯人ではありません。
次に、和尚さんですが、彼は保山さんと面識がなく、QEDを読んでの関係しかありませんでした。死体発見の時、彼は叫びました。『ほざんそうみょうだまさんがっ!?』と。 保山さんの名前を『そうみょうだま』と読んでいた人に、『ホ山ムネ明玉』というダイイングメッセージは残せません。したがって彼も犯人ではありません。ということは」
神主は梅田メメ子を睨み据えた。
「メメ子さん、あなたが犯人ですね」
彼女は何も言い返さなかったが、その表情が犯行を認めていた。
池上は神主に言った。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が、また鳴いた。
神主は小さく頷いた。
「ちょっと待ったー!」
人々の後ろから声が響いて、人を掻き分けて前に出てきたのは、保山だった。
「早くも転生センターで蘇ってまいりました保山です。そんなことはどうでもよろしい。神主さん、あなた今回はずっとそのソファに座っていて、現場を覗けなかったはずです。 推理だけで真相に辿りついたのかと感心もしていたのに、でも覗いたと言う。その説明やいかに?」
神主はしばらく保山の顔を見ていたが、やがてソファに乗せていた左手をサングラスにかけ、ゆっくり外してみせた。
おおっ!!
どよめきと共に人々は後ろに一歩下がった。
神主には目がなかった!暗い眼窩があるだけだ!
そして神主は右手を持ち上げた。それまでソファの背もたれの陰に隠れていた指の先が現われた。人差し指と中指の二本の指が異常に長い。いや、長いどころではない。 指が紐のようになって会場の壁沿いにずっと伸びているではないか。しばらくすると、遠くからシュルシュルという何かが絨毯の上を滑る音が聞こえてきた。 音はどんどん近づいてきて、遂にその正体がわかった。神主の伸びた指が縮んでいるのだ。電気掃除機のコンセントが収納されるのに似ていた。 指の先が遠くの床に見えたかと思った次の瞬間には、指は普通の長さに戻っていた。その先端についているのは、二つの目玉だった。
神主は、目のない顔に笑みを作ってみせた。
「ちょっと待ってー!」
叫んだのはメメ子だった。
「何だかもう終わりそうな雰囲気だけど、まだ駄目ぇー!あたしがなぜ保山さんを殺さねばならなかったのか説明がまだじゃない」
では、動機はメメ子さん自らに語ってもらいましょう。
お任せします。
□犯人の自供(梅田メメ子)
……こんばんは、皆さんには多大な御迷惑ヲお掛けしました、梅田メメ子です。豪華で盛大な、二度と行われないだろう記念的パーティーを、人の血で台無しにしてしまって、 本当に御免なさい。特に、相続した遺産ヲ全てなげうってくださった辻本さん、そして何より、殺されてしまった保山さんには、お詫びの言葉すら見付かりません。なんだか、 ワタシには当日の記憶がないのですが……とにかく、ワタシが保山さんヲ殺してしまったそうなので、其れは、全人生ヲかけて償っていこうと思います……?
さて、肝心の、梅田メメ子が保山宗明玉さんヲ殺すに至った動機ですが……なんせパーティーに参加した記憶がないので、ワタシ自身あやふやなのですが、数日、 自分の胸に詰問してみました。そうして……思い出したのです。故意に封印された記憶ヲ……。
ジュニアさんが保山さんのもうひとつの別の人格であるように、池上さんにも別の人格がありました。言わずと知れた「のぶりん」です。この「ジュニア」と「のぶりん」は、 一見Net上での便宜的な使い分けにしか見えませんが、実は、保山さんと池上さんの精神ヲ現実に蝕んでいるアイデンティティだったのです。この隠された人格には、 それぞれ確固たる職業がありました。「ジュニア」は神主で、「のぶりん」は和尚です。神主については、ダイイングメッセージ「ホ山ムネ明玉」に内包された 「神主」の字でも記されていますし、和尚は、池上さんが「のぶりん」役ヲ和尚さんに頼んだという記述で明らかにされています。保山さんも池上さんも普段、 会社員として生活しながら、人格が入れ替わるとそれぞれ、神社と寺で職務ヲ全うしていました。
ワタシが、寺の住職である「のぶりん」の現実での存在に気付いたのは、先月、毎日のように池上邸で芝居の稽古ヲしていた為です。池上さんが会社から帰ってくるまで、 ワタシは出演女優と池上邸で稽古していました。その時よく、押入の中から見慣れない木魚や見覚えのない袈裟が発見されました。それが一体何に使われているのか、 ワタシは何故か本人に訊けませんでした。見てはいけないものヲ見たような、触れてはいけないことに触れてしまうような気がしたのです。
その芝居には池上さんにも出演していただいたのですが、彼は「二三行の台詞でないと、よう覚えられん」と言いながら、二頁にも及ぶ長台詞ヲ難なく覚え、 朗々と発してみせてくれました。しかし、女優との対話の場面になると途端に台詞がつまり、何度もやり直しヲ繰り返されました。これはひょっとして、 あの長いお経ヲ読むのに慣らされているからではないだろうかと、日々押入から怪しい和尚グッズを見付けていたワタシは考えました。
そして公演も差し迫ったある日、ワタシは遂に決定的なものヲ見付けてしまったのです。それは、ある土地ヲ巡った権利書や借用証の書類でした。大阪の、 ある閉館した劇場の跡地に、お寺ヲ建てようという計画がそこに展開していました。池上さんの闇なる人格「のぶりん和尚」の野望です。しかし、 同じようにその土地ヲ狙っている別の人物がいました。神社ヲ建てようとしている「ジュニア神主」です。ひとつの土地ヲ巡ったふたりの争いが、書類には記されていました。 ふたりはお互いに、闇から多大な金ヲ用意し、土地ヲ買い取ろうとしていました。その争いはみるみるエスカレートし、ついには宗教争いにすら発展したようです。 人間の醜い欲望で汚れた書類ヲ、池上邸の戸棚の奥から発見して、ワタシは驚愕しました。
「見てはならないものを見てしまったね……」
闇に囁く声に気付き振り向くと、そこには佇立する池上さんがいました。
「池上さん…」
「私は池上さんではないよ、のぶりんだよ……」
のぶりんの右手には、木魚ヲ叩くバチが握られていて、それがやおら振り上げられると……。
そこから先はあまり覚えていません。気付くと、芝居の公演は終わり、「QED開設一周年記念パーティ」が開かれていました。まるで夢ヲ観ていたように、 誰かに操られていたように、他人の眼から見た曖昧な記憶しかありません。
とにかく、ワタシは「ジュニア」である保山さんヲ殺し、劇場の跡地には、立派なお寺が建つそうです。そしてその寺には、「のぶりん」という名の和尚が就くということです……。
第10回(2003.6.30~) テーマ:ゲーム
「推理百物語」保山宗明王
「天崎サカヤの事件簿その2~ゲーム~」池上宣久
「推理百物語」 保山宗明王
□問題編
「わかった!トランプのハートのJはダイイングメッセージだったのよ。犯人はウンコするためにトイレに行って、そこに隠れていた被害者を見つけて殺したの。 あんな緊急時にトイレに行こうとしたのは、ゲリ気味のヤワラちゃんか、便秘のデン助のどちらか。で、犯人はそのどっちかと言うと」
その後、袖美(そでみ)は推理を続け、私が考えた推理クイズを簡単に解決してしまった。
「これで、1ヶ月かかった推理百物語、百個めの話が終わった」
私は最初の取り決め通り、ブレーカーを落とし、部屋の中を真っ暗にした。
私はこの時を待っていた。
私は袖美の鼻と口をふさぎ、窒息させた。
袖美は抵抗して、暴れた。必死でもう片方の手で頭を逃げないように固定するようにして、鼻と口から手を離さなかった。
物音に気付いて、誰かがこちらに向かっているようだ。
袖美の体から力が抜けるのと、ドアと窓から人が入ってきたのは同時だった。
私はすぐにブレーカーを入れて、自分も駆け付けた目撃者の1人になりすますことにした。
部屋は明るくなった。
部屋の真中に袖美がこときれて倒れている。鼻と口のまわりに、指の痕がくっきりと残っていた。ドアと四方の窓が開いており、ほぼ同時に部屋の中に入ってきたと見える3人、永(えい)、敏(びん)、椎井(しい)が袖美の死体を囲んでいた。
そこに、ゲ-ム探偵ユウキが入ってきた。
「ポーズ!一時停止!この事件は私が解決する!」
「誰だ、おまえ」と、永。
「私はゲーム探偵ユウキ。この事件、犯人は顔見知りの人物です」
「なぜ、そんなことがわかる?」と、敏。
「テーブルの上には2つのグラスがあります。どちらも半分以上減っていて、炭酸の泡がまだ同じくらい上がっていますね。でも、ほら、グラスのふちにルージュのあとがついているのは、1つだけ。 すなわち、もう1人、この部屋にいて、一緒にドリンクを飲んでいたんです。その人物こそ、すなわち、犯人!」
「すると、この3人の中に犯人がいるということなのか」と椎井。
「そうです。私、ゲ-ム探偵ユウキは犯人解明をゲームによって行います。古くはヴァン・ダインや高木彬光から」
「ウンチクはどうでもいい。とっとと推理しろ」と永。あとの2人もうなずいている。
ユウキは気をとりなおして高らかに宣言した。
「あっち向いてホイで犯人を推理します!」
「負けた奴が犯人なのか?」と敏。
「それは言えません」
「強い奴が怪しいってことか?」と椎井。
「それは言えません」
「俺、寝違えて首を動かしにくいんだけど、不利じゃないか?」と椎井。
「関係ありません」
それぞれ5回戦のゲームの結果、ユウキに全勝したのは永。ユウキに全敗したのは敏。ユウキの3勝2敗に終わったのは椎井だった。
「これで犯人がわかりました」
と、ユウキは言ってのけた。
□解決編
ゲ-ム探偵ユウキは続けた。
「テーブル上のグラスでおわかりのとおり、袖美さんはルージュをつけていました。そして、顔に残る指の痕から、犯人は手で袖美さんの鼻と口をふさいで殺したものと思われます。 ここまではいいですね」
敏が怒ったように言った。
「いいも悪いもない。それくらい、俺でもわかる」
「と、すれば、犯人のてのひらには、必ずやルージュがついているはずなのです。電灯がつくぎりぎりまで犯人は袖美さんの呼吸をとめており、手を洗う暇などなかったのです。 また、衣服に手をこすりつけて、ルージュを取ることもできません。つまり、犯人はてのひらに犯人の証しであるルージュをつけたまま、あっち向いてホイをしなければならなかったのです」
「と、いうことは?」と、永。
「私はジャンケンでほとんどパーばかり出していました。なぜなら、犯人はジャンケンの際、てのひらを見せないグーばかり出すだろうと予想したからです」
「すると、犯人はジャンケンに負けてばかりで、その結果、あっち向いてホイも負けるしかなかった人物が犯人だと」と、永。
「そういうことです。私に全敗したのは、誰でしょうか」
ユウキは3人を見回してから、ブレーカーを指差して言った。
「そして、このブレーカーを見てください。ルージュがついています。犯人はルージュを手につけたままブレーカーに触れてしまったのです。さあ、みなさん、この部屋に入ったとき、ブレーカーをオンにしたのは誰でしたか?」
永と敏は椎井を指差した。
「俺がブレーカーを上げた。くそっ、こんなことでばれてしまうとはな」
と、椎井はくやしそうに言った。
「えーーーーーっ!」
ゲーム探偵ユウキが呆然としているのをよそに、椎井は告白をはじめた。
「おまえさんの言うとおり、ジャンケンでパーを出せないので、グーとチョキしか出せなかった。チョキはあまり出したくなかったけど、この探偵がパーばかり出すので、チョキも出すことにした。チョキでもてのひらをあまり見せずにすむからな。 それに、袖美もルージュ塗り立てではなくて、ほとんど手にはルージュがつかなかったし」
「あんな夜中、ルージュはほとんど取れてたはずだな」と、永。
やっと立ち直ったユウキが言った。
「ちょっと待ってくださいよ。グラスにはべったりとル-ジュがついていて、しかも炭酸の泡がまだ立っていました」
椎井は何を言ってるのかわからない、という表情で言った。
「俺たちは推理百物語をやっていて、今日は夕食後、ずっとここで推理クイズの出し合いをしていたんだ。グラスにルージュがついたのは、最初に口をつけた6時過ぎかな」
「そのときのル-ジュがついたままだったのですか」
「飲み物がなくなったら、その都度同じグラスに注ぎ足したし。夜食も食べたしな。俺が口をふさいだとき、あまりルージュは残っていなかった。ブレーカーにもルージュがついたので、手の方はそれほど残っていなかったかな」
ユウキは、敏に向かって言った。
「敏さん、なぜ、ジャンケンでグーばかり出したんですか。私はてっきりあなたが」
「ああ、それは。確か、勝ち負けで犯人を決めるんじゃないと聞いたような気がするし」
「でも、ゲ-ムであるかぎり、負けるのは嫌なはずです」
敏はしかたない、と言った顔でてのひらを開けてみせた。
「この部屋に入って、みんなが死体に気をとられてるとき、ひろったんです。ポケットでもあればそこに入れておいたんですが、我々は、ほら、ヌーディストですから」
手の上では500円玉が湯気をたてていた。
「天崎サカヤの事件簿その2~ゲーム~」 池上宣久
□問題編
諍屋の所用で診療所が連休になったので、天崎サカヤは、従姉の天田ヒロミの別荘に、共通の友人たちを引き連れて、遊びに出かけた。
男四人女一人の一行が別荘に着いたのは、午前中のことだった。荷物を別荘に運び込む時にアクシデントがあった。武蔵博之がつまづいて、前を歩いていた徳之島徹と朝日昇の二人を押し倒してしまったのだ。 難を逃れた村田一美が悲鳴を上げる。倒した本人は怪我一つなかったのに、徳之島は足を捻挫し、朝日は腰を痛めてしまった。徳之島は武蔵の親友だったので問題なかったが、犬猿の仲の朝日はカンカンになって怒った。
こうしてお昼になって食堂で始まったパーティは一部険悪な雰囲気をはらんでいたが、やがて和やかなものに変わった。ものまね合戦やマーダーゲームなどで盛り上がったのだった。
ところがこのマーダーゲームで、天田と村田が対立した。ミステリを読まないがゲームでの正解率の高かった村田が「この世に不思議なものなど何もない。すべて理屈で説明できる」と主張し、ミステリ好きの天田がこれに反発したのだ。
「じゃあ、あなたに不思議を見せてあげる」
そう言って、彼女は天崎に声をかけて連れ立って廊下に出た。
「サカヤ、あなた何か考えてよ」
「え?」天崎は驚いた。「何かって、何を考えるの?」
「だからトリックよ。一美をあっと言わせるようなやつ」
「僕が考えるのかよ。まいったなあ」
この時、通り雨が激しく降り始めていた。
「じゃあさ、足跡トリックなんてどうかな」
二人は別荘の裏口から外に出た。
別荘の裏口から砂利道が伸びて、その先に砂利道に囲まれた直径二十メートルほどの、表面が土の広場がある。
「ねえ。やめた方がいいよ。体弱いんだし。風邪ひくよ」
天崎サカヤが止めるのにも耳を貸さず、天田ヒロミは赤いレインコートをはためかせ、広場の真ん中へ歩いて行く。彼女の足跡を雨がみるみる消していった。天田は持参した小さな折り畳みの椅子を広げて座った。
このまま雨が降り止むのを待ち、それから後ろ向きに歩いて広場を出たら、何者かが外から広場に入って真ん中から空へ飛んで消えたかのような不思議な状況を作り上げることが出来る。
「大丈夫よ。この雨通り雨だから一時間もしない内に間違いなく止むわ。それよりサカヤ。あなた別荘に戻って一美を見張っててよ。この状態を見られたらおしまいなんだから。一美はあなたにぞっこんだから、あなたが言えば大人しくしてるはずだわ。 別荘の窓からこの広場が見えちゃうから、一階の廊下がL字に曲がった先の一番奥まった位置にある書庫に押し込んで出て来ないようにしててよ。あそこ窓は嵌め殺しだし。いい?これはあたしと一美の知力を賭けたゲームよ。頼んだわよ」
天崎サカヤは別荘に戻り、強引に村田一美を食堂から連れ出し、書庫に押し込めた。ドアを閉め、その前に安楽椅子を置いてどっかと座る。目の前の廊下の窓から空が見える。 気になった武蔵博之、徳之島徹、朝日昇がやって来たので、書庫の村田に聞こえないように小声で天田ヒロミの企みを説明した。三人はそれを聞いて呆れて笑った。
それが二時のことだった。
それから十分が経った。書庫の村田一美はいい加減焦れてきた。ドアを開けようとしたら椅子にぶつかって十センチほどしか開かない。
「ねえ、サカヤ君。まだ部屋を出ちゃ駄目なの?」
天崎サカヤは立ち上がってドアの隙間に顔を押しつけた。
「駄目。もう少しだから我慢して」
その頃、武蔵博之は広場に立ち寄り、雨の中で頑張る天田ヒロミに励ましの声をかけていた。
さらに二十分が経った。
天崎サカヤは村田一美以上に焦れていた。何度も何度も時計を見る。
まだ二時半だ。早く雨止まないかなあ。ヒロミのわがまま娘!でもこんなことしてても、一美が出て来たら台無しになっちゃうんだよなあ。
天崎は思わず言っていた。「一美、絶対に部屋を出るなよ!」
しばらくすると、パーティのお酒の影響で天崎は椅子の上でうつらうつらし始めた。
二時四十分になって、徳之島徹は裏口から外に出た。雨中の散歩が好きで出て来たのだが、この時ちょうど雨が降り止んだ。
その十分後、天崎サカヤは椅子の上で目を覚ました。
いけない、いつの間にやら眠ってしまった。あっ、その間に雨が止んでいるではないか!
天崎は立ち上がった。
三時になって、朝日昇は別荘二階の自室から広場に目をやった。いつの間にか雨が止んでいた。遠目に天田ヒロミの派手な赤いレインコートが目立つ。広場に他に人影はない。 彼女が入った時の足跡は雨が消してくれたようだ。あとは後ろ向きに歩いて広場を出れば、空中に消えた男の完成だ。
朝日は目を疑った。一人の人影が広場に入って来るを見たからだ。
まっすぐ真ん中へ歩いて行く。あの黄色いレインコートは天崎だ。あの馬鹿、せっかくの天田のトリックが台無しじゃないか!
朝日は、天崎が誰も背中に背負っていないのを確認した。
朝日は部屋を飛び出した。
二人の距離が近づくにつれて、天崎サカヤは天田ヒロミの様子がおかしいのに確信を持った。
「ヒロミ、どうかしたの?」
天崎は天田に声をかけたが、何の反応もなかった。
「サカヤ君。もう三時になったよ。出ていい?サカヤ君?ねえ、返事くらいしてよ」
村田一美はそっとドアを開けてみた。天崎の姿がない。
「何だよ!」
天崎サカヤは広場の真ん中に立ち、足元にうつ向けに崩折れた天田ヒロミを見下ろして、呆然としていた。体が斜めによじれて、左胸にナイフが突き刺さっているのが見えた。
殺人?自殺?
惑乱した天崎は、腰を抜かしてお尻を地面に落とした。
ところが、天田にはまだ息があって、天崎は彼女の最後の言葉を聞くことになる。
そこへ、徳之島徹がやって来た。
広場の真ん中で座り込んでいるのは天崎だ。その横に倒れ伏しているのは天田か?
広場には外から内へ向かう足跡が一筋残っているだけで、他に何の痕跡も残っていなかった。
徳之島は広場に入って、天崎の横に並んだ。天田ヒロミは胸にナイフを刺されて完全に死んでいた。
しばらくして、朝日昇が広場にやって来た。
何か異変があったようだ。広場の真ん中に立っているのは、天崎と徳之島だ。広場には外から内に向かう二筋の足跡しか残っていない。
朝日は足を速めた。二人の間に天田の死体が倒れていた。
「どうしたんだ?」
「雨が降り止んだのに、ヒロミが別荘に戻って来ないので、どうしたのかと思って広場に来た」
天崎が早口で説明する。
「ヒロミはまだここにいて、声をかけても反応がない。様子がおかしいので中に入った。肩に手をかけたらゆっくり前のめりに倒れた。胸にナイフが刺さっていた」
「天田は自殺したのか?」
「まだ息があって、そう僕に告げて死んだ」
そこへ、村田一美がやって来た。
広場の真ん中に、天崎、徳之島、朝日の三人が立っていた。地面に横たわっているのは、天田だろうか?広場には外から内に向かう三筋の足跡しか残っていなくて、他には何の痕跡もなかった。
村田は広場に入ろうとして、朝日に止められた。
「これ以上現場を荒らさない方がいい。警察に連絡してくれないか」
時間は三時十分になっていた。
警察がやって来て、捜査を始めた。
天田ヒロミの死因は胸に刺さったナイフで、死亡推定時刻は三時を挟んで前後十五分の間である。傷口にはナイフで刺した後にこじた跡があり、人の手で刺したのは間違いない。 広場に残った足跡は、警察到着時点で、天崎、徳之島、朝日が往復した合計六筋しかなく、怪しい痕跡はなかった。全て別荘備えつけのサンダルだった。また広場には一旦つけた足跡を何らかの方法で消した痕跡なども全くなかった。
雨が降り止んだのが二時四十分だったから、これが殺人だとすると絶対に犯人の足跡が現場に残っていなければならない。
それが残っていないとなると、自殺だとしか考えられないのだが。
天崎は一人だけ警察に現場の広場に呼ばれた。
「君が犯人だね。状況は被害者の自殺を示唆するのだが、どうにもナイフに残った指紋が不自然なんだよ。まるで死後に犯人によって握らされたようにね。君が死体発見を装ってその時に刺し殺したのじゃないのかね?」
天崎は愕然とした。
「違う。ヒロミは自殺したんです。僕は犯人じゃない!」
天崎は隙をついて、諍屋の携帯に電話した。この窮状を説明して、知恵を借りなければならない。
しかし、諍屋の携帯はずっと圏外で、つながらなかった。
遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
□解決編
遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
雉の鳴く声?
天崎サカヤは、もしやと思って周りを見渡した。
しかし怪しい人影はどこにもない。と、その時、
「ゴボゴボゴボ…」
砂利道の中ほどにできていた水溜りが激しく泡立ち始めたではないかっ!
その泡を割って男の頭が現われ、見る見る内に水溜りの中から男の全身がせり上がってきた。その動きがあまりにスムーズであったので、水溜りの底に昇降装置が設置されていることが想像できた。
「覗くぞ覗くぞ。お前の人生覗くぞ。お前の心の闇を覗くぞ。水溜りの底からこそっと覗くぞ」
「あっ!貴様は覗き見探偵神主!何故こんなとこに?!」
「そんなことはどうでも宜しい。今から事件を解決しますから関係者を全員この場所に集めて下さい」
集まった。
神主は話を始めた。
「天崎は雨が降っているあいだに広場に行く。入れ替わりに天田も雨が降っているあいだに、別荘に行く。そこで天田はナイフで刺される。 傷ついたまま広場に行き、死ぬ。犯人は、天崎が天田とレインコートを交換する前に広場にやって来た徳之島。以上。推理終わり。じゃ」
と言って、神主は水溜りに足を踏み入れて、ブクブク沈み始めた。
天崎は頭を下げた。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が、また鳴いた。
神主は小さく頷いた。
ポコンとひとつ大きな泡を残して、神主は水溜りに沈んで消えた。
「天崎サカヤの事件簿その2~ゲーム~」池上宣久
「推理百物語」 保山宗明王
□問題編
「わかった!トランプのハートのJはダイイングメッセージだったのよ。犯人はウンコするためにトイレに行って、そこに隠れていた被害者を見つけて殺したの。 あんな緊急時にトイレに行こうとしたのは、ゲリ気味のヤワラちゃんか、便秘のデン助のどちらか。で、犯人はそのどっちかと言うと」
その後、袖美(そでみ)は推理を続け、私が考えた推理クイズを簡単に解決してしまった。
「これで、1ヶ月かかった推理百物語、百個めの話が終わった」
私は最初の取り決め通り、ブレーカーを落とし、部屋の中を真っ暗にした。
私はこの時を待っていた。
私は袖美の鼻と口をふさぎ、窒息させた。
袖美は抵抗して、暴れた。必死でもう片方の手で頭を逃げないように固定するようにして、鼻と口から手を離さなかった。
物音に気付いて、誰かがこちらに向かっているようだ。
袖美の体から力が抜けるのと、ドアと窓から人が入ってきたのは同時だった。
私はすぐにブレーカーを入れて、自分も駆け付けた目撃者の1人になりすますことにした。
部屋は明るくなった。
部屋の真中に袖美がこときれて倒れている。鼻と口のまわりに、指の痕がくっきりと残っていた。ドアと四方の窓が開いており、ほぼ同時に部屋の中に入ってきたと見える3人、永(えい)、敏(びん)、椎井(しい)が袖美の死体を囲んでいた。
そこに、ゲ-ム探偵ユウキが入ってきた。
「ポーズ!一時停止!この事件は私が解決する!」
「誰だ、おまえ」と、永。
「私はゲーム探偵ユウキ。この事件、犯人は顔見知りの人物です」
「なぜ、そんなことがわかる?」と、敏。
「テーブルの上には2つのグラスがあります。どちらも半分以上減っていて、炭酸の泡がまだ同じくらい上がっていますね。でも、ほら、グラスのふちにルージュのあとがついているのは、1つだけ。 すなわち、もう1人、この部屋にいて、一緒にドリンクを飲んでいたんです。その人物こそ、すなわち、犯人!」
「すると、この3人の中に犯人がいるということなのか」と椎井。
「そうです。私、ゲ-ム探偵ユウキは犯人解明をゲームによって行います。古くはヴァン・ダインや高木彬光から」
「ウンチクはどうでもいい。とっとと推理しろ」と永。あとの2人もうなずいている。
ユウキは気をとりなおして高らかに宣言した。
「あっち向いてホイで犯人を推理します!」
「負けた奴が犯人なのか?」と敏。
「それは言えません」
「強い奴が怪しいってことか?」と椎井。
「それは言えません」
「俺、寝違えて首を動かしにくいんだけど、不利じゃないか?」と椎井。
「関係ありません」
それぞれ5回戦のゲームの結果、ユウキに全勝したのは永。ユウキに全敗したのは敏。ユウキの3勝2敗に終わったのは椎井だった。
「これで犯人がわかりました」
と、ユウキは言ってのけた。
□解決編
ゲ-ム探偵ユウキは続けた。
「テーブル上のグラスでおわかりのとおり、袖美さんはルージュをつけていました。そして、顔に残る指の痕から、犯人は手で袖美さんの鼻と口をふさいで殺したものと思われます。 ここまではいいですね」
敏が怒ったように言った。
「いいも悪いもない。それくらい、俺でもわかる」
「と、すれば、犯人のてのひらには、必ずやルージュがついているはずなのです。電灯がつくぎりぎりまで犯人は袖美さんの呼吸をとめており、手を洗う暇などなかったのです。 また、衣服に手をこすりつけて、ルージュを取ることもできません。つまり、犯人はてのひらに犯人の証しであるルージュをつけたまま、あっち向いてホイをしなければならなかったのです」
「と、いうことは?」と、永。
「私はジャンケンでほとんどパーばかり出していました。なぜなら、犯人はジャンケンの際、てのひらを見せないグーばかり出すだろうと予想したからです」
「すると、犯人はジャンケンに負けてばかりで、その結果、あっち向いてホイも負けるしかなかった人物が犯人だと」と、永。
「そういうことです。私に全敗したのは、誰でしょうか」
ユウキは3人を見回してから、ブレーカーを指差して言った。
「そして、このブレーカーを見てください。ルージュがついています。犯人はルージュを手につけたままブレーカーに触れてしまったのです。さあ、みなさん、この部屋に入ったとき、ブレーカーをオンにしたのは誰でしたか?」
永と敏は椎井を指差した。
「俺がブレーカーを上げた。くそっ、こんなことでばれてしまうとはな」
と、椎井はくやしそうに言った。
「えーーーーーっ!」
ゲーム探偵ユウキが呆然としているのをよそに、椎井は告白をはじめた。
「おまえさんの言うとおり、ジャンケンでパーを出せないので、グーとチョキしか出せなかった。チョキはあまり出したくなかったけど、この探偵がパーばかり出すので、チョキも出すことにした。チョキでもてのひらをあまり見せずにすむからな。 それに、袖美もルージュ塗り立てではなくて、ほとんど手にはルージュがつかなかったし」
「あんな夜中、ルージュはほとんど取れてたはずだな」と、永。
やっと立ち直ったユウキが言った。
「ちょっと待ってくださいよ。グラスにはべったりとル-ジュがついていて、しかも炭酸の泡がまだ立っていました」
椎井は何を言ってるのかわからない、という表情で言った。
「俺たちは推理百物語をやっていて、今日は夕食後、ずっとここで推理クイズの出し合いをしていたんだ。グラスにルージュがついたのは、最初に口をつけた6時過ぎかな」
「そのときのル-ジュがついたままだったのですか」
「飲み物がなくなったら、その都度同じグラスに注ぎ足したし。夜食も食べたしな。俺が口をふさいだとき、あまりルージュは残っていなかった。ブレーカーにもルージュがついたので、手の方はそれほど残っていなかったかな」
ユウキは、敏に向かって言った。
「敏さん、なぜ、ジャンケンでグーばかり出したんですか。私はてっきりあなたが」
「ああ、それは。確か、勝ち負けで犯人を決めるんじゃないと聞いたような気がするし」
「でも、ゲ-ムであるかぎり、負けるのは嫌なはずです」
敏はしかたない、と言った顔でてのひらを開けてみせた。
「この部屋に入って、みんなが死体に気をとられてるとき、ひろったんです。ポケットでもあればそこに入れておいたんですが、我々は、ほら、ヌーディストですから」
手の上では500円玉が湯気をたてていた。
「天崎サカヤの事件簿その2~ゲーム~」 池上宣久
□問題編
諍屋の所用で診療所が連休になったので、天崎サカヤは、従姉の天田ヒロミの別荘に、共通の友人たちを引き連れて、遊びに出かけた。
男四人女一人の一行が別荘に着いたのは、午前中のことだった。荷物を別荘に運び込む時にアクシデントがあった。武蔵博之がつまづいて、前を歩いていた徳之島徹と朝日昇の二人を押し倒してしまったのだ。 難を逃れた村田一美が悲鳴を上げる。倒した本人は怪我一つなかったのに、徳之島は足を捻挫し、朝日は腰を痛めてしまった。徳之島は武蔵の親友だったので問題なかったが、犬猿の仲の朝日はカンカンになって怒った。
こうしてお昼になって食堂で始まったパーティは一部険悪な雰囲気をはらんでいたが、やがて和やかなものに変わった。ものまね合戦やマーダーゲームなどで盛り上がったのだった。
ところがこのマーダーゲームで、天田と村田が対立した。ミステリを読まないがゲームでの正解率の高かった村田が「この世に不思議なものなど何もない。すべて理屈で説明できる」と主張し、ミステリ好きの天田がこれに反発したのだ。
「じゃあ、あなたに不思議を見せてあげる」
そう言って、彼女は天崎に声をかけて連れ立って廊下に出た。
「サカヤ、あなた何か考えてよ」
「え?」天崎は驚いた。「何かって、何を考えるの?」
「だからトリックよ。一美をあっと言わせるようなやつ」
「僕が考えるのかよ。まいったなあ」
この時、通り雨が激しく降り始めていた。
「じゃあさ、足跡トリックなんてどうかな」
二人は別荘の裏口から外に出た。
別荘の裏口から砂利道が伸びて、その先に砂利道に囲まれた直径二十メートルほどの、表面が土の広場がある。
「ねえ。やめた方がいいよ。体弱いんだし。風邪ひくよ」
天崎サカヤが止めるのにも耳を貸さず、天田ヒロミは赤いレインコートをはためかせ、広場の真ん中へ歩いて行く。彼女の足跡を雨がみるみる消していった。天田は持参した小さな折り畳みの椅子を広げて座った。
このまま雨が降り止むのを待ち、それから後ろ向きに歩いて広場を出たら、何者かが外から広場に入って真ん中から空へ飛んで消えたかのような不思議な状況を作り上げることが出来る。
「大丈夫よ。この雨通り雨だから一時間もしない内に間違いなく止むわ。それよりサカヤ。あなた別荘に戻って一美を見張っててよ。この状態を見られたらおしまいなんだから。一美はあなたにぞっこんだから、あなたが言えば大人しくしてるはずだわ。 別荘の窓からこの広場が見えちゃうから、一階の廊下がL字に曲がった先の一番奥まった位置にある書庫に押し込んで出て来ないようにしててよ。あそこ窓は嵌め殺しだし。いい?これはあたしと一美の知力を賭けたゲームよ。頼んだわよ」
天崎サカヤは別荘に戻り、強引に村田一美を食堂から連れ出し、書庫に押し込めた。ドアを閉め、その前に安楽椅子を置いてどっかと座る。目の前の廊下の窓から空が見える。 気になった武蔵博之、徳之島徹、朝日昇がやって来たので、書庫の村田に聞こえないように小声で天田ヒロミの企みを説明した。三人はそれを聞いて呆れて笑った。
それが二時のことだった。
それから十分が経った。書庫の村田一美はいい加減焦れてきた。ドアを開けようとしたら椅子にぶつかって十センチほどしか開かない。
「ねえ、サカヤ君。まだ部屋を出ちゃ駄目なの?」
天崎サカヤは立ち上がってドアの隙間に顔を押しつけた。
「駄目。もう少しだから我慢して」
その頃、武蔵博之は広場に立ち寄り、雨の中で頑張る天田ヒロミに励ましの声をかけていた。
さらに二十分が経った。
天崎サカヤは村田一美以上に焦れていた。何度も何度も時計を見る。
まだ二時半だ。早く雨止まないかなあ。ヒロミのわがまま娘!でもこんなことしてても、一美が出て来たら台無しになっちゃうんだよなあ。
天崎は思わず言っていた。「一美、絶対に部屋を出るなよ!」
しばらくすると、パーティのお酒の影響で天崎は椅子の上でうつらうつらし始めた。
二時四十分になって、徳之島徹は裏口から外に出た。雨中の散歩が好きで出て来たのだが、この時ちょうど雨が降り止んだ。
その十分後、天崎サカヤは椅子の上で目を覚ました。
いけない、いつの間にやら眠ってしまった。あっ、その間に雨が止んでいるではないか!
天崎は立ち上がった。
三時になって、朝日昇は別荘二階の自室から広場に目をやった。いつの間にか雨が止んでいた。遠目に天田ヒロミの派手な赤いレインコートが目立つ。広場に他に人影はない。 彼女が入った時の足跡は雨が消してくれたようだ。あとは後ろ向きに歩いて広場を出れば、空中に消えた男の完成だ。
朝日は目を疑った。一人の人影が広場に入って来るを見たからだ。
まっすぐ真ん中へ歩いて行く。あの黄色いレインコートは天崎だ。あの馬鹿、せっかくの天田のトリックが台無しじゃないか!
朝日は、天崎が誰も背中に背負っていないのを確認した。
朝日は部屋を飛び出した。
二人の距離が近づくにつれて、天崎サカヤは天田ヒロミの様子がおかしいのに確信を持った。
「ヒロミ、どうかしたの?」
天崎は天田に声をかけたが、何の反応もなかった。
「サカヤ君。もう三時になったよ。出ていい?サカヤ君?ねえ、返事くらいしてよ」
村田一美はそっとドアを開けてみた。天崎の姿がない。
「何だよ!」
天崎サカヤは広場の真ん中に立ち、足元にうつ向けに崩折れた天田ヒロミを見下ろして、呆然としていた。体が斜めによじれて、左胸にナイフが突き刺さっているのが見えた。
殺人?自殺?
惑乱した天崎は、腰を抜かしてお尻を地面に落とした。
ところが、天田にはまだ息があって、天崎は彼女の最後の言葉を聞くことになる。
そこへ、徳之島徹がやって来た。
広場の真ん中で座り込んでいるのは天崎だ。その横に倒れ伏しているのは天田か?
広場には外から内へ向かう足跡が一筋残っているだけで、他に何の痕跡も残っていなかった。
徳之島は広場に入って、天崎の横に並んだ。天田ヒロミは胸にナイフを刺されて完全に死んでいた。
しばらくして、朝日昇が広場にやって来た。
何か異変があったようだ。広場の真ん中に立っているのは、天崎と徳之島だ。広場には外から内に向かう二筋の足跡しか残っていない。
朝日は足を速めた。二人の間に天田の死体が倒れていた。
「どうしたんだ?」
「雨が降り止んだのに、ヒロミが別荘に戻って来ないので、どうしたのかと思って広場に来た」
天崎が早口で説明する。
「ヒロミはまだここにいて、声をかけても反応がない。様子がおかしいので中に入った。肩に手をかけたらゆっくり前のめりに倒れた。胸にナイフが刺さっていた」
「天田は自殺したのか?」
「まだ息があって、そう僕に告げて死んだ」
そこへ、村田一美がやって来た。
広場の真ん中に、天崎、徳之島、朝日の三人が立っていた。地面に横たわっているのは、天田だろうか?広場には外から内に向かう三筋の足跡しか残っていなくて、他には何の痕跡もなかった。
村田は広場に入ろうとして、朝日に止められた。
「これ以上現場を荒らさない方がいい。警察に連絡してくれないか」
時間は三時十分になっていた。
警察がやって来て、捜査を始めた。
天田ヒロミの死因は胸に刺さったナイフで、死亡推定時刻は三時を挟んで前後十五分の間である。傷口にはナイフで刺した後にこじた跡があり、人の手で刺したのは間違いない。 広場に残った足跡は、警察到着時点で、天崎、徳之島、朝日が往復した合計六筋しかなく、怪しい痕跡はなかった。全て別荘備えつけのサンダルだった。また広場には一旦つけた足跡を何らかの方法で消した痕跡なども全くなかった。
雨が降り止んだのが二時四十分だったから、これが殺人だとすると絶対に犯人の足跡が現場に残っていなければならない。
それが残っていないとなると、自殺だとしか考えられないのだが。
天崎は一人だけ警察に現場の広場に呼ばれた。
「君が犯人だね。状況は被害者の自殺を示唆するのだが、どうにもナイフに残った指紋が不自然なんだよ。まるで死後に犯人によって握らされたようにね。君が死体発見を装ってその時に刺し殺したのじゃないのかね?」
天崎は愕然とした。
「違う。ヒロミは自殺したんです。僕は犯人じゃない!」
天崎は隙をついて、諍屋の携帯に電話した。この窮状を説明して、知恵を借りなければならない。
しかし、諍屋の携帯はずっと圏外で、つながらなかった。
遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
□解決編
遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
雉の鳴く声?
天崎サカヤは、もしやと思って周りを見渡した。
しかし怪しい人影はどこにもない。と、その時、
「ゴボゴボゴボ…」
砂利道の中ほどにできていた水溜りが激しく泡立ち始めたではないかっ!
その泡を割って男の頭が現われ、見る見る内に水溜りの中から男の全身がせり上がってきた。その動きがあまりにスムーズであったので、水溜りの底に昇降装置が設置されていることが想像できた。
「覗くぞ覗くぞ。お前の人生覗くぞ。お前の心の闇を覗くぞ。水溜りの底からこそっと覗くぞ」
「あっ!貴様は覗き見探偵神主!何故こんなとこに?!」
「そんなことはどうでも宜しい。今から事件を解決しますから関係者を全員この場所に集めて下さい」
集まった。
神主は話を始めた。
「天崎は雨が降っているあいだに広場に行く。入れ替わりに天田も雨が降っているあいだに、別荘に行く。そこで天田はナイフで刺される。 傷ついたまま広場に行き、死ぬ。犯人は、天崎が天田とレインコートを交換する前に広場にやって来た徳之島。以上。推理終わり。じゃ」
と言って、神主は水溜りに足を踏み入れて、ブクブク沈み始めた。
天崎は頭を下げた。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が、また鳴いた。
神主は小さく頷いた。
ポコンとひとつ大きな泡を残して、神主は水溜りに沈んで消えた。
第9回(2003.6.2~) テーマ:雨
「てんぷらとして死す」ジュニア
「天崎サカヤの事件簿その1」池上宣久
「雨」abiko masahiro
「てんぷらとして死す」 ジュニア
□問題編
私の名前はオリエント京子。
男2人、女2人、計4人で旅行している。
今日泊まるのは、砂地に建つ4つのコテージで、1人各1つずつコテージを利用することになった。
料理の得意な戸松田新三(とまつだ・しんぞう)のコテージで食事をとり、その後、飲み会になだれこんだ。
もう1人の男性、四葉頼太(よつば・らいた)はすっかり酔っぱらっている。
午後10時30分
飲み会もお開き。全員、自分のコテージに戻ることにした。
戸松田のコテージの戸口の段差で、四葉がひっくりかえり、砂まみれになった。
助け起こそうとした戸松田も転んで砂まみれだ。
四葉は体についた砂を払い落としもせずに、自分のコテージに戻った。砂地にはコテージ備え付けのサンダルの足跡がくっきりと残っていた。
コテージの並びは、戸松田、日筆美子(ひふで・みこ)、四葉の3つのコテージが10メートルおきに東西に一直線に並び、その直線を底辺とする三角形の頂点が私のコテージになっていた。
私のコテージから3つのコテージが同時に見渡せるのだ。
午後11時
日筆が私のコテージにやってきた。何気なく砂地を見ると、日筆はまっすぐ私のコテージに来ており、他のコテージに人の出入りはないようだ。
「男2人、なんだかこわくて」
と、日筆は言った。たしかに男性2人は美人でフリーの日筆を狙っているようだ。
午後11時45分
雨が降り出した。
私は窓の外に干していた洗濯物をとりこみ、ふと思い出して、戸松田のコテージに電話をした。明朝の集合時刻を確認したかったのだ。
「朝の11時に、ここに集合ということで」
と、戸松田。
電話を切った後、日筆と私は窓から外を見ながら、語り明かした。日筆が心配していた夜這いも決行されなかったようだ。朝になるまで3つのコテージを見張っていたも同然だったので、コテージに人の出入りが一切なかったのは断言できる。
午前6時。雨があがった。
午前10時30分
結局、一睡もせずに、私と日筆はコテージを出て、まず四葉のコテージに向かった。砂地は雨でぬかるみ、昨日の足跡はすっかり消えている。
四葉はすでに起床しており、洗面所でゲ-ゲ-吐いていた。体は乾いた砂まみれのままだ。
「うえー、気持ち悪い。ついさっき、うなされて目がさめたよ」
と、四葉。
3人で戸松田のコテージに行き、そこで私たちは戸松田の死体を発見した。外傷はない。死体は乾いた砂にまみれていた。
戸松田は心臓に持病があり、何らかの負担がかかって発作を起こし、心臓マヒを起こしたと考えるのが自然だった。しかし、どうやら、単なる病死では無さそうなのだ。
私は戸松田の死体に手を触れた。私の超能力が1つの光景を見せてくれた。何者かが誰かの顔に枕を押し付けて、窒息させようとしている、まさにその瞬間の映像だった。 この光景が、昨夜から今朝にかけて戸松田に起こった出来事であることは疑いを入れない。人物まで特定できなかったのが何とも残念だ。
しかし、昨夜雨が降りだした後、電話で戸松田が生きていたことは確認済みだ。その後、どのコテージにも人の出入りがなかったのは、私と日筆が見ている。 私のコテージから私も日筆も一歩も外に出なかったことも、お互いに知っている。と、すれば、戸松田の顔に枕をおしつけ、心臓麻痺を誘った犯人は、いったい誰で、どうやって出入りしたのだろう。
四葉は首をひねっている。
「どうして、俺、砂まみれなんだ?たしかコテージに戻ったとき、砂をきれいに払い落としたはずなのに」
四葉はまだ昨夜の記憶がはっきりとは戻っていないようだ。
「ええと、砂を払い落としたあと、、、ハッ」
四葉は思い出したらしい。
「四葉さん、正直に言ってください」
私は、四葉に促した。四葉は意外なことを口にした。
「日筆さん、大丈夫ですか」
「えっ、どういうこと?私は京子のコテージにずっといたのよ」
「そうか、よかった」
「詳しく教えてよ」
「酔った勢いで、日筆さんのコテージに行ったんだ。そのときはもうそのコテージにはいなかったんだな」
「ちょっと待って。そのとき、雨降ってた?」
「降ってなかったな」
と、いうことは、雨が降り始めた11時45分よりも前だということだ。
「そこで、俺は、うっかり寝てしまったらしい。でも、気がついたら、自分のコテージに戻っていたんだ。どうなってるんだか」
四葉は本当に、何も覚えていないようだ。
「触って確かめてくれないか」
私は四葉の身体に触れてみた。
フラッシュバックで浮かんだ映像は、なぜか、何者かが誰かの顔に枕を押し付けているところだった。
四葉の表情をうかがったが、それ以上の何も読み取れない。
「しかたない。もう1度、戸松田さんの死体に触って調べてみるわ」
私は死体に触れてみた。
そこで見ることのできた映像は、今回の事件の全貌を語っていた。
□解決編
四葉が日筆のコテージに夜這いに行き、酔いのため、寝てしまった。
そこに、戸松田も夜這いにきた。
戸松田は、日筆のベッドで寝ている四葉を見てカッとなった。
日筆と四葉がグルで、かついでいるのではないか、というプライドの問題、同時に嫉妬から、戸松田はキレた。
戸松田は四葉の顔に枕を押し付け、窒息させたのだ。
四葉が動かなくなって、戸松田はうろたえた。
このまま日筆のコテージに死体を置いていくわけにはいかない。
外を見ると、自分のコテージからこのコテージまで、くっきりと足跡がついている。
それだけではない。
四葉の来た足跡が、日筆のコテージまでついている。
日筆のコテージに向けてつけられた2つの足跡を消し、なおかつ、四葉の死体を四葉のコテージに戻しておくにはどうすればよいのか。
戸松田の思い付いた効率的な方法は、こうだった。
四葉の死体をひきずって、ついた足跡を消しながら移動するのだ。
最初に戸松田のコテージから四葉が戻ったときの足跡は、ついていなくてはならない。
まず、戸松田は四葉をひきずりながら、後ずさりで、自分のコテージに戻った。
これで自分が日筆のコテージに向かった足跡を消したのだ。同時に、四葉が自分のコテージに戻ったときの足跡も消している。
そのあと、また四葉をひきずりながら日筆のコテージに戻り、今度は四葉のコテージに向かった。
これで、四葉が日筆のコテージに向かったときの足跡と、同時に四葉が戸松田のコテージから戻った足跡を消した。
戸松田が四葉のコテージにたどりついた時、戸松田と四葉の足跡はすっかり消えた形になっていた。
戸松田は、コテージ共通のサンダルで、後ろ向きに自分のコテージに戻った。
これで、四葉が戸松田のコテージから戻ったときの足跡を再びつけることができた。
後ろ向きに歩いていたので、最後に自分のコテージに戻ったとき、段差で転んで砂まみれになった。
砂を払って、ゆっくりしたいところだったが、その暇もなく、電話がかかってきた。
京子からの電話だ。
やっとの思いで電話に出て、外を見ると、なんと雨が降っているではないか。
あれだけ苦労して四葉の死体を引きずり回して足跡トリックを弄したのに、すべてが水の泡だ。
さらに、今になってよく考えてみると、四葉を直接コテージに戻して、自分の足跡は手で消してもよかったんではないか。
極度の肉体疲労の上に、徒労感が加味された。
戸松田の心臓はこのようなハードな状況に耐え得なかった。
戸松田はぽっくり、死んだ。
朝になって、仮死状態だった四葉は息をふきかえし、あまりの気持ち悪さにゲーゲー吐いていたのである。
オリエント京子はことの真相を伝えた。
やれやれの上にもやれやれである。
「天崎サカヤの事件簿その1」 池上宣久
□問題編
諍屋の所用で診療所が連休になったので、天崎サカヤは、従姉の天田ヒロミの別荘に、共通の友人たちを引き連れて、遊びに出かけた。
雨の中、男四人女一人の一行が別荘に着いたのは、夕方のことだった。荷物を別荘に運び込む時にアクシデントがあった。武蔵博之がつまづいて、前を歩いていた徳之島徹と朝日昇の二人を押し倒してしまったのだ。 難を逃れた村田一美が悲鳴を上げる。倒した本人は怪我一つなかったのに、徳之島は足を捻挫し、朝日は腰を痛めてしまった。徳之島は武蔵の親友だったので問題なかったが、犬猿の仲の朝日はカンカンになって怒った。
こうして母屋の食堂で開かれた宴会は、一部険悪な雰囲気をはらんだまま始まった。しかし酒が入るとやがて和やかなものに変わった。テレビで、ある商店街がギネスに挑戦する番組をやっていたので、それぞれの記録自慢や、ものまね合戦などで盛り上がったのだった。
十二時を過ぎて日付けが変わり、天田ヒロミが立ち上がった。
「あたしもう駄目。おやすみなさい」
五人は母屋の二階に寝室を用意してもらっていたが、彼女は母屋の裏手に建つ離れ屋敷に部屋を持っていた。
母屋は、表玄関を入ると真っ直ぐの廊下があって、突き当たりに裏玄関がある。廊下沿いに幾つかの部屋が並んでいるが、一番奥に、裏玄関に向かって右に食堂、左に居間がある。どちらの窓からも離れの建物が見える。
彼女は食堂を出て行った。天崎サカヤが窓から見ていると、裏玄関を出た彼女が離れの玄関に向かうのが見えた。外灯が煌々と点いていて、よく見える。まだ激しい雨が降っていた。
残った五人は宴会を続行した。
二時間後、村田一美はまだ食堂で飲んでいた。いつの間にか一人になっていた。壁一枚隔てた応接間から、賑やかな談笑の声が聞こえていた。どうやら天崎サカヤがギャグを飛ばしているようで、笑っているのは武蔵博之だ。 この二人に徳之島徹を入れた三人は高校時代に同じ運動クラブに所属していて本当に仲がいい。その好意の何分の一でもいいから自分に注いでくれたらいいのに、と村田一美は思う。
村田は窓の外に目を向けた。雨は降り止んでいた。
しばらくすると、武蔵が食堂に戻って来た。
「あれ、サカヤ君は?」
「ん?」と武蔵はちょっと考えて、「一人になりたいと言って、居間に行ったと思うけど」
天崎サカヤは安楽椅子の上で目が覚めた。酔っ払ってしまって知らず知らずのうちに眠ってしまったようだ。気持ちが悪い。ここはどこだ?どうやら居間のようだ。武蔵の奴どこに行った?腕時計を見ると、二時半になっていた。 ふと窓の向こうに目をやると、向かいの二階の窓に天田ヒロミの姿があった。雨は完全に降り止んでいた。天崎は窓を開けて手を振ると、彼女も気がついて手を振り返した。
それだけ確認して、天崎は窓を閉め、安楽椅子に体重を預けてすぐに眠った。
天崎サカヤが次に目を覚ましたのは、早朝六時のことだった。
頭がクラクラする。まだ酔いが残っていた。完璧な二日酔い。
そうだ。今日は朝早くからみんなで遠出をするのだった。天田ヒロミは起きる自信がないので、起こして欲しいと天崎に頼んでいた。
天崎は立ち上がった。
同じ頃、食堂では武蔵博之と村田一美が目を覚ましたところだった。結局あれから二人でずっと飲み続けたのだ。その間に、徳之島徹と朝日昇が一度ずつトイレのついでに顔を出していた。
二人は窓の外を見た。母屋と離れの間に足跡は一筋も残っていなかった。武蔵は顔を洗うと言って食堂を出て行き、残った村田はうつらうつらしかけたが、徳之島に肩を揺すられ、目を開いた。
「ちょっと相談事があるのだけど」
天崎サカヤは、離れの玄関のドアの前に立って、ドアを開ける前に後ろを振り向いた。ぬかるみの上に、母屋から離れに向かう足跡が一筋だけ。他には何の痕跡もない。説明のつかない不安感がなぜかいや増した。 アルコールで濁っていた意識が徐々に覚醒してくる。天崎はドアを開けて玄関に入った。幾つかの靴があって、その中に天田ヒロミの靴があった。彼女の寝室は二階にある。天崎は靴を脱いで廊下に上がった。 廊下の突き当たりに階段がある。それを上がって、寝室の前に立った。
ドアが半開きになっていて、床に倒れた天田の姿が見えた。首が変な角度で曲がっていて、明らかに死んでいた。天崎は腰を抜かしそうになったが、勇気を振り絞って部屋の中に入った。
事故死だろうか?何かの拍子でひっくり返って、後頭部をベッドの角にぶつけたようにも見える。それとも、殺人だろうか?それなら犯人は誰なのだ?
その頃、母屋の二階の自室の窓辺に立ち、朝日昇は母屋と離れの間に一筋だけ残った足跡の存在に気がついた。
天崎サカヤは、離れを飛び出した。足跡はやはり一筋だけ。天崎はその足跡を踏まないように気をつけながら、新しく二筋目の足跡を残しつつ、母屋に向かった。
村田一美は、徳之島徹の意外な告白に動揺していた。前から自分のことを好いていたと言うのだ。しかし、村田には別に好きな人がいる。どうやって相手を傷つけずに断ればいいかしらん、と悩んでいたら、武蔵博之が片足を引き摺りながら、入って来た。
「その足どうしたの?」
「いやちょっと転んで」
天崎サカヤは裏玄関のドアを開いて、母屋全体に声が届くように目一杯声帯を広げて叫んだ。
「た、大変だー!ヒロミが死んでいるー!」
食堂から、村田、徳之島、武蔵が出て来て、少し遅れて二階から、朝日が下りて来た。
警察の捜査が始まって、色々なことが確認された。
まず、事故説は真っ先に否定された。後頭部に残る打痕が、ベッドの角の形状と合わないのだ。しかし、殺人だとすると不思議な状況が立ちあがってくる。
死亡時刻は四時を挟んだ前後十五分の間で、雨が降り止んだのが二時だった。
天崎サカヤは、二時半に離れの二階に天田ヒロミがいるのを目撃していた。
二時から死体発見の六時までの間に、五人はそれぞれ母屋内で姿を確認されている。
この五人の中に犯人がいるとすると、絶対に母屋と離れを往復する足跡が残っていなければならない。しかし、残っていたのは、天崎の死体発見の時の足跡だけなのである。
幾つかの説が出ては、すぐに否定された。
「天崎が死体発見の際に天田を殺したのではないか?」
「いや、死亡時刻は四時で、天崎の死体発見は六時過ぎのことだった」
「天崎が離れに行ったのは実は四時だったのではないか?」
「いや、六時に足跡がまだついていないのを、武蔵と村田が確認している」
「犯人は降雨中に離れに行っていて、天田を殺害。天崎が死体発見した時に犯人を背負って出たのではないか?」
「いや、降雨後の母屋でのアリバイが四人全員にある」
「ならば、解釈は一つしかないな」
天崎は一人だけ取り調べ室に呼ばれた。
「君が犯人だね。被害者はまだ雨が降っている間に母屋に戻っていた。二時半に離れに被害者がいたという君の証言は嘘だ。君は母屋で被害者を殺害した。そして死体発見の振りをしてその時に母屋から離れに死体を運び込んだのだ」
天崎は愕然とした。
「違う。ヒロミは雨が止んだ後に、間違いなく離れにいたんだ。僕が離れに行くまで足跡は残っていなかった。ヒロミは転んで頭を打って死んだんです。僕は犯人じゃない!」
天崎は隙をついて、諍屋の携帯に電話した。この窮状を説明して、知恵を借りなければならない。
しかし、諍屋の携帯はずっと圏外で、つながらなかった。
遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
□解決編
遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
雉の鳴く声?
天崎サカヤは、もしやと思って周りを見渡した。
天崎はこの時離れ屋敷の居間で尋問を受けていた。
「ワハハハハハ・・・・」
どこからともなく笑い声が!
天崎は座っていた安楽椅子から立ちあがった。椅子が蠢き出したからだ。
バリバリバリッ
椅子の布が破れて、一人の男が安楽椅子の中から出て来た。
「覗くぞ覗くぞ。お前の人生覗くぞ。お前の心の闇を覗くぞ。柱の陰からじっと覗くぞ」
「あっ!貴様は覗き見探偵神主!何故こんなとこに?!」
「そんなことはどうでも宜しい。今から事件を解決しますから関係者を全員この部屋に集めて下さい」
集まった。
神主は話を始めた。
「雨が降り止んだ後、母屋でのアリバイが五人全員に成立しているように見えますが、内容は、武蔵君、徳之島君、朝日君、村田君の四人と、天崎さんとでは大きく違います。 武蔵君と村田君はずっと食堂で一緒で、そこへ徳之島君と朝日君が一度ずつ顔を出しているのですから、三人が同時に顔を合わせた機会が皆あったわけです。それに対して天崎さんの場合は、村田君が壁越しに応接間の声を聞いたに過ぎません」
村田一美は顎の不精髭をごつい指でつまみながら言った。
「でも、武蔵が相手をしてたんですよ。サカヤ君がしきりにギャクを飛ばして」ここで顔を武蔵に向け、「お前、大きな声で笑ってたじゃないか」
「あの声は、天崎さんではないのです」神主がすかさず答えた「宴会では物真似合戦で盛り上がっていたではないですか。その続きを武蔵君と二人で応接間でやりあっていたのです」
「あれはサカヤ君ではなかったの?」
「女性である天崎さんの声色を真似られるとしたら、同じ女性である天田ヒロミさんしかあり得ませんね。彼女たちは従姉同士ですから、元から声質が似ていました。そのあまりのそっくり振りに武蔵君は大笑いしたのです」
「ヒロミは雨が降り止んだ後に母屋にいたということですか?」
神主は大きく頷いた。
「当初は天田さん一人が離れにいて、他の五人が母屋にいたと考えられていました。事実は、天崎さん一人が離れにいて、天田さんを含む五人が母屋にいたのです。天田さんは十二時に離れに行きましたが、雨が降り止む二時までの間に母屋に戻っていました。 一方、泥酔した天崎さんはほとんど意識のない状態で離れに行って上がり込み、居間の安楽椅子に座り込んで眠ってしまいました。二人の足跡は雨が消しました。 武蔵君が食堂に戻って来て、村田君に『あれ、サカヤ君は?』と聞かれてちょっと口ごもったのは、さっきまで一緒にいたのは天田さんで、天崎さんとは大分前に別れていたからです。答え方も曖昧になりました。 天崎さんは、二時半に一度目を覚ましますが、最初自分がどこにいるのかも分かりません。武蔵はどこだと探す始末です。調度品の構成からどうやら居間らしいというのは何とか判断できましたが、そこが離れ屋敷の部屋だとは想像もつきません。 天崎さんは、その酔いに濁った目を窓の外に向け、向かいの二階の窓に天田さんの姿を見つけました。もうお分かりだと思いますが、ここで言う「向かい」とは、母屋のことで、離れではありません。自分は母屋にいると信じて疑わない天崎さんは、天田さんは離れの二階にいると思い込みました。 その前の記憶が、『あたしもう駄目。おやすみなさい』と言って離れに移動する天田さんの姿だったのですから、仕方がありませんね」
「で」それまで黙っていた朝日が口を開いた。「どうなるんですか?」
「ですから、これで足跡のない殺人の謎はすべて解決します。天田さんは母屋にいたのです。殺害現場は、母屋でした。何者かが天田さんの死体を背負って、離れに運び込んだのです。天崎さんが自分が母屋から離れに来た時につけたと主張している足跡は、その時の足跡です。 天崎さんは雨が降り止む前にすでに離れに移っていましたから、彼女の足跡はなくて構わないのです」
「では、犯人は?」朝日が尋ねた。
「したがって、死体を離れに移動したのは、武蔵君しかあり得ません。村田君と徳之島君は食堂で話をしてましたし、朝日君は母屋から離れへ向かう一筋の足跡を二階の自室から見ていますから、三人に足跡に関するアリバイが成立します」
「お前が犯人なのか?」村田がうなだれる武蔵を睨む。さっきから神主以外に発言するのは、村田と朝日だけだった。
「武蔵君は村田君と話して、応接間で武蔵君が相手していたのが天崎さんだと彼が思い込んでいるのを知りました。また、二時半に天崎さんが窓を開けて手を振るのを武蔵君は食堂の窓から見ていて、彼女が離れにいることも知っていました。 天崎さんは、武蔵君の親友です。助けを借りられるのではないか、という計算ができました。武蔵君は死体を背負って離れに行きました。その時、天田さんの靴も一緒に運んだのは当然ですね。 母屋と離れの間に、ここでまず一筋目の足跡がつきました。離れに入った武蔵君は、すぐさま天崎さんの名を呼びました。しかし彼女は出て来ません。居間のドアを開いて中を覗きましたが、誰もいません。 名を呼びながら部屋を確認しながら武蔵君は二階に上がりました。天崎さんはその時実はお手洗いの中で嘔吐していて、武蔵君の声を聞き損ねていたのです。またドアも頑丈で音を外に漏らしませんでした。 天崎さんが六時に目を覚ました時には自分のいるところが母屋だとまだ思っていました。離れの天田を起こしてやらなければ、などとも考えています。その後で二日酔いの影響で急激に気分が悪くなってお手洗いに急行しました。 吐いている内に思い出されてきたのが、母屋のお手洗いとの形状の違いです。そこから翻ってさっき目覚めた部屋の内装の細部にも記憶が行き届き始めました。そうしてやっと天崎さんは気がついたのでした。自分が今いるところが離れだと。 そうすると天田さんはこの二階に寝ているのか?いやいや。天崎さんは首を横に振りました。昨夜二時半の天田さん目撃の記憶があります。彼女は向かいの建物、つまり母屋の二階にいたのです。天崎さんは天田さんを起こすために、玄関を出ました。ドアを後ろ手に閉めます。 そして、一筋の足跡に気がついたのです。母屋から離れに来た足跡。ん?ということは、誰かが雨が降り止んでから離れにやって来たのだ。離れに自分以外にいる。変な寝姿を見られただろうか、嘔吐の声を聞かれただろうか、とちょっと不安になる。しかしその誰かは天田さんである可能性が一番高い。 そう考えて天崎さんは足跡を一度だけ振り返って、そしてドアを開けて玄関に入ったのでした。案の定、天田さんの靴がありました。武蔵君が置いた靴ですね。やっぱり天田さんは母屋から戻って来たんだ。そう考えて天崎さんは二階の天田さんの寝室に行きました。 ドアが半開きで彼女の死体がまず目に入ってしまい、それに目を奪われた天崎さんは気がつかなかったのでした。寝室の中に武蔵君がいたことに」
神主は、ここで言葉を切った。天崎はうなった。すべて図星だった。本当に見ていたかのような推理だった。
「武蔵君は、天崎さんに事情を説明して助けを求めました。他の皆が天崎さんは母屋に、天田さんは離れに、ずっといたと思い込んでいること。それを自分も保証すること。 つまり、天田さんが死んだのが離れだと思われれば、母屋の全員にアリバイが成立して、天田さんの事故死説を強く主張できることなどを話し、天崎さんは了承したのです。後は、武蔵君が天崎さんを背負って母屋に戻るだけです。 ところが階段を下りる時慌てた武蔵君が足を踏み外し、足首を捻ってしまいました。仕方なく、天崎さんが武蔵君を背負って母屋に戻ることになりました。彼女は元運動部ですから体力には自信がありました。 天崎さんは武蔵君を背負い、二筋目の足跡を残しながら母屋に行きました。母屋についてもすぐには中に入りません。まず、武蔵君だけがドアをそっと開けて中に入りました。 彼が食堂に入った頃を見計らって、天崎さんは裏玄関に入って、大きな声で叫んだのでした」
「なるほど。それで全ての謎が解けましたね」
神主は、朝日を見つめながら言った。
「とんでもない。私は犯人の名前をまだ指摘していません」
「え?犯人は武蔵なんじゃ」
「武蔵君が犯人であるはずがありません。天田さんの死亡時刻四時を挟んで彼はずっと村田君と食堂で飲み続けていました。彼にはアリバイが成立しています」
「そうだ。俺も武蔵が犯人みたいな気になりかかってきたけど、よく考えりゃ俺ずっとこいつと一緒だった」村田が武蔵を指差しながら言った。
「その通りです」神主が言う。「武蔵君は死体を離れに運んだだけなのです。天田さんを殺した人は他にいます」
「でも、他と言っても…」と、朝日がくちごもる。
「武蔵君にアリバイが成立するということは、村田君にもアリバイが成立するということです。天崎さんはずっと離れにいたのですから、あと可能性があるのは、朝日君と徳之島君の二人だけです。どちらかが犯人なのです。 どちらかが、武蔵君に相談して彼の協力を求めたのです。朝日君は腰を痛め、徳之島君は足を捻挫してしまっていたため、自分では死体を離れに運ぶことができないからです。彼の力を頼るしかなかったのです。こう考えれば、二人の内どちらが犯人かわかりますね」 徳之島が初めて口を開いた。 「はい。僕が犯人です。昨夜、応接間で武蔵君と別れた後、彼女は僕の部屋に遊びに来ました。彼女は僕のことが好きだと言うのですが、僕にはその気がなく断ったら逆上してつかみかかってきました。思わず押し返したら転んでベッドの角に頭の後ろをぶつけて死んでしまいました。 僕はパニックになってしまって、二時間ぐらい呆然としていました」
徳之島は頭を抱えこんで、話せなくなった。
「六時を過ぎて、武蔵君が部屋に入って来た時もそのままでした」神主は言葉を引き継いだ。「二人は相談をして、死体移動トリックを考え出したのでした。これが犯人が武蔵君と犬猿の仲の朝日君だったら、武蔵君も協力はしなかったでしょう。二人は連れ立って一階に降りました。 武蔵君が死体を背負っています。徳之島君は食堂に入り、村田君に愛の告白をしました。これは、武蔵君が離れに行く時もっとも怖いのが、食堂にいる村田君の目だからです。 彼の注意を絶対に窓の外に向けさせないためならどんな話でも良かったのですが、アドリブ力の効かない徳之島君はついさっきの天田さんの告白を活用してしまったのでした」
そうだったのか。村田はやっと合点がいった。彼が好きなのは天崎サカヤだった。女の子なのに、自分のことを「僕」て言うのも、さっぱりした体育会系の性格に似合って、かえって好ましかった。そこへいきなり男の徳之島からの告白だったので大いに戸惑ったのである。
「これで本当に説明することはありません。あなた方三人の誤算は、天田さんの事故説があっさり覆されてしまったことと、警察が天崎さんを第一の容疑者として疑ってしまったことです」
そうだ。それで天崎は大いに慌てたのだった。このまま友情を守って嘘を通し続けるのか、それとも事実を正直に言うべきか。思い悩んだ天崎は助言を得るために、諍屋の携帯に電話したのだった。しかし電話は通じなかった。
天崎は頭を下げた。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が、また鳴いた。
神主は小さく頷いた。
「雨」 abiko masahiro
□問題編
馬具小屋は、役者たちが控えの時間の多くを過ごす大部屋の奥のドアを抜けた先に あった。あまり手の入れられていない空き地になっていて小屋はそこにポツリと建っ ている。
「小屋へ行くにはあの大部屋を通らなければならないのか」
とわたしが訊ねると、カウボーイハットに皮のブーツを履いた小男はそうだ、と答 えた。男は「アメリカンロデオショー」の舞台のすべてを担当する演出家だ。
「死体が見つかったのはあの小屋だ」
とわたしは箱崎にいった。箱崎は、わたしの指した先に見える馬具小屋を見て頷い た。演出家の小男とわたし、それから箱崎、その後ろに馬具を含めた小道具の管理一 切を任されているボブと呼ばれている男が続く。敷地を抜けて小屋へむかう。テープ はまだ貼られていない。
そこはとても狭い、そして獣臭と何かニスのような刺激のある匂いが漂う部屋だっ た。
「これが全部ではないだろう」
箱崎がいう。小男が、何が、という顔で箱崎を見る。
「ここにある馬具がショーで使う全部ではないんだろう」
とわたしは口を挟む。そうだ、と小男よりも先にボブが答える。小男の演出家は少 し不満そうな顔を見せた。ボブがでしゃばるのが面白くないらしい。
「小道具はとても多い、この部屋ひとつだけでは収まり切らない。どちらかといえば ここにあるのは最近のショーではあまり使わなくなったものたちだ」
部屋はドアのある壁以外の3方に作り付けの棚が設けられ、そこに鞍や鐙といった 馬に装着するさまざな道具が並べられていた。手入れが行き届いているのかどうか、 見慣れないわたしには判らない。棚に歩みより、どうやら馬を操る際に用いるらしい 鞭を手にとり眺めている箱崎もそれは同様だろう。
死体は部屋の真ん中に倒れていた。
ショーに出ている男だ。主役ではない、大勢が馬に乗って走り回る、主役の保安官 を追う悪党のひとり、といった役なのだと、ここに来るまでに演出家から聞かされて いた。背中を刺されているのだろう。血の海に横たわる死体を想像していたが、床に 広がった赤いものはそれほど多くはなかった。ただ着ているデニムのシャツは不自然 に乱れ、背中の真ん中からどす黒く染まっている。男は俯せて倒れていた。
箱崎がその側に屈みこみしばらく検分していた。演出家が何度かわたしの方にちら りと、大丈夫なのか、という目をむけた。わたしはそれを無視した。
男は一枚の紙片を握っていた。それも血で汚れている。
「これか」
と箱崎が訊ねると、演出家は、そうだ、と答えた。
「これがお前を刺したヤツの名前か、とわたしが問うと、そうだと頷いて事切れた」 指先に挟まれている紙をしばらくのぞき込んでいた箱崎が立ち上がると、わたしは 興味に駆られて近づいていき、訊ねた。
「何て書いてあった? 名前か」
「いや、……」
しばらく箱崎は考えていた。わたしが続きを待っていると知ってか、ぽつりといっ た。
「雨、と書いてあった」
あめ?
「最近、降ってない」とわたし。「そうだな」と箱崎。
□解決編
わたしは男の手に握られた紙片をのそき込んだ。血で汚れている紙片には確かに「rain」と 書いてある。演出家とボブが顔を見合わせる。箱崎が殺されている男の指に手をかけた。 わたしは、おい、と箱崎を止めようとしてやめた。指が開かれ、紙片が箱崎の手に移っ た。紙のちょうど真ん中あたりに文字はあった。その文字を挟むようにして血の染みがつ いている。血の染みのなかに文字が見えている、といった感じだ。箱崎はしばらくその紙 片を眺めていたが、やがて、わたしにいった。
「調教師(trainer)を呼んできてくれないか」
「天崎サカヤの事件簿その1」池上宣久
「雨」abiko masahiro
「てんぷらとして死す」 ジュニア
□問題編
私の名前はオリエント京子。
男2人、女2人、計4人で旅行している。
今日泊まるのは、砂地に建つ4つのコテージで、1人各1つずつコテージを利用することになった。
料理の得意な戸松田新三(とまつだ・しんぞう)のコテージで食事をとり、その後、飲み会になだれこんだ。
もう1人の男性、四葉頼太(よつば・らいた)はすっかり酔っぱらっている。
午後10時30分
飲み会もお開き。全員、自分のコテージに戻ることにした。
戸松田のコテージの戸口の段差で、四葉がひっくりかえり、砂まみれになった。
助け起こそうとした戸松田も転んで砂まみれだ。
四葉は体についた砂を払い落としもせずに、自分のコテージに戻った。砂地にはコテージ備え付けのサンダルの足跡がくっきりと残っていた。
コテージの並びは、戸松田、日筆美子(ひふで・みこ)、四葉の3つのコテージが10メートルおきに東西に一直線に並び、その直線を底辺とする三角形の頂点が私のコテージになっていた。
私のコテージから3つのコテージが同時に見渡せるのだ。
午後11時
日筆が私のコテージにやってきた。何気なく砂地を見ると、日筆はまっすぐ私のコテージに来ており、他のコテージに人の出入りはないようだ。
「男2人、なんだかこわくて」
と、日筆は言った。たしかに男性2人は美人でフリーの日筆を狙っているようだ。
午後11時45分
雨が降り出した。
私は窓の外に干していた洗濯物をとりこみ、ふと思い出して、戸松田のコテージに電話をした。明朝の集合時刻を確認したかったのだ。
「朝の11時に、ここに集合ということで」
と、戸松田。
電話を切った後、日筆と私は窓から外を見ながら、語り明かした。日筆が心配していた夜這いも決行されなかったようだ。朝になるまで3つのコテージを見張っていたも同然だったので、コテージに人の出入りが一切なかったのは断言できる。
午前6時。雨があがった。
午前10時30分
結局、一睡もせずに、私と日筆はコテージを出て、まず四葉のコテージに向かった。砂地は雨でぬかるみ、昨日の足跡はすっかり消えている。
四葉はすでに起床しており、洗面所でゲ-ゲ-吐いていた。体は乾いた砂まみれのままだ。
「うえー、気持ち悪い。ついさっき、うなされて目がさめたよ」
と、四葉。
3人で戸松田のコテージに行き、そこで私たちは戸松田の死体を発見した。外傷はない。死体は乾いた砂にまみれていた。
戸松田は心臓に持病があり、何らかの負担がかかって発作を起こし、心臓マヒを起こしたと考えるのが自然だった。しかし、どうやら、単なる病死では無さそうなのだ。
私は戸松田の死体に手を触れた。私の超能力が1つの光景を見せてくれた。何者かが誰かの顔に枕を押し付けて、窒息させようとしている、まさにその瞬間の映像だった。 この光景が、昨夜から今朝にかけて戸松田に起こった出来事であることは疑いを入れない。人物まで特定できなかったのが何とも残念だ。
しかし、昨夜雨が降りだした後、電話で戸松田が生きていたことは確認済みだ。その後、どのコテージにも人の出入りがなかったのは、私と日筆が見ている。 私のコテージから私も日筆も一歩も外に出なかったことも、お互いに知っている。と、すれば、戸松田の顔に枕をおしつけ、心臓麻痺を誘った犯人は、いったい誰で、どうやって出入りしたのだろう。
四葉は首をひねっている。
「どうして、俺、砂まみれなんだ?たしかコテージに戻ったとき、砂をきれいに払い落としたはずなのに」
四葉はまだ昨夜の記憶がはっきりとは戻っていないようだ。
「ええと、砂を払い落としたあと、、、ハッ」
四葉は思い出したらしい。
「四葉さん、正直に言ってください」
私は、四葉に促した。四葉は意外なことを口にした。
「日筆さん、大丈夫ですか」
「えっ、どういうこと?私は京子のコテージにずっといたのよ」
「そうか、よかった」
「詳しく教えてよ」
「酔った勢いで、日筆さんのコテージに行ったんだ。そのときはもうそのコテージにはいなかったんだな」
「ちょっと待って。そのとき、雨降ってた?」
「降ってなかったな」
と、いうことは、雨が降り始めた11時45分よりも前だということだ。
「そこで、俺は、うっかり寝てしまったらしい。でも、気がついたら、自分のコテージに戻っていたんだ。どうなってるんだか」
四葉は本当に、何も覚えていないようだ。
「触って確かめてくれないか」
私は四葉の身体に触れてみた。
フラッシュバックで浮かんだ映像は、なぜか、何者かが誰かの顔に枕を押し付けているところだった。
四葉の表情をうかがったが、それ以上の何も読み取れない。
「しかたない。もう1度、戸松田さんの死体に触って調べてみるわ」
私は死体に触れてみた。
そこで見ることのできた映像は、今回の事件の全貌を語っていた。
□解決編
四葉が日筆のコテージに夜這いに行き、酔いのため、寝てしまった。
そこに、戸松田も夜這いにきた。
戸松田は、日筆のベッドで寝ている四葉を見てカッとなった。
日筆と四葉がグルで、かついでいるのではないか、というプライドの問題、同時に嫉妬から、戸松田はキレた。
戸松田は四葉の顔に枕を押し付け、窒息させたのだ。
四葉が動かなくなって、戸松田はうろたえた。
このまま日筆のコテージに死体を置いていくわけにはいかない。
外を見ると、自分のコテージからこのコテージまで、くっきりと足跡がついている。
それだけではない。
四葉の来た足跡が、日筆のコテージまでついている。
日筆のコテージに向けてつけられた2つの足跡を消し、なおかつ、四葉の死体を四葉のコテージに戻しておくにはどうすればよいのか。
戸松田の思い付いた効率的な方法は、こうだった。
四葉の死体をひきずって、ついた足跡を消しながら移動するのだ。
最初に戸松田のコテージから四葉が戻ったときの足跡は、ついていなくてはならない。
まず、戸松田は四葉をひきずりながら、後ずさりで、自分のコテージに戻った。
これで自分が日筆のコテージに向かった足跡を消したのだ。同時に、四葉が自分のコテージに戻ったときの足跡も消している。
そのあと、また四葉をひきずりながら日筆のコテージに戻り、今度は四葉のコテージに向かった。
これで、四葉が日筆のコテージに向かったときの足跡と、同時に四葉が戸松田のコテージから戻った足跡を消した。
戸松田が四葉のコテージにたどりついた時、戸松田と四葉の足跡はすっかり消えた形になっていた。
戸松田は、コテージ共通のサンダルで、後ろ向きに自分のコテージに戻った。
これで、四葉が戸松田のコテージから戻ったときの足跡を再びつけることができた。
後ろ向きに歩いていたので、最後に自分のコテージに戻ったとき、段差で転んで砂まみれになった。
砂を払って、ゆっくりしたいところだったが、その暇もなく、電話がかかってきた。
京子からの電話だ。
やっとの思いで電話に出て、外を見ると、なんと雨が降っているではないか。
あれだけ苦労して四葉の死体を引きずり回して足跡トリックを弄したのに、すべてが水の泡だ。
さらに、今になってよく考えてみると、四葉を直接コテージに戻して、自分の足跡は手で消してもよかったんではないか。
極度の肉体疲労の上に、徒労感が加味された。
戸松田の心臓はこのようなハードな状況に耐え得なかった。
戸松田はぽっくり、死んだ。
朝になって、仮死状態だった四葉は息をふきかえし、あまりの気持ち悪さにゲーゲー吐いていたのである。
オリエント京子はことの真相を伝えた。
やれやれの上にもやれやれである。
「天崎サカヤの事件簿その1」 池上宣久
□問題編
諍屋の所用で診療所が連休になったので、天崎サカヤは、従姉の天田ヒロミの別荘に、共通の友人たちを引き連れて、遊びに出かけた。
雨の中、男四人女一人の一行が別荘に着いたのは、夕方のことだった。荷物を別荘に運び込む時にアクシデントがあった。武蔵博之がつまづいて、前を歩いていた徳之島徹と朝日昇の二人を押し倒してしまったのだ。 難を逃れた村田一美が悲鳴を上げる。倒した本人は怪我一つなかったのに、徳之島は足を捻挫し、朝日は腰を痛めてしまった。徳之島は武蔵の親友だったので問題なかったが、犬猿の仲の朝日はカンカンになって怒った。
こうして母屋の食堂で開かれた宴会は、一部険悪な雰囲気をはらんだまま始まった。しかし酒が入るとやがて和やかなものに変わった。テレビで、ある商店街がギネスに挑戦する番組をやっていたので、それぞれの記録自慢や、ものまね合戦などで盛り上がったのだった。
十二時を過ぎて日付けが変わり、天田ヒロミが立ち上がった。
「あたしもう駄目。おやすみなさい」
五人は母屋の二階に寝室を用意してもらっていたが、彼女は母屋の裏手に建つ離れ屋敷に部屋を持っていた。
母屋は、表玄関を入ると真っ直ぐの廊下があって、突き当たりに裏玄関がある。廊下沿いに幾つかの部屋が並んでいるが、一番奥に、裏玄関に向かって右に食堂、左に居間がある。どちらの窓からも離れの建物が見える。
彼女は食堂を出て行った。天崎サカヤが窓から見ていると、裏玄関を出た彼女が離れの玄関に向かうのが見えた。外灯が煌々と点いていて、よく見える。まだ激しい雨が降っていた。
残った五人は宴会を続行した。
二時間後、村田一美はまだ食堂で飲んでいた。いつの間にか一人になっていた。壁一枚隔てた応接間から、賑やかな談笑の声が聞こえていた。どうやら天崎サカヤがギャグを飛ばしているようで、笑っているのは武蔵博之だ。 この二人に徳之島徹を入れた三人は高校時代に同じ運動クラブに所属していて本当に仲がいい。その好意の何分の一でもいいから自分に注いでくれたらいいのに、と村田一美は思う。
村田は窓の外に目を向けた。雨は降り止んでいた。
しばらくすると、武蔵が食堂に戻って来た。
「あれ、サカヤ君は?」
「ん?」と武蔵はちょっと考えて、「一人になりたいと言って、居間に行ったと思うけど」
天崎サカヤは安楽椅子の上で目が覚めた。酔っ払ってしまって知らず知らずのうちに眠ってしまったようだ。気持ちが悪い。ここはどこだ?どうやら居間のようだ。武蔵の奴どこに行った?腕時計を見ると、二時半になっていた。 ふと窓の向こうに目をやると、向かいの二階の窓に天田ヒロミの姿があった。雨は完全に降り止んでいた。天崎は窓を開けて手を振ると、彼女も気がついて手を振り返した。
それだけ確認して、天崎は窓を閉め、安楽椅子に体重を預けてすぐに眠った。
天崎サカヤが次に目を覚ましたのは、早朝六時のことだった。
頭がクラクラする。まだ酔いが残っていた。完璧な二日酔い。
そうだ。今日は朝早くからみんなで遠出をするのだった。天田ヒロミは起きる自信がないので、起こして欲しいと天崎に頼んでいた。
天崎は立ち上がった。
同じ頃、食堂では武蔵博之と村田一美が目を覚ましたところだった。結局あれから二人でずっと飲み続けたのだ。その間に、徳之島徹と朝日昇が一度ずつトイレのついでに顔を出していた。
二人は窓の外を見た。母屋と離れの間に足跡は一筋も残っていなかった。武蔵は顔を洗うと言って食堂を出て行き、残った村田はうつらうつらしかけたが、徳之島に肩を揺すられ、目を開いた。
「ちょっと相談事があるのだけど」
天崎サカヤは、離れの玄関のドアの前に立って、ドアを開ける前に後ろを振り向いた。ぬかるみの上に、母屋から離れに向かう足跡が一筋だけ。他には何の痕跡もない。説明のつかない不安感がなぜかいや増した。 アルコールで濁っていた意識が徐々に覚醒してくる。天崎はドアを開けて玄関に入った。幾つかの靴があって、その中に天田ヒロミの靴があった。彼女の寝室は二階にある。天崎は靴を脱いで廊下に上がった。 廊下の突き当たりに階段がある。それを上がって、寝室の前に立った。
ドアが半開きになっていて、床に倒れた天田の姿が見えた。首が変な角度で曲がっていて、明らかに死んでいた。天崎は腰を抜かしそうになったが、勇気を振り絞って部屋の中に入った。
事故死だろうか?何かの拍子でひっくり返って、後頭部をベッドの角にぶつけたようにも見える。それとも、殺人だろうか?それなら犯人は誰なのだ?
その頃、母屋の二階の自室の窓辺に立ち、朝日昇は母屋と離れの間に一筋だけ残った足跡の存在に気がついた。
天崎サカヤは、離れを飛び出した。足跡はやはり一筋だけ。天崎はその足跡を踏まないように気をつけながら、新しく二筋目の足跡を残しつつ、母屋に向かった。
村田一美は、徳之島徹の意外な告白に動揺していた。前から自分のことを好いていたと言うのだ。しかし、村田には別に好きな人がいる。どうやって相手を傷つけずに断ればいいかしらん、と悩んでいたら、武蔵博之が片足を引き摺りながら、入って来た。
「その足どうしたの?」
「いやちょっと転んで」
天崎サカヤは裏玄関のドアを開いて、母屋全体に声が届くように目一杯声帯を広げて叫んだ。
「た、大変だー!ヒロミが死んでいるー!」
食堂から、村田、徳之島、武蔵が出て来て、少し遅れて二階から、朝日が下りて来た。
警察の捜査が始まって、色々なことが確認された。
まず、事故説は真っ先に否定された。後頭部に残る打痕が、ベッドの角の形状と合わないのだ。しかし、殺人だとすると不思議な状況が立ちあがってくる。
死亡時刻は四時を挟んだ前後十五分の間で、雨が降り止んだのが二時だった。
天崎サカヤは、二時半に離れの二階に天田ヒロミがいるのを目撃していた。
二時から死体発見の六時までの間に、五人はそれぞれ母屋内で姿を確認されている。
この五人の中に犯人がいるとすると、絶対に母屋と離れを往復する足跡が残っていなければならない。しかし、残っていたのは、天崎の死体発見の時の足跡だけなのである。
幾つかの説が出ては、すぐに否定された。
「天崎が死体発見の際に天田を殺したのではないか?」
「いや、死亡時刻は四時で、天崎の死体発見は六時過ぎのことだった」
「天崎が離れに行ったのは実は四時だったのではないか?」
「いや、六時に足跡がまだついていないのを、武蔵と村田が確認している」
「犯人は降雨中に離れに行っていて、天田を殺害。天崎が死体発見した時に犯人を背負って出たのではないか?」
「いや、降雨後の母屋でのアリバイが四人全員にある」
「ならば、解釈は一つしかないな」
天崎は一人だけ取り調べ室に呼ばれた。
「君が犯人だね。被害者はまだ雨が降っている間に母屋に戻っていた。二時半に離れに被害者がいたという君の証言は嘘だ。君は母屋で被害者を殺害した。そして死体発見の振りをしてその時に母屋から離れに死体を運び込んだのだ」
天崎は愕然とした。
「違う。ヒロミは雨が止んだ後に、間違いなく離れにいたんだ。僕が離れに行くまで足跡は残っていなかった。ヒロミは転んで頭を打って死んだんです。僕は犯人じゃない!」
天崎は隙をついて、諍屋の携帯に電話した。この窮状を説明して、知恵を借りなければならない。
しかし、諍屋の携帯はずっと圏外で、つながらなかった。
遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
□解決編
遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
雉の鳴く声?
天崎サカヤは、もしやと思って周りを見渡した。
天崎はこの時離れ屋敷の居間で尋問を受けていた。
「ワハハハハハ・・・・」
どこからともなく笑い声が!
天崎は座っていた安楽椅子から立ちあがった。椅子が蠢き出したからだ。
バリバリバリッ
椅子の布が破れて、一人の男が安楽椅子の中から出て来た。
「覗くぞ覗くぞ。お前の人生覗くぞ。お前の心の闇を覗くぞ。柱の陰からじっと覗くぞ」
「あっ!貴様は覗き見探偵神主!何故こんなとこに?!」
「そんなことはどうでも宜しい。今から事件を解決しますから関係者を全員この部屋に集めて下さい」
集まった。
神主は話を始めた。
「雨が降り止んだ後、母屋でのアリバイが五人全員に成立しているように見えますが、内容は、武蔵君、徳之島君、朝日君、村田君の四人と、天崎さんとでは大きく違います。 武蔵君と村田君はずっと食堂で一緒で、そこへ徳之島君と朝日君が一度ずつ顔を出しているのですから、三人が同時に顔を合わせた機会が皆あったわけです。それに対して天崎さんの場合は、村田君が壁越しに応接間の声を聞いたに過ぎません」
村田一美は顎の不精髭をごつい指でつまみながら言った。
「でも、武蔵が相手をしてたんですよ。サカヤ君がしきりにギャクを飛ばして」ここで顔を武蔵に向け、「お前、大きな声で笑ってたじゃないか」
「あの声は、天崎さんではないのです」神主がすかさず答えた「宴会では物真似合戦で盛り上がっていたではないですか。その続きを武蔵君と二人で応接間でやりあっていたのです」
「あれはサカヤ君ではなかったの?」
「女性である天崎さんの声色を真似られるとしたら、同じ女性である天田ヒロミさんしかあり得ませんね。彼女たちは従姉同士ですから、元から声質が似ていました。そのあまりのそっくり振りに武蔵君は大笑いしたのです」
「ヒロミは雨が降り止んだ後に母屋にいたということですか?」
神主は大きく頷いた。
「当初は天田さん一人が離れにいて、他の五人が母屋にいたと考えられていました。事実は、天崎さん一人が離れにいて、天田さんを含む五人が母屋にいたのです。天田さんは十二時に離れに行きましたが、雨が降り止む二時までの間に母屋に戻っていました。 一方、泥酔した天崎さんはほとんど意識のない状態で離れに行って上がり込み、居間の安楽椅子に座り込んで眠ってしまいました。二人の足跡は雨が消しました。 武蔵君が食堂に戻って来て、村田君に『あれ、サカヤ君は?』と聞かれてちょっと口ごもったのは、さっきまで一緒にいたのは天田さんで、天崎さんとは大分前に別れていたからです。答え方も曖昧になりました。 天崎さんは、二時半に一度目を覚ましますが、最初自分がどこにいるのかも分かりません。武蔵はどこだと探す始末です。調度品の構成からどうやら居間らしいというのは何とか判断できましたが、そこが離れ屋敷の部屋だとは想像もつきません。 天崎さんは、その酔いに濁った目を窓の外に向け、向かいの二階の窓に天田さんの姿を見つけました。もうお分かりだと思いますが、ここで言う「向かい」とは、母屋のことで、離れではありません。自分は母屋にいると信じて疑わない天崎さんは、天田さんは離れの二階にいると思い込みました。 その前の記憶が、『あたしもう駄目。おやすみなさい』と言って離れに移動する天田さんの姿だったのですから、仕方がありませんね」
「で」それまで黙っていた朝日が口を開いた。「どうなるんですか?」
「ですから、これで足跡のない殺人の謎はすべて解決します。天田さんは母屋にいたのです。殺害現場は、母屋でした。何者かが天田さんの死体を背負って、離れに運び込んだのです。天崎さんが自分が母屋から離れに来た時につけたと主張している足跡は、その時の足跡です。 天崎さんは雨が降り止む前にすでに離れに移っていましたから、彼女の足跡はなくて構わないのです」
「では、犯人は?」朝日が尋ねた。
「したがって、死体を離れに移動したのは、武蔵君しかあり得ません。村田君と徳之島君は食堂で話をしてましたし、朝日君は母屋から離れへ向かう一筋の足跡を二階の自室から見ていますから、三人に足跡に関するアリバイが成立します」
「お前が犯人なのか?」村田がうなだれる武蔵を睨む。さっきから神主以外に発言するのは、村田と朝日だけだった。
「武蔵君は村田君と話して、応接間で武蔵君が相手していたのが天崎さんだと彼が思い込んでいるのを知りました。また、二時半に天崎さんが窓を開けて手を振るのを武蔵君は食堂の窓から見ていて、彼女が離れにいることも知っていました。 天崎さんは、武蔵君の親友です。助けを借りられるのではないか、という計算ができました。武蔵君は死体を背負って離れに行きました。その時、天田さんの靴も一緒に運んだのは当然ですね。 母屋と離れの間に、ここでまず一筋目の足跡がつきました。離れに入った武蔵君は、すぐさま天崎さんの名を呼びました。しかし彼女は出て来ません。居間のドアを開いて中を覗きましたが、誰もいません。 名を呼びながら部屋を確認しながら武蔵君は二階に上がりました。天崎さんはその時実はお手洗いの中で嘔吐していて、武蔵君の声を聞き損ねていたのです。またドアも頑丈で音を外に漏らしませんでした。 天崎さんが六時に目を覚ました時には自分のいるところが母屋だとまだ思っていました。離れの天田を起こしてやらなければ、などとも考えています。その後で二日酔いの影響で急激に気分が悪くなってお手洗いに急行しました。 吐いている内に思い出されてきたのが、母屋のお手洗いとの形状の違いです。そこから翻ってさっき目覚めた部屋の内装の細部にも記憶が行き届き始めました。そうしてやっと天崎さんは気がついたのでした。自分が今いるところが離れだと。 そうすると天田さんはこの二階に寝ているのか?いやいや。天崎さんは首を横に振りました。昨夜二時半の天田さん目撃の記憶があります。彼女は向かいの建物、つまり母屋の二階にいたのです。天崎さんは天田さんを起こすために、玄関を出ました。ドアを後ろ手に閉めます。 そして、一筋の足跡に気がついたのです。母屋から離れに来た足跡。ん?ということは、誰かが雨が降り止んでから離れにやって来たのだ。離れに自分以外にいる。変な寝姿を見られただろうか、嘔吐の声を聞かれただろうか、とちょっと不安になる。しかしその誰かは天田さんである可能性が一番高い。 そう考えて天崎さんは足跡を一度だけ振り返って、そしてドアを開けて玄関に入ったのでした。案の定、天田さんの靴がありました。武蔵君が置いた靴ですね。やっぱり天田さんは母屋から戻って来たんだ。そう考えて天崎さんは二階の天田さんの寝室に行きました。 ドアが半開きで彼女の死体がまず目に入ってしまい、それに目を奪われた天崎さんは気がつかなかったのでした。寝室の中に武蔵君がいたことに」
神主は、ここで言葉を切った。天崎はうなった。すべて図星だった。本当に見ていたかのような推理だった。
「武蔵君は、天崎さんに事情を説明して助けを求めました。他の皆が天崎さんは母屋に、天田さんは離れに、ずっといたと思い込んでいること。それを自分も保証すること。 つまり、天田さんが死んだのが離れだと思われれば、母屋の全員にアリバイが成立して、天田さんの事故死説を強く主張できることなどを話し、天崎さんは了承したのです。後は、武蔵君が天崎さんを背負って母屋に戻るだけです。 ところが階段を下りる時慌てた武蔵君が足を踏み外し、足首を捻ってしまいました。仕方なく、天崎さんが武蔵君を背負って母屋に戻ることになりました。彼女は元運動部ですから体力には自信がありました。 天崎さんは武蔵君を背負い、二筋目の足跡を残しながら母屋に行きました。母屋についてもすぐには中に入りません。まず、武蔵君だけがドアをそっと開けて中に入りました。 彼が食堂に入った頃を見計らって、天崎さんは裏玄関に入って、大きな声で叫んだのでした」
「なるほど。それで全ての謎が解けましたね」
神主は、朝日を見つめながら言った。
「とんでもない。私は犯人の名前をまだ指摘していません」
「え?犯人は武蔵なんじゃ」
「武蔵君が犯人であるはずがありません。天田さんの死亡時刻四時を挟んで彼はずっと村田君と食堂で飲み続けていました。彼にはアリバイが成立しています」
「そうだ。俺も武蔵が犯人みたいな気になりかかってきたけど、よく考えりゃ俺ずっとこいつと一緒だった」村田が武蔵を指差しながら言った。
「その通りです」神主が言う。「武蔵君は死体を離れに運んだだけなのです。天田さんを殺した人は他にいます」
「でも、他と言っても…」と、朝日がくちごもる。
「武蔵君にアリバイが成立するということは、村田君にもアリバイが成立するということです。天崎さんはずっと離れにいたのですから、あと可能性があるのは、朝日君と徳之島君の二人だけです。どちらかが犯人なのです。 どちらかが、武蔵君に相談して彼の協力を求めたのです。朝日君は腰を痛め、徳之島君は足を捻挫してしまっていたため、自分では死体を離れに運ぶことができないからです。彼の力を頼るしかなかったのです。こう考えれば、二人の内どちらが犯人かわかりますね」 徳之島が初めて口を開いた。 「はい。僕が犯人です。昨夜、応接間で武蔵君と別れた後、彼女は僕の部屋に遊びに来ました。彼女は僕のことが好きだと言うのですが、僕にはその気がなく断ったら逆上してつかみかかってきました。思わず押し返したら転んでベッドの角に頭の後ろをぶつけて死んでしまいました。 僕はパニックになってしまって、二時間ぐらい呆然としていました」
徳之島は頭を抱えこんで、話せなくなった。
「六時を過ぎて、武蔵君が部屋に入って来た時もそのままでした」神主は言葉を引き継いだ。「二人は相談をして、死体移動トリックを考え出したのでした。これが犯人が武蔵君と犬猿の仲の朝日君だったら、武蔵君も協力はしなかったでしょう。二人は連れ立って一階に降りました。 武蔵君が死体を背負っています。徳之島君は食堂に入り、村田君に愛の告白をしました。これは、武蔵君が離れに行く時もっとも怖いのが、食堂にいる村田君の目だからです。 彼の注意を絶対に窓の外に向けさせないためならどんな話でも良かったのですが、アドリブ力の効かない徳之島君はついさっきの天田さんの告白を活用してしまったのでした」
そうだったのか。村田はやっと合点がいった。彼が好きなのは天崎サカヤだった。女の子なのに、自分のことを「僕」て言うのも、さっぱりした体育会系の性格に似合って、かえって好ましかった。そこへいきなり男の徳之島からの告白だったので大いに戸惑ったのである。
「これで本当に説明することはありません。あなた方三人の誤算は、天田さんの事故説があっさり覆されてしまったことと、警察が天崎さんを第一の容疑者として疑ってしまったことです」
そうだ。それで天崎は大いに慌てたのだった。このまま友情を守って嘘を通し続けるのか、それとも事実を正直に言うべきか。思い悩んだ天崎は助言を得るために、諍屋の携帯に電話したのだった。しかし電話は通じなかった。
天崎は頭を下げた。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が、また鳴いた。
神主は小さく頷いた。
「雨」 abiko masahiro
□問題編
馬具小屋は、役者たちが控えの時間の多くを過ごす大部屋の奥のドアを抜けた先に あった。あまり手の入れられていない空き地になっていて小屋はそこにポツリと建っ ている。
「小屋へ行くにはあの大部屋を通らなければならないのか」
とわたしが訊ねると、カウボーイハットに皮のブーツを履いた小男はそうだ、と答 えた。男は「アメリカンロデオショー」の舞台のすべてを担当する演出家だ。
「死体が見つかったのはあの小屋だ」
とわたしは箱崎にいった。箱崎は、わたしの指した先に見える馬具小屋を見て頷い た。演出家の小男とわたし、それから箱崎、その後ろに馬具を含めた小道具の管理一 切を任されているボブと呼ばれている男が続く。敷地を抜けて小屋へむかう。テープ はまだ貼られていない。
そこはとても狭い、そして獣臭と何かニスのような刺激のある匂いが漂う部屋だっ た。
「これが全部ではないだろう」
箱崎がいう。小男が、何が、という顔で箱崎を見る。
「ここにある馬具がショーで使う全部ではないんだろう」
とわたしは口を挟む。そうだ、と小男よりも先にボブが答える。小男の演出家は少 し不満そうな顔を見せた。ボブがでしゃばるのが面白くないらしい。
「小道具はとても多い、この部屋ひとつだけでは収まり切らない。どちらかといえば ここにあるのは最近のショーではあまり使わなくなったものたちだ」
部屋はドアのある壁以外の3方に作り付けの棚が設けられ、そこに鞍や鐙といった 馬に装着するさまざな道具が並べられていた。手入れが行き届いているのかどうか、 見慣れないわたしには判らない。棚に歩みより、どうやら馬を操る際に用いるらしい 鞭を手にとり眺めている箱崎もそれは同様だろう。
死体は部屋の真ん中に倒れていた。
ショーに出ている男だ。主役ではない、大勢が馬に乗って走り回る、主役の保安官 を追う悪党のひとり、といった役なのだと、ここに来るまでに演出家から聞かされて いた。背中を刺されているのだろう。血の海に横たわる死体を想像していたが、床に 広がった赤いものはそれほど多くはなかった。ただ着ているデニムのシャツは不自然 に乱れ、背中の真ん中からどす黒く染まっている。男は俯せて倒れていた。
箱崎がその側に屈みこみしばらく検分していた。演出家が何度かわたしの方にちら りと、大丈夫なのか、という目をむけた。わたしはそれを無視した。
男は一枚の紙片を握っていた。それも血で汚れている。
「これか」
と箱崎が訊ねると、演出家は、そうだ、と答えた。
「これがお前を刺したヤツの名前か、とわたしが問うと、そうだと頷いて事切れた」 指先に挟まれている紙をしばらくのぞき込んでいた箱崎が立ち上がると、わたしは 興味に駆られて近づいていき、訊ねた。
「何て書いてあった? 名前か」
「いや、……」
しばらく箱崎は考えていた。わたしが続きを待っていると知ってか、ぽつりといっ た。
「雨、と書いてあった」
あめ?
「最近、降ってない」とわたし。「そうだな」と箱崎。
□解決編
わたしは男の手に握られた紙片をのそき込んだ。血で汚れている紙片には確かに「rain」と 書いてある。演出家とボブが顔を見合わせる。箱崎が殺されている男の指に手をかけた。 わたしは、おい、と箱崎を止めようとしてやめた。指が開かれ、紙片が箱崎の手に移っ た。紙のちょうど真ん中あたりに文字はあった。その文字を挟むようにして血の染みがつ いている。血の染みのなかに文字が見えている、といった感じだ。箱崎はしばらくその紙 片を眺めていたが、やがて、わたしにいった。
「調教師(trainer)を呼んできてくれないか」
第8回(2003.5.5~) テーマ:花の香り
「スパイス大作戦」吉本正
「魔界転生」保山宗明玉
「がんばれクリンクリン」池上宣久
「目はしがきいて賢い」長井正広
「スパイス大作戦」 吉本正
□問題編
カクタは大阪に着いたペタスから鞄を受け取った。
「ご苦労様。ペタスくん。」
カクタは鞄の南京錠を外した。
そして、鞄からスパイスをとりだし、ニヤリと笑って、ひとくち つまみ食いするやいなや、残りをルーにぶち込んだ。
部屋一杯に、芳しい南国の花の香りが広がっていった。
*************************
「困ったぞ。どうすれば、いいんだ。」
東京池袋のカレーの名店「キョク・シーン」の総料理長カジワラはひとりで悩んでいた。
この「キョク・シーン」は、今は亡き伝説の名コック「マース・オオヤマ」が一代で作り上げた人気カレー専門店だ。
宮本武蔵に傾倒し、カレー最強説を唱えたオオヤマは、日本のみならず全世界にフルコンタクト・カレーをひろめた。
現在、「キョク・シーン」のカレーの愛好者は全世界に数億人。
世界最大のカレー組織といえるだろう。
そのオオヤマもついに昨年大往生をとげた。
そしで、そのオオヤマの遺言はひとつだけあった....
それは..........
「幻のカレー 花の香り を 完成させること!!!!」
オオヤマの後継者であるカジワラはそう呟いた。
気の早い読者諸君は、カジワラが「幻のカレー 花の香り」が作れないので悩んでいると思うかもしれない。
速断は禁物。
見よ。カジワラの手元に開かれている日記を!!!!
そこには、墨の色も鮮やかに「幻のカレー 花の香り ただいま 完成せり」と書かれているではないか!!!!
では、カジワラの悩みとは????
「このスパイスを、どうやったらつまみ食いされずに、大阪に運ぶことができるんだ?」
カジワラの悩みはこれであった。
説明しよう。
カジワラはついに「幻のカレー 花の香り」を完成させた。
ポイントは、スパイスの調合法にあった。
これはカジワラしか作れない。
というより、作り方はカジワラだけの秘密にしておくつもりだった。
とにかく幻のカレーは完成した。
さっそく、世間にお披露目したいところだが、ひとつ問題があった。
「キョク・シーン」には大阪の天満に支店があった。
東京に勝るとも劣らぬ重要な拠点だ。
いや、現在ではマスコミに登場する回数は大阪店の方が多いといえるだろう。
大阪店の店長カクタはマスコミにひっぱりだこだ。
それほど重要な大阪店。
カジワラは大阪店のメニューにも、幻のカレーを登場させないわけにはいかなかった。
ここで困ったのである。
東京でカジワラの調合したスパイスを、大阪に運べば、大阪でも幻のカレーをつくることができる。
しかし、その輸送途中、誰かにつまみ食いされる可能性が大なのだ。
「料理の味は盗んでおぼえろ」が創始者マ-ス・オオヤマの口癖だった。
「キョク・シーン」の関係者はそれを叩きこまれている。
調合したスパイスが自分の手から離れたとたん、まわりはつまみぐいを目論む人間ばかりと言ってよい。
そして、やっかいなことに、このスパイスは空気を嫌う。ちょっとでも酸化すると味が変わってしまうのだ。
密閉さえしておけば、日もちはするのだが、いったん開封すると、すぐルーに入れないとアウトなのだ。
普通の方法では大阪まで開封されずに無事でいるとはとうてい思えない。
どうすればいいのだ。。。。。
「ん」
カジワラは、ある頑丈な鞄をみつめていた。
このがっしりした鞄は、その留め金に南京錠を何個もつけて、安全性を高めることができる。
「我、助かれリ!さっそくカクタに電話だ!」
カジワラの眼は歓喜に輝いていた。
そして。。。。。
「この鞄を大阪のカクタまで運んでくれ。こんな大事な仕事は、キョク・シーン外部の人間には頼めないんだ。」
カジワラは、マース・オオヤマ最後の内弟子ニコラス・ペタスに、南京錠のかかった鞄を手渡した。
この中に「あのスパイス」が入っているのだ。
東京から大阪への道中、ペタスはイライラしていた。
「つまみぐいしたい! でも、できない! 鍵がほしい!」
また、ペタスはいぶかった。
「この錠の鍵は、カジワラが持っていた。。。。カクタは鍵を持っていない。。。。。さっき携帯で東京に探りを入れたが、別便で鍵を送った形跡はない。。。。。どういうことだ。。。。」
大阪へ着いたペタスは、カクタにしぶしぶ鞄を手渡した。
「ご苦労様。ペタスくん。」
カクタは鞄を受け取った。
そして、その直後、ペタスはびっくりするのである。
□解決編
「ご苦労様。ペタスくん。」
カクタはこの後、驚くべきことを言い出した。
「君に頼みがある。この鞄をカジワラに渡してくれないか。」
なんと、カクタは、今もらったばかりの鞄を、中も開けずに再びペタスに手渡した。
そして、そこには、カジワラの錠の隣りにカクタの用意した南京錠がしっかりかかっていた。
ペタスは大体わかってきた。
ペタスはその鞄を東京のカジワラまで持っていった。
カジワラはニヤリと笑うと、カジワラが掛けた南京錠を外した。
そして、ぐいと鞄を突き出した。
「大阪へ。」
「南無三!」
ペタスにはありありと見えた。
ペタスが再びカクタにこの鞄を手渡す光景が。
カクタが、カクタの掛けた南京錠を外す姿が。
カクタが鞄からスパイスをとりだし、ニヤリと笑って、ひとくち つまみ食いするやいなや、残りをルーにぶち込む様が。
「魔界転生」 保山宗明玉
□問題編
21世紀をこの目で見ることができるなんて考えてもいなかった。
21世紀なんて遠い未来のことだと思っていたのだ。
ましてや、50年前に死んだ身としてはなおさらだ。
私はこの転生センターで甦った。
部分的な記憶喪失で名前を思い出せなかったが、このセンターで「サム・ライミ」という名前をもらった。同名の映画監督に似ているのだそうだ。 私はどこから見てもれっきとした「外人」だが、日本語も充分使いこなせる。前世は、日本で育った外人だったに違いない。
このセンターで甦ったメンバーはあと4人いた。
戦国時代の剣豪、塚原卜伝(つかはら・ぼくでん)。現代を勉強するためか、四六時中ヘッドホンステレオで何かを聞いている。
安土桃山時代のびっこの茶人、狩野宗逸(かのう・そういつ)。
その実弟で難聴の絵師、狩野香逸(かのう・こういつ)。
平安時代の女性、木蓮(もくれん)。彼女の身体からはいつもかぐわしい木蓮の香りがしていた。いつも着ている紫色の十二単風の着物に香をたきこめているだけでなく、体臭も木蓮の匂いがしているのだそうだ。 彼女の着物は、転生以後に大ファンになったという東京スカパラダイスオーケストラのアルバムジャケットを模様として染め抜いてある。
着物と言えば、塚原卜伝は紅の狩衣をつけているし、狩野兄弟は紺の作務衣(背中に「むざんやな かぶとのしたの きりぎりす」とプリントしてある)。 転生した5人の中で、洋服を着ているのは私だけだ。もっとも、我々を甦らせ、リハビリと研究を担当している常駐の馬井医師(典型的な日本人なのに、ブッシュという名で呼ばれていた)、そして昨日から来客として泊まっている医者、比嘉は白衣を着用しているが。
事件のことを記そう。
その日、午後11時、私はセンターの自室にいた。
窓をあけていると、庭に咲き誇っている木蓮の香りが部屋の中でもほんのりと香ってくる。夜風は身体によくない。水色のパジャマだけでは少し肌寒かった。
窓をしめたとたん、隣室から叫び声がした。
私はあわててドアを開けて外に出た。廊下は薄暗く、隣室の比嘉の部屋の前に誰かが立っているのが見えた。 それが誰なのか判別する前に、私は足をすべらせて頭を打ち、不覚にも気絶してしまった。
1分間も気絶していなかったようだ。私はブッシュ医師に揺り起こされていた。
「しっかりしなさい。あの大声の叫びは、あなたですか?」
「いいえ、比嘉さんの部屋からです」
ブッシュ医師の横にいた塚原と共に比嘉の部屋のドアを開けた。
部屋の中で比嘉が刀で斬られて倒れていた。まだ生きているようだ。
比嘉は助け起こした私の顔を見ながら、何かを伝えたそうにしていた。何かを書き残すつもりか、人さし指を宙に舞わせたが、腕を支える力が尽きたらしく、腕をだらりと床に落とした。 そして、私に向かってたどたどしく言った。
「行ってよし」
何のことだかわからず、けげんな顔をしている私に、比嘉は最後の力をふりしぼってメッセージを残してくれた。
「犯人は死んだ」
比嘉は息絶えた。ブッシュ医師が聞いた。
「今、何と言ったのですか」
「犯人は死者だと言い残しました」
開いたドアには、遅ればせながら駆け付けた狩野兄弟と木蓮の姿が見えた。木蓮の香りが部屋の中にまで入ってきた。
比嘉の部屋には、夜食のために持ち込んだと思しきヨーグルト、甘茶、しそアメと、ティッシュ1箱があるきりで、凶器らしきものは無かった。
ブッシュ医師は説明した。
「転生した者は生死についてのモラルが抑制できず、平気で人を殺してしまう場合があるらしい。比嘉医師は理由もなく殺されたのだ」
ブッシュ医師は塚原の方をジロリと見た。
たしかに、塚原が腰にさしている刀は、最も怪しい凶器ではないか。
塚原もことさら自己弁護する気もないようだ。
しかし、私は犯人は塚原ではないような気がしてならなかった。
ブッシュは塚原をしっかり見据えて言った。
「私が叫び声を聞いて比嘉医師の部屋に駆け付けたとき、廊下には昏倒しているサムと、立っている塚原氏がいました。今から考えると、おかしな情景でした。 なぜなら、塚原氏は今も、ほら、ヘッドホンステレオで何かを聞いているのです。叫び声が聞こえるはずがないのです。 それなのに、彼が比嘉医師の部屋の前にいたのは何故なんでしょうか」
ブッシュは塚原を指差した。
「犯人は塚原さん、あなたですね。比嘉医師は死ぬ直前に人さし指を立てて犯人を示そうとしました。誰かを指差すつもりかと思いました。 もしそうであれば、犯人は私とサム、塚原氏3人のうちの誰かだということになります」
私は犯人ではない。おのずから犯人は絞り込まれた。
「しかし、比嘉医師は誰かを指さす力も残っていなかったようです。そのとき、私はわかりました。比嘉医師は人さし指をたてて、『1』をあらわそうとしたのだと。 塚原卜伝と言えば、『一の太刀』です。比嘉医師は塚原氏を告発しようとしたのです」
塚原はブッシュの言葉が終わると、ヘッドホンをはずして言った。
「あなた、ヘッドホンステレオで音楽を聞いたことがありますか?」
ブッシュはなぜか、顔を赤くした。
□解決編
今まで黙っていた木蓮が指摘した。
「ヘッドホンステレオで音楽を聞いていても、よほどの大音量で聞いていないかぎり、外の音は聞こえるし、会話も普通にできます。 塚原さんが叫び声を聞くのは充分可能です。それに、比嘉さんは死ぬ前にちゃんとしゃべっているのですから、『一の太刀』をあらわすために、無理な力を使う必要などなく、口で言えばいいのです。 比嘉さんはそんなことを示したのではありません」
木蓮がしゃべるたびに、かぐわしい木蓮の香りがただよってきた。
「サムさん、比嘉さんが死ぬ前に言ったのは、何でしたっけ」
私は説明した。
木蓮は納得したようにうなずいて、言った。
「それでわかりました。犯人は塚原さんに間違いありません」
攻守一転して、今度はブッシュが木蓮に言いつのった。
「じゃあ、なぜ、比嘉医師は塚原を指ささなかったんだ」
「それだけの力が残っていなかった、というのはブッシュさん、あなたが言いましたよ」
「でも、犯人はおまえだ、とでも言えばわかったんじゃないか」
「犯人は、ウマイだ、とですか?」
「ウマイは私の名前だ。おまえ、と言えば」
「比嘉さんは『おまえ』という言葉をもしも『馬井』と聞き違えられたら、ブッシュさんに容疑がかかると思って、『おまえ』という言葉を使えなかったのです」
「じゃあ、犯人はこいつだ、と言えば」
「香逸さんのことだと思われます」
「犯人はそいつだ、と言えば」
「宗逸さんだと思われます」
「指さす必要もないぞ。犯人は塚原だと言えばな」
「私が犯人だとでも言うのですか。犯人はスカパラだなんて」
「ツカハラと言ったんだ!スカパラじゃない!じゃあ、ストレートに『卜伝』と言えばいい」
「比嘉さんは花粉症でした。『ボクデン』という声は、鼻が詰まった状態で『モクレン』と言ったのと区別がつきません。ツカハラボクデンなんて言えばスカパラ木蓮で、完全に私をさす言葉になってしまいます」
「よし、わかった。犯人は侍。これでどうだ」
「サム・ライミさんのことだと思われます」
「犯人は武士だ、では」
「犯人はブッシュだ、と聞かれるおそれがあります。比嘉さんは、少しでも他の人をあらわしてしまいそうな表現をとりたくなかったのです」
「じゃあ、犯人は剣豪。これなら誰ともかぶらないぞ」
「そうです。比嘉さんはそう言い残しました」
「なに?」
「比嘉さんは、剣豪と言い残しました。でも、サムさんはそれを英語だと勘違いしました。サムさんは見た目は外人なので、日本語をしゃべれるとわかっていても、英語で話しかけられることも不思議ではなかったのです。 『ケンゴー』は『can go』訳すと『行ってよし』になります」
私は驚いた。あれは英語ではなく、れっきとした日本語だったのか。
「比嘉さんは、自分の言葉がサムさんに伝わっていないことを察し、違う言葉で犯人が塚原さんだということを言い残そうとしました。それは、衣服の色です。 比嘉さんは、犯人は赤い服を着ている、と言おうとしました」
「しかし、そんなふうには言ってないぞ」
「比嘉さんは、サムさんに、今度は英語を使ったのです。ただし、赤色をあらわす『red』という単語は、花粉症で鼻がつまっていたため、『dead』と聞こえてしまいました」
デッドではなく、レッドだったのか。
塚原はうんうんとうなずいた。
「なるほど、そういうことだったのか。なぜ、素直に私の名を告げぬのか解せなかったが、これで氷解しました」
私には一つわからないことがあった。
「ところで、なぜ塚原さんは比嘉さんを斬り殺したのですか」
塚原は、ことの次第を語ってくれた。
その話に、われわれ一堂は驚愕した。
しかし、それはここでは言わぬが花であろう。
「がんばれクリンクリン」 池上宣久
□問題編
花の香りに囲まれて、俺は途惑っていた。間違いなく男は花屋の中を縦横無尽に歩きまくっていた。花の陳列棚の裏側にまで入りこんでいる。 何の意味があってこんな歩き方をしたのだろう?
俺の名前は、クリンクリン。某研究機関で品種改良されたスピッツで、人間並の頭脳を持つ。弟のグリングリンは体格の方の品種改良で、どこかのお金持ちに買い取られていった。
今夜は俺が刑事犬になるための最終試験だった。
場所は警察署近くの小さな商店街。そこに残っているある男の匂いを追いかけることによって、男の行動を読み取りその目的を推理するというのが、試験の内容だ。
時間は夜の十時になるが、全ての照明はつけられ、店舗は開いている。商店街は昨日今日と二日続きのイベントで通常営業をしていなかったらしく、警察が無理を言って俺の試験のために場所の提供を受けたということだ。 店の人は誰もいなかったが、俺のまわりを、試験官と数人の警官が囲んでいた。
商店街のほぼ真ん中がスタート地点だった。男の持ち物だというハンカチを嗅がされ、試験は始まった。男は今日の朝から夕方にかけての時間帯に商店街を歩いたらしい。
すぐに俺は男の匂いを捕捉して、追跡を開始した。商店街は東西に伸びていて、臭跡は西に向かっていた。匂いはかなり濃厚に残っている。 男は恐らく歩いている。それもかなりゆっくりだ。
臭跡は、商店街のアーケードが切れる手前二十メートルほどのところでUターンした。今辿ってきた臭跡と並行して商店街を戻っていく。
臭跡はスタート地点と折り返しの地点を行って戻って行って戻って、結局四往復した。
男は何かを歩測していたのだろうか?
しかし、男は決してまっすぐ進んではいなくて、かなり長い間同じ場所に留まっていたり、後戻りしたり、小刻みに左右に蛇行したりしていた。
それとも、どれかの店の様子をうかがっていたのだろうか?
注目すべきは、往復の臭跡は全く同じコースを辿るのではなく、一回折り返すごとに徐々に南側の店舗の方に近寄っている点である。ということは、南側の店が鍵か?
商店街の長さは約百メートルで、四十軒ほどの店舗がある。
南側には東から、不動産屋、家具屋、化粧品屋、喫茶店、玩具店、オランダ料理店、花屋、写真屋、薬屋、マクドナルド、弁当屋、美容室、クリーニング屋、宝石屋、ジャマイカ料理店、ガスショップ、100円ショップ、コンビニ、カメラ屋、スポーツ店と並び、 北側には東から、パン屋、服屋、文具屋、民家、煙草屋、酒屋、中華料理屋、スーパー、金物屋、本屋、眼鏡屋、時計屋、靴屋、マンション、八百屋、肉屋、散髪屋、果物屋、電気屋、お菓子屋と並んでいる。
四往復を終えた臭跡は、スタート地点でUターンせずそのまま直進して東に向かい、突然南に折れ曲がった。
向かった先が、花屋だった。商店街の会長の店だ。そこで俺は途惑ったのである。臭跡は店舗に入って、ほぼ壁沿いを移動していくのである。そこにはたくさんの花が陳列されている。男はその花の鉢と鉢の間をぬうようにして歩んでいた。 歩くのに足元の鉢が邪魔だろうから、横に動かして後で戻した痕跡も残っていた。
花屋を後にした臭跡が次に向かったのは、三軒隣りの喫茶店だった。商店街の副会長の店だ。入り口を入った臭跡は、客席にではなく、まっすぐ厨房に向かい、何と洗い場を足がかりにしてカウンターを乗り越えた。 カウンター越しに店内に入った男は客席に座ることなく、外へ出て行く。
俺は激しく混乱した。男の行動がまったく理解できなかった。
訳の判らない行動はさらに続く。
臭跡は、今度は喫茶店の向かいの、商店街唯一の民家に向かった。向かって左に玄関があり、右に窓がある。男は窓を開けて、そこから家の中に入ったようだ。 警官にキャンキャン鳴いてアピールして、窓の上に乗せてもらった。そこは居間のようで、奥の部屋から住人の老夫婦が心配そうに俺を見ていた。土足なので気がひけたが試験中なのだから仕方がない。 俺は軽く老夫婦に会釈して畳の間に降り立ち、臭跡を追った。
玄関から出て行った臭跡は、今度は北側の店の前を通って西に向かっていく。
スーパーに入る。すぐに二階に続くエスカレーターがあった。エスカレーターは止まっていて、臭跡は二階に上がってすぐに一階に下り、店を出て行った。 外に出てから俺は気になって店に引き返した。やはりそうだ。男が上がったのは下りのエスカレーターで、下りてきたのは上りのエスカレーターだった。
外に出た臭跡が次に向かったのは、マンションだった。階段とエレベーターが並んでいたが、臭跡は階段を上がって行く。三階まで上がって、エレベーターで下りて来た。 エレベーターに乗っている間もじっとしていなかったようで、狭い箱の隅々にまで男の匂いがついていた。
マンションを出た臭跡はさらに西に向かう。最初に四往復した折り返し地点も通り過ぎ、商店街の西の端にまで辿った先に、試験官の一人が立っていた。
「クリンクリン。ご苦労だった。試験はここまでだ。男の行動が理解できたかね?」
俺は脳漿が涸れ尽くさんばかりに考えた。
試験官は俺を警察署に連れ帰った。
ある部屋に案内されると、そこはガラスで二分されていて、ガラスの向こうに胸に番号を書いた札をつけた四人の男が立っていた。
1番の男は、小錦だった。2番はモハメッド・アリで、3番は乙武君で、4番はタモリさんだった。
「問題の男は、彼ら四人の中にいる」
試験官は言った。
ガラス越しなので、男たちの匂いを嗅ぎ取ることはできなかった。
「1番だと考えるなら一回だけ吠えなさい。2番なら二回だ。分かったね」
俺はコクンとうなづいた。考えは決まっていた。
「では、答は?!」
試験官は指し棒でガラスを二回叩いた。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
問題編投稿2003年05月12日(月) 23時43分時点では、ここで問題編は終わっていたのですが、No.1188「難問」で、あっさり保山さんに犯人を当てられてしまいました。
男の行動原理こそが解明すべき問題ですので、本来の問題編は、試験官がクリンクリンに、「男の行動が理解できたかね?」と尋ねるところで終わりです。 それ以降の文章は元から継ぎ足しなのでした。
2003年05月13日(火) 22時00分に、以下の文章を継ぎ足しました。一時の座興としてお楽しみ下さい。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
俺は四回吠えた。
「正解だ。クリンクリン」
検査官がそう言ったので、合格かと喜んだが、そんなに甘くはなかった。
「恐らく君は他の三人ではあり得ないという消去法によってタモリが犯人だと導いたのだね」
図星である。
「では試験の第二段階だ」
試験官はガラスの向こうに合図を送った。そうすると、四人は奥のドアから出て行き、別の四人が入って来た。やはり胸に番号札をつけていた。
「問題の男は、彼ら四人の中にいる」
試験官の言葉に驚いて、その顔を見上げた。
「まさか君はあんな有名人が協力してくれていたと本気で思っていたのかい。彼らはみなそっくりさんだよ」
そうか、最近は乙武君のそっくりさんまでいるんだ…。
「1番は安孫子正浩さんだ。2番は辻本真孝さん、3番は保山宗明玉さん、4番は池上宣久さんだ」
俺は、「Q.E.D」の大ファンである。「The Tragedy of M」での推理合戦の様子はつぶさに見ていたし、ホームページも頻繁に覗いていたので、四人の性格は把握しているつもりだった。
つまり「試験の第二段階」とは、性格判断なのだ。男の行動原理を考えた時、誰の性格がその原理にそぐうのか、という…。
「1番だと考えるなら一回だけ吠えなさい。2番なら二回だ。分かったね」
試験官は同じ説明を繰り返した。俺の考えは決まっていた。
「では、答は?!」
試験官は指し棒でガラスを二回叩いた。
◎参考
安孫子正浩さん→http://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/9924/
辻本真孝さん→http://www.geocities.jp/msnr0810/
保山宗明玉さん→http://homepage3.nifty.com/hozan/
□解決編
久し振りにグリングリンが研究所に帰って来た。
「わーい。クリンクリン兄ちゃん」
グリングリンが地響き立てて迫ってきたので、俺は逃げた。
「兄ちゃん、兄ちゃん」
「こらグリングリン。危ないからやめなさいって。じゃれつくんじゃない。こら死ぬじゃないか」
「だって久し振りなんだもの」
「だってじゃない。いつまでも子供なんだから。この前も雪山で遭難しかけたところだろ。少しは落ち着きなさい」
「カリンカリン姉ちゃんは、今日は帰って来ないの」
「ああ、日本海溝の潮の流れが速くて海面に上がって来れないらしい」
「それはそうと兄ちゃん聞いたよ。刑事犬昇格おめでとう」
「ありがとう」
「でも最終試験ってとても難しいんでしょ」
「ああ、難しかった」
俺はグリングリンに試験の内容を説明した。
男の謎の行動は俺を激しく困惑させたが、謎を解くきっかけは、スーパーのエスカレーターだった。
ここにもまた男の臭跡は濃厚に残っていた。それは、ゆっくり上ったということだ。でももしその時エスカレーターが動いていたなら、男は一段たりとも上がって行けないし、また下ってもいけない。 ということはエスカレーターは停まっていたのだ。
そう考えると下りのエスカレーターを上がって行き、上りを下って行った謎の行動の説明はつく。
エスカレーターは停まっていた。その日はイベントで終日店舗は休んでいたらしいから、それはそうなのだろう。でも、スーパーの入り口は開いていた。
男の行動で不可解なことを羅列してみた。男は花屋の陳列台の間を練り歩いた。男は喫茶店の厨房からカウンターを越えた。男は民家の窓から侵入した。 真っ昼間の出来事である。どうして男は人に停められなかったのだろう?逃げたのではないと分かるのは、すべての臭跡がゆっくりした歩みのものであったからだ。 商店街に人は誰もいなかったのだろうか?そんなことはない。この日イベントをしていたのだから、人がいなかったはずがないし、スーパーも喫茶店も花屋も入り口を開いていたのだ。 男は人々の注視の中を、誰にも邪魔されずすべての行動を成したということだ。
最も不可解なのは、その全ての行程にほぼ六時間をかけているということ。朝十時から夕方四時まで。それは、商店街が行なったイベントの時間帯にピッタリ合致するような気がした。
それらを考え合わせた時、頭に浮かんだのは、男こそがイベントの中心人物ではなかったか、という発想だった。商店街自体が男の行動に協力している気がした。
では男は何をしたのか?
とってもゆっくりした移動。色々な建物への出入り。ようやく気がついた動きの法則性があった。男はすべて右から入って左から出ていたのだ。 喫茶店は店に向かって右側に厨房があり客席は左側で、エスカレーターは右が下りで左が上りで、マンションでは右に階段があってエレベーターは左なのだった。男は大雑把に言うと商店街を右回りに移動していた。 そのため男の臭跡は交差することがなかった。男は歩いていたのだからもとより動きは一筆書きである。
イベントと考えて、以前に見たテレビ番組を思い出した。「商店街対抗ドミノ合戦」というタイトルの特番だった。二つの商店街がそれぞれの商店街を舞台にドミノを並べて、どちらが多くを倒すのかを競うのだ。
ドミノ倒しだ!
「へえ、やっぱり兄ちゃんはすごいや」
「ギネスに挑戦という地元ケーブルテレビの企画だったらしい。ギネス記録は四百万個に近づいてるからこれの更新は無理だけど、単独六時間限定記録で、とりあえず申請してみて通ったら儲けものという安易な企画だ」
「で、結局成功したの?」
「もとからイベントとして駄目だったみたいだ。よく高校生が夏休みを利用して力を合わせてドミノ作るテレビ番組があって、その間に涙あり友情ありで、結構視聴率取るのだけど、あれは編集してるから見れるのであって、全作業をライブで見せられてもなあ。 恐ろしく退屈なイベントになったらしい」
「花屋やスーパーに出入りするのが見せ場なんだね。でも喫茶店のカウンターや民家の窓をドミノが乗り越えるのはどうしたの?」
「それは階段状の台をあらかじめ用意していたのさ。男はその上にドミノを並べて行った。そんな設営に前日に時間をかけていたんだ。前夜祭的なイベントも行なったらしいけどね」
「でもギネスに載ったらいいね」
「駄目だろうな。最初のドミノの一押しを商店街の会長がするのだけど、その前に挨拶する時にうっかりマイクを倒してしまったんだって。 それで、ドミノが倒れ始めてしまって、慌てて停めて、時間がないからみんなで修復して、それであらためてスタートしたのだけど、途中で停まりまくったらしい。 それは男の責任ではなくて並べ直した人がミスをしたのだ本来なら倒れていたはずだと言い訳をして、指で倒して最後までドミノを倒し切りはしたみたいだけどね。それでギネスはきついよ」
「そうか。残念だったね。あ、それで結局誰が犯人なの?」
「それの絞り込みは簡単だった。ことはドミノだからね。まず池上には絶対に無理だね。掲示板上での二重投稿や、誤字脱字の多さから自然と醸し出される粗忽な性格からして、間違いなく細かいミスを連発の末、ドミノは十メートルも続かないだろう。 次に保山さんも該当しない。あの人が並べるなら恐らく人間の干物、ミイラとかとんでもないものを並べるはずだ。あんな凡庸なドミノであるはずがない。 また、安孫子さんはデートで忙しいからドミノを並べる時間はない。したがって、男は辻本さんだね。QEDの管理人振りや掲示板の書き込みなどに我慢強い誠実さを窺うことができる」
「すごいすごい。兄ちゃんはすごいや」
グリングリンは嬉しくなって、俺のまわりを走り出した。
「すごいすごい。兄ちゃんまるで諍屋さんみたいだ」
グリングリンは突然止まった。
「あれ?諍屋さん?」
と、首を捻る。
「どうしたんだグリングリン?諍屋さんというのは、たしかお前の飼い主の友達じゃなかったか?」
「ああっ!」
「どうしたんんだ?大きな声だして」
「思い出した。諍屋さん、雪山に置き去りのままだ!」
「目はしがきいて賢い」 長井正広
□問題編
「眼球がしょぼしょぼして、かなわないな・・・」
満干全席は招待客の一人、花野愛子(薬剤師)から目薬を受け取って、さっさと寝室へ向かった。かつてない実験料理の宴のピンチとなった。 満干全席は何とか料理を完成したものの肝心の料理人がダウンしてしまったのだ。
今回のテーマは「花の香り」で、満干全席は花づくしの料理とともに花の香り1号(甘くていい香り)・2号(ふんわかいい香り)を生み出していた。 しかし、その香りのせいで目から涙が止まらなくなったのだ。
食卓には花づくしの料理、菜の花の姿煮・タンポポの活造り・天津飯のチューリップ添えが並んでいた。
「あら、いい香り!」 花野が声を上げる。
「私にはまるで匂いません・・・」 花山大吉(素浪人)がつまらなさそうにつぶやく。「いや、皆が主張しあうすごい匂いだ」 花田おさる(スポーツ冒険家)がためいきをつく。
「そういわず、さあ」 給仕に残っていた三番弟子、満干半席が皆にとりわける。
食事が終わりかけた頃、厨房から半席がすっとんきょうな声を上げて出てきた。
「1号を料理に入れてしまっている! 香りを発散させるまで時間がかかるから、先生もわからなかったんだ。だから、こんなに香りがすごいんだ。皆さんも気をつけてください。 先生が2号がもし、混ざると、えげつない香りになる、とつぶやいているのを聞いたことがあります」 半席は急いで厨房を見渡す。
「2号は・・・、あっ、少しなくなっている」
「厨房に入る機会はみんなあったけれど、私じゃないわよ」 花野がいう。
「いくら、冒険家でも、香りは願い下げだよ」 タンポポの種をあちこちに飛ばしながら、花田が地団太を踏む。
「私が見に行ってあげますよ」 花山がさっさと満干全席の寝室に向かってしまった。その間、2号の香りの液体の行方を探したが、どこにも見つからなかった。
しばらくして、全席さんは眠っていて、起きそうにありません、と花山が帰ってきて話した。半席は寝室に向かいかけたが、やめた。
「先生は途中で起こされると、怒り狂いますから・・・。この2号の瓶は私が預かっておきましょう」
結局、何もわからずじまいで、夜は更けていった。一人をのぞいた、皆がえげつない匂いに包まれた自分に恐怖を覚えながら眠った。
翌朝、うぎゃ、という満干全席の叫びで皆が起こされた。ナイトキャップにネグりジェ姿、おまけに口の周りにタンポポの種をつけた満干全席が寝室から現れた。 その顔からはえげつない香りが漂っていた。誰かに2号を入れられたのか。誰に?
□解決編「許して」
(注:掲示板への書き込みを引用しています)
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投稿日 : 2003年05月16日 22時19分
投稿者 : 保山宗明玉
Eメール :
タイトル : 推理一番のり?
URL :
花野愛子は満干全席の2号さんだった。
花野の目薬によって、全席の身体には、「2号の成分」が注入されたということだ。
花野は目はしがきいて賢い、いわゆる「目から鼻にぬける」タイプだったので、2号成分が目薬として目から入り、鼻にぬけてエゲツナイ臭いになったのだ。
タンポポの種を口のまわりにつけていたのは、2号でパイパンの花野が自らの陰部にタンポポの種をいっぱいつけて、カツラがわりにしていたのを、全席がクンニリングスして、口の周囲についたもの。
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投稿日 : 2003年05月19日 02時45分
投稿者 : 保山宗明玉
Eメール :
タイトル : 猫嫌い
URL :
酒が好きで鼻がきかない、花山大吉が自分のもっているひょうたんに2号を入れていた。
ナイトキャップとして全席は花山と酒を飲み、2号を口にすることになった。
花山も1号と2号を摂取しているので、えらい臭いになるはずだが、花山は鼻がきかないし、おまけに効果がスロー人なのだ。
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・・・溶暗。スポットライト。厨房の中央にいつもの神主がいつものようにたたずんでいる。神主がいつもの口調でささやくようにいつものせりふ。「この世には・・・」
「さて、すでに保山氏が解答しているようですが、あらためて神主の私の方から、一言。登場人物たちの満干全席への関わり方ですが、まず花野愛は目薬を渡しました。 次に花山大吉は眠っているかどうか、確かめました。花田おさるはタンポポの種を飛ばしています。半席は2号を持ち去りました。そして、この日の行動ですが・・・」
ふたたび、溶暗後に照明。花野が中央で目薬に液体を注いでいる。言うまでもなく、2号である。神主は袖から一部始終を観察している。
「かんたんに厨房に入れますが、花野の行動に気づくものはいませんでした。もちろん、私をのぞいて・・・」
やがて、しょぼしょぼして、困り果てている満干全席のシーンが挿入され、問題編のシーンへとつづく。
「では、満干全席の寝室へ移りましょう」
満干全席のいびき。とても、何回も殺される男とは思えない、寝姿。
「花山は匂えないので、すでにかすかにえげつない匂いが漂っているにもかかわらず、わかりません」
鼻をつまんで、いやいやしながら神主が話す。
「花山はいたずらのつもりか、種を満干全席にくっつけました。匂えない者にしか、こんなまねはできません。・・・こらっ、早く出て行きなさい!」
神主に叱責されて、すごすごと出て行く花山。
溶暗後、いつのまにか問題編の朝のシーンへ。
「満干全席のこの姿で問題編は終わりです。保山氏の解答に付け加えるものはないようです・・・」
神主がひとつため息をつく。
「作者はわからないだろうなって、思って問題編につけたタイトルまで、当てられて次の問題編は八月まで書けない、と肩を落としていましたから。そう、目から鼻に抜ける、の通りです。 だから、オチは顔の辺りで匂っていたのは、まさに鼻で匂っていた、つまりテーマ「花の香り」は「鼻の香り」だったというわけです」
神主はゆっくりと後方へあとずさっていく。ライトの焦点がしだいに神主の顔へ。神主は顔の端へ手をかける。ずずっと、顔をめくる。そこには・・・、*****が。
「魔界転生」保山宗明玉
「がんばれクリンクリン」池上宣久
「目はしがきいて賢い」長井正広
「スパイス大作戦」 吉本正
□問題編
カクタは大阪に着いたペタスから鞄を受け取った。
「ご苦労様。ペタスくん。」
カクタは鞄の南京錠を外した。
そして、鞄からスパイスをとりだし、ニヤリと笑って、ひとくち つまみ食いするやいなや、残りをルーにぶち込んだ。
部屋一杯に、芳しい南国の花の香りが広がっていった。
*************************
「困ったぞ。どうすれば、いいんだ。」
東京池袋のカレーの名店「キョク・シーン」の総料理長カジワラはひとりで悩んでいた。
この「キョク・シーン」は、今は亡き伝説の名コック「マース・オオヤマ」が一代で作り上げた人気カレー専門店だ。
宮本武蔵に傾倒し、カレー最強説を唱えたオオヤマは、日本のみならず全世界にフルコンタクト・カレーをひろめた。
現在、「キョク・シーン」のカレーの愛好者は全世界に数億人。
世界最大のカレー組織といえるだろう。
そのオオヤマもついに昨年大往生をとげた。
そしで、そのオオヤマの遺言はひとつだけあった....
それは..........
「幻のカレー 花の香り を 完成させること!!!!」
オオヤマの後継者であるカジワラはそう呟いた。
気の早い読者諸君は、カジワラが「幻のカレー 花の香り」が作れないので悩んでいると思うかもしれない。
速断は禁物。
見よ。カジワラの手元に開かれている日記を!!!!
そこには、墨の色も鮮やかに「幻のカレー 花の香り ただいま 完成せり」と書かれているではないか!!!!
では、カジワラの悩みとは????
「このスパイスを、どうやったらつまみ食いされずに、大阪に運ぶことができるんだ?」
カジワラの悩みはこれであった。
説明しよう。
カジワラはついに「幻のカレー 花の香り」を完成させた。
ポイントは、スパイスの調合法にあった。
これはカジワラしか作れない。
というより、作り方はカジワラだけの秘密にしておくつもりだった。
とにかく幻のカレーは完成した。
さっそく、世間にお披露目したいところだが、ひとつ問題があった。
「キョク・シーン」には大阪の天満に支店があった。
東京に勝るとも劣らぬ重要な拠点だ。
いや、現在ではマスコミに登場する回数は大阪店の方が多いといえるだろう。
大阪店の店長カクタはマスコミにひっぱりだこだ。
それほど重要な大阪店。
カジワラは大阪店のメニューにも、幻のカレーを登場させないわけにはいかなかった。
ここで困ったのである。
東京でカジワラの調合したスパイスを、大阪に運べば、大阪でも幻のカレーをつくることができる。
しかし、その輸送途中、誰かにつまみ食いされる可能性が大なのだ。
「料理の味は盗んでおぼえろ」が創始者マ-ス・オオヤマの口癖だった。
「キョク・シーン」の関係者はそれを叩きこまれている。
調合したスパイスが自分の手から離れたとたん、まわりはつまみぐいを目論む人間ばかりと言ってよい。
そして、やっかいなことに、このスパイスは空気を嫌う。ちょっとでも酸化すると味が変わってしまうのだ。
密閉さえしておけば、日もちはするのだが、いったん開封すると、すぐルーに入れないとアウトなのだ。
普通の方法では大阪まで開封されずに無事でいるとはとうてい思えない。
どうすればいいのだ。。。。。
「ん」
カジワラは、ある頑丈な鞄をみつめていた。
このがっしりした鞄は、その留め金に南京錠を何個もつけて、安全性を高めることができる。
「我、助かれリ!さっそくカクタに電話だ!」
カジワラの眼は歓喜に輝いていた。
そして。。。。。
「この鞄を大阪のカクタまで運んでくれ。こんな大事な仕事は、キョク・シーン外部の人間には頼めないんだ。」
カジワラは、マース・オオヤマ最後の内弟子ニコラス・ペタスに、南京錠のかかった鞄を手渡した。
この中に「あのスパイス」が入っているのだ。
東京から大阪への道中、ペタスはイライラしていた。
「つまみぐいしたい! でも、できない! 鍵がほしい!」
また、ペタスはいぶかった。
「この錠の鍵は、カジワラが持っていた。。。。カクタは鍵を持っていない。。。。。さっき携帯で東京に探りを入れたが、別便で鍵を送った形跡はない。。。。。どういうことだ。。。。」
大阪へ着いたペタスは、カクタにしぶしぶ鞄を手渡した。
「ご苦労様。ペタスくん。」
カクタは鞄を受け取った。
そして、その直後、ペタスはびっくりするのである。
□解決編
「ご苦労様。ペタスくん。」
カクタはこの後、驚くべきことを言い出した。
「君に頼みがある。この鞄をカジワラに渡してくれないか。」
なんと、カクタは、今もらったばかりの鞄を、中も開けずに再びペタスに手渡した。
そして、そこには、カジワラの錠の隣りにカクタの用意した南京錠がしっかりかかっていた。
ペタスは大体わかってきた。
ペタスはその鞄を東京のカジワラまで持っていった。
カジワラはニヤリと笑うと、カジワラが掛けた南京錠を外した。
そして、ぐいと鞄を突き出した。
「大阪へ。」
「南無三!」
ペタスにはありありと見えた。
ペタスが再びカクタにこの鞄を手渡す光景が。
カクタが、カクタの掛けた南京錠を外す姿が。
カクタが鞄からスパイスをとりだし、ニヤリと笑って、ひとくち つまみ食いするやいなや、残りをルーにぶち込む様が。
「魔界転生」 保山宗明玉
□問題編
21世紀をこの目で見ることができるなんて考えてもいなかった。
21世紀なんて遠い未来のことだと思っていたのだ。
ましてや、50年前に死んだ身としてはなおさらだ。
私はこの転生センターで甦った。
部分的な記憶喪失で名前を思い出せなかったが、このセンターで「サム・ライミ」という名前をもらった。同名の映画監督に似ているのだそうだ。 私はどこから見てもれっきとした「外人」だが、日本語も充分使いこなせる。前世は、日本で育った外人だったに違いない。
このセンターで甦ったメンバーはあと4人いた。
戦国時代の剣豪、塚原卜伝(つかはら・ぼくでん)。現代を勉強するためか、四六時中ヘッドホンステレオで何かを聞いている。
安土桃山時代のびっこの茶人、狩野宗逸(かのう・そういつ)。
その実弟で難聴の絵師、狩野香逸(かのう・こういつ)。
平安時代の女性、木蓮(もくれん)。彼女の身体からはいつもかぐわしい木蓮の香りがしていた。いつも着ている紫色の十二単風の着物に香をたきこめているだけでなく、体臭も木蓮の匂いがしているのだそうだ。 彼女の着物は、転生以後に大ファンになったという東京スカパラダイスオーケストラのアルバムジャケットを模様として染め抜いてある。
着物と言えば、塚原卜伝は紅の狩衣をつけているし、狩野兄弟は紺の作務衣(背中に「むざんやな かぶとのしたの きりぎりす」とプリントしてある)。 転生した5人の中で、洋服を着ているのは私だけだ。もっとも、我々を甦らせ、リハビリと研究を担当している常駐の馬井医師(典型的な日本人なのに、ブッシュという名で呼ばれていた)、そして昨日から来客として泊まっている医者、比嘉は白衣を着用しているが。
事件のことを記そう。
その日、午後11時、私はセンターの自室にいた。
窓をあけていると、庭に咲き誇っている木蓮の香りが部屋の中でもほんのりと香ってくる。夜風は身体によくない。水色のパジャマだけでは少し肌寒かった。
窓をしめたとたん、隣室から叫び声がした。
私はあわててドアを開けて外に出た。廊下は薄暗く、隣室の比嘉の部屋の前に誰かが立っているのが見えた。 それが誰なのか判別する前に、私は足をすべらせて頭を打ち、不覚にも気絶してしまった。
1分間も気絶していなかったようだ。私はブッシュ医師に揺り起こされていた。
「しっかりしなさい。あの大声の叫びは、あなたですか?」
「いいえ、比嘉さんの部屋からです」
ブッシュ医師の横にいた塚原と共に比嘉の部屋のドアを開けた。
部屋の中で比嘉が刀で斬られて倒れていた。まだ生きているようだ。
比嘉は助け起こした私の顔を見ながら、何かを伝えたそうにしていた。何かを書き残すつもりか、人さし指を宙に舞わせたが、腕を支える力が尽きたらしく、腕をだらりと床に落とした。 そして、私に向かってたどたどしく言った。
「行ってよし」
何のことだかわからず、けげんな顔をしている私に、比嘉は最後の力をふりしぼってメッセージを残してくれた。
「犯人は死んだ」
比嘉は息絶えた。ブッシュ医師が聞いた。
「今、何と言ったのですか」
「犯人は死者だと言い残しました」
開いたドアには、遅ればせながら駆け付けた狩野兄弟と木蓮の姿が見えた。木蓮の香りが部屋の中にまで入ってきた。
比嘉の部屋には、夜食のために持ち込んだと思しきヨーグルト、甘茶、しそアメと、ティッシュ1箱があるきりで、凶器らしきものは無かった。
ブッシュ医師は説明した。
「転生した者は生死についてのモラルが抑制できず、平気で人を殺してしまう場合があるらしい。比嘉医師は理由もなく殺されたのだ」
ブッシュ医師は塚原の方をジロリと見た。
たしかに、塚原が腰にさしている刀は、最も怪しい凶器ではないか。
塚原もことさら自己弁護する気もないようだ。
しかし、私は犯人は塚原ではないような気がしてならなかった。
ブッシュは塚原をしっかり見据えて言った。
「私が叫び声を聞いて比嘉医師の部屋に駆け付けたとき、廊下には昏倒しているサムと、立っている塚原氏がいました。今から考えると、おかしな情景でした。 なぜなら、塚原氏は今も、ほら、ヘッドホンステレオで何かを聞いているのです。叫び声が聞こえるはずがないのです。 それなのに、彼が比嘉医師の部屋の前にいたのは何故なんでしょうか」
ブッシュは塚原を指差した。
「犯人は塚原さん、あなたですね。比嘉医師は死ぬ直前に人さし指を立てて犯人を示そうとしました。誰かを指差すつもりかと思いました。 もしそうであれば、犯人は私とサム、塚原氏3人のうちの誰かだということになります」
私は犯人ではない。おのずから犯人は絞り込まれた。
「しかし、比嘉医師は誰かを指さす力も残っていなかったようです。そのとき、私はわかりました。比嘉医師は人さし指をたてて、『1』をあらわそうとしたのだと。 塚原卜伝と言えば、『一の太刀』です。比嘉医師は塚原氏を告発しようとしたのです」
塚原はブッシュの言葉が終わると、ヘッドホンをはずして言った。
「あなた、ヘッドホンステレオで音楽を聞いたことがありますか?」
ブッシュはなぜか、顔を赤くした。
□解決編
今まで黙っていた木蓮が指摘した。
「ヘッドホンステレオで音楽を聞いていても、よほどの大音量で聞いていないかぎり、外の音は聞こえるし、会話も普通にできます。 塚原さんが叫び声を聞くのは充分可能です。それに、比嘉さんは死ぬ前にちゃんとしゃべっているのですから、『一の太刀』をあらわすために、無理な力を使う必要などなく、口で言えばいいのです。 比嘉さんはそんなことを示したのではありません」
木蓮がしゃべるたびに、かぐわしい木蓮の香りがただよってきた。
「サムさん、比嘉さんが死ぬ前に言ったのは、何でしたっけ」
私は説明した。
木蓮は納得したようにうなずいて、言った。
「それでわかりました。犯人は塚原さんに間違いありません」
攻守一転して、今度はブッシュが木蓮に言いつのった。
「じゃあ、なぜ、比嘉医師は塚原を指ささなかったんだ」
「それだけの力が残っていなかった、というのはブッシュさん、あなたが言いましたよ」
「でも、犯人はおまえだ、とでも言えばわかったんじゃないか」
「犯人は、ウマイだ、とですか?」
「ウマイは私の名前だ。おまえ、と言えば」
「比嘉さんは『おまえ』という言葉をもしも『馬井』と聞き違えられたら、ブッシュさんに容疑がかかると思って、『おまえ』という言葉を使えなかったのです」
「じゃあ、犯人はこいつだ、と言えば」
「香逸さんのことだと思われます」
「犯人はそいつだ、と言えば」
「宗逸さんだと思われます」
「指さす必要もないぞ。犯人は塚原だと言えばな」
「私が犯人だとでも言うのですか。犯人はスカパラだなんて」
「ツカハラと言ったんだ!スカパラじゃない!じゃあ、ストレートに『卜伝』と言えばいい」
「比嘉さんは花粉症でした。『ボクデン』という声は、鼻が詰まった状態で『モクレン』と言ったのと区別がつきません。ツカハラボクデンなんて言えばスカパラ木蓮で、完全に私をさす言葉になってしまいます」
「よし、わかった。犯人は侍。これでどうだ」
「サム・ライミさんのことだと思われます」
「犯人は武士だ、では」
「犯人はブッシュだ、と聞かれるおそれがあります。比嘉さんは、少しでも他の人をあらわしてしまいそうな表現をとりたくなかったのです」
「じゃあ、犯人は剣豪。これなら誰ともかぶらないぞ」
「そうです。比嘉さんはそう言い残しました」
「なに?」
「比嘉さんは、剣豪と言い残しました。でも、サムさんはそれを英語だと勘違いしました。サムさんは見た目は外人なので、日本語をしゃべれるとわかっていても、英語で話しかけられることも不思議ではなかったのです。 『ケンゴー』は『can go』訳すと『行ってよし』になります」
私は驚いた。あれは英語ではなく、れっきとした日本語だったのか。
「比嘉さんは、自分の言葉がサムさんに伝わっていないことを察し、違う言葉で犯人が塚原さんだということを言い残そうとしました。それは、衣服の色です。 比嘉さんは、犯人は赤い服を着ている、と言おうとしました」
「しかし、そんなふうには言ってないぞ」
「比嘉さんは、サムさんに、今度は英語を使ったのです。ただし、赤色をあらわす『red』という単語は、花粉症で鼻がつまっていたため、『dead』と聞こえてしまいました」
デッドではなく、レッドだったのか。
塚原はうんうんとうなずいた。
「なるほど、そういうことだったのか。なぜ、素直に私の名を告げぬのか解せなかったが、これで氷解しました」
私には一つわからないことがあった。
「ところで、なぜ塚原さんは比嘉さんを斬り殺したのですか」
塚原は、ことの次第を語ってくれた。
その話に、われわれ一堂は驚愕した。
しかし、それはここでは言わぬが花であろう。
「がんばれクリンクリン」 池上宣久
□問題編
花の香りに囲まれて、俺は途惑っていた。間違いなく男は花屋の中を縦横無尽に歩きまくっていた。花の陳列棚の裏側にまで入りこんでいる。 何の意味があってこんな歩き方をしたのだろう?
俺の名前は、クリンクリン。某研究機関で品種改良されたスピッツで、人間並の頭脳を持つ。弟のグリングリンは体格の方の品種改良で、どこかのお金持ちに買い取られていった。
今夜は俺が刑事犬になるための最終試験だった。
場所は警察署近くの小さな商店街。そこに残っているある男の匂いを追いかけることによって、男の行動を読み取りその目的を推理するというのが、試験の内容だ。
時間は夜の十時になるが、全ての照明はつけられ、店舗は開いている。商店街は昨日今日と二日続きのイベントで通常営業をしていなかったらしく、警察が無理を言って俺の試験のために場所の提供を受けたということだ。 店の人は誰もいなかったが、俺のまわりを、試験官と数人の警官が囲んでいた。
商店街のほぼ真ん中がスタート地点だった。男の持ち物だというハンカチを嗅がされ、試験は始まった。男は今日の朝から夕方にかけての時間帯に商店街を歩いたらしい。
すぐに俺は男の匂いを捕捉して、追跡を開始した。商店街は東西に伸びていて、臭跡は西に向かっていた。匂いはかなり濃厚に残っている。 男は恐らく歩いている。それもかなりゆっくりだ。
臭跡は、商店街のアーケードが切れる手前二十メートルほどのところでUターンした。今辿ってきた臭跡と並行して商店街を戻っていく。
臭跡はスタート地点と折り返しの地点を行って戻って行って戻って、結局四往復した。
男は何かを歩測していたのだろうか?
しかし、男は決してまっすぐ進んではいなくて、かなり長い間同じ場所に留まっていたり、後戻りしたり、小刻みに左右に蛇行したりしていた。
それとも、どれかの店の様子をうかがっていたのだろうか?
注目すべきは、往復の臭跡は全く同じコースを辿るのではなく、一回折り返すごとに徐々に南側の店舗の方に近寄っている点である。ということは、南側の店が鍵か?
商店街の長さは約百メートルで、四十軒ほどの店舗がある。
南側には東から、不動産屋、家具屋、化粧品屋、喫茶店、玩具店、オランダ料理店、花屋、写真屋、薬屋、マクドナルド、弁当屋、美容室、クリーニング屋、宝石屋、ジャマイカ料理店、ガスショップ、100円ショップ、コンビニ、カメラ屋、スポーツ店と並び、 北側には東から、パン屋、服屋、文具屋、民家、煙草屋、酒屋、中華料理屋、スーパー、金物屋、本屋、眼鏡屋、時計屋、靴屋、マンション、八百屋、肉屋、散髪屋、果物屋、電気屋、お菓子屋と並んでいる。
四往復を終えた臭跡は、スタート地点でUターンせずそのまま直進して東に向かい、突然南に折れ曲がった。
向かった先が、花屋だった。商店街の会長の店だ。そこで俺は途惑ったのである。臭跡は店舗に入って、ほぼ壁沿いを移動していくのである。そこにはたくさんの花が陳列されている。男はその花の鉢と鉢の間をぬうようにして歩んでいた。 歩くのに足元の鉢が邪魔だろうから、横に動かして後で戻した痕跡も残っていた。
花屋を後にした臭跡が次に向かったのは、三軒隣りの喫茶店だった。商店街の副会長の店だ。入り口を入った臭跡は、客席にではなく、まっすぐ厨房に向かい、何と洗い場を足がかりにしてカウンターを乗り越えた。 カウンター越しに店内に入った男は客席に座ることなく、外へ出て行く。
俺は激しく混乱した。男の行動がまったく理解できなかった。
訳の判らない行動はさらに続く。
臭跡は、今度は喫茶店の向かいの、商店街唯一の民家に向かった。向かって左に玄関があり、右に窓がある。男は窓を開けて、そこから家の中に入ったようだ。 警官にキャンキャン鳴いてアピールして、窓の上に乗せてもらった。そこは居間のようで、奥の部屋から住人の老夫婦が心配そうに俺を見ていた。土足なので気がひけたが試験中なのだから仕方がない。 俺は軽く老夫婦に会釈して畳の間に降り立ち、臭跡を追った。
玄関から出て行った臭跡は、今度は北側の店の前を通って西に向かっていく。
スーパーに入る。すぐに二階に続くエスカレーターがあった。エスカレーターは止まっていて、臭跡は二階に上がってすぐに一階に下り、店を出て行った。 外に出てから俺は気になって店に引き返した。やはりそうだ。男が上がったのは下りのエスカレーターで、下りてきたのは上りのエスカレーターだった。
外に出た臭跡が次に向かったのは、マンションだった。階段とエレベーターが並んでいたが、臭跡は階段を上がって行く。三階まで上がって、エレベーターで下りて来た。 エレベーターに乗っている間もじっとしていなかったようで、狭い箱の隅々にまで男の匂いがついていた。
マンションを出た臭跡はさらに西に向かう。最初に四往復した折り返し地点も通り過ぎ、商店街の西の端にまで辿った先に、試験官の一人が立っていた。
「クリンクリン。ご苦労だった。試験はここまでだ。男の行動が理解できたかね?」
俺は脳漿が涸れ尽くさんばかりに考えた。
試験官は俺を警察署に連れ帰った。
ある部屋に案内されると、そこはガラスで二分されていて、ガラスの向こうに胸に番号を書いた札をつけた四人の男が立っていた。
1番の男は、小錦だった。2番はモハメッド・アリで、3番は乙武君で、4番はタモリさんだった。
「問題の男は、彼ら四人の中にいる」
試験官は言った。
ガラス越しなので、男たちの匂いを嗅ぎ取ることはできなかった。
「1番だと考えるなら一回だけ吠えなさい。2番なら二回だ。分かったね」
俺はコクンとうなづいた。考えは決まっていた。
「では、答は?!」
試験官は指し棒でガラスを二回叩いた。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
問題編投稿2003年05月12日(月) 23時43分時点では、ここで問題編は終わっていたのですが、No.1188「難問」で、あっさり保山さんに犯人を当てられてしまいました。
男の行動原理こそが解明すべき問題ですので、本来の問題編は、試験官がクリンクリンに、「男の行動が理解できたかね?」と尋ねるところで終わりです。 それ以降の文章は元から継ぎ足しなのでした。
2003年05月13日(火) 22時00分に、以下の文章を継ぎ足しました。一時の座興としてお楽しみ下さい。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
俺は四回吠えた。
「正解だ。クリンクリン」
検査官がそう言ったので、合格かと喜んだが、そんなに甘くはなかった。
「恐らく君は他の三人ではあり得ないという消去法によってタモリが犯人だと導いたのだね」
図星である。
「では試験の第二段階だ」
試験官はガラスの向こうに合図を送った。そうすると、四人は奥のドアから出て行き、別の四人が入って来た。やはり胸に番号札をつけていた。
「問題の男は、彼ら四人の中にいる」
試験官の言葉に驚いて、その顔を見上げた。
「まさか君はあんな有名人が協力してくれていたと本気で思っていたのかい。彼らはみなそっくりさんだよ」
そうか、最近は乙武君のそっくりさんまでいるんだ…。
「1番は安孫子正浩さんだ。2番は辻本真孝さん、3番は保山宗明玉さん、4番は池上宣久さんだ」
俺は、「Q.E.D」の大ファンである。「The Tragedy of M」での推理合戦の様子はつぶさに見ていたし、ホームページも頻繁に覗いていたので、四人の性格は把握しているつもりだった。
つまり「試験の第二段階」とは、性格判断なのだ。男の行動原理を考えた時、誰の性格がその原理にそぐうのか、という…。
「1番だと考えるなら一回だけ吠えなさい。2番なら二回だ。分かったね」
試験官は同じ説明を繰り返した。俺の考えは決まっていた。
「では、答は?!」
試験官は指し棒でガラスを二回叩いた。
◎参考
安孫子正浩さん→http://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/9924/
辻本真孝さん→http://www.geocities.jp/msnr0810/
保山宗明玉さん→http://homepage3.nifty.com/hozan/
□解決編
久し振りにグリングリンが研究所に帰って来た。
「わーい。クリンクリン兄ちゃん」
グリングリンが地響き立てて迫ってきたので、俺は逃げた。
「兄ちゃん、兄ちゃん」
「こらグリングリン。危ないからやめなさいって。じゃれつくんじゃない。こら死ぬじゃないか」
「だって久し振りなんだもの」
「だってじゃない。いつまでも子供なんだから。この前も雪山で遭難しかけたところだろ。少しは落ち着きなさい」
「カリンカリン姉ちゃんは、今日は帰って来ないの」
「ああ、日本海溝の潮の流れが速くて海面に上がって来れないらしい」
「それはそうと兄ちゃん聞いたよ。刑事犬昇格おめでとう」
「ありがとう」
「でも最終試験ってとても難しいんでしょ」
「ああ、難しかった」
俺はグリングリンに試験の内容を説明した。
男の謎の行動は俺を激しく困惑させたが、謎を解くきっかけは、スーパーのエスカレーターだった。
ここにもまた男の臭跡は濃厚に残っていた。それは、ゆっくり上ったということだ。でももしその時エスカレーターが動いていたなら、男は一段たりとも上がって行けないし、また下ってもいけない。 ということはエスカレーターは停まっていたのだ。
そう考えると下りのエスカレーターを上がって行き、上りを下って行った謎の行動の説明はつく。
エスカレーターは停まっていた。その日はイベントで終日店舗は休んでいたらしいから、それはそうなのだろう。でも、スーパーの入り口は開いていた。
男の行動で不可解なことを羅列してみた。男は花屋の陳列台の間を練り歩いた。男は喫茶店の厨房からカウンターを越えた。男は民家の窓から侵入した。 真っ昼間の出来事である。どうして男は人に停められなかったのだろう?逃げたのではないと分かるのは、すべての臭跡がゆっくりした歩みのものであったからだ。 商店街に人は誰もいなかったのだろうか?そんなことはない。この日イベントをしていたのだから、人がいなかったはずがないし、スーパーも喫茶店も花屋も入り口を開いていたのだ。 男は人々の注視の中を、誰にも邪魔されずすべての行動を成したということだ。
最も不可解なのは、その全ての行程にほぼ六時間をかけているということ。朝十時から夕方四時まで。それは、商店街が行なったイベントの時間帯にピッタリ合致するような気がした。
それらを考え合わせた時、頭に浮かんだのは、男こそがイベントの中心人物ではなかったか、という発想だった。商店街自体が男の行動に協力している気がした。
では男は何をしたのか?
とってもゆっくりした移動。色々な建物への出入り。ようやく気がついた動きの法則性があった。男はすべて右から入って左から出ていたのだ。 喫茶店は店に向かって右側に厨房があり客席は左側で、エスカレーターは右が下りで左が上りで、マンションでは右に階段があってエレベーターは左なのだった。男は大雑把に言うと商店街を右回りに移動していた。 そのため男の臭跡は交差することがなかった。男は歩いていたのだからもとより動きは一筆書きである。
イベントと考えて、以前に見たテレビ番組を思い出した。「商店街対抗ドミノ合戦」というタイトルの特番だった。二つの商店街がそれぞれの商店街を舞台にドミノを並べて、どちらが多くを倒すのかを競うのだ。
ドミノ倒しだ!
「へえ、やっぱり兄ちゃんはすごいや」
「ギネスに挑戦という地元ケーブルテレビの企画だったらしい。ギネス記録は四百万個に近づいてるからこれの更新は無理だけど、単独六時間限定記録で、とりあえず申請してみて通ったら儲けものという安易な企画だ」
「で、結局成功したの?」
「もとからイベントとして駄目だったみたいだ。よく高校生が夏休みを利用して力を合わせてドミノ作るテレビ番組があって、その間に涙あり友情ありで、結構視聴率取るのだけど、あれは編集してるから見れるのであって、全作業をライブで見せられてもなあ。 恐ろしく退屈なイベントになったらしい」
「花屋やスーパーに出入りするのが見せ場なんだね。でも喫茶店のカウンターや民家の窓をドミノが乗り越えるのはどうしたの?」
「それは階段状の台をあらかじめ用意していたのさ。男はその上にドミノを並べて行った。そんな設営に前日に時間をかけていたんだ。前夜祭的なイベントも行なったらしいけどね」
「でもギネスに載ったらいいね」
「駄目だろうな。最初のドミノの一押しを商店街の会長がするのだけど、その前に挨拶する時にうっかりマイクを倒してしまったんだって。 それで、ドミノが倒れ始めてしまって、慌てて停めて、時間がないからみんなで修復して、それであらためてスタートしたのだけど、途中で停まりまくったらしい。 それは男の責任ではなくて並べ直した人がミスをしたのだ本来なら倒れていたはずだと言い訳をして、指で倒して最後までドミノを倒し切りはしたみたいだけどね。それでギネスはきついよ」
「そうか。残念だったね。あ、それで結局誰が犯人なの?」
「それの絞り込みは簡単だった。ことはドミノだからね。まず池上には絶対に無理だね。掲示板上での二重投稿や、誤字脱字の多さから自然と醸し出される粗忽な性格からして、間違いなく細かいミスを連発の末、ドミノは十メートルも続かないだろう。 次に保山さんも該当しない。あの人が並べるなら恐らく人間の干物、ミイラとかとんでもないものを並べるはずだ。あんな凡庸なドミノであるはずがない。 また、安孫子さんはデートで忙しいからドミノを並べる時間はない。したがって、男は辻本さんだね。QEDの管理人振りや掲示板の書き込みなどに我慢強い誠実さを窺うことができる」
「すごいすごい。兄ちゃんはすごいや」
グリングリンは嬉しくなって、俺のまわりを走り出した。
「すごいすごい。兄ちゃんまるで諍屋さんみたいだ」
グリングリンは突然止まった。
「あれ?諍屋さん?」
と、首を捻る。
「どうしたんだグリングリン?諍屋さんというのは、たしかお前の飼い主の友達じゃなかったか?」
「ああっ!」
「どうしたんんだ?大きな声だして」
「思い出した。諍屋さん、雪山に置き去りのままだ!」
「目はしがきいて賢い」 長井正広
□問題編
「眼球がしょぼしょぼして、かなわないな・・・」
満干全席は招待客の一人、花野愛子(薬剤師)から目薬を受け取って、さっさと寝室へ向かった。かつてない実験料理の宴のピンチとなった。 満干全席は何とか料理を完成したものの肝心の料理人がダウンしてしまったのだ。
今回のテーマは「花の香り」で、満干全席は花づくしの料理とともに花の香り1号(甘くていい香り)・2号(ふんわかいい香り)を生み出していた。 しかし、その香りのせいで目から涙が止まらなくなったのだ。
食卓には花づくしの料理、菜の花の姿煮・タンポポの活造り・天津飯のチューリップ添えが並んでいた。
「あら、いい香り!」 花野が声を上げる。
「私にはまるで匂いません・・・」 花山大吉(素浪人)がつまらなさそうにつぶやく。「いや、皆が主張しあうすごい匂いだ」 花田おさる(スポーツ冒険家)がためいきをつく。
「そういわず、さあ」 給仕に残っていた三番弟子、満干半席が皆にとりわける。
食事が終わりかけた頃、厨房から半席がすっとんきょうな声を上げて出てきた。
「1号を料理に入れてしまっている! 香りを発散させるまで時間がかかるから、先生もわからなかったんだ。だから、こんなに香りがすごいんだ。皆さんも気をつけてください。 先生が2号がもし、混ざると、えげつない香りになる、とつぶやいているのを聞いたことがあります」 半席は急いで厨房を見渡す。
「2号は・・・、あっ、少しなくなっている」
「厨房に入る機会はみんなあったけれど、私じゃないわよ」 花野がいう。
「いくら、冒険家でも、香りは願い下げだよ」 タンポポの種をあちこちに飛ばしながら、花田が地団太を踏む。
「私が見に行ってあげますよ」 花山がさっさと満干全席の寝室に向かってしまった。その間、2号の香りの液体の行方を探したが、どこにも見つからなかった。
しばらくして、全席さんは眠っていて、起きそうにありません、と花山が帰ってきて話した。半席は寝室に向かいかけたが、やめた。
「先生は途中で起こされると、怒り狂いますから・・・。この2号の瓶は私が預かっておきましょう」
結局、何もわからずじまいで、夜は更けていった。一人をのぞいた、皆がえげつない匂いに包まれた自分に恐怖を覚えながら眠った。
翌朝、うぎゃ、という満干全席の叫びで皆が起こされた。ナイトキャップにネグりジェ姿、おまけに口の周りにタンポポの種をつけた満干全席が寝室から現れた。 その顔からはえげつない香りが漂っていた。誰かに2号を入れられたのか。誰に?
□解決編「許して」
(注:掲示板への書き込みを引用しています)
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投稿日 : 2003年05月16日 22時19分
投稿者 : 保山宗明玉
Eメール :
タイトル : 推理一番のり?
URL :
花野愛子は満干全席の2号さんだった。
花野の目薬によって、全席の身体には、「2号の成分」が注入されたということだ。
花野は目はしがきいて賢い、いわゆる「目から鼻にぬける」タイプだったので、2号成分が目薬として目から入り、鼻にぬけてエゲツナイ臭いになったのだ。
タンポポの種を口のまわりにつけていたのは、2号でパイパンの花野が自らの陰部にタンポポの種をいっぱいつけて、カツラがわりにしていたのを、全席がクンニリングスして、口の周囲についたもの。
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投稿日 : 2003年05月19日 02時45分
投稿者 : 保山宗明玉
Eメール :
タイトル : 猫嫌い
URL :
酒が好きで鼻がきかない、花山大吉が自分のもっているひょうたんに2号を入れていた。
ナイトキャップとして全席は花山と酒を飲み、2号を口にすることになった。
花山も1号と2号を摂取しているので、えらい臭いになるはずだが、花山は鼻がきかないし、おまけに効果がスロー人なのだ。
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・・・溶暗。スポットライト。厨房の中央にいつもの神主がいつものようにたたずんでいる。神主がいつもの口調でささやくようにいつものせりふ。「この世には・・・」
「さて、すでに保山氏が解答しているようですが、あらためて神主の私の方から、一言。登場人物たちの満干全席への関わり方ですが、まず花野愛は目薬を渡しました。 次に花山大吉は眠っているかどうか、確かめました。花田おさるはタンポポの種を飛ばしています。半席は2号を持ち去りました。そして、この日の行動ですが・・・」
ふたたび、溶暗後に照明。花野が中央で目薬に液体を注いでいる。言うまでもなく、2号である。神主は袖から一部始終を観察している。
「かんたんに厨房に入れますが、花野の行動に気づくものはいませんでした。もちろん、私をのぞいて・・・」
やがて、しょぼしょぼして、困り果てている満干全席のシーンが挿入され、問題編のシーンへとつづく。
「では、満干全席の寝室へ移りましょう」
満干全席のいびき。とても、何回も殺される男とは思えない、寝姿。
「花山は匂えないので、すでにかすかにえげつない匂いが漂っているにもかかわらず、わかりません」
鼻をつまんで、いやいやしながら神主が話す。
「花山はいたずらのつもりか、種を満干全席にくっつけました。匂えない者にしか、こんなまねはできません。・・・こらっ、早く出て行きなさい!」
神主に叱責されて、すごすごと出て行く花山。
溶暗後、いつのまにか問題編の朝のシーンへ。
「満干全席のこの姿で問題編は終わりです。保山氏の解答に付け加えるものはないようです・・・」
神主がひとつため息をつく。
「作者はわからないだろうなって、思って問題編につけたタイトルまで、当てられて次の問題編は八月まで書けない、と肩を落としていましたから。そう、目から鼻に抜ける、の通りです。 だから、オチは顔の辺りで匂っていたのは、まさに鼻で匂っていた、つまりテーマ「花の香り」は「鼻の香り」だったというわけです」
神主はゆっくりと後方へあとずさっていく。ライトの焦点がしだいに神主の顔へ。神主は顔の端へ手をかける。ずずっと、顔をめくる。そこには・・・、*****が。
第7回(2003.4.7~) テーマ:意外な犯人
「π」ジュニア
「迷惑館の殺人」保山宗明玉
「川田興業ビル連続墜死事件」池上宣久
「π」 ジュニア
□問題編
黒田アーサー!
惜しいが違う。
予備校の恩師の名前は、野田アーサーだった。
私の名前は、オリエント京子。
これも惜しい名前だ。理由は後述する。
今回の事件はつくづく寓話的様相を帯びているのだ。
野田先生を過去形で語ったのにはわけがある。
1ヶ月前に連続殺人鬼、上野に殺されたのだ。
上野は大金持ちで、自らの快楽の為に人殺しを繰り返していたのだ。
警察でもつきとめていないその事実を知ったのは、私の持つ特殊な能力のせいだ。
野田先生の遺留品を手にした時、殺人の瞬間のありさまがはっきりと見えたのだ。
詳しく調べるうちに、上野が人里離れた所に潜んでいることもつきとめた。
かつては重力センターという研究施設だった建造物を買い取って改造し、住まいにしているのだ。
私の能力が念力や瞬間移動であれば、上野に一矢報いるのもたやすかったのに、と悔やまれる。
野田先生のかつての教え子たちは、上野への復讐を誓って集まった。
母校の教室にすわりきれない程集合した団結式でリーダーが決まった。
リーダーは私の胸を辺りをちらちら見ながら、我々の復讐チームを「π」と命名した。
「怨讐」と「円周」をかけてもいるらしい。
こうして、司直の手にゆだねることなく、我々全員が殺人鬼を殺しに行くことになった。
全員で殺すのだ。私の名前が惜しい、という意味がおわかりいただけただろうか。
決行当日、我々はひなびた無人駅におりたった。
駅から続く1本道を進もうとしたとき、Dr.Oが言った。
彼は片手が義手の男で、ドクター・オーではなく、ドクロと読ませるらしい。
「私が偵察がてら先に行く。1時間後に追い掛けてきてくれ。何かあったら携帯で連絡する」
我々は駅舎で待機することにした。
ここは人家もほとんどなく、待っている1時間に通った車も2、3台程度だった。
特に何の連絡もなく、1時間後我々はドクロの後を追って進んだ。
途中、分岐路の近くの茂みに死体が2つ隠してあるのを発見した。
私は早速、死体を触ってみた。
例の能力を使ってわかったことは、死体は殺人鬼の手下で、分岐路の道標を左右逆にして、我々を違う道へ導こうとしたらしい。
そこにドクロが身を隠しながらやってきた。
2人の会話の内容から、彼らが殺人鬼の手下だと判断したドクロは、問答無用にアーミーナイフでのどを掻き切ったのだ。
その揉み合いの際、ドクロの携帯がこわれ、我々への連絡がとれなくなったようだ。
上野は我々が襲うことを事前に知って、罠を仕掛けていたのだ。
ドクロは足跡から判断すると、間違った道標にだまされて、右側の違う道を進んだようだ。
「わかった。俺が追い掛ける」
と、ソルティ乃木が言った。
ドクロは乃木にまかせて、我々は上野のいる左へ先を急いだ。
その道程には罠がふんだんに仕組まれていた。
「うわーっ」
宇崎四郎時貞が深い落とし穴にはまって出られなくなった。
足首を骨折したようだ。
しばらく行くと「この橋渡るべからず」と立て札のある橋にさしかかった。
橋のまん中には地雷が埋めてあるようだ。
端を渡ればいいのだが、何だかシャクだ。
「よし。『この橋』を渡るんじゃなくて」
と、ジュ-ク東郷が橋から離れて指差し、
「みんな、『その橋』を渡るんだ」
と、声をかけた。
全員その橋を渡り、上野の居場所に到着した。
その時、乃木から携帯で連絡があった。
「たいへんだ。ドクロが殺されている。道の向こうの建物に敵らしき人影が見えている。 俺は奴らの動向を監視しておくので、俺を待たずに殺人鬼に復讐してくれ」
我々はついに進入し、殺人鬼を追い詰めた。
上野は叫んだ。
「くそっ。大勢でやってきやがって!首謀者は誰だ」
私はπのリーダーを上野に教えた。
さあ、ここで問題。
πのリーダーは誰?
πの中の名前を記さなかったメンバーは除外します。
□解決編
今回の事件はつくづく寓話的だった。
全員で上野を殺す計画に、私、オリエント京子が参加していたのもその1つ。
その後に続く諸々の出来事も、絵に描いたような偶然の暗示に支配されていた。
まず、ドクロの後を追って右側の道を行ったのが乃木だったことも象徴的だった。
後追いする人物として、乃木はうってつけだった。
言うまでもなく、明治天皇薨去の際、後追い自殺で切腹した乃木将軍を連想させるからだ。
また、不思議の国のアリスの白ウサギのように、深い落とし穴にはまったのは、宇崎四郎だった。
シロ・ウサギならぬシロー・ウザキなのだ。
「この橋渡るべからず」を頓智で切り抜けた一休さんのような男は、ジューク東郷だった。
ジュークは19。
そのまま「いっきゅう」と読める。
これらの暗示以外に、今回の復讐行そのものに、大がかりな見立てが存在していた。
忠臣蔵だ。
πのメンバーは、殺された野田アーサー組の教え子有志が集まったものだ。
アーサー野田組と姓名を逆に読むと、「アーサーノダグミ」「アサノタクミ」
バンザーイ、バンザーイ!
怨みを抱いて死んだ浅野内匠頭(アサノタクミノカミ)をもじったかのような言葉の連なりだ。
一方、かたき役の殺人鬼上野は、吉良上野介に見立てられた。
キラー上野だからだ。
野田先生が殺害されたのは、3月14日だった。
(4月14日提出の問題編で、「1ヶ月前」と記したとおり)
その日付けを忘れまいとして、3.14をあらわす「π」を我々のチーム名に定めた。
奇しくも、松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだのも、同じ3月14日のことだったのだ。
仇討ちの為に集まった人数が、母校の教室にすわりきれない47人であったことも、赤穂浪士四十七士を想起させた。
さらに、上野が潜伏していた場所が、元「重力センター」だというのも、ダメ押しの暗示になった。
重力センターは、単語それぞれを訳すと「グラビティ・中心」になる。
「中心グラ」だ。
これだけ偶然の暗示が揃えば、「π」のリーダーとして選出される人物は1人しかいない。
忠臣蔵、四十七士のリーダー、大石内蔵助の役割を担ったのは、Dr.O。
ドクタ-・オーは「オー医師」で、まさに大石その人であったのだ。
無念なことに、リーダーのドクロは仇討ち前に死んでしまった。
義肢等で人体の半分が人工物で出来ていたドクロの死骸。
「犯人は意外」の言い方からすれば、「半人は遺骸」
ある意味「遺骸な半人」だったのだろう。
ところで、この物語にはもう一つの答がある。
作者からの問いは「πのリーダーは誰か?」だった。
本作品「π」を読んでくださったリーダー(読者)。
それはあなた自身だったのではありませんか。
「迷惑館の殺人」 保山宗明玉
□問題編
(注 この物語は2003年4月14日の出来事であり、人肉嗜食、シャム双生児、人魚、俳句は登場しません)
御戸家に集まった面々はいずれも、つわものぞろいだった。
格闘技の達人、北出。
怪力の持ち主、西岡。
天才的ハッカー、南田。
IQ200の才媛、東畑。
拳銃マニア、中川。
彼ら5人は裏街道の大物、御戸老人の秘書、宮脇から電話で招集を受けた者たちであった。 詳しい用件は御戸老人の口から直接聞かされることになっていた。御戸老人からの招集は、すなわち、秘密厳守の危険な任務に決まっていた。
5人の前にあらわれたのは、御戸老人でも秘書の宮脇でもなく、弁護士の大島だった。
「みなさん、御戸老人は昨夜より病に伏せっており、宮脇秘書はそれにつきそっております。私は御戸老人から本件についての伝言を承ってまいりました」
大島弁護士は本件の報酬金額とその支払い方法等を説明した。
拳銃マニアの中川が言った。
「宮脇秘書から電話で聞いたところによると、その依頼主のところ、ええと、神津家か」
「迷惑館と自称されております」
「結局、その迷惑館で何をすればいいのかは、行ってみて依頼主本人から聞くしかないのか」
「申し訳ございません。御戸老人自身しか今回の任務の内容は把握していないのです」
頭脳明晰の東畑が面倒くさそうに言った。
「とにかく、行くしかないのよ。行きましょう」
5人は車に分乗して迷惑館に向かった。
くわしい地図もなく、道をたずねるにも人通りはゼロ。たどりつくのに困難を要した。
林を抜けたところに迷惑館は建っていた。
「あれが迷惑館か。周囲に建物はゼロだな」
と、怪力の西岡が言った。
迷惑館は大ホールを独立させたような建物で、居住空間は迷惑館から100メートル離れた地下壕に設えられていた。
ハッカーの南田が玄関に近付いた。
「あぶない!」
格闘技の達人、北出が南田の身体を突き飛ばした。
間一髪、南田の立っていた所に上から鉄塊が落ちてきた。
「罠だ。気をつけろ」
5人は建物の周囲をぐるりと回って調べた。近付くと上から重量物が落下してくるようなトラップが方々に仕掛けてあった。 まるで館そのものが悪意を持って人を拒んでいるかのようだ。
南田は怒りながら言った。
「おい、俺たちは呼ばれて来たはずだぞ。どうしてこんな目に会わねばならない!」
「とにかく、俺が入ってみる」
拳銃マニアの中川が玄関から中に入っていった。
中川は玄関の扉をしめ、前後上下左右、全方位に目をやった。
何者の姿も見当たらなかった。
一方、外側では、玄関を真正面に見据えた位置、建物の東側に東畑が監視しつつ5メートル程離れて待機した。
建物の西側には西岡、北側には北出、南側には南田がそれぞれ建物から3メートル程の距離をおいて、監視、待機した。 これでもしも建物に誰かが近付いたり、逃げたり、あるいは、両隣の仲間に異変があれば必ずわかるのである。
そのとき、建物の中から銃声が聞こえた。
北出、南田、東畑、西岡が玄関に集まり、4人同時に玄関から中に入った。
ホールの中央に中川がナイフで刺し殺されて倒れていた。
4人は玄関口に立ったまま現状を確認した。中川の死体と玄関口の4人以外に人はいない。人以外の動物もいなければ、遠隔装置や機械仕掛けでナイフを発射したのでもない。
犯人は自らの手によって中川を殺害したのだ。壁にも窓にも床にも天井にも人も物体も出入りできる隙間や穴はない。
迷惑館の出入り口は玄関1箇所だけで、中は1つの大きな吹き抜けのホールになっていた。他には部屋はない。東西南北にそれぞれはめ殺しの窓があったが、高さ5メートルの位置にあり、人の出入りは不可能である。
同じくはめ殺しの天窓からも何者も出入りすることは不可能である。人が隠れる場所や死角はどこにもなく、もしも誰かがいれば、玄関口から必ず確認することができるのだ。
もちろん、4人は中川の死体1体以外誰も見つけなかった。館の中は適度な採光で明るく、保護色や鏡、偏光ガラス等のトリックによって人間が隠れていたのでもない。
中川の死体のそばに血痕が点々とついていた。中川が発射した銃弾が犯人を傷つけたものである。4人は血痕をたどって、正面奥にある西洋の鎧にたどりついた。中を確かめてみた。何かが入っている。北出が尋ねた。
「おい、これは何だ」
東畑が調べてみて答えた。
「この館1つ吹っ飛ばすくらいの強力な爆薬だったわ。今、リモコンの装置を解除したので、安心よ」
西岡が上下左右に注意を向けながら言った。
「俺たち皆殺しにする気だったのか?」
4人は、中川の死体を運び出して、埋葬することにした。
「くそっ。中川を殺したのはいったい誰なんだ」
と、南田は言った。
読者への挑戦
中川を殺したのは誰でしょう。
そして、なぜ中川は殺されたのでしょう。
もちろん、無差別殺人ではありません。中川の拳銃に対する正当防衛でもありません。
さらに、監視状態の密室(と呼んでさしつかえないと思います)の謎を解いてください。
もちろん、壁等を壊して出入りしてその後修復したわけではありません。秘密の抜け穴等はありません。
中川を殺した瞬間、犯人(単独犯です)はその建物内に存在しており、死体発見後、中川を埋葬するために4人が外に出たとき、迷惑館の中に中川殺しの犯人はいかなる形においても存在していなかったのです。
□解決編
男は迷惑館をめざして長い道のりをやってきた。
扉や窓に近付いたときに上から落ちて来た鉄塊は全てかわした。
こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。
男は充分に用心しながら建物の中に入ったが、どうやら中には誰もいないようだ。
男は2階、3階から地下室まで、すべての部屋と収納スペースを丹念に調べた。
人が潜んでいる気配はさらにない。
そのとき、外で車の止まる音がした。
窓から様子をうかがうと、5人の男女が降り立ち、こちらに向かってくるではないか。
男はマオリ族の盾の後ろに身を隠した。
彼ら5人が敵の傭兵で、強者ぞろいの殺し屋集団だということは、疑う余地がなかった。
この建物が大きな罠の蜘蛛の巣で、自分は自らその巣に飛び込んできた虫のようなものだ、と、男は自嘲した。
外から「あぶない!」という声と、鉄塊の落ちる音が聞こえてきた。扉のすぐ近くまで来たと知れる。
5人全員を相手に闘わねばならないのを覚悟したが、幸いにも、敵は1人で入ってきて、扉をしめた。ただし、手には拳銃が光っている。
男は拳銃男の背後に接近し、電光石火の早業でアーミーナイフで喉を掻き切り、心臓に突き立てた。
拳銃男、中川はふりむきざまに男の腹めがけて発砲した。中川はそのまま身体を回転させてくずおれた。既に絶命している。
男は拳銃を奪い取ろうとしたが、中川の死体の下敷きになっており、たやすく取れそうになく、とっさの判断であきらめることにした。
男は奥の西洋鎧の影に身を隠し、簡単な止血をしてから、屏風の裏を渡りながら北側の窓まで移動した。
玄関から4人が入ってきた。
死体を調べた後、鎧の中を見て何やら会話をかわしている。
今の内だ。と、判断した男は、すばやく窓から外に出て、死にものぐるいで走った。
何としても仲間に合流して状況を伝えねばならない。携帯は途中で落としてしまったのだ。
男の運もそこまでだった。
怪力の西岡が男に追いつき、首の骨をあっけなく折った。
道のまん中に倒れている男を発見した乃木は、近寄って生死を確かめたが、男に生命の徴はなかった。乃木は携帯を取り出し、πの仲間に声をひそめて連絡をいれた。
「たいへんだ。ドクロが殺されている」
50メートル程先の建物の前で、4人が中川を埋葬している姿が遠目に見えていた。
御戸老人から招集を受けた彼ら5人の依頼主は上野であった。
上野は仇を討ちにくるπ47人に対抗するため、多くの手勢を迷惑館に集め、罠を縦横に張り巡らせた。御戸老人に依頼したのは、その中でも中核となるべきエキスパートたちである。 (中川は上野の名前「こうずけ」を電話で聞き、それを神津家「こうづけ」と勘違いしたようだ)
上野は分岐路のもう一方の道の先に、罠の為の建物を用意していた。πをそちらに導き、鉄塊と強力爆弾の洗礼を浴びせようとしていたのだ。
だが、道標操作と、5人の案内の為に分岐路に待機していた上野の手下が、ドクロに殺されてしまった。道標は間違ったままになり、ドクロだけでなく、迷惑館に呼ばれたはずの5人も違う道を進んでしまったのだ。
ちなみに、πのメンバーが駅舎で待機中に目撃した車は、彼ら5人の乗った車だった。
上野のいる迷惑館は元重力センターという特殊な建物であり、中は吹き抜けのホールになっている。身を隠す場所はどこにもなく、玄関以外に出入り口はない。
しかし、罠を仕掛けた建物の方は、窓からの出入りも自由、隠れる場所もふんだんにあったのだ。
御戸老人選抜精鋭軍の残り4人と、新リーダーO・E・C率いるπとの抗争はこの後、長きに渡って展開されるのだが、それはまた別の話である。
「川田興業ビル連続墜死事件」 池上宣久
□問題編
天崎は慌てていた。
諍屋が事件関係者を一堂に集めて「川田興業ビル連続墜死事件」の謎解きをすることになっているのだが、その開始時間に大幅に遅れてしまったのだ。
何としても、あの不思議な不可能犯罪の謎解きを聞かなければならない。
ようやく諍屋が謎解きをする屋敷にたどりついた。正面玄関に廻ると遠回りになるので、裏口が開いているのを幸いに中に入った。
すぐが諍屋が説明する部屋だった。窓越しに諍屋の姿が見えた。もう説明が始まっているようだ。もう玄関に廻っている時間はない。
天崎は窓際に耳を寄せて、諍屋の話を聞くことにした。
ちょうど、謎解きのクライマックスのようだった。
聞き取り難い部分もあったが、天崎は一生懸命耳をそばだてて聞いた。
諍屋は犯人の名前を指摘した。
「犯人は、川田興業ビル内にいた人物でしかないわけですが、それは誰かと言う前に、皆さんに聞いてもらいたい手記がここにあるのです。この事件についての手記です。これを今から読んでみます。
『橋本はマンションの六階の自室の窓から外を何気に見て、公園と川を挟んだ真向かいに川田興業ビルという四階建ての建物があるのだが、その最上階に三つ並んだ部屋の真ん中の窓から人が突き落とされるのを目撃した。
橋本の部屋の方が位置が高くて見下ろす形になったのと、黄色いヘルメットを目深に被った犯人がすぐに窓際から姿を消したため、人相までは判別できなかったが、犯人の方が被害者よりも一回り大きい男だということと、被害者もまた黄色いヘルメットを被っていたことは分かった。 公園の樹木が邪魔をして川田興業ビルの三階から下は見えなかった。
橋本はすぐに警察に通報した。
その同時刻、黄色いヘルメットを被った俺は、川田興業ビルの一階の集会室でヘルメット販売説明会が始まるのを待っていた。開始時刻をかなり過ぎている。 絶対大儲けできるというパンフレットに釣られたのだが、参加者は俺の他に一人(小橋という名前で、身長ニメートルを越す巨体の持ち主だ)しかいなかった。 「営業部長浜口」という名札をつけた大男と「製造部長寺西」という小男から、少し開始が遅れるという断りがあったけど、販売の説明をすることになっている川田社長は出て来なかった。 全員が黄色いヘルメットを被っていた。
小橋がお手洗いに行き、気がつくと部屋には俺一人だけになっていた。その時、外でドンガラガッシャーンという大きな音がするのが聞こえた。
その音は、川田興業ビルの正門の前に陣取った刑事の大木と遠藤にも聞こえたが、その場を動くわけにはいかなかった。指名手配犯の冬木が知り合いの木村を頼って姿を現わすという通報があり、正門を見張っていたからだ。 ビルは四方を塀に囲まれていて、出入り口は正門しかない。監視状態に入ったのが遅れたたため、冬木はすでに中に入ってしまった可能性はあったが、出て来るところを押さえられるかもしれない。 一度だけ人の出入りがあって、冬木かと身構えたが、それは寺西だった。
大木の携帯が鳴り、取ると警察署からで、「目撃通報があって、川田興業ビルの四階の部屋から誰かが突き落とされたらしい。確認してくれ」というものだった。 遠藤に正門の見張りをまかせ、大木は川田興業ビルの敷地に入った。すぐがビルの正面玄関で、建物に沿って裏側に回った。
大きく枝を張った木の根元に、大量の黄色いヘルメットが散乱し、そこに男が倒れていた。ヘルメットは、耐久性テストを客に見てもらうためにそこにピラミッド状に積み上げられて用意されていたもので、その上に落ちたようだ。 男は、川田興業社長の川田だった。ヘルメットを被り、首の骨を折って死んでいた。死体の側に名札が落ちていて、「社長川田」と書かれていた。
すぐに近所の警察署から鑑識と刑事たちが駆けつけてくれたので、あとをまかせて大木はビルの中に入り、会社の者を呼び集めた。 営業部長の浜口、製造部長の寺西、技術部長の木村の三人だ。アリバイを確認すると、浜口は屋上に、寺西は三階に、木村は二階にそれぞれいたと主張するだけで、裏付けるものはなかった。
大木は三人を引き連れて四階に上がった。階段はビルの正面玄関を入ったロビーにあり、その横に集会室とトイレのドアが並んでいた。
四人は、四階の真ん中の部屋に入った。大きな姿見が二枚壁に立て掛けてあるだけで、机も椅子も何もない殺風景な部屋だった。 川田興業は経営が行き詰まっていて、現在仕事で使われているのは二階の部屋だけだった。 今回の説明会は経営の起死回生を狙ってのものだったが、刑事たちはマルチ商法の疑いを持ってずっと以前からマークしていたのだった。
窓の下枠の高さはかなり低く、突かれたらひとたまりもなかっただろう。
携帯が鳴った。橋本の証言を聞きにマンションを訪ねていた刑事の吉村からだった。マンションに目をやると、六階の窓に手を振る吉村の姿が見えた。
「犯人は、被害者よりも一回り大きい男らしい」と、吉村は言った。
川田は中肉中背の男だった。ということは、犯人は大男だということになる。寺西は小男だ。浜口と木村は大男だが、木村には両腕がなかった。 自然と大木の質問は浜口に集中した。
「俺は犯人じゃない!」
突然浜口は大木を突き飛ばし、廊下に出て少し迷ってから、表の階段を駆け下った。階段は裏手にもう一つあって、それはビルの裏口に通じていた。
大木はすぐに後を追いかけた。
俺は集会室で小橋と一緒に刑事から尋問を受けていた。社長の川田が突き落とされて殺されたらしいが、俺はずっと集会室にいたので証人としてはあまり役に立てない。
ドアが急に開いて浜口が乱入してきて暴れだしたのには驚いた。刑事や警官が押さえ込もうとするが簡単には行かず、大乱闘となった。
その時、第二の墜落事件が起きていた。
吉村は、男が川田興業ビルの四階から落ちて行くのを目撃した。先の墜死事件と同じ部屋の窓だった。もう一瞬早く視線を向けていれば、犯人の姿を目撃できたかもしれない。そう思うと吉村は悔しかった。
現場検証を終えた鑑識が川田の死体を担架に載せて移動した直後のことだった。
男は途中の枝に一旦ひっかかり、そこからゆっくりずり落ちて、頭から地面に激突した。男はヘルメットを被っていなかった。男はうつむけに倒れ、額が割れて顔面は血に染まっていたが、まだ息はあった。遠藤は男に近づいた。
「四階の窓から突き落された。犯人は、黄色いヘルメットを被った、俺よりも一回り大きな男」
そう言い残して、男は死んだ。
その顔を見て、遠藤は驚いた。指名手配犯の冬木だった。
大乱闘は、集会室から外に移った。
乱闘に巻き込まれながらも俺が確信を持てたことが一つあった。浜口は怒りに我を忘れて暴れていたが、その怒りは罪を犯した故に発生したのでなく、潔白故であるということだ。
外に出るとすぐに乱闘は収まった。第二の墜落事件発生を知ったからだ。
その時、俺は見た。
(またか)
死体から幽霊が抜け出て来たのだ。俺は霊視能力の持ち主であって、これまでもこんなことが何度かあった。
まず顔が起き上がり、次に上半身がゆっくり持ち上がり、そこから二本の足で立ち上がった。微妙に透けた体。周りの警官たちは誰も気がつかない。
幽霊は最初呆然と突っ立っているだけだったが、しばらくすると周りを見回し始め、俺に気がついた。幽霊はまっすぐ俺に近づいてきた。間に警官が何人もいたがもちろん素通りで通り抜けて来る。
幽霊は俺の目の前で立ち止まった。背は中肉中背の俺と同じ高さだった。
「俺を殺した犯人を探し出してくれ」
幽霊はそう言って、俺から離れなくなった。
刑事に尋ねると、事件発生時に敷地内にいたのは、俺の他には、客の小橋、社員の浜口、寺西、木村だけで、何者かが塀を越えた痕跡はなく、ビル内に誰も隠れていなかったという。
さらに不思議なのは第二の墜落事件の時、容疑者も刑事たちも含めて全員が一階にいたことだ。ビル全体を封鎖した状態でしらみつぶしに調べたのだが、犯人の姿はなかった。
幽霊は自分を殺した犯人が分かれば、成仏できると言う。だから犯人を見つけてくれと俺を頼りにする。変になつく風なのだが、本人が被害者なのだから一番分かるだろうと言うと、頭を打って記憶を一部なくしたようだと答える。
幽霊が記憶喪失って!?
はてさて困った。誰が犯人なのだろう?』
以上です。もうお分かりになったはずです」
諍屋はここで一旦口を閉じた。
□解決編
「犯人は、川田です」
諍屋の言葉を聞いて、俺は耳を疑った。
警察が疑う浜口の無実を信じる俺は、独自にその潔白を証明するために、知人に紹介された諍屋に事件の解決を依頼したのだ。 諍屋は一介の整体師に過ぎないと聞いていたので、幾らかの金を使って情報も集め、それに俺の見聞を付け加えてわざわざ手記にまとめ諍屋に手渡しさえしたのに、その結果がこの馬鹿らしい結論だというのか?
「ではその説明を順々にしていきますが、その前にあなたのある誤解をひとつ解いておきたいと思います」
「誤解?」
「幽霊の正体です。今もあなたの横におられるのですか?」
俺と諍屋は、俺の屋敷の居間にいる。俺は横の椅子に座る幽霊に顔を向けた。幽霊はニコリと笑い返した。
「冬木の幽霊はいるよ」
「その幽霊は、冬木さんではないのです」
「何だって」
「幽霊は、あなたと同じ背の高さだとい言いますが、冬木さんは小男なのです。中肉中背なのではありません。正門監視中の大木さんと遠藤さんが、出入りした寺西さんを冬木さんかと身構えたのは、冬木さんが寺西さんと同じく小柄な男だったからです」
「じゃあ、この幽霊誰だってんだよ?」
「その幽霊は中肉中背だと言われます。事件関係者で、中肉中背の男は一人しかいません。それは、川田社長です。川田さんは、冬木さんが墜落した同じ場所で死にました。川田さんもまたあの場所に幽霊として現われても不思議はないのです」
「俺は冬木の死体からこいつが抜け出すのを見たんだよ」
「幽霊は人の体を素通りするのです。あなたは、手記の中で警官を素通りしながら近づく幽霊の姿を描写されました。とするなら、幽霊は別の死体に重なることも可能だったはずです。 川田さんは、冬木さんが墜死したまさに同じ場所で死んでいました。普通なら、川田さんの幽霊は死体からすぐ抜け出しているところでしょうが、頭を打って記憶を失ってしまった幽霊はその場にしばらく留まっていました。 そして死体は担架に載せられて移動されてしまいます。この時、幽霊だけがその場に地面に横になった形で残ってしまったのです。幽霊は、死体から抜け出たのでなく、死体から抜け落ちたのです。 そこへ、冬木さんが墜落してきました。川田さんの幽霊に冬木さんの死体が重なりました。そこでようやく川田さんの幽霊が立ち上がり、これをあなたが目撃したのでした」
俺は横の幽霊に目をやった。ほうと感心したようにうなづいている。
「その裏付けが一つあります」諍屋は話を続けた。「冬木さんはうつむけに倒れていました。そこから幽霊が起き上がってくるのなら、まず後頭部が持ち上がり、背中が見えて上体が立って来てしかるべきでしょう。 しかし、冬木さんの体から出て来た幽霊は仰向けの状態から立ち上がってきたのです。これはおかしいです。あなたは、川田さんに会ったことがなく、 また墜落した冬木さんは顔を打って血まみれになりましたから人相が分からなくなっていました。ですから、あなたが冬木さんと川田さんを誤認する余地がありました」
俺は幽霊に聞いてみた。
「お前、本当は川田なのか?」
幽霊は人差し指で自分の顔を指して、俺?と聞き直し、それから両手の平を上に向けてお手上げのポースをした。俺はため息をひとつついて、諍屋につぎの話をうながした。
「でも、この幽霊が川田だとしても、冬木が墜落した時、川田はもうすでに死んでいたんだよ。さっき川田が犯人だと言ったけど、犯行は無理だろ。どう説明つけるの?」
「犯行が無理だというのなら、それはどこの誰であっても無理です。ビル内には誰もいなかったのですから。浜口さんの大乱闘の最中に、裏口から入って裏階段を上がって四階の部屋に入ることはできたでしょう。 でも、冬木さんが落ちた後、ビルを封鎖してしらみつぶしにしたのですから、犯人は逃げることができません。それが誰もいなかったというのなら、この事件には犯人はいないのです」
「どういうこと?」
「冬木さんは勝手に一人で四階に上がり、勝手に窓から落ちて死んだのです」
「え。でもさっき、冬木を突き落したのは、川田だって」
「そうです。ですから、冬木さんは二回、四階の窓から墜落しているのです」
「二回?」
「川田さんが突き落したのは、冬木さんの一回目の墜落の時です。橋本さんが目撃した墜落です。橋本さんは、犯人の方が被害者より一回り大きな男だったと証言しています。 冬木さんは小柄な男なのですから、一回り大きい男とはここでは中肉中背の男のことです。川田さんは中肉中背ですから、話は合います」
「でも墜落死したのは川田だったじゃないか」
「川田さんが被害者だと言うのなら、中肉中背の川田さんよりも一回り大きい男が犯人だということになり、犯人は大男の浜口さんか木村さんだということになってしまいますが、木村さんには両腕がないし、浜口さんは犯人ではないと考えるのですよね。 ならば犯人がいなくなってしまいます」
この男は何を言っているのだ?俺は話の先行きが全く読めなくなってきた。
「突き落したのは川田さんで、落ちたのは冬木さんなのです。ここがポイントです。冬木さんは四階の窓から落ちはしましたが、地面には落ちなかったのです。 二回目の墜落の時と同じことが起こりました。同じ窓から落ちたのですから、それも当然のことです。冬木さんは木の枝にひっかかりました。二回目の時はすぐにずり落ちましたが、一回目の時はしばらく木の枝にひっかかったままだったのです」
諍屋はテーブルの上の俺のレポートを指差した。
「それはあなたの手記にも明確に記されてますね。橋本さんが墜落事件を目撃した時間と、あなたや刑事さんたちが聞いた墜落の音、ヘルメットがドンガラガッシャーンと大きな音を立てた時間との間には差があります。 その時間差が、冬木さんが枝にひっかかって留まっていた時間です。その間に、川田さんは四階から一階に降りてきたのでした。つまり四階から突き落した冬木さんを、突き落とした本人がここで追い抜いたのです。 川田さんは一階に降りてビルの裏手に廻りました。驚いたでしょうね。落ちたはずの冬木さんの姿がそこに見えないのですから。川田さんは墜落予想地点に立ちました。その瞬間に、枝にひっかかっていた冬木さんがずり落ちました。 冬木さんは逆様に落ちて、頭と頭が激突しました」
幽霊は痛そうな顔をして、両手で頭を撫でさすった。
「冬木さんは四階から落ちましたが、途中の枝に一旦ひっかかりましたので、墜落の高度はそこからになります。 川田さんは立っていたのですから、彼の身長分も高度から差し引きされますし、また、脳天直撃を受けた川田さんはすぐ横のヘルメットのピラミッドに倒れ込みましたのでこれが緩衝材の役目も果たしました。 結局落下エネルギーはかなり軽減されましたので、冬木さんは死なずにすみました。一方、同じことは川田さんについてもいえますが、これは打ち所が悪かったとしか言えません。 コキンと首の骨を折って死んでしまいました」
幽霊は肩をすくめて、首の裏側を揉み始めた。
「もし、二人がヘルメットを被っていなかったら、頭が直接ぶつかっていたはずですから、お互いの頭に何らかの傷を残していたでしょう。 しかし、ヘルメットを被っていたためそんな傷は残りませんでした。また冬木さんのヘルメットはぶつかった勢いで脱げてしまい、散乱したヘルメットの中に混じってしまいました。 川田さんの体には、墜落したならなくてはならない打撲傷がほとんど残っていませんでしたが、それは、冬木さんと同じ窓から落ちて同じ場所に落ちたのだから、同じように途中の枝にひっかかったのだろう。 そこからずり落ちて、積み上げてあったヘルメットのピラミッドの上に落ちたので、それが緩衝材になったのだろう。そう鑑識は判断してしまったのです」
幽霊は体を両腕で抱いて、うんうんとうなづき始めた。
「冬木さんは死にはしませんでしたが、頭を強く打っています。朦朧とした意識でビルの裏口から入って裏階段を上がっていきました。 ゆっくりゆっくり上がっていきます。そして、浜口さんが乱闘を始めて一階に降りたのと入れ違うようにして、四階の部屋に戻ったのです。 突き落した川田さんに復讐するつもりだったのか、ただ最後に記憶に残る場所がそこだったからか、冬木さんが死んでしまった以上、なぜ戻ったのか、その動機は闇の中ではありますが。 冬木さんは窓際に立ち、そこでバランスを崩して転落しました。またもや枝にひっかかりましたが、今度はヘルメットを被っていませんでしたので、頭が地面に激突することになりました。 死の直前口にしたのは、彼の記憶の最後に明確に残る、自分を突き落した犯人の姿なのでした」
諍屋は口を閉じた。
突然幽霊が立ち上がったので、驚いた。その顔に初めて英知の表情が浮かんでいた。
「思い出した」
幽霊は喜色満面で叫んだ。
「そうだ俺は川田だ川田(中略)だ起死回生を狙ったヘルメット販売も客がたった二人しか集まっていないのを知って自暴自棄になっていた俺は木村の昔の悪行を盾に取ってかくまうか高飛び用の資金を用意するか 脅迫した冬木を窓から突き落したのだがその時にうっかり名札が外れて落ちたのでこれを取り戻すために一階に降りたら落ちたはずの冬木がいなくて 突然頭に衝撃を受けて昏倒したので何者かが俺の頭を殺すつもりで殴ったのだと思い込んだのだが実は冬木が落ちてきて当たったのだと今初めて知った判った了解した 思い出したよしやったこれで成仏できるナンマイダありがとうあっ小さな可愛い天使たちが俺をお迎えにこんな俺でも天国に連れて行ってくれるというのかい有難うじゃあそろそろ行くよさようならさようならあぁぁぁ」
一方的にまくしたてて、幽霊はすうっと俺の目の前から消えた。
「どうやら行かれたみたいですね」
「はい。成仏できたようです。でも諍屋さん、素晴らしい推理でした。あの不思議な事件が糸がほぐれるように解けました」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が鳴いた。
諍屋は小さく頷いた。
俺は立ち上がった。
「あっまさか貴様?!」
「ワハハハハハハハ」
諍屋は高笑いを上げながら、顎に両手をかけて顔の皮をめくりあげた。下から別の顔が現われた。変装していたのだ。
「貴様は覗き見探偵神主!」
「神主は覗き見てるぞ~。どこかで覗いてるぞ~。悪い子はいねが~」
そう言いながら、神主は窓から外に飛び出した。
「迷惑館の殺人」保山宗明玉
「川田興業ビル連続墜死事件」池上宣久
「π」 ジュニア
□問題編
黒田アーサー!
惜しいが違う。
予備校の恩師の名前は、野田アーサーだった。
私の名前は、オリエント京子。
これも惜しい名前だ。理由は後述する。
今回の事件はつくづく寓話的様相を帯びているのだ。
野田先生を過去形で語ったのにはわけがある。
1ヶ月前に連続殺人鬼、上野に殺されたのだ。
上野は大金持ちで、自らの快楽の為に人殺しを繰り返していたのだ。
警察でもつきとめていないその事実を知ったのは、私の持つ特殊な能力のせいだ。
野田先生の遺留品を手にした時、殺人の瞬間のありさまがはっきりと見えたのだ。
詳しく調べるうちに、上野が人里離れた所に潜んでいることもつきとめた。
かつては重力センターという研究施設だった建造物を買い取って改造し、住まいにしているのだ。
私の能力が念力や瞬間移動であれば、上野に一矢報いるのもたやすかったのに、と悔やまれる。
野田先生のかつての教え子たちは、上野への復讐を誓って集まった。
母校の教室にすわりきれない程集合した団結式でリーダーが決まった。
リーダーは私の胸を辺りをちらちら見ながら、我々の復讐チームを「π」と命名した。
「怨讐」と「円周」をかけてもいるらしい。
こうして、司直の手にゆだねることなく、我々全員が殺人鬼を殺しに行くことになった。
全員で殺すのだ。私の名前が惜しい、という意味がおわかりいただけただろうか。
決行当日、我々はひなびた無人駅におりたった。
駅から続く1本道を進もうとしたとき、Dr.Oが言った。
彼は片手が義手の男で、ドクター・オーではなく、ドクロと読ませるらしい。
「私が偵察がてら先に行く。1時間後に追い掛けてきてくれ。何かあったら携帯で連絡する」
我々は駅舎で待機することにした。
ここは人家もほとんどなく、待っている1時間に通った車も2、3台程度だった。
特に何の連絡もなく、1時間後我々はドクロの後を追って進んだ。
途中、分岐路の近くの茂みに死体が2つ隠してあるのを発見した。
私は早速、死体を触ってみた。
例の能力を使ってわかったことは、死体は殺人鬼の手下で、分岐路の道標を左右逆にして、我々を違う道へ導こうとしたらしい。
そこにドクロが身を隠しながらやってきた。
2人の会話の内容から、彼らが殺人鬼の手下だと判断したドクロは、問答無用にアーミーナイフでのどを掻き切ったのだ。
その揉み合いの際、ドクロの携帯がこわれ、我々への連絡がとれなくなったようだ。
上野は我々が襲うことを事前に知って、罠を仕掛けていたのだ。
ドクロは足跡から判断すると、間違った道標にだまされて、右側の違う道を進んだようだ。
「わかった。俺が追い掛ける」
と、ソルティ乃木が言った。
ドクロは乃木にまかせて、我々は上野のいる左へ先を急いだ。
その道程には罠がふんだんに仕組まれていた。
「うわーっ」
宇崎四郎時貞が深い落とし穴にはまって出られなくなった。
足首を骨折したようだ。
しばらく行くと「この橋渡るべからず」と立て札のある橋にさしかかった。
橋のまん中には地雷が埋めてあるようだ。
端を渡ればいいのだが、何だかシャクだ。
「よし。『この橋』を渡るんじゃなくて」
と、ジュ-ク東郷が橋から離れて指差し、
「みんな、『その橋』を渡るんだ」
と、声をかけた。
全員その橋を渡り、上野の居場所に到着した。
その時、乃木から携帯で連絡があった。
「たいへんだ。ドクロが殺されている。道の向こうの建物に敵らしき人影が見えている。 俺は奴らの動向を監視しておくので、俺を待たずに殺人鬼に復讐してくれ」
我々はついに進入し、殺人鬼を追い詰めた。
上野は叫んだ。
「くそっ。大勢でやってきやがって!首謀者は誰だ」
私はπのリーダーを上野に教えた。
さあ、ここで問題。
πのリーダーは誰?
πの中の名前を記さなかったメンバーは除外します。
□解決編
今回の事件はつくづく寓話的だった。
全員で上野を殺す計画に、私、オリエント京子が参加していたのもその1つ。
その後に続く諸々の出来事も、絵に描いたような偶然の暗示に支配されていた。
まず、ドクロの後を追って右側の道を行ったのが乃木だったことも象徴的だった。
後追いする人物として、乃木はうってつけだった。
言うまでもなく、明治天皇薨去の際、後追い自殺で切腹した乃木将軍を連想させるからだ。
また、不思議の国のアリスの白ウサギのように、深い落とし穴にはまったのは、宇崎四郎だった。
シロ・ウサギならぬシロー・ウザキなのだ。
「この橋渡るべからず」を頓智で切り抜けた一休さんのような男は、ジューク東郷だった。
ジュークは19。
そのまま「いっきゅう」と読める。
これらの暗示以外に、今回の復讐行そのものに、大がかりな見立てが存在していた。
忠臣蔵だ。
πのメンバーは、殺された野田アーサー組の教え子有志が集まったものだ。
アーサー野田組と姓名を逆に読むと、「アーサーノダグミ」「アサノタクミ」
バンザーイ、バンザーイ!
怨みを抱いて死んだ浅野内匠頭(アサノタクミノカミ)をもじったかのような言葉の連なりだ。
一方、かたき役の殺人鬼上野は、吉良上野介に見立てられた。
キラー上野だからだ。
野田先生が殺害されたのは、3月14日だった。
(4月14日提出の問題編で、「1ヶ月前」と記したとおり)
その日付けを忘れまいとして、3.14をあらわす「π」を我々のチーム名に定めた。
奇しくも、松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだのも、同じ3月14日のことだったのだ。
仇討ちの為に集まった人数が、母校の教室にすわりきれない47人であったことも、赤穂浪士四十七士を想起させた。
さらに、上野が潜伏していた場所が、元「重力センター」だというのも、ダメ押しの暗示になった。
重力センターは、単語それぞれを訳すと「グラビティ・中心」になる。
「中心グラ」だ。
これだけ偶然の暗示が揃えば、「π」のリーダーとして選出される人物は1人しかいない。
忠臣蔵、四十七士のリーダー、大石内蔵助の役割を担ったのは、Dr.O。
ドクタ-・オーは「オー医師」で、まさに大石その人であったのだ。
無念なことに、リーダーのドクロは仇討ち前に死んでしまった。
義肢等で人体の半分が人工物で出来ていたドクロの死骸。
「犯人は意外」の言い方からすれば、「半人は遺骸」
ある意味「遺骸な半人」だったのだろう。
ところで、この物語にはもう一つの答がある。
作者からの問いは「πのリーダーは誰か?」だった。
本作品「π」を読んでくださったリーダー(読者)。
それはあなた自身だったのではありませんか。
「迷惑館の殺人」 保山宗明玉
□問題編
(注 この物語は2003年4月14日の出来事であり、人肉嗜食、シャム双生児、人魚、俳句は登場しません)
御戸家に集まった面々はいずれも、つわものぞろいだった。
格闘技の達人、北出。
怪力の持ち主、西岡。
天才的ハッカー、南田。
IQ200の才媛、東畑。
拳銃マニア、中川。
彼ら5人は裏街道の大物、御戸老人の秘書、宮脇から電話で招集を受けた者たちであった。 詳しい用件は御戸老人の口から直接聞かされることになっていた。御戸老人からの招集は、すなわち、秘密厳守の危険な任務に決まっていた。
5人の前にあらわれたのは、御戸老人でも秘書の宮脇でもなく、弁護士の大島だった。
「みなさん、御戸老人は昨夜より病に伏せっており、宮脇秘書はそれにつきそっております。私は御戸老人から本件についての伝言を承ってまいりました」
大島弁護士は本件の報酬金額とその支払い方法等を説明した。
拳銃マニアの中川が言った。
「宮脇秘書から電話で聞いたところによると、その依頼主のところ、ええと、神津家か」
「迷惑館と自称されております」
「結局、その迷惑館で何をすればいいのかは、行ってみて依頼主本人から聞くしかないのか」
「申し訳ございません。御戸老人自身しか今回の任務の内容は把握していないのです」
頭脳明晰の東畑が面倒くさそうに言った。
「とにかく、行くしかないのよ。行きましょう」
5人は車に分乗して迷惑館に向かった。
くわしい地図もなく、道をたずねるにも人通りはゼロ。たどりつくのに困難を要した。
林を抜けたところに迷惑館は建っていた。
「あれが迷惑館か。周囲に建物はゼロだな」
と、怪力の西岡が言った。
迷惑館は大ホールを独立させたような建物で、居住空間は迷惑館から100メートル離れた地下壕に設えられていた。
ハッカーの南田が玄関に近付いた。
「あぶない!」
格闘技の達人、北出が南田の身体を突き飛ばした。
間一髪、南田の立っていた所に上から鉄塊が落ちてきた。
「罠だ。気をつけろ」
5人は建物の周囲をぐるりと回って調べた。近付くと上から重量物が落下してくるようなトラップが方々に仕掛けてあった。 まるで館そのものが悪意を持って人を拒んでいるかのようだ。
南田は怒りながら言った。
「おい、俺たちは呼ばれて来たはずだぞ。どうしてこんな目に会わねばならない!」
「とにかく、俺が入ってみる」
拳銃マニアの中川が玄関から中に入っていった。
中川は玄関の扉をしめ、前後上下左右、全方位に目をやった。
何者の姿も見当たらなかった。
一方、外側では、玄関を真正面に見据えた位置、建物の東側に東畑が監視しつつ5メートル程離れて待機した。
建物の西側には西岡、北側には北出、南側には南田がそれぞれ建物から3メートル程の距離をおいて、監視、待機した。 これでもしも建物に誰かが近付いたり、逃げたり、あるいは、両隣の仲間に異変があれば必ずわかるのである。
そのとき、建物の中から銃声が聞こえた。
北出、南田、東畑、西岡が玄関に集まり、4人同時に玄関から中に入った。
ホールの中央に中川がナイフで刺し殺されて倒れていた。
4人は玄関口に立ったまま現状を確認した。中川の死体と玄関口の4人以外に人はいない。人以外の動物もいなければ、遠隔装置や機械仕掛けでナイフを発射したのでもない。
犯人は自らの手によって中川を殺害したのだ。壁にも窓にも床にも天井にも人も物体も出入りできる隙間や穴はない。
迷惑館の出入り口は玄関1箇所だけで、中は1つの大きな吹き抜けのホールになっていた。他には部屋はない。東西南北にそれぞれはめ殺しの窓があったが、高さ5メートルの位置にあり、人の出入りは不可能である。
同じくはめ殺しの天窓からも何者も出入りすることは不可能である。人が隠れる場所や死角はどこにもなく、もしも誰かがいれば、玄関口から必ず確認することができるのだ。
もちろん、4人は中川の死体1体以外誰も見つけなかった。館の中は適度な採光で明るく、保護色や鏡、偏光ガラス等のトリックによって人間が隠れていたのでもない。
中川の死体のそばに血痕が点々とついていた。中川が発射した銃弾が犯人を傷つけたものである。4人は血痕をたどって、正面奥にある西洋の鎧にたどりついた。中を確かめてみた。何かが入っている。北出が尋ねた。
「おい、これは何だ」
東畑が調べてみて答えた。
「この館1つ吹っ飛ばすくらいの強力な爆薬だったわ。今、リモコンの装置を解除したので、安心よ」
西岡が上下左右に注意を向けながら言った。
「俺たち皆殺しにする気だったのか?」
4人は、中川の死体を運び出して、埋葬することにした。
「くそっ。中川を殺したのはいったい誰なんだ」
と、南田は言った。
読者への挑戦
中川を殺したのは誰でしょう。
そして、なぜ中川は殺されたのでしょう。
もちろん、無差別殺人ではありません。中川の拳銃に対する正当防衛でもありません。
さらに、監視状態の密室(と呼んでさしつかえないと思います)の謎を解いてください。
もちろん、壁等を壊して出入りしてその後修復したわけではありません。秘密の抜け穴等はありません。
中川を殺した瞬間、犯人(単独犯です)はその建物内に存在しており、死体発見後、中川を埋葬するために4人が外に出たとき、迷惑館の中に中川殺しの犯人はいかなる形においても存在していなかったのです。
□解決編
男は迷惑館をめざして長い道のりをやってきた。
扉や窓に近付いたときに上から落ちて来た鉄塊は全てかわした。
こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。
男は充分に用心しながら建物の中に入ったが、どうやら中には誰もいないようだ。
男は2階、3階から地下室まで、すべての部屋と収納スペースを丹念に調べた。
人が潜んでいる気配はさらにない。
そのとき、外で車の止まる音がした。
窓から様子をうかがうと、5人の男女が降り立ち、こちらに向かってくるではないか。
男はマオリ族の盾の後ろに身を隠した。
彼ら5人が敵の傭兵で、強者ぞろいの殺し屋集団だということは、疑う余地がなかった。
この建物が大きな罠の蜘蛛の巣で、自分は自らその巣に飛び込んできた虫のようなものだ、と、男は自嘲した。
外から「あぶない!」という声と、鉄塊の落ちる音が聞こえてきた。扉のすぐ近くまで来たと知れる。
5人全員を相手に闘わねばならないのを覚悟したが、幸いにも、敵は1人で入ってきて、扉をしめた。ただし、手には拳銃が光っている。
男は拳銃男の背後に接近し、電光石火の早業でアーミーナイフで喉を掻き切り、心臓に突き立てた。
拳銃男、中川はふりむきざまに男の腹めがけて発砲した。中川はそのまま身体を回転させてくずおれた。既に絶命している。
男は拳銃を奪い取ろうとしたが、中川の死体の下敷きになっており、たやすく取れそうになく、とっさの判断であきらめることにした。
男は奥の西洋鎧の影に身を隠し、簡単な止血をしてから、屏風の裏を渡りながら北側の窓まで移動した。
玄関から4人が入ってきた。
死体を調べた後、鎧の中を見て何やら会話をかわしている。
今の内だ。と、判断した男は、すばやく窓から外に出て、死にものぐるいで走った。
何としても仲間に合流して状況を伝えねばならない。携帯は途中で落としてしまったのだ。
男の運もそこまでだった。
怪力の西岡が男に追いつき、首の骨をあっけなく折った。
道のまん中に倒れている男を発見した乃木は、近寄って生死を確かめたが、男に生命の徴はなかった。乃木は携帯を取り出し、πの仲間に声をひそめて連絡をいれた。
「たいへんだ。ドクロが殺されている」
50メートル程先の建物の前で、4人が中川を埋葬している姿が遠目に見えていた。
御戸老人から招集を受けた彼ら5人の依頼主は上野であった。
上野は仇を討ちにくるπ47人に対抗するため、多くの手勢を迷惑館に集め、罠を縦横に張り巡らせた。御戸老人に依頼したのは、その中でも中核となるべきエキスパートたちである。 (中川は上野の名前「こうずけ」を電話で聞き、それを神津家「こうづけ」と勘違いしたようだ)
上野は分岐路のもう一方の道の先に、罠の為の建物を用意していた。πをそちらに導き、鉄塊と強力爆弾の洗礼を浴びせようとしていたのだ。
だが、道標操作と、5人の案内の為に分岐路に待機していた上野の手下が、ドクロに殺されてしまった。道標は間違ったままになり、ドクロだけでなく、迷惑館に呼ばれたはずの5人も違う道を進んでしまったのだ。
ちなみに、πのメンバーが駅舎で待機中に目撃した車は、彼ら5人の乗った車だった。
上野のいる迷惑館は元重力センターという特殊な建物であり、中は吹き抜けのホールになっている。身を隠す場所はどこにもなく、玄関以外に出入り口はない。
しかし、罠を仕掛けた建物の方は、窓からの出入りも自由、隠れる場所もふんだんにあったのだ。
御戸老人選抜精鋭軍の残り4人と、新リーダーO・E・C率いるπとの抗争はこの後、長きに渡って展開されるのだが、それはまた別の話である。
「川田興業ビル連続墜死事件」 池上宣久
□問題編
天崎は慌てていた。
諍屋が事件関係者を一堂に集めて「川田興業ビル連続墜死事件」の謎解きをすることになっているのだが、その開始時間に大幅に遅れてしまったのだ。
何としても、あの不思議な不可能犯罪の謎解きを聞かなければならない。
ようやく諍屋が謎解きをする屋敷にたどりついた。正面玄関に廻ると遠回りになるので、裏口が開いているのを幸いに中に入った。
すぐが諍屋が説明する部屋だった。窓越しに諍屋の姿が見えた。もう説明が始まっているようだ。もう玄関に廻っている時間はない。
天崎は窓際に耳を寄せて、諍屋の話を聞くことにした。
ちょうど、謎解きのクライマックスのようだった。
聞き取り難い部分もあったが、天崎は一生懸命耳をそばだてて聞いた。
諍屋は犯人の名前を指摘した。
「犯人は、川田興業ビル内にいた人物でしかないわけですが、それは誰かと言う前に、皆さんに聞いてもらいたい手記がここにあるのです。この事件についての手記です。これを今から読んでみます。
『橋本はマンションの六階の自室の窓から外を何気に見て、公園と川を挟んだ真向かいに川田興業ビルという四階建ての建物があるのだが、その最上階に三つ並んだ部屋の真ん中の窓から人が突き落とされるのを目撃した。
橋本の部屋の方が位置が高くて見下ろす形になったのと、黄色いヘルメットを目深に被った犯人がすぐに窓際から姿を消したため、人相までは判別できなかったが、犯人の方が被害者よりも一回り大きい男だということと、被害者もまた黄色いヘルメットを被っていたことは分かった。 公園の樹木が邪魔をして川田興業ビルの三階から下は見えなかった。
橋本はすぐに警察に通報した。
その同時刻、黄色いヘルメットを被った俺は、川田興業ビルの一階の集会室でヘルメット販売説明会が始まるのを待っていた。開始時刻をかなり過ぎている。 絶対大儲けできるというパンフレットに釣られたのだが、参加者は俺の他に一人(小橋という名前で、身長ニメートルを越す巨体の持ち主だ)しかいなかった。 「営業部長浜口」という名札をつけた大男と「製造部長寺西」という小男から、少し開始が遅れるという断りがあったけど、販売の説明をすることになっている川田社長は出て来なかった。 全員が黄色いヘルメットを被っていた。
小橋がお手洗いに行き、気がつくと部屋には俺一人だけになっていた。その時、外でドンガラガッシャーンという大きな音がするのが聞こえた。
その音は、川田興業ビルの正門の前に陣取った刑事の大木と遠藤にも聞こえたが、その場を動くわけにはいかなかった。指名手配犯の冬木が知り合いの木村を頼って姿を現わすという通報があり、正門を見張っていたからだ。 ビルは四方を塀に囲まれていて、出入り口は正門しかない。監視状態に入ったのが遅れたたため、冬木はすでに中に入ってしまった可能性はあったが、出て来るところを押さえられるかもしれない。 一度だけ人の出入りがあって、冬木かと身構えたが、それは寺西だった。
大木の携帯が鳴り、取ると警察署からで、「目撃通報があって、川田興業ビルの四階の部屋から誰かが突き落とされたらしい。確認してくれ」というものだった。 遠藤に正門の見張りをまかせ、大木は川田興業ビルの敷地に入った。すぐがビルの正面玄関で、建物に沿って裏側に回った。
大きく枝を張った木の根元に、大量の黄色いヘルメットが散乱し、そこに男が倒れていた。ヘルメットは、耐久性テストを客に見てもらうためにそこにピラミッド状に積み上げられて用意されていたもので、その上に落ちたようだ。 男は、川田興業社長の川田だった。ヘルメットを被り、首の骨を折って死んでいた。死体の側に名札が落ちていて、「社長川田」と書かれていた。
すぐに近所の警察署から鑑識と刑事たちが駆けつけてくれたので、あとをまかせて大木はビルの中に入り、会社の者を呼び集めた。 営業部長の浜口、製造部長の寺西、技術部長の木村の三人だ。アリバイを確認すると、浜口は屋上に、寺西は三階に、木村は二階にそれぞれいたと主張するだけで、裏付けるものはなかった。
大木は三人を引き連れて四階に上がった。階段はビルの正面玄関を入ったロビーにあり、その横に集会室とトイレのドアが並んでいた。
四人は、四階の真ん中の部屋に入った。大きな姿見が二枚壁に立て掛けてあるだけで、机も椅子も何もない殺風景な部屋だった。 川田興業は経営が行き詰まっていて、現在仕事で使われているのは二階の部屋だけだった。 今回の説明会は経営の起死回生を狙ってのものだったが、刑事たちはマルチ商法の疑いを持ってずっと以前からマークしていたのだった。
窓の下枠の高さはかなり低く、突かれたらひとたまりもなかっただろう。
携帯が鳴った。橋本の証言を聞きにマンションを訪ねていた刑事の吉村からだった。マンションに目をやると、六階の窓に手を振る吉村の姿が見えた。
「犯人は、被害者よりも一回り大きい男らしい」と、吉村は言った。
川田は中肉中背の男だった。ということは、犯人は大男だということになる。寺西は小男だ。浜口と木村は大男だが、木村には両腕がなかった。 自然と大木の質問は浜口に集中した。
「俺は犯人じゃない!」
突然浜口は大木を突き飛ばし、廊下に出て少し迷ってから、表の階段を駆け下った。階段は裏手にもう一つあって、それはビルの裏口に通じていた。
大木はすぐに後を追いかけた。
俺は集会室で小橋と一緒に刑事から尋問を受けていた。社長の川田が突き落とされて殺されたらしいが、俺はずっと集会室にいたので証人としてはあまり役に立てない。
ドアが急に開いて浜口が乱入してきて暴れだしたのには驚いた。刑事や警官が押さえ込もうとするが簡単には行かず、大乱闘となった。
その時、第二の墜落事件が起きていた。
吉村は、男が川田興業ビルの四階から落ちて行くのを目撃した。先の墜死事件と同じ部屋の窓だった。もう一瞬早く視線を向けていれば、犯人の姿を目撃できたかもしれない。そう思うと吉村は悔しかった。
現場検証を終えた鑑識が川田の死体を担架に載せて移動した直後のことだった。
男は途中の枝に一旦ひっかかり、そこからゆっくりずり落ちて、頭から地面に激突した。男はヘルメットを被っていなかった。男はうつむけに倒れ、額が割れて顔面は血に染まっていたが、まだ息はあった。遠藤は男に近づいた。
「四階の窓から突き落された。犯人は、黄色いヘルメットを被った、俺よりも一回り大きな男」
そう言い残して、男は死んだ。
その顔を見て、遠藤は驚いた。指名手配犯の冬木だった。
大乱闘は、集会室から外に移った。
乱闘に巻き込まれながらも俺が確信を持てたことが一つあった。浜口は怒りに我を忘れて暴れていたが、その怒りは罪を犯した故に発生したのでなく、潔白故であるということだ。
外に出るとすぐに乱闘は収まった。第二の墜落事件発生を知ったからだ。
その時、俺は見た。
(またか)
死体から幽霊が抜け出て来たのだ。俺は霊視能力の持ち主であって、これまでもこんなことが何度かあった。
まず顔が起き上がり、次に上半身がゆっくり持ち上がり、そこから二本の足で立ち上がった。微妙に透けた体。周りの警官たちは誰も気がつかない。
幽霊は最初呆然と突っ立っているだけだったが、しばらくすると周りを見回し始め、俺に気がついた。幽霊はまっすぐ俺に近づいてきた。間に警官が何人もいたがもちろん素通りで通り抜けて来る。
幽霊は俺の目の前で立ち止まった。背は中肉中背の俺と同じ高さだった。
「俺を殺した犯人を探し出してくれ」
幽霊はそう言って、俺から離れなくなった。
刑事に尋ねると、事件発生時に敷地内にいたのは、俺の他には、客の小橋、社員の浜口、寺西、木村だけで、何者かが塀を越えた痕跡はなく、ビル内に誰も隠れていなかったという。
さらに不思議なのは第二の墜落事件の時、容疑者も刑事たちも含めて全員が一階にいたことだ。ビル全体を封鎖した状態でしらみつぶしに調べたのだが、犯人の姿はなかった。
幽霊は自分を殺した犯人が分かれば、成仏できると言う。だから犯人を見つけてくれと俺を頼りにする。変になつく風なのだが、本人が被害者なのだから一番分かるだろうと言うと、頭を打って記憶を一部なくしたようだと答える。
幽霊が記憶喪失って!?
はてさて困った。誰が犯人なのだろう?』
以上です。もうお分かりになったはずです」
諍屋はここで一旦口を閉じた。
□解決編
「犯人は、川田です」
諍屋の言葉を聞いて、俺は耳を疑った。
警察が疑う浜口の無実を信じる俺は、独自にその潔白を証明するために、知人に紹介された諍屋に事件の解決を依頼したのだ。 諍屋は一介の整体師に過ぎないと聞いていたので、幾らかの金を使って情報も集め、それに俺の見聞を付け加えてわざわざ手記にまとめ諍屋に手渡しさえしたのに、その結果がこの馬鹿らしい結論だというのか?
「ではその説明を順々にしていきますが、その前にあなたのある誤解をひとつ解いておきたいと思います」
「誤解?」
「幽霊の正体です。今もあなたの横におられるのですか?」
俺と諍屋は、俺の屋敷の居間にいる。俺は横の椅子に座る幽霊に顔を向けた。幽霊はニコリと笑い返した。
「冬木の幽霊はいるよ」
「その幽霊は、冬木さんではないのです」
「何だって」
「幽霊は、あなたと同じ背の高さだとい言いますが、冬木さんは小男なのです。中肉中背なのではありません。正門監視中の大木さんと遠藤さんが、出入りした寺西さんを冬木さんかと身構えたのは、冬木さんが寺西さんと同じく小柄な男だったからです」
「じゃあ、この幽霊誰だってんだよ?」
「その幽霊は中肉中背だと言われます。事件関係者で、中肉中背の男は一人しかいません。それは、川田社長です。川田さんは、冬木さんが墜落した同じ場所で死にました。川田さんもまたあの場所に幽霊として現われても不思議はないのです」
「俺は冬木の死体からこいつが抜け出すのを見たんだよ」
「幽霊は人の体を素通りするのです。あなたは、手記の中で警官を素通りしながら近づく幽霊の姿を描写されました。とするなら、幽霊は別の死体に重なることも可能だったはずです。 川田さんは、冬木さんが墜死したまさに同じ場所で死んでいました。普通なら、川田さんの幽霊は死体からすぐ抜け出しているところでしょうが、頭を打って記憶を失ってしまった幽霊はその場にしばらく留まっていました。 そして死体は担架に載せられて移動されてしまいます。この時、幽霊だけがその場に地面に横になった形で残ってしまったのです。幽霊は、死体から抜け出たのでなく、死体から抜け落ちたのです。 そこへ、冬木さんが墜落してきました。川田さんの幽霊に冬木さんの死体が重なりました。そこでようやく川田さんの幽霊が立ち上がり、これをあなたが目撃したのでした」
俺は横の幽霊に目をやった。ほうと感心したようにうなづいている。
「その裏付けが一つあります」諍屋は話を続けた。「冬木さんはうつむけに倒れていました。そこから幽霊が起き上がってくるのなら、まず後頭部が持ち上がり、背中が見えて上体が立って来てしかるべきでしょう。 しかし、冬木さんの体から出て来た幽霊は仰向けの状態から立ち上がってきたのです。これはおかしいです。あなたは、川田さんに会ったことがなく、 また墜落した冬木さんは顔を打って血まみれになりましたから人相が分からなくなっていました。ですから、あなたが冬木さんと川田さんを誤認する余地がありました」
俺は幽霊に聞いてみた。
「お前、本当は川田なのか?」
幽霊は人差し指で自分の顔を指して、俺?と聞き直し、それから両手の平を上に向けてお手上げのポースをした。俺はため息をひとつついて、諍屋につぎの話をうながした。
「でも、この幽霊が川田だとしても、冬木が墜落した時、川田はもうすでに死んでいたんだよ。さっき川田が犯人だと言ったけど、犯行は無理だろ。どう説明つけるの?」
「犯行が無理だというのなら、それはどこの誰であっても無理です。ビル内には誰もいなかったのですから。浜口さんの大乱闘の最中に、裏口から入って裏階段を上がって四階の部屋に入ることはできたでしょう。 でも、冬木さんが落ちた後、ビルを封鎖してしらみつぶしにしたのですから、犯人は逃げることができません。それが誰もいなかったというのなら、この事件には犯人はいないのです」
「どういうこと?」
「冬木さんは勝手に一人で四階に上がり、勝手に窓から落ちて死んだのです」
「え。でもさっき、冬木を突き落したのは、川田だって」
「そうです。ですから、冬木さんは二回、四階の窓から墜落しているのです」
「二回?」
「川田さんが突き落したのは、冬木さんの一回目の墜落の時です。橋本さんが目撃した墜落です。橋本さんは、犯人の方が被害者より一回り大きな男だったと証言しています。 冬木さんは小柄な男なのですから、一回り大きい男とはここでは中肉中背の男のことです。川田さんは中肉中背ですから、話は合います」
「でも墜落死したのは川田だったじゃないか」
「川田さんが被害者だと言うのなら、中肉中背の川田さんよりも一回り大きい男が犯人だということになり、犯人は大男の浜口さんか木村さんだということになってしまいますが、木村さんには両腕がないし、浜口さんは犯人ではないと考えるのですよね。 ならば犯人がいなくなってしまいます」
この男は何を言っているのだ?俺は話の先行きが全く読めなくなってきた。
「突き落したのは川田さんで、落ちたのは冬木さんなのです。ここがポイントです。冬木さんは四階の窓から落ちはしましたが、地面には落ちなかったのです。 二回目の墜落の時と同じことが起こりました。同じ窓から落ちたのですから、それも当然のことです。冬木さんは木の枝にひっかかりました。二回目の時はすぐにずり落ちましたが、一回目の時はしばらく木の枝にひっかかったままだったのです」
諍屋はテーブルの上の俺のレポートを指差した。
「それはあなたの手記にも明確に記されてますね。橋本さんが墜落事件を目撃した時間と、あなたや刑事さんたちが聞いた墜落の音、ヘルメットがドンガラガッシャーンと大きな音を立てた時間との間には差があります。 その時間差が、冬木さんが枝にひっかかって留まっていた時間です。その間に、川田さんは四階から一階に降りてきたのでした。つまり四階から突き落した冬木さんを、突き落とした本人がここで追い抜いたのです。 川田さんは一階に降りてビルの裏手に廻りました。驚いたでしょうね。落ちたはずの冬木さんの姿がそこに見えないのですから。川田さんは墜落予想地点に立ちました。その瞬間に、枝にひっかかっていた冬木さんがずり落ちました。 冬木さんは逆様に落ちて、頭と頭が激突しました」
幽霊は痛そうな顔をして、両手で頭を撫でさすった。
「冬木さんは四階から落ちましたが、途中の枝に一旦ひっかかりましたので、墜落の高度はそこからになります。 川田さんは立っていたのですから、彼の身長分も高度から差し引きされますし、また、脳天直撃を受けた川田さんはすぐ横のヘルメットのピラミッドに倒れ込みましたのでこれが緩衝材の役目も果たしました。 結局落下エネルギーはかなり軽減されましたので、冬木さんは死なずにすみました。一方、同じことは川田さんについてもいえますが、これは打ち所が悪かったとしか言えません。 コキンと首の骨を折って死んでしまいました」
幽霊は肩をすくめて、首の裏側を揉み始めた。
「もし、二人がヘルメットを被っていなかったら、頭が直接ぶつかっていたはずですから、お互いの頭に何らかの傷を残していたでしょう。 しかし、ヘルメットを被っていたためそんな傷は残りませんでした。また冬木さんのヘルメットはぶつかった勢いで脱げてしまい、散乱したヘルメットの中に混じってしまいました。 川田さんの体には、墜落したならなくてはならない打撲傷がほとんど残っていませんでしたが、それは、冬木さんと同じ窓から落ちて同じ場所に落ちたのだから、同じように途中の枝にひっかかったのだろう。 そこからずり落ちて、積み上げてあったヘルメットのピラミッドの上に落ちたので、それが緩衝材になったのだろう。そう鑑識は判断してしまったのです」
幽霊は体を両腕で抱いて、うんうんとうなづき始めた。
「冬木さんは死にはしませんでしたが、頭を強く打っています。朦朧とした意識でビルの裏口から入って裏階段を上がっていきました。 ゆっくりゆっくり上がっていきます。そして、浜口さんが乱闘を始めて一階に降りたのと入れ違うようにして、四階の部屋に戻ったのです。 突き落した川田さんに復讐するつもりだったのか、ただ最後に記憶に残る場所がそこだったからか、冬木さんが死んでしまった以上、なぜ戻ったのか、その動機は闇の中ではありますが。 冬木さんは窓際に立ち、そこでバランスを崩して転落しました。またもや枝にひっかかりましたが、今度はヘルメットを被っていませんでしたので、頭が地面に激突することになりました。 死の直前口にしたのは、彼の記憶の最後に明確に残る、自分を突き落した犯人の姿なのでした」
諍屋は口を閉じた。
突然幽霊が立ち上がったので、驚いた。その顔に初めて英知の表情が浮かんでいた。
「思い出した」
幽霊は喜色満面で叫んだ。
「そうだ俺は川田だ川田(中略)だ起死回生を狙ったヘルメット販売も客がたった二人しか集まっていないのを知って自暴自棄になっていた俺は木村の昔の悪行を盾に取ってかくまうか高飛び用の資金を用意するか 脅迫した冬木を窓から突き落したのだがその時にうっかり名札が外れて落ちたのでこれを取り戻すために一階に降りたら落ちたはずの冬木がいなくて 突然頭に衝撃を受けて昏倒したので何者かが俺の頭を殺すつもりで殴ったのだと思い込んだのだが実は冬木が落ちてきて当たったのだと今初めて知った判った了解した 思い出したよしやったこれで成仏できるナンマイダありがとうあっ小さな可愛い天使たちが俺をお迎えにこんな俺でも天国に連れて行ってくれるというのかい有難うじゃあそろそろ行くよさようならさようならあぁぁぁ」
一方的にまくしたてて、幽霊はすうっと俺の目の前から消えた。
「どうやら行かれたみたいですね」
「はい。成仏できたようです。でも諍屋さん、素晴らしい推理でした。あの不思議な事件が糸がほぐれるように解けました」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が鳴いた。
諍屋は小さく頷いた。
俺は立ち上がった。
「あっまさか貴様?!」
「ワハハハハハハハ」
諍屋は高笑いを上げながら、顎に両手をかけて顔の皮をめくりあげた。下から別の顔が現われた。変装していたのだ。
「貴様は覗き見探偵神主!」
「神主は覗き見てるぞ~。どこかで覗いてるぞ~。悪い子はいねが~」
そう言いながら、神主は窓から外に飛び出した。
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