2009年1月5日月曜日

第1回(2002.10.21~) テーマ:ドア

「開かなかったか」abiko masahiro
「開かれたドア」池上宣久





「開かなかったか」 abiko masahiro


□問題編

 箱崎警部は男の顔を見た。見ただけでは、中年なのか若いのかも判らない。苦痛で歪んだまま止まっていたからだ。 喉に、自分の指で引っ掻いたと思しい赤い深い跡がついている。赤黒く腫れた舌が長く伸びて口唇からこぼれている。
「ガスですね、青酸ガス」と鑑識がいう。「簡単な装置だ、ほら」と指さした方を見ると、なるほど、狭い部屋の真ん中に 机が置いてあり、その上に子供の工作みたいに仕組みの簡単そうなガス発生装置が置いてあった。何者かが男をこの部屋に 閉じ込め、そこでガスを発生させた、閉じ込められた男はそこで死んだ。ガス発生装置を見ると、透明なプラスティックの ボディのなかにタイマーのようなものが見える。
「閉じ込められたんだな」
 と箱崎警部がつぶやくようにいうと、いや、それが、という声が後ろでした。振り返ると管轄の刑事だった。
「ガイシャは閉じ込められたのではないようです」
 といって指す方を見ると、ドアにはカギが付いていない。ノブには鍵穴もプッシュボタンも何もない。ドアの作りは頑丈だ がひどく簡単だった。ただ握って右に回すと、中のラッチボルトという出っ張りが引っ込むだけ。ドアを閉めているときの抵 抗はその三角形の出っ張りひとつだ。
「犯人は、ガイシャを眠らせてたのかな」
「いえ」
 といって刑事が指したのは、ドアに残された爪痕だった。爪痕だけではなく、拳で打ち破ろうとしたらしい殴った跡もある。
「ガスが発生してからしばらくは、ガイシャはドアから出ようとしてたようです。ドアを叩く音や、開けてくれ、と叫ぶ声 を聞いたという証言もあります」
「しかしカギはかかっていない」
 誰かが閂錠の鍵を外から付けた可能性を考えてみたが、ドアのどこにも、それから部屋の外側の壁のどこにも、そういった 装置の類を取り付けたり外したりしたような跡はない。
「ドアは部屋の内側に開くタイプだから、外に重いバリケードを置いて塞ぐのも無理か」
 箱崎は改めて部屋のなかを見回した。
ガス発生装置の置かれた机と、空っぽの本棚。そして死体。窓の何もない狭い部屋だ。部屋の外は廊下。
「犯人は、なかにガイシャを閉じ込め、装置が作動するのを待った。目撃者の証言では、十分に時間を置きガイシャが死んだ のを確かめたあとで、この家から立ち去っている。問題はいったいどうやってガイシャをこの何の仕掛けもないドアのなかに、 ガスが効くまで閉じ込めておいたかだ」


□解決編

 第一発見者は駆けつけたガイシャの知人だった。知人はこの部屋のドアを開けた際に残 留していたガスを吸い現在は病院に収容されている。確かにドアのノブからは知人の指紋 が見つかっている。ガイシャの指紋はない。犯人が自分の指紋を消し去る際に、一緒に拭 き取ってしまったのだろう。
 知人は意識を保っている、大事をとって入院措置を取っているが、命に別状はない。そ う報告してきた部下が証言を取ってきていた。
「ドアは簡単に開きました」と。
箱崎は部屋から廊下に出て、周囲を眺め渡した。廊下に窓はない、窓の桟とドアノブを ロープで括って固定すれば、内側へ引くタイプのドアだから開かなくすることは出来ます がねぇ、といっていた所轄の刑事がいた。ベテランらしい風貌とその年齢に見合わない洒 脱な口調の中年刑事は、しかし先程、同じ管内の高級住宅地で銃を用いた殺人事件が発生 したとの報を受け、そちらにむかっていった。廊下には何もない。突き当たりで右に曲が る。窓はその曲がった先にある。箱崎はもう一度、ドアを見た。ドアのノブを手袋をはめ た手で一、二度回して見る。カチャリという音がドアのなかから聞こえ、ラッチボルトが 引っ込む。もう一度、回す。またカチャリと音がして引っ込む。
「どうしました」
 側に来ていた刑事が訊ねる。口元に立てた人差し指を当て、もう一度回す。怪訝な顔で 箱崎のすることを見ていた刑事の顔に、ちょっとした緊張が走る。手応えが甘い、それ以 外にうまいいい方が見つからないが、そんな感じだ。回してからボルトが引っ込むまで、 あるいはボルトが引っ込みきる幅、そういったものが微妙に甘い感じがする。プロの取り 付けたドアノブではない、素人が拵えたような、そんな感じだ。
 箱崎はドアノブを激しく動かした。
「鑑識を」
 そういい終える前に刑事は部屋のなかにいた鑑識員を呼んでいる。
「そうか」
 ガタンという音とともに、手のなかの抵抗が急になくなった。ドアノブが取れた。反対 側にある室内のノブも取れた。固定していたビスが落ちるのを箱崎は宙で拾い、鑑識員に 渡した。
「犯人はガイシャを閉じ込めたあとでドアのノブを外したんだ。いや外してから閉じ込め たのかな、とにかくノブのないドアを一旦閉めてしまうと、ラッチボルトを引っ込めるの は容易ではない。押そうが叩こうが開かなかったわけだ。ガスが充満しガイシャが死亡す る、それを確かめたあとで犯人は外側からドアを開けた」
 ドアノブのあった場所はぽかりと円形の空洞になっていた。箱崎はそこに指を差し込 み、内側に出っ張っていたラッチボルトのお尻の部分を押した。簡単に引っ込んだ。
「そうしてドアを開けてから、ノブを元通りに取り付けたんだ」




 
「開かれたドア」 池上宣久


□問題編

 その夜、青田は自宅に黒井とその秘書の訪問を受けた。二人の目的は青田の会社乗っ取りの通告で、これまで資金援助を続けていたパトロンの豹変であった。
 青田の三人の息子たちは激昂したが、青田は彼らに席を外すように指示をした。一郎と二郎は二階の自室に行き、三郎は屋敷を飛び出した。
 しばらく玄関ホールで続けられた話し合いは平行線をたどり、青田は自分の部屋で二人だけで話さないかと提案した。 一発の銃声が響いたのは、青田と黒井が連れ立って廊下の向こうに消えた約一分後のことだった。 玄関ホールに残った秘書は何事が起こったのかと十数秒うろたえ、そして廊下に向かった。
 屋敷は、広大な玄関ホールとそこから伸びた廊下によってL字型を形成していて、廊下沿いに三つ並んだ部屋の一番奥が青田の部屋である。 その開いたドアにもたれるようにして黒井が廊下に倒れていた。その肩を掴んで青田が黒井の名前を連呼している。 走り寄る秘書に気づいた青田は廊下の窓を指差して、「庭から何者かに狙撃された!」と叫んだ。
 開いた窓の向こうに暗い庭があった。
 黒井は真正面から銃弾に左の胸を射抜かれて、ほぼ即死していた。貫通した銃弾はドアの黒井の胸の高さの位置に食い込んで止まっていた。 射程距離は約十メートル。犯人は狙撃の時、屋敷と外壁に囲まれた庭の中にいたはずである。
 庭につながるドアは玄関ホールにしかなく、傍らのゴミ箱から刑事が、凶器の拳銃と手袋を発見した。
 全ての窓には鉄格子が嵌められ、屋敷の出入口は玄関だけだった。 玄関の外には黒井の車が停まっていて、その中で待機していた運転手は、警察の到着までに屋敷を出入りしたのは三郎だけだったと確言した。
 屋敷内には何者も隠れておらず、壁を越えて逃げた痕跡もなかった。
 三郎が屋敷に戻って来たのは事件の発生後だったことを運転手が、一郎と二郎は二階からずっと下りて来なかった (階段は玄関ホールにしかない)ことを秘書がそれぞれ証言し、三人にアリバイが成立した。二階は、一階とは逆に廊下は道路側にあって部屋は庭側に並ぶ。 一郎の部屋は庭を斜めに横切って黒井を狙撃できる位置にあったが、それでは銃弾の入射角度が被害者の胸に対して垂直にならない。なお二郎の部屋は殺害現場の真上にある。
 青田にアリバイは当然ないが、射程距離が問題となった。現場の廊下と部屋のどの距離を測っても十メートルに達しないのだ。 青田が自室の窓際に立って廊下の窓の鉄格子を狙い撃ち、その跳弾で黒井を撃ったとしたなら射程距離の条件はかろうじてクリアするが、 鉄格子にも銃弾にもそんな痕跡は残っていなかった。
 ここまで事件の概要を刑事から聞いて、名探偵諍屋正規は一つの質問をした。
「被害者がもたれていたドアのノブの形状を教えて下さい。」
「よくある丸いノブではなく、細長い柄のレバー型のものでした。レバーを横にすると鍵が閉まり、立てると鍵が開きます。」
「思った通りです。それで、犯人と犯行方法がわかりました。」


□解決編

 黒井は青田の部屋の中で、ドアを背にして撃たれたのである。しかし、それでは着弾距離が足りない。
 犯人は窓の外、つまり外の道路から窓越しに黒井を撃ったと考えれば、着弾距離の間尺は合う。
 黒井はその場に崩れ落ちかけたが、ズボンのベルトがドアの取っ手に引っ掛かり、床に倒れることができなかった。 この時ドアは半開きの状態であったため、着弾の衝撃と黒井自身の体重に押されてドアは廊下側に開いていった。 部屋にいた青田は咄嗟に判断して開きつつあるドアに加勢して壁と平行になるまで押し開き、ここで黒井の体をぐいと持ち上げてベルトから取っ手を外し、床に下ろした。
 この時青田の体に血が付着せざるを得ないから、これを誤魔化すために黒井の名前を連呼しつつその肩を揺さぶり、血はその時に付着したのだと見せかけた。 そこへ、勘蔵秘書が到着したのである。
 もし床に倒れていればそこに血痕を残すことになり、例え死体を移動したとしても真の犯行現場は青田の部屋の中であるとバレていたはずだが、 倒れなかったためドアごと死体が移動することになり、その間の流血は服やズボンに保水され床に痕跡を残さなかった。
 ドアが開くことにより、黒井を撃った銃弾のベクトルは反転し、屋外にいた犯人は屋内にいたとしか考えられなくなってしまった。
 犯人の条件は以下の通り。
 犯行時、屋外にいた人物。
 青田が庇うべき人物。
 犯行後に拳銃を屋内に持ち込めた人物。
 したがって、犯人は三郎である。
 黒井の裏切りを知った三郎は憤怒に我を忘れて屋敷を飛び出し、以前にある闇ルートで入手して情婦に預けていた拳銃を取り上げて戻って来た。 青田の部屋の窓の外を通った時に黒井の姿を窓越しに見かけ、我慢ならず発砲したのであった。
 事件発生時、青田には三郎をかばいたい一心しかなかった。犯人は屋内にいたという状況を作り出せば三郎は疑われない。 勿論青田自身が疑われる可能性を考えはしたがそれは二の次だった。結果として着弾距離の関係で青田は容疑を免れる。
 警察が来るまでの間に勘蔵秘書の話を聞いた青田は、一郎と二郎にアリバイが成立することを知り、携帯電話で三郎を捕まえて屋敷に呼び戻し、 拳銃と手袋をゴミ箱に捨てさせた。
 犯人は黒井と勘蔵秘書が青田家を訪れる前から庭に潜んでいて二人の訪問を待ち、庭から黒井を撃ち、 勘蔵秘書が廊下にやって来て玄関ホールに誰もいなくなった隙に、玄関から外に脱出したのだと、警察に思わせたかった。
 見落としが腎蔵運転手の存在で、犯行を成し得る人物がどこにも存在しないという状況になってしまったのが誤算だった。

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