2009年1月6日火曜日

第9回(2003.6.2~) テーマ:雨

「てんぷらとして死す」ジュニア
「天崎サカヤの事件簿その1」池上宣久
「雨」abiko masahiro





「てんぷらとして死す」 ジュニア


□問題編

 私の名前はオリエント京子。
 男2人、女2人、計4人で旅行している。
 今日泊まるのは、砂地に建つ4つのコテージで、1人各1つずつコテージを利用することになった。
 料理の得意な戸松田新三(とまつだ・しんぞう)のコテージで食事をとり、その後、飲み会になだれこんだ。
 もう1人の男性、四葉頼太(よつば・らいた)はすっかり酔っぱらっている。
 午後10時30分
 飲み会もお開き。全員、自分のコテージに戻ることにした。
 戸松田のコテージの戸口の段差で、四葉がひっくりかえり、砂まみれになった。
 助け起こそうとした戸松田も転んで砂まみれだ。
 四葉は体についた砂を払い落としもせずに、自分のコテージに戻った。砂地にはコテージ備え付けのサンダルの足跡がくっきりと残っていた。
 コテージの並びは、戸松田、日筆美子(ひふで・みこ)、四葉の3つのコテージが10メートルおきに東西に一直線に並び、その直線を底辺とする三角形の頂点が私のコテージになっていた。
 私のコテージから3つのコテージが同時に見渡せるのだ。
 午後11時
 日筆が私のコテージにやってきた。何気なく砂地を見ると、日筆はまっすぐ私のコテージに来ており、他のコテージに人の出入りはないようだ。
「男2人、なんだかこわくて」
 と、日筆は言った。たしかに男性2人は美人でフリーの日筆を狙っているようだ。
 午後11時45分
 雨が降り出した。
 私は窓の外に干していた洗濯物をとりこみ、ふと思い出して、戸松田のコテージに電話をした。明朝の集合時刻を確認したかったのだ。
「朝の11時に、ここに集合ということで」
 と、戸松田。
 電話を切った後、日筆と私は窓から外を見ながら、語り明かした。日筆が心配していた夜這いも決行されなかったようだ。朝になるまで3つのコテージを見張っていたも同然だったので、コテージに人の出入りが一切なかったのは断言できる。
 午前6時。雨があがった。
 午前10時30分
 結局、一睡もせずに、私と日筆はコテージを出て、まず四葉のコテージに向かった。砂地は雨でぬかるみ、昨日の足跡はすっかり消えている。
 四葉はすでに起床しており、洗面所でゲ-ゲ-吐いていた。体は乾いた砂まみれのままだ。
「うえー、気持ち悪い。ついさっき、うなされて目がさめたよ」
 と、四葉。
 3人で戸松田のコテージに行き、そこで私たちは戸松田の死体を発見した。外傷はない。死体は乾いた砂にまみれていた。
 戸松田は心臓に持病があり、何らかの負担がかかって発作を起こし、心臓マヒを起こしたと考えるのが自然だった。しかし、どうやら、単なる病死では無さそうなのだ。
 私は戸松田の死体に手を触れた。私の超能力が1つの光景を見せてくれた。何者かが誰かの顔に枕を押し付けて、窒息させようとしている、まさにその瞬間の映像だった。 この光景が、昨夜から今朝にかけて戸松田に起こった出来事であることは疑いを入れない。人物まで特定できなかったのが何とも残念だ。
 しかし、昨夜雨が降りだした後、電話で戸松田が生きていたことは確認済みだ。その後、どのコテージにも人の出入りがなかったのは、私と日筆が見ている。 私のコテージから私も日筆も一歩も外に出なかったことも、お互いに知っている。と、すれば、戸松田の顔に枕をおしつけ、心臓麻痺を誘った犯人は、いったい誰で、どうやって出入りしたのだろう。
 四葉は首をひねっている。
「どうして、俺、砂まみれなんだ?たしかコテージに戻ったとき、砂をきれいに払い落としたはずなのに」
 四葉はまだ昨夜の記憶がはっきりとは戻っていないようだ。
「ええと、砂を払い落としたあと、、、ハッ」
 四葉は思い出したらしい。
「四葉さん、正直に言ってください」
 私は、四葉に促した。四葉は意外なことを口にした。
「日筆さん、大丈夫ですか」
「えっ、どういうこと?私は京子のコテージにずっといたのよ」
「そうか、よかった」
「詳しく教えてよ」
「酔った勢いで、日筆さんのコテージに行ったんだ。そのときはもうそのコテージにはいなかったんだな」
「ちょっと待って。そのとき、雨降ってた?」
「降ってなかったな」
 と、いうことは、雨が降り始めた11時45分よりも前だということだ。
「そこで、俺は、うっかり寝てしまったらしい。でも、気がついたら、自分のコテージに戻っていたんだ。どうなってるんだか」
 四葉は本当に、何も覚えていないようだ。
「触って確かめてくれないか」
 私は四葉の身体に触れてみた。
 フラッシュバックで浮かんだ映像は、なぜか、何者かが誰かの顔に枕を押し付けているところだった。
 四葉の表情をうかがったが、それ以上の何も読み取れない。
「しかたない。もう1度、戸松田さんの死体に触って調べてみるわ」
 私は死体に触れてみた。
 そこで見ることのできた映像は、今回の事件の全貌を語っていた。


□解決編

 四葉が日筆のコテージに夜這いに行き、酔いのため、寝てしまった。
 そこに、戸松田も夜這いにきた。
 戸松田は、日筆のベッドで寝ている四葉を見てカッとなった。
 日筆と四葉がグルで、かついでいるのではないか、というプライドの問題、同時に嫉妬から、戸松田はキレた。
 戸松田は四葉の顔に枕を押し付け、窒息させたのだ。
 四葉が動かなくなって、戸松田はうろたえた。
 このまま日筆のコテージに死体を置いていくわけにはいかない。
 外を見ると、自分のコテージからこのコテージまで、くっきりと足跡がついている。
 それだけではない。
 四葉の来た足跡が、日筆のコテージまでついている。
 日筆のコテージに向けてつけられた2つの足跡を消し、なおかつ、四葉の死体を四葉のコテージに戻しておくにはどうすればよいのか。
 戸松田の思い付いた効率的な方法は、こうだった。
 四葉の死体をひきずって、ついた足跡を消しながら移動するのだ。
 最初に戸松田のコテージから四葉が戻ったときの足跡は、ついていなくてはならない。
 まず、戸松田は四葉をひきずりながら、後ずさりで、自分のコテージに戻った。
 これで自分が日筆のコテージに向かった足跡を消したのだ。同時に、四葉が自分のコテージに戻ったときの足跡も消している。
 そのあと、また四葉をひきずりながら日筆のコテージに戻り、今度は四葉のコテージに向かった。
 これで、四葉が日筆のコテージに向かったときの足跡と、同時に四葉が戸松田のコテージから戻った足跡を消した。
 戸松田が四葉のコテージにたどりついた時、戸松田と四葉の足跡はすっかり消えた形になっていた。
 戸松田は、コテージ共通のサンダルで、後ろ向きに自分のコテージに戻った。
 これで、四葉が戸松田のコテージから戻ったときの足跡を再びつけることができた。
 後ろ向きに歩いていたので、最後に自分のコテージに戻ったとき、段差で転んで砂まみれになった。
 砂を払って、ゆっくりしたいところだったが、その暇もなく、電話がかかってきた。
 京子からの電話だ。
 やっとの思いで電話に出て、外を見ると、なんと雨が降っているではないか。
 あれだけ苦労して四葉の死体を引きずり回して足跡トリックを弄したのに、すべてが水の泡だ。
 さらに、今になってよく考えてみると、四葉を直接コテージに戻して、自分の足跡は手で消してもよかったんではないか。
 極度の肉体疲労の上に、徒労感が加味された。
 戸松田の心臓はこのようなハードな状況に耐え得なかった。
 戸松田はぽっくり、死んだ。
 朝になって、仮死状態だった四葉は息をふきかえし、あまりの気持ち悪さにゲーゲー吐いていたのである。
 オリエント京子はことの真相を伝えた。
 やれやれの上にもやれやれである。




 
「天崎サカヤの事件簿その1」 池上宣久


□問題編

 諍屋の所用で診療所が連休になったので、天崎サカヤは、従姉の天田ヒロミの別荘に、共通の友人たちを引き連れて、遊びに出かけた。
 雨の中、男四人女一人の一行が別荘に着いたのは、夕方のことだった。荷物を別荘に運び込む時にアクシデントがあった。武蔵博之がつまづいて、前を歩いていた徳之島徹と朝日昇の二人を押し倒してしまったのだ。 難を逃れた村田一美が悲鳴を上げる。倒した本人は怪我一つなかったのに、徳之島は足を捻挫し、朝日は腰を痛めてしまった。徳之島は武蔵の親友だったので問題なかったが、犬猿の仲の朝日はカンカンになって怒った。
 こうして母屋の食堂で開かれた宴会は、一部険悪な雰囲気をはらんだまま始まった。しかし酒が入るとやがて和やかなものに変わった。テレビで、ある商店街がギネスに挑戦する番組をやっていたので、それぞれの記録自慢や、ものまね合戦などで盛り上がったのだった。

 十二時を過ぎて日付けが変わり、天田ヒロミが立ち上がった。
「あたしもう駄目。おやすみなさい」
 五人は母屋の二階に寝室を用意してもらっていたが、彼女は母屋の裏手に建つ離れ屋敷に部屋を持っていた。
 母屋は、表玄関を入ると真っ直ぐの廊下があって、突き当たりに裏玄関がある。廊下沿いに幾つかの部屋が並んでいるが、一番奥に、裏玄関に向かって右に食堂、左に居間がある。どちらの窓からも離れの建物が見える。
 彼女は食堂を出て行った。天崎サカヤが窓から見ていると、裏玄関を出た彼女が離れの玄関に向かうのが見えた。外灯が煌々と点いていて、よく見える。まだ激しい雨が降っていた。
 残った五人は宴会を続行した。

 二時間後、村田一美はまだ食堂で飲んでいた。いつの間にか一人になっていた。壁一枚隔てた応接間から、賑やかな談笑の声が聞こえていた。どうやら天崎サカヤがギャグを飛ばしているようで、笑っているのは武蔵博之だ。 この二人に徳之島徹を入れた三人は高校時代に同じ運動クラブに所属していて本当に仲がいい。その好意の何分の一でもいいから自分に注いでくれたらいいのに、と村田一美は思う。
 村田は窓の外に目を向けた。雨は降り止んでいた。
 しばらくすると、武蔵が食堂に戻って来た。
「あれ、サカヤ君は?」
「ん?」と武蔵はちょっと考えて、「一人になりたいと言って、居間に行ったと思うけど」

 天崎サカヤは安楽椅子の上で目が覚めた。酔っ払ってしまって知らず知らずのうちに眠ってしまったようだ。気持ちが悪い。ここはどこだ?どうやら居間のようだ。武蔵の奴どこに行った?腕時計を見ると、二時半になっていた。 ふと窓の向こうに目をやると、向かいの二階の窓に天田ヒロミの姿があった。雨は完全に降り止んでいた。天崎は窓を開けて手を振ると、彼女も気がついて手を振り返した。
 それだけ確認して、天崎は窓を閉め、安楽椅子に体重を預けてすぐに眠った。

 天崎サカヤが次に目を覚ましたのは、早朝六時のことだった。
 頭がクラクラする。まだ酔いが残っていた。完璧な二日酔い。
 そうだ。今日は朝早くからみんなで遠出をするのだった。天田ヒロミは起きる自信がないので、起こして欲しいと天崎に頼んでいた。
 天崎は立ち上がった。

 同じ頃、食堂では武蔵博之と村田一美が目を覚ましたところだった。結局あれから二人でずっと飲み続けたのだ。その間に、徳之島徹と朝日昇が一度ずつトイレのついでに顔を出していた。
 二人は窓の外を見た。母屋と離れの間に足跡は一筋も残っていなかった。武蔵は顔を洗うと言って食堂を出て行き、残った村田はうつらうつらしかけたが、徳之島に肩を揺すられ、目を開いた。
「ちょっと相談事があるのだけど」

 天崎サカヤは、離れの玄関のドアの前に立って、ドアを開ける前に後ろを振り向いた。ぬかるみの上に、母屋から離れに向かう足跡が一筋だけ。他には何の痕跡もない。説明のつかない不安感がなぜかいや増した。 アルコールで濁っていた意識が徐々に覚醒してくる。天崎はドアを開けて玄関に入った。幾つかの靴があって、その中に天田ヒロミの靴があった。彼女の寝室は二階にある。天崎は靴を脱いで廊下に上がった。 廊下の突き当たりに階段がある。それを上がって、寝室の前に立った。
 ドアが半開きになっていて、床に倒れた天田の姿が見えた。首が変な角度で曲がっていて、明らかに死んでいた。天崎は腰を抜かしそうになったが、勇気を振り絞って部屋の中に入った。
 事故死だろうか?何かの拍子でひっくり返って、後頭部をベッドの角にぶつけたようにも見える。それとも、殺人だろうか?それなら犯人は誰なのだ?

 その頃、母屋の二階の自室の窓辺に立ち、朝日昇は母屋と離れの間に一筋だけ残った足跡の存在に気がついた。

 天崎サカヤは、離れを飛び出した。足跡はやはり一筋だけ。天崎はその足跡を踏まないように気をつけながら、新しく二筋目の足跡を残しつつ、母屋に向かった。

 村田一美は、徳之島徹の意外な告白に動揺していた。前から自分のことを好いていたと言うのだ。しかし、村田には別に好きな人がいる。どうやって相手を傷つけずに断ればいいかしらん、と悩んでいたら、武蔵博之が片足を引き摺りながら、入って来た。
「その足どうしたの?」
「いやちょっと転んで」

 天崎サカヤは裏玄関のドアを開いて、母屋全体に声が届くように目一杯声帯を広げて叫んだ。
「た、大変だー!ヒロミが死んでいるー!」
 食堂から、村田、徳之島、武蔵が出て来て、少し遅れて二階から、朝日が下りて来た。

 警察の捜査が始まって、色々なことが確認された。
 まず、事故説は真っ先に否定された。後頭部に残る打痕が、ベッドの角の形状と合わないのだ。しかし、殺人だとすると不思議な状況が立ちあがってくる。
 死亡時刻は四時を挟んだ前後十五分の間で、雨が降り止んだのが二時だった。
 天崎サカヤは、二時半に離れの二階に天田ヒロミがいるのを目撃していた。
 二時から死体発見の六時までの間に、五人はそれぞれ母屋内で姿を確認されている。
 この五人の中に犯人がいるとすると、絶対に母屋と離れを往復する足跡が残っていなければならない。しかし、残っていたのは、天崎の死体発見の時の足跡だけなのである。

 幾つかの説が出ては、すぐに否定された。
「天崎が死体発見の際に天田を殺したのではないか?」
「いや、死亡時刻は四時で、天崎の死体発見は六時過ぎのことだった」
「天崎が離れに行ったのは実は四時だったのではないか?」
「いや、六時に足跡がまだついていないのを、武蔵と村田が確認している」
「犯人は降雨中に離れに行っていて、天田を殺害。天崎が死体発見した時に犯人を背負って出たのではないか?」
「いや、降雨後の母屋でのアリバイが四人全員にある」
「ならば、解釈は一つしかないな」

 天崎は一人だけ取り調べ室に呼ばれた。
「君が犯人だね。被害者はまだ雨が降っている間に母屋に戻っていた。二時半に離れに被害者がいたという君の証言は嘘だ。君は母屋で被害者を殺害した。そして死体発見の振りをしてその時に母屋から離れに死体を運び込んだのだ」
 天崎は愕然とした。
「違う。ヒロミは雨が止んだ後に、間違いなく離れにいたんだ。僕が離れに行くまで足跡は残っていなかった。ヒロミは転んで頭を打って死んだんです。僕は犯人じゃない!」
 天崎は隙をついて、諍屋の携帯に電話した。この窮状を説明して、知恵を借りなければならない。
 しかし、諍屋の携帯はずっと圏外で、つながらなかった。
 遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。


□解決編

 遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。
 雉の鳴く声?
 天崎サカヤは、もしやと思って周りを見渡した。
 天崎はこの時離れ屋敷の居間で尋問を受けていた。
 「ワハハハハハ・・・・」
 どこからともなく笑い声が!
 天崎は座っていた安楽椅子から立ちあがった。椅子が蠢き出したからだ。
 バリバリバリッ
 椅子の布が破れて、一人の男が安楽椅子の中から出て来た。
「覗くぞ覗くぞ。お前の人生覗くぞ。お前の心の闇を覗くぞ。柱の陰からじっと覗くぞ」
「あっ!貴様は覗き見探偵神主!何故こんなとこに?!」
「そんなことはどうでも宜しい。今から事件を解決しますから関係者を全員この部屋に集めて下さい」

 集まった。
 神主は話を始めた。
「雨が降り止んだ後、母屋でのアリバイが五人全員に成立しているように見えますが、内容は、武蔵君、徳之島君、朝日君、村田君の四人と、天崎さんとでは大きく違います。 武蔵君と村田君はずっと食堂で一緒で、そこへ徳之島君と朝日君が一度ずつ顔を出しているのですから、三人が同時に顔を合わせた機会が皆あったわけです。それに対して天崎さんの場合は、村田君が壁越しに応接間の声を聞いたに過ぎません」
 村田一美は顎の不精髭をごつい指でつまみながら言った。
「でも、武蔵が相手をしてたんですよ。サカヤ君がしきりにギャクを飛ばして」ここで顔を武蔵に向け、「お前、大きな声で笑ってたじゃないか」
「あの声は、天崎さんではないのです」神主がすかさず答えた「宴会では物真似合戦で盛り上がっていたではないですか。その続きを武蔵君と二人で応接間でやりあっていたのです」
「あれはサカヤ君ではなかったの?」
「女性である天崎さんの声色を真似られるとしたら、同じ女性である天田ヒロミさんしかあり得ませんね。彼女たちは従姉同士ですから、元から声質が似ていました。そのあまりのそっくり振りに武蔵君は大笑いしたのです」
「ヒロミは雨が降り止んだ後に母屋にいたということですか?」
 神主は大きく頷いた。
「当初は天田さん一人が離れにいて、他の五人が母屋にいたと考えられていました。事実は、天崎さん一人が離れにいて、天田さんを含む五人が母屋にいたのです。天田さんは十二時に離れに行きましたが、雨が降り止む二時までの間に母屋に戻っていました。 一方、泥酔した天崎さんはほとんど意識のない状態で離れに行って上がり込み、居間の安楽椅子に座り込んで眠ってしまいました。二人の足跡は雨が消しました。 武蔵君が食堂に戻って来て、村田君に『あれ、サカヤ君は?』と聞かれてちょっと口ごもったのは、さっきまで一緒にいたのは天田さんで、天崎さんとは大分前に別れていたからです。答え方も曖昧になりました。 天崎さんは、二時半に一度目を覚ましますが、最初自分がどこにいるのかも分かりません。武蔵はどこだと探す始末です。調度品の構成からどうやら居間らしいというのは何とか判断できましたが、そこが離れ屋敷の部屋だとは想像もつきません。 天崎さんは、その酔いに濁った目を窓の外に向け、向かいの二階の窓に天田さんの姿を見つけました。もうお分かりだと思いますが、ここで言う「向かい」とは、母屋のことで、離れではありません。自分は母屋にいると信じて疑わない天崎さんは、天田さんは離れの二階にいると思い込みました。 その前の記憶が、『あたしもう駄目。おやすみなさい』と言って離れに移動する天田さんの姿だったのですから、仕方がありませんね」
「で」それまで黙っていた朝日が口を開いた。「どうなるんですか?」
「ですから、これで足跡のない殺人の謎はすべて解決します。天田さんは母屋にいたのです。殺害現場は、母屋でした。何者かが天田さんの死体を背負って、離れに運び込んだのです。天崎さんが自分が母屋から離れに来た時につけたと主張している足跡は、その時の足跡です。 天崎さんは雨が降り止む前にすでに離れに移っていましたから、彼女の足跡はなくて構わないのです」
「では、犯人は?」朝日が尋ねた。
「したがって、死体を離れに移動したのは、武蔵君しかあり得ません。村田君と徳之島君は食堂で話をしてましたし、朝日君は母屋から離れへ向かう一筋の足跡を二階の自室から見ていますから、三人に足跡に関するアリバイが成立します」
「お前が犯人なのか?」村田がうなだれる武蔵を睨む。さっきから神主以外に発言するのは、村田と朝日だけだった。
「武蔵君は村田君と話して、応接間で武蔵君が相手していたのが天崎さんだと彼が思い込んでいるのを知りました。また、二時半に天崎さんが窓を開けて手を振るのを武蔵君は食堂の窓から見ていて、彼女が離れにいることも知っていました。 天崎さんは、武蔵君の親友です。助けを借りられるのではないか、という計算ができました。武蔵君は死体を背負って離れに行きました。その時、天田さんの靴も一緒に運んだのは当然ですね。 母屋と離れの間に、ここでまず一筋目の足跡がつきました。離れに入った武蔵君は、すぐさま天崎さんの名を呼びました。しかし彼女は出て来ません。居間のドアを開いて中を覗きましたが、誰もいません。 名を呼びながら部屋を確認しながら武蔵君は二階に上がりました。天崎さんはその時実はお手洗いの中で嘔吐していて、武蔵君の声を聞き損ねていたのです。またドアも頑丈で音を外に漏らしませんでした。 天崎さんが六時に目を覚ました時には自分のいるところが母屋だとまだ思っていました。離れの天田を起こしてやらなければ、などとも考えています。その後で二日酔いの影響で急激に気分が悪くなってお手洗いに急行しました。 吐いている内に思い出されてきたのが、母屋のお手洗いとの形状の違いです。そこから翻ってさっき目覚めた部屋の内装の細部にも記憶が行き届き始めました。そうしてやっと天崎さんは気がついたのでした。自分が今いるところが離れだと。 そうすると天田さんはこの二階に寝ているのか?いやいや。天崎さんは首を横に振りました。昨夜二時半の天田さん目撃の記憶があります。彼女は向かいの建物、つまり母屋の二階にいたのです。天崎さんは天田さんを起こすために、玄関を出ました。ドアを後ろ手に閉めます。 そして、一筋の足跡に気がついたのです。母屋から離れに来た足跡。ん?ということは、誰かが雨が降り止んでから離れにやって来たのだ。離れに自分以外にいる。変な寝姿を見られただろうか、嘔吐の声を聞かれただろうか、とちょっと不安になる。しかしその誰かは天田さんである可能性が一番高い。 そう考えて天崎さんは足跡を一度だけ振り返って、そしてドアを開けて玄関に入ったのでした。案の定、天田さんの靴がありました。武蔵君が置いた靴ですね。やっぱり天田さんは母屋から戻って来たんだ。そう考えて天崎さんは二階の天田さんの寝室に行きました。 ドアが半開きで彼女の死体がまず目に入ってしまい、それに目を奪われた天崎さんは気がつかなかったのでした。寝室の中に武蔵君がいたことに」
 神主は、ここで言葉を切った。天崎はうなった。すべて図星だった。本当に見ていたかのような推理だった。
「武蔵君は、天崎さんに事情を説明して助けを求めました。他の皆が天崎さんは母屋に、天田さんは離れに、ずっといたと思い込んでいること。それを自分も保証すること。 つまり、天田さんが死んだのが離れだと思われれば、母屋の全員にアリバイが成立して、天田さんの事故死説を強く主張できることなどを話し、天崎さんは了承したのです。後は、武蔵君が天崎さんを背負って母屋に戻るだけです。 ところが階段を下りる時慌てた武蔵君が足を踏み外し、足首を捻ってしまいました。仕方なく、天崎さんが武蔵君を背負って母屋に戻ることになりました。彼女は元運動部ですから体力には自信がありました。 天崎さんは武蔵君を背負い、二筋目の足跡を残しながら母屋に行きました。母屋についてもすぐには中に入りません。まず、武蔵君だけがドアをそっと開けて中に入りました。 彼が食堂に入った頃を見計らって、天崎さんは裏玄関に入って、大きな声で叫んだのでした」
「なるほど。それで全ての謎が解けましたね」
 神主は、朝日を見つめながら言った。
「とんでもない。私は犯人の名前をまだ指摘していません」
「え?犯人は武蔵なんじゃ」
「武蔵君が犯人であるはずがありません。天田さんの死亡時刻四時を挟んで彼はずっと村田君と食堂で飲み続けていました。彼にはアリバイが成立しています」
「そうだ。俺も武蔵が犯人みたいな気になりかかってきたけど、よく考えりゃ俺ずっとこいつと一緒だった」村田が武蔵を指差しながら言った。
「その通りです」神主が言う。「武蔵君は死体を離れに運んだだけなのです。天田さんを殺した人は他にいます」
「でも、他と言っても…」と、朝日がくちごもる。
「武蔵君にアリバイが成立するということは、村田君にもアリバイが成立するということです。天崎さんはずっと離れにいたのですから、あと可能性があるのは、朝日君と徳之島君の二人だけです。どちらかが犯人なのです。 どちらかが、武蔵君に相談して彼の協力を求めたのです。朝日君は腰を痛め、徳之島君は足を捻挫してしまっていたため、自分では死体を離れに運ぶことができないからです。彼の力を頼るしかなかったのです。こう考えれば、二人の内どちらが犯人かわかりますね」  徳之島が初めて口を開いた。 「はい。僕が犯人です。昨夜、応接間で武蔵君と別れた後、彼女は僕の部屋に遊びに来ました。彼女は僕のことが好きだと言うのですが、僕にはその気がなく断ったら逆上してつかみかかってきました。思わず押し返したら転んでベッドの角に頭の後ろをぶつけて死んでしまいました。 僕はパニックになってしまって、二時間ぐらい呆然としていました」
 徳之島は頭を抱えこんで、話せなくなった。
「六時を過ぎて、武蔵君が部屋に入って来た時もそのままでした」神主は言葉を引き継いだ。「二人は相談をして、死体移動トリックを考え出したのでした。これが犯人が武蔵君と犬猿の仲の朝日君だったら、武蔵君も協力はしなかったでしょう。二人は連れ立って一階に降りました。 武蔵君が死体を背負っています。徳之島君は食堂に入り、村田君に愛の告白をしました。これは、武蔵君が離れに行く時もっとも怖いのが、食堂にいる村田君の目だからです。 彼の注意を絶対に窓の外に向けさせないためならどんな話でも良かったのですが、アドリブ力の効かない徳之島君はついさっきの天田さんの告白を活用してしまったのでした」
 そうだったのか。村田はやっと合点がいった。彼が好きなのは天崎サカヤだった。女の子なのに、自分のことを「僕」て言うのも、さっぱりした体育会系の性格に似合って、かえって好ましかった。そこへいきなり男の徳之島からの告白だったので大いに戸惑ったのである。
「これで本当に説明することはありません。あなた方三人の誤算は、天田さんの事故説があっさり覆されてしまったことと、警察が天崎さんを第一の容疑者として疑ってしまったことです」
 そうだ。それで天崎は大いに慌てたのだった。このまま友情を守って嘘を通し続けるのか、それとも事実を正直に言うべきか。思い悩んだ天崎は助言を得るために、諍屋の携帯に電話したのだった。しかし電話は通じなかった。
 天崎は頭を下げた。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
 遠くで雉が、また鳴いた。
 神主は小さく頷いた。




 
「雨」 abiko masahiro


□問題編

 馬具小屋は、役者たちが控えの時間の多くを過ごす大部屋の奥のドアを抜けた先に あった。あまり手の入れられていない空き地になっていて小屋はそこにポツリと建っ ている。
「小屋へ行くにはあの大部屋を通らなければならないのか」
 とわたしが訊ねると、カウボーイハットに皮のブーツを履いた小男はそうだ、と答 えた。男は「アメリカンロデオショー」の舞台のすべてを担当する演出家だ。
「死体が見つかったのはあの小屋だ」
 とわたしは箱崎にいった。箱崎は、わたしの指した先に見える馬具小屋を見て頷い た。演出家の小男とわたし、それから箱崎、その後ろに馬具を含めた小道具の管理一 切を任されているボブと呼ばれている男が続く。敷地を抜けて小屋へむかう。テープ はまだ貼られていない。
 そこはとても狭い、そして獣臭と何かニスのような刺激のある匂いが漂う部屋だっ た。
「これが全部ではないだろう」
 箱崎がいう。小男が、何が、という顔で箱崎を見る。
「ここにある馬具がショーで使う全部ではないんだろう」
 とわたしは口を挟む。そうだ、と小男よりも先にボブが答える。小男の演出家は少 し不満そうな顔を見せた。ボブがでしゃばるのが面白くないらしい。
「小道具はとても多い、この部屋ひとつだけでは収まり切らない。どちらかといえば ここにあるのは最近のショーではあまり使わなくなったものたちだ」
部屋はドアのある壁以外の3方に作り付けの棚が設けられ、そこに鞍や鐙といった 馬に装着するさまざな道具が並べられていた。手入れが行き届いているのかどうか、 見慣れないわたしには判らない。棚に歩みより、どうやら馬を操る際に用いるらしい 鞭を手にとり眺めている箱崎もそれは同様だろう。
 死体は部屋の真ん中に倒れていた。
ショーに出ている男だ。主役ではない、大勢が馬に乗って走り回る、主役の保安官 を追う悪党のひとり、といった役なのだと、ここに来るまでに演出家から聞かされて いた。背中を刺されているのだろう。血の海に横たわる死体を想像していたが、床に 広がった赤いものはそれほど多くはなかった。ただ着ているデニムのシャツは不自然 に乱れ、背中の真ん中からどす黒く染まっている。男は俯せて倒れていた。
 箱崎がその側に屈みこみしばらく検分していた。演出家が何度かわたしの方にちら りと、大丈夫なのか、という目をむけた。わたしはそれを無視した。
男は一枚の紙片を握っていた。それも血で汚れている。
「これか」
 と箱崎が訊ねると、演出家は、そうだ、と答えた。
「これがお前を刺したヤツの名前か、とわたしが問うと、そうだと頷いて事切れた」 指先に挟まれている紙をしばらくのぞき込んでいた箱崎が立ち上がると、わたしは 興味に駆られて近づいていき、訊ねた。
「何て書いてあった? 名前か」
「いや、……」
 しばらく箱崎は考えていた。わたしが続きを待っていると知ってか、ぽつりといっ た。
「雨、と書いてあった」
あめ? 
「最近、降ってない」とわたし。「そうだな」と箱崎。


□解決編

 わたしは男の手に握られた紙片をのそき込んだ。血で汚れている紙片には確かに「rain」と 書いてある。演出家とボブが顔を見合わせる。箱崎が殺されている男の指に手をかけた。 わたしは、おい、と箱崎を止めようとしてやめた。指が開かれ、紙片が箱崎の手に移っ た。紙のちょうど真ん中あたりに文字はあった。その文字を挟むようにして血の染みがつ いている。血の染みのなかに文字が見えている、といった感じだ。箱崎はしばらくその紙 片を眺めていたが、やがて、わたしにいった。
「調教師(trainer)を呼んできてくれないか」

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