「シジフォス」ジュニア
「読者への十の挑戦」保山宗明玉
「隣のおばさん」狸代
「降田氏」長井正広
「下駄屋敷の殺人」池上宣久
「シジフォス」 ジュニア
□問題編
俺は目覚めた。
いつものように、変わらぬ朝。
まぎれもなく、3月25日。
どういうわけか、俺は毎日毎日、3月25日という同じ1日を繰り返して生きている。
目がさめればいつも同じ3月25日なのだ。
俺はまだ誰も起きていないのを確認して、台所の棚のピンクの小壜の中身を流しにぶちまけ、似たような粉末を詰めた。
包丁をまとめて袋に入れた。
物置きに施錠して、その鍵を封筒に入れ、外のポストに投函した。
玄関にある大きな花瓶の底に瞬間接着剤をつけた。
部屋に戻って、詰め襟の服を着て、胸ポケットにシガレットケースを入れた。
これで準備万端かな?
その日の昼、何事もなく甘ったるい昼食をとった俺は、ガレージに行って車の運転の練習をした。
他人にとってはたったの1日だが、俺にとっては永遠に続く連続した日々だ。
運転の練習が有効なのかどうか覚束なかったが、本を読んでみたら、次の朝になっても本の内容を覚えていた。
1日で大長篇小説を読み切ることもできそうだ。
これなら、運転もいつの日かできるようになるんじゃなかろうか。
練習のあと、タイヤの空気を抜いた。
あとは、家中に施錠して、静かに夜を待った。
その日の夜、俺は隣人のカンタを殺した。
カンタとはほとんど話したこともない。
3月25日以前に会ったことなど数えるくらいしかない。
しかし、俺はこの3月25日、何回も繰り返される同じ1日で、何度となくカンタを殺し続けているのだ。
なぜ、「俺」はカンタを殺さねばならないのだろうか。、
□解決編
俺が3月25日を繰り返すきっかけは何だったんだろう。
そうか、思い出した。
3月25日、俺はカンタに殺されたんだ。
ほとんど接触のないカンタがなぜ俺を殺そうと思ったのか、まったくわからない。
頭のおかしい殺人鬼だったんだろうか。
何か人間違いでもしやがったんだろうか。
台所の棚に置いてあった小壜には、ネズミを殺すための毒を入れてあったのだが、それがいつのまにか昼食に大量にまぜられていたらしい。
昼食を食べた俺はもがき苦しんで、死んでしまった。
はっと気付いたら、3月25日の朝に戻っていたのだ。
バカな俺は時間が戻った不思議さにばかり気を取られて、同じ方法で毒殺されてしまった。
何回か同じ日を繰り返すうちに、食事に毒がまぜられていることをつきとめ、俺は朝起きるとまっさきに壜の中身をぶちまけて、砂糖とすりかえておくことにした。
それからというもの、昼食はなぜか毎回砂糖のたっぷりきいた甘ったるいのを食べることになった。
これで安心、と思ったら、殺人者は次々と手を変えて俺を殺そうとする。
首をしめられたこともあるし、花瓶で頭を殴られたこともある。
車にひかれたこともあるし、包丁を刺されたこともある。
心臓に毒の吹き矢が刺さったこともあるし、物置きに置いてあったかなづちで殺されたこともある。
うかつなことに、そのたび俺はまんまと殺されてしまった。
殺害方法への対処として、首をしめにくいように詰め襟の服を着たり、轢かれないようにタイヤの空気を抜いたり、花瓶を持ち上げられないように接着剤をつけたり、物置きに施錠したり、 心臓をかばうためシガレットケースを胸に入れたりした。
しかし、カンタは結局、俺を殺しにやってくるのだ。
死んでも、どうせまた生きて目がさめるのはわかっていたが、耐えられないのは、そのつど苦痛を味わうことだ。
まさに、死ぬほどの苦しさを毎日味わうのだ。
この苦しさから逃れるには、3つしか方法がない。
今まで通り、カンタの先回りをして殺害方法をつぶしていくこと。
カンタを逆に殺してしまうこと。
カンタの手の届かない場所まで逃げてしまうこと。
俺は車を運転できるようになるまでは、極力カンタから防御しながら、結局はカンタをいつでも殺せるように用意して毎日を過ごすことにしたのだ。
悲しいことに、何度もカンタを殺すうちに、俺は殺人の技術が格段に上手になった。
こんな殺し屋を裁くために、神は罰として、毎日同じ日を繰り返す地獄に落としたんじゃないか、と思うほどだ。
明日からは朝からカンタを殺してしまい、あと、楽しい1日を過ごすことに決めた。
これが地獄へ落とした神への俺からの反逆だ。
(カンタの手記)
私の家の隣に、殺し屋がいます。
なぜか、私を狙っているようなので、自衛手段として、殺される前に殺してしまおうかと思っています。
神よ許したまえ。
「読者への十の挑戦」 保山宗明玉
□問題編
オノコロ荘に4人が到着したのは午後3時過ぎのことだった。
部屋割りの後、着替えてから広間に集合した。
睦子の姿を見た涼平は言った。
「おっ、ムツコ。ロビンの格好でもしてくるかと思ったら、セーターとジーンズか」
長身の女性、睦子は、涼平を見下ろして言った。
「どうして私がロリータファッションして来なきゃいけないのよ」
「バーカ。そっちじゃなくて、ロボコンのロビンちゃんだよ」
「古っ!それもロリータでしょ」
「睦子も老けたってことかな。御愁傷さま」
「ご心配なく。お肌の曲り角まで生きてる予定ないし」
「また、それかよ。中学のときから変わってないなあ」
睦子、涼平、紗香、康平の4人は中学生の頃からの知り合いで、揃いも揃ってテレビっ子のアニメ好きだった。アニメ同好会を作ってアニメの話ばかりしていたおたく達である。
卒業後は疎遠になっていた4人だったが、昨日の成人式で再会し、旧交を暖めることになったのだ。
数年間それぞれの道を歩いてきたはずの4人は一瞬で振り出しに戻った。4人は今も現役バリバリのアニメおたくで、昨日の続きのように親しく会話することができたのだ。 彼らは楽しいこととなると話が早い。翌日にはこうして合宿しようと話がまとまって、集まっているのだ。
太り気味の康平が持参したワインをあけながら言った。彼はミステリーファンでもある。
「去年、話題だったマイケル・スレイドの長篇(A)って、誰か読んだ?って、聞くのが間違いかな」
「去年の話題作って、スタジオジブリの映画(B)以外考えられないわ」
と、眼鏡を上げながら睦子。長髪の紗香も言った。
「ミステリーなら警部補古畑任三郎なら見てたわよ」
彼らはテレビやアニメ以外の話題には疎くて、去年の話題だった日本人がノーベル賞受賞したこと(C)や、北朝鮮の大ニュース(D)なども、あまり知らなかった。
話題は好きな番組に落ち着いていく。
ワイングラスを4つ用意しながら紗香が言った。
「草なぎファンの私としては、やっぱりあの番組(E)がイチオシだわ。運命の人と死に別れるっていう設定がグッとくるのよね」
左手でグラスにワインをつぎながら睦子は言った。
「私は日曜夜7時半からのアニメ(F)が大好きだわ。定番だけどね」
グラスをみんなに配りながら涼平は言った。
「俺が好きなのは、かつてのアイドル少女歌手が主題歌を歌っている、朝早くから放送している番組(G)だね。肉親さがしのためにけなげにステ-ジに立つんだよ」
「ああ、光GENJIが歌ってるやつね」
と、康平。ワインをぐっと飲み干して、紗香が言った。
「そのあとにスーパー5がつくんだけどね、って、忍たま乱太郎じゃないって」
「ああ、わかった。あの演歌の大物が主題歌歌ってるやつね(H)。それとも、NHKつながりで、子供向け番組で子供が組んだバンド(I)がテーマ曲でも歌ってるのかな」
と、康平はどこまでもボケ続ける。
そんな話をしている内に、紗香は強烈な睡魔に襲われ、部屋に戻った。
残り3人は広間に残って、ガンダムの最近のシリーズ(J)の話で盛り上がっている。
夜明け頃に、紗香は目をさました。まだ酔いが残っているせいか、足元がおぼつかない。
フラフラしながら広間に行った。
広間では、睦子が頭部の打撲により死んでおり、康平と涼平は血を吐いて死んでいた。
読者への挑戦
1、「A」のマイケル・スレイドの作品名は何か。
2、「B」のスタジオジブリの映画のタイトルは何か。
3、「C」の日本人ノ-ベル賞受賞者の名前は何か。
4、「D」の北朝鮮の大ニュースとは何か。
5、「E」の草なぎファンいちおしの番組とは何か。
6、「F」の日曜夜7時半からのアニメ番組とは何か。(ヒント:海を舞台にしているよ)
7、「G」のかつてのアイドル少女歌手がテーマ曲を歌っている番組とは何か。
8、「H」の演歌の大物が主題歌を歌っている番組とは何か。
9、「I」のNHK教育番組内の子供たちが組んだバンドとは何か。
10、「J」のガンダムの最新シリーズの番組タイトルは何か。
□解決編
こたえあわせ
1、カットスロート(1994.7.22。創元ノヴェルス)
2、平成狸合戦ぽんぽこ(1994.7.16公開)
3、大江健三郎(1994年ノ-ベル文学賞)
4、金日成死去(1994.7.9金日成主席死去のニュース)
5、BLUE SEED(1995.1.11に第15話「戸惑い、ゆらめき、みちのく紀行」放送)
6、七つの海のティコ(1994年度放送の世界名作アニメ、1994.12.18最終回)
7、カラオケ戦士マイク次郎(1995.1.10~13第18話「大殿の野望」放送)
8、とっても!ラッキーマン(1995.1.12第40話「第二の敵!薬指イエロー」放送)
9、クリマカーユ
10、機動武闘伝Gガンダム(1995.1.13第38話「ドモン対アルゴ!突撃ボルトガンダム」放送)
(註)
5、「ブルーシード」には楓という女性を護る運命を帯びた主人公、草薙護が登場。護りきれずに楓が死んでしまう。 (実際には死んでいないが、この15話放送の時期には、死んだと思われていた)
7、「カラオケ戦士マイク次郎」の主題歌は早坂好恵の「カモン!カラオケ」、NHK衛星で午前8時から放送。
8、「とっても!ラッキーマン」の主題歌「ラッキーマンの歌」を歌っていたのは八代亜紀。
9、 クリマカーユは「天才てれび君」の中で組まれたバンド。
(正解者談)
最初からおかしいと思っていました。
「ロビン」について成人式を終えたばかりの現役アニメおたくがしゃべっていますが、本当に若いアニメおたくなら、女性キャラで「ロビン」と言えば、 かなり昔のロボコンや、94年頃に活躍したロリータのロビンちゃんを取り違える前に、現在放送中の「ワンピース」のロビンを思い付くはずだと思ったのです。
それと、「忍たま乱太郎」の主題歌は長い間光GENJI SUPER5でしたが、今はYA-YA-YAHです。ボケにつっこむなら、そこを指摘するはずです。
それで、これは2003年の話じゃないな、と気付きました。
「古畑任三郎」も一番最初のシリーズ「警部補古畑任三郎」のタイトルをあげているので、その番組が放送されていた94年に近い頃じゃないか、と思いました。 その後は、タイトルが「古畑任三郎」と変わっています。
決定的だったのが、オノコロ荘での惨劇です。
オノコロ荘という名前から考えると、場所はオノコロ島、つまり淡路島だと考えられます。
日付けは成人式の翌日に集まって、次の日の未明に惨劇が起きているので、1月17日。
淡路島で1月17日未明に大勢の人間が死んだ、となると、思い付くのは一つ。
1995年の阪神大震災。
この話は1995年1月の話なのです。
それをふまえて、十の質問に答えるのが正解への道でした。
1995年の話だとわかれば、成人式を終えたばかりの女性が「お肌の曲り角まで生きている予定がない」と言った意味もわかるのです。
ノストラダムスの予言どおりに、1999年に世界が滅亡していたら、25才まで生きていないことになるのですから。
「隣のおばさん」 狸代
□問題編
ある麗らかな日の 午後のティータイムでの老女と孫の会話。
「おばあちゃん こないだのお隣のおじさんが めっちゃ吐いて死にそうや~言うてたん覚えてる?」
「ああ 食中毒やったかな。」
「それ。それの原因わかったで。」
「なんや。また お母さんが隣に入り浸って 聞いてきたんかいな。」
「うん。そう。隣のおばさんと仲良いからな。」
「で?なにが 原因やったんや。」
「なんでや思う?ヒント教えたげる。隣のおばさんは めちゃめちゃルーズです。つねに 家の中がとっ散らかってます。」
「そんなことは とっくに知ってるがな。けど まだ幼稚園行ってる男の子が年子で三人もおったら そら家の中も散らかるんやろ。」
「それもあるやろけど もとからルーズやねん。台所とかすごいらしいで。賞味期限切れな食品ばっかで。ゴミとかもすごいて。」
「ほな 食中毒の原因はそれやろ。」
「う~ん 近いけど微妙に違うねん。もひとつヒント。おばさんは 実験料理がが趣味です。」
「なんやそりゃ。」
「こないだもお母さんが試食してきた言うててん。りんご飯って。米とりんご擂ったんを一緒に炊いたんやて。
死ぬほどまずかったらしいわ。」
「あほか。食べ物を粗末にしたら ばち当たるわ。」
「ていうか どの料理も大抵まずいらしいし。味見もせずに作ってるって お母さん言うてた。」
「そういえば なんで旦那さんだけ当たったんやろなぁ。」
「あっ それは その時ご飯食べたんが おじさんだけやってんて。三兄弟がまた悪戯でもしてて
それどころじゃなかったんちゃうかな。」
「せやなぁ あの子らは ほんまやんちゃやしなぁ。」
「で。最後にして最大のヒント。
おじさんはおばさんに一言「ふりだし」と、言い残して医者に駆け込んで行ったのでありました。」
「なんやそら」
□解決編
「結局なんやったん。おばあちゃんには分からんわ。」
「ある食品に小さな虫が一杯わいててん。たぶん 瓶の蓋を開けっぱなしにしてたんやろな。
で、虫を発見した子供達が 殺虫剤をそれにめちゃめちゃ振りかけとってん。
で、おばさんはそれを知らんと そのある食品を使って実験汁物を作って~
おじさんは それを飲んで 大変なことに!」
「ふ~ん。。。ある食品ってなんや?」
「ほら おじさんが『ふりだし』って。」
「?」
「『ふりかけでダシを取ったな~』の意味で『ふりかけ』って!
おじさんは 子供がふりかけの容器を殺虫剤でいらってんの知っててん。
けど、それを捨てんの忘れてて まさかダシに使うとは思ってなかったらしいわ。」
「それにしても 殺虫剤まみれのふりかけって おばさんは違和感 感じんかったんやろかな?」
「たぶん 火を通せば大丈夫やろうと思ったんちゃうか。」
「それにしてもやで。」
「それか、もしかして、それを食べたら死ぬのかどうかの 実験がしたかった!…なんてね。」
「降田氏」 長井正広
□問題編
なにわのラーメン大王と称され、一代でラーメン帝国「フリーダムラーメン」を築いた、高橋一介が大往生をとげようとしていた。
臨終には、長男一郎、次男二郎、後妻玲子が臨席していた。一郎は家業を継がずに職を転々し、今は讃岐うどんの修行にあけくれていた。 二郎は一介が玲子との間に五十歳をすぎてもうけた子だが、家業を継ぎ、今では父の片腕として統括本部長の職についていた。
「ああ、フリーダムでふりだしか・・・」
弁護士による遺言状の公開が終わり、応接室にやってきた一郎が家政婦の悦子の前でためいきをついた。 いぶかる悦子に一郎は、父親のラーメン誕生のきっかけが、フリーダムと呼ばれる放浪の冒険家によるもので、父親が遺産の大半を彼にゆずろうとしていると告げた。
「フリーダムの名付け親か知らないが、俺が讃岐うどんの修行をしているのも、このフリーダムラーメンに役立つと思ってのことなんだ」
一郎は指でテーブルに「降田氏」と書いて、またためいきをついた。そこにやはり意気消沈した玲子と二郎が現れた。
「悦子さん、一郎さんに聞いて、あなたもがっかりしているでしょうね。でも、本当なら、二郎さんがすべてを継いでもよかったくらいなのよ」
玲子はめがねの端を上げ、一郎をにらみつける。
「何がフリーダムよ。二郎さんだって、あの満干全席の元で五年間も修行したのよ」
その夜遅く、高橋邸にかの佐清のようにひっそりとフリーダム降田氏がやってきた。そして・・・。
翌朝、悦子の死体が彼女の居室で発見された。彼女はたんすに囲まれた六畳の座卓に座ったまま死体となっていた。背のナイフが死因なのは明らかだった(ナイフは高橋家の台所のもの)。 ただ、奇妙なことに座卓の上にはすごろくがあり、さいころの二の目が出ていた。悦子の手は「ふりだしにもどる」をさしていた。まさにそのさいころは二の目でふりだしにもどるようだった。
ダイイングメッセージか? はてさて・・・?
□解決編「ふるたし」
家政婦の悦子の死体を皆が呆然と見下ろしているところへ、降田新太氏が現れた。
「ああ、人殺しですか」 降田のつぶやきには傲慢な響きがあった。フリーダムと呼ばれた冒険家にはたいしたことではないようだった。
「悦子はおまえに殺されたのじゃないのか!」 一郎が降田につかみかかる。
そこへあの神主(辻本氏、ごめんなさい)がふいに登場した。
神主は現場を見て、「これは殺害後にできることだはありません」と見てきたかのように話し始めた。
「すごろくの盤を広げ、ふりだしに戻るようにさいころを時間などがあるなら、もしダイイングメッセージを残したければ、ほかの方法を捜すでしょう。たとえこれで、完璧に犯人を指せるとしても」
「ふりだしで、明らかな犯人・・・?」 二郎が首をかしげる。
神主がつづける。
「遺言によってふりだしになった人物・・・、たとえば一郎氏、いや、冗談です」
つかみかかろうとした一郎が手をとめる。
「では犯人が一郎さんに濡れ衣をきせるためにやったのか。でも、やはりどうしてもふりだしの意味のあいまいさはぬぐえません。でも、一人だけふりだしの意味が明確だった人物がいます。 一郎さん、あなたはフリーダムでふりだしか、と悦子さんに話し、「降田氏」とつい指で悦子さんの目の前で書いてしまいましたね」
「どうして、それを・・・・」
「神主だからです!」 神主はエヘンと胸を張る。
「悦子さんにとっては、降田氏こそ「ふりだし」だったのです。一郎さんは「フリーダムでふりだしになってしまった」というつもりだったのが、「フリーダム降田という名の人」と勘違いさせました。 もちろん、遺言に立ち会った皆さんは名前が発表されていますから、間違えようがありませんが。悦子さんは殺害されたと偽装して、降田氏に罪を着せようとしたのです」
降田氏が神主に応える。
「私はフリーダムと呼ばれているだけで、本名はふるたあらたですよ」
「下駄屋敷の殺人」 池上宣久
□問題編
事件発生時に屋敷の敷地内にいた人々。
古尾谷雑把:解脱流極道会館前館長。七十歳。かなり小柄でよぼよぼ。
古尾谷専:解脱流極道会館現館長。四十歳。被害者。
板倉:代替わりの儀式立会人。中肉中背。
高松: 〃 。かなり華奢。
花巻: 〃 。せむし。
佐藤:内弟子。死体発見者。
木村:内弟子。かなり長身。
佐々木:内弟子。幼児体型。
堂島:内弟子。やや巨漢。
赤松:内弟子。被害者と同じ体型。
名村:内弟子。八頭身。
山井:古尾谷雑把の主治医。すごく足が長い。
竜胆:看護婦。ひどい外反母趾
間宮:召使い。元三段跳び同好会。
降り出した雪に気を取られて、諍屋はグリングリンの手綱を握る手がおろそかになっていた。 そのため、目の前に飛び出した野うさぎを、猫と見間違えたグリングリンが怯えて突然飛び上がったのに対応できず、諍屋は背中から振り落とされ、そのまま崖から真っ逆様に渓谷に転落した。
友人の田村緑から、海外旅行に出かけるのでその間グリングリンを預かってくれという連絡があったのが前日のことだった。 グリングリン搬送用トラックごと引き渡されての帰宅中の山道で、トラックが故障して動かなくなった。携帯電話は圏外で使えず、民家を探して電話を借りるために動いた直後の出来事だった。
渓谷の水底は深く、幸い諍屋は怪我をしなかった。
「アオ~~ン」はるか頭上から、グリングリンが諍屋を探す鳴き声が聞こえてきた。
グリングリンはここまで降りて来られないし、諍屋には崖を登る術がなかった。
このとき時間は午後三時。降雪はいよいよ激しくなってきた。グリングリンのことは心配だったが、日が落ちるまでに民家を見つけて我が身の保全を計ることが第一だった。
諍屋は渓谷を下り始めた。
三時間後、渓谷から山道に出た諍屋はようやく大きな屋敷の前に辿りついた。他には民家らしき建物はなかった。門に「古尾谷解脱流極道会館」という看板がかけられていた。
屋敷はちょうど宴会の途中で十数人で賑わっていた。事情を説明した諍屋は宴会に招かれ、一泊させてもらえることになった。 グリングリン特命部隊にも連絡がつき、ようやく安心できた。
この屋敷は空手の道場で、驚いたことに、下駄を使う特殊な格闘技の流派であった。 下駄の鼻緒に指を通して両手に持ち、下駄を履いてその状態で撲り蹴り合うという格闘技。通称「下駄拳」。 この夜は館長の代替わりの儀式が行われ、その完了を祝う宴会であったという。
興味を覚えた諍屋は翌朝の朝練を見学させてもらうことになった。
屋敷は、母屋と道場の二つの建物で構成されていた。宴会は十一時にはお開きとなり、諍屋は母屋の一室をあてがわれた。 酒と疲れで諍屋はすぐに眠りについたが、真夜中に一度目を覚ました。時刻は午前二時だった。窓を開けると、雪は完全に降り止んでいた。
翌朝六時に諍屋はドアのノックで起こされた。
「おはようございます」
入って来たのは、内弟子の佐藤だった。
「もうすぐ朝練が始まります。裏玄関に来て下さい」
服を着替えて諍屋が裏玄関のある板の間に行くと、そこには内弟子の木村がいるだけだった。
「佐藤は道場の準備に行きました」
その時、「うわあっ!」という悲鳴がかすかに聞こえた。諍屋と木村は顔を見合わせた。
「佐藤の声だ」
諍屋は裏玄関のドアを開いた。十五メートルほど離れて、正面に道場の玄関が見えた。その引き戸が開き、佐藤が飛び出してきて叫んだ。
「館長が死んでいますっ!」
二つの玄関のあいだ、雪の上に二筋の足跡が残っていた。一筋は下駄の足跡で、もう一筋は佐藤が履いているズックの足跡だった。 二つの足跡は密接して並んでいたが、重なってはいなかった。
諍屋は二筋の足跡を踏まないように木村に指示をして、道場に向かった。
玄関を入ると、隔てる壁はなく、すぐに板の間の道場だった。
道場の真ん中に古尾谷専が仰向けに倒れていた。諍屋は死体に近づいた。左胸に日本刀が突き刺さり、柄を両手で握っていた。 恐らく即死だったろう。諍屋は死体に触って、死後硬直と体温を確認した。昨夜雪は午前二時には降り止んでいた。古尾谷専の死がそれよりも前だったということはあり得ない、と判断した。
「館長は自殺されたんですかね?」
問いかけた佐藤の顔を見る。この男による死体発見を装っての早業殺人もまたあり得ない。
「いえ、恐らく殺人でしょう」
佐藤は驚いた顔をした。「どうしてそんなことが判るんですか?」
「刀が長過ぎるんです。古尾谷さんは腕を一杯に伸ばして刀の柄の根元を握っています。胸に刺さった状態でこれですから、自分の胸を刺すなんて到底無理です。 何者かに殺害後に柄を握らされたのです」
道場の奥に防具室があった。そこには下駄と防具があるだけで誰も隠れていなかった。四つある窓は全て木の格子が嵌められ、内側から捻じ込み錠がしっかり掛かっていた。
諍屋は考えた。
古尾谷の死亡は降雪後のことである。母屋と道場をつなぐ足跡は下駄の一筋だけ。 古尾谷が降雪後に母屋から道場に行き、自殺したと考えるのが順当だろうが、古尾谷の死は自殺ではない。しかし殺人だとすると犯人の脱出の足跡がない。
諍屋は考えた。
犯人と古尾谷は雪が降っている間に道場へ行ったとする。二人の足跡は雪で消えてしまう。そして、犯人は殺害後下駄を履いて道場から母屋に戻ったのではないか。 下駄の足跡は一見してどっち向きに進んでいるのか判断し難い。
諍屋は外に出て、下駄の足跡を調べてみた。雪の下の地面は柔らかい土で、体重のかかり具合を痕跡として残していた。 下駄の二枚の歯は、道場側の歯の方がやや深く地面に食い込み、地面を蹴ったように軽くえぐっていた。それは足跡が母屋から道場に向かったものであるのを物語っていた。
諍屋は考えた。
では、下駄の足跡は佐藤が死体発見の時に残した足跡だと考えたらどうだろうか?つまり足跡の交換だ。 犯人は実は佐藤で、雪が降っている間に古尾谷と一緒に道場に行き、殺害。二人の足跡は雪で消える。降雪後に佐藤はズックを履いて後ろ向きに歩いて母屋に戻る。 翌朝佐藤はズックを手に持ち下駄を履いて道場に行き、そこで下駄を脱いで自分のズックに履き替えた。 道場に向かう佐藤の姿を見ていないから、そんなトリックも可能ではある。
諍屋はズックの足跡を調べてみた。ズックの足跡もまた前向きに歩いた足跡であった。
現場に残った二筋の足跡は共に母屋から道場に向かったものであった。二時を過ぎて何者かが道場に向かって下駄の足跡を残し、翌朝六時に佐藤が道場に向かって歩いて死体を発見した、ということだ。
やはり自殺なのか?
思考はふりだしに戻った。
ふりだし…。
諍屋は考えた。
そして、トリックが判った。
□解決編
諍屋は、「ふりだし」という言葉から、双六を想像した。サイコロの目によって、駒が行ったり来たりする一本の道。 サイコロが二を出せば二マス進み、六であれば六マス進む、そんなマスの連なりを、下駄の足跡は連想させた。
そうだ。双六だ。母屋と道場を結ぶ下駄の足跡は、双六、人が歩く通路の痕跡だったのだ。
恐らく犯人は佐藤。彼は雪が降っている間に古尾谷と共に道場へ移動して、これを殺害。ところが、自殺に見せかける工作などをしている内に雪が降り止んでしまう。 道場を出て母屋に向かう足跡を残してしまえば、古尾谷が死んだ時にもう一人いたことの証明になってしまう。 それ自体は自殺説の直接の否定にはつながらないが、いらぬ詮索は呼びたくない。また自殺に見せかけるために、母屋から道場に向かう足跡を残しておきたい。
そこで佐藤は下駄を使って母屋と道場の間に、言わば「渡り廊下」を作るアイデアを思いついた。道場には稽古で使う下駄が大量にある。 これを袋につめて背中に担いだ佐藤は、まず道場の玄関の前に一歩目の下駄を置き、その下駄に片足を乗せる。 この時二枚の歯の間に体重を乗せてバランスを崩さないように気をつける。もう片足は玄関口に残してあって、その状態で手を伸ばして二歩目の下駄を一歩目の前に置く。 そして玄関口の足をその下駄の上に移す。これで佐藤の身は二つの下駄の上である。あとはこれを繰り返すだけだ。 目の前に順々に下駄を置いていきながら前に進んで行き、母屋に戻ったのだ。後ろに歩数分の下駄がズラリと並ぶ。 少しでもバランスを崩せば下駄の外に足を踏み出してしまって、このトリックは成立しなくなってしまうが、下駄を扱うのに長けた「下駄拳」の使い手だからこそ成し遂げられたトリックだった。
この段階での足跡は、体重のかかり具合は均等である。翌朝、死亡時間を外れた頃に佐藤は道場に戻って来て、下駄を回収する。 この時道場側の歯に体重をかけて地面に食い込むようにし、地面をえぐりながら下駄を拾い上げた。こうして、道場を脱出した足跡を、古尾谷が母屋からやって来た足跡に見せかけることに成功した。
ここまで考えた諍屋は、周りを見渡した。
母屋から、他の内弟子や立会人たちが出てきていた。中に山井医師に支えられて古尾谷雑把がいた。佐藤が雑把に報告をしていた。雑把がこちらを見た。
「諍屋さん、あんた殺人だと言っとるらしいな」
それを聞いて、諍屋はすべてを悟った。
この老人が犯人なのだ。しかし一人で壮健な専を殺せたとは思えないから、佐藤が手を貸した。いやそれだけではない。恐らくもっと多くの人間がこの事件にからんでいる。もしかすると・・・
気がつけば諍屋は囲まれていた。
「全員で専さんを殺したんですね」
下駄の「渡り廊下」が出来上がっていたのだから、これを渡れたのは佐藤一人に限ったことではない。殺害時に住人全員が道場内にいたとしても脱出可能なのである。
「どこまで察しのいい男なのじゃ。昨夜泊めた時には、第三者の証言者として都合がいいこともあろうかと考えたのじゃが、とんでもない男を泊めてしまったようじゃのう」
諍屋を囲む輪が徐々に縮まってきた。
「なぜ、代を移したばかりの新館長を殺さねばならなかったのですか?あなたの息子さんでしょう?」
「いやあ、そういう卦が出てしまったのでな。極道会館の館長が死なんと、二百万人群馬県民が溺れ死ぬらしいのじゃ。わしはまだ死にたくなかったので、館長職を専に移した。 あいつは納得しそうになかったので、皆で押さえつけて動けなくして、皆で殺した」
何を言っているのか判らなかったが、この男たちが雑把を中心とした狂信者集団であるのは理解できた。
男たちは履いていた下駄を手に持った。鼻緒に指を通して持ち、歯を諍屋に向け、口々に「ゲタゲタゲタ~、ゲタゲタゲタ~」と言いながら、輪を狭めて来る。
中には看護婦の竜胆も混じっていた。老人の雑把も入れると十三人の人の輪である。突破するとなれば竜胆か雑把か。 しかし二人は輪の後部に位置し、その部分は人の層が厚い。
その時。
「ガオ~ン!」
巨大な白い塊が、人の輪を蹴散らして現われた。
「グリングリン!」
諍屋は混乱の機を逃さず、グリングリンの背に飛び乗った。グリングリンは疾風の如く庭を駆け抜け、土塀を飛び越えた。
グリングリンは勢いを緩めず、山道を走り続けた。
グリングリンの目の前に野うさぎが飛び出した。
諍屋も野うさぎを見た。
(ふりだしか?!)
次の瞬間、諍屋は崖下に向かって宙に放り出されていた。
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