「π」ジュニア
「迷惑館の殺人」保山宗明玉
「川田興業ビル連続墜死事件」池上宣久
「π」 ジュニア
□問題編
黒田アーサー!
惜しいが違う。
予備校の恩師の名前は、野田アーサーだった。
私の名前は、オリエント京子。
これも惜しい名前だ。理由は後述する。
今回の事件はつくづく寓話的様相を帯びているのだ。
野田先生を過去形で語ったのにはわけがある。
1ヶ月前に連続殺人鬼、上野に殺されたのだ。
上野は大金持ちで、自らの快楽の為に人殺しを繰り返していたのだ。
警察でもつきとめていないその事実を知ったのは、私の持つ特殊な能力のせいだ。
野田先生の遺留品を手にした時、殺人の瞬間のありさまがはっきりと見えたのだ。
詳しく調べるうちに、上野が人里離れた所に潜んでいることもつきとめた。
かつては重力センターという研究施設だった建造物を買い取って改造し、住まいにしているのだ。
私の能力が念力や瞬間移動であれば、上野に一矢報いるのもたやすかったのに、と悔やまれる。
野田先生のかつての教え子たちは、上野への復讐を誓って集まった。
母校の教室にすわりきれない程集合した団結式でリーダーが決まった。
リーダーは私の胸を辺りをちらちら見ながら、我々の復讐チームを「π」と命名した。
「怨讐」と「円周」をかけてもいるらしい。
こうして、司直の手にゆだねることなく、我々全員が殺人鬼を殺しに行くことになった。
全員で殺すのだ。私の名前が惜しい、という意味がおわかりいただけただろうか。
決行当日、我々はひなびた無人駅におりたった。
駅から続く1本道を進もうとしたとき、Dr.Oが言った。
彼は片手が義手の男で、ドクター・オーではなく、ドクロと読ませるらしい。
「私が偵察がてら先に行く。1時間後に追い掛けてきてくれ。何かあったら携帯で連絡する」
我々は駅舎で待機することにした。
ここは人家もほとんどなく、待っている1時間に通った車も2、3台程度だった。
特に何の連絡もなく、1時間後我々はドクロの後を追って進んだ。
途中、分岐路の近くの茂みに死体が2つ隠してあるのを発見した。
私は早速、死体を触ってみた。
例の能力を使ってわかったことは、死体は殺人鬼の手下で、分岐路の道標を左右逆にして、我々を違う道へ導こうとしたらしい。
そこにドクロが身を隠しながらやってきた。
2人の会話の内容から、彼らが殺人鬼の手下だと判断したドクロは、問答無用にアーミーナイフでのどを掻き切ったのだ。
その揉み合いの際、ドクロの携帯がこわれ、我々への連絡がとれなくなったようだ。
上野は我々が襲うことを事前に知って、罠を仕掛けていたのだ。
ドクロは足跡から判断すると、間違った道標にだまされて、右側の違う道を進んだようだ。
「わかった。俺が追い掛ける」
と、ソルティ乃木が言った。
ドクロは乃木にまかせて、我々は上野のいる左へ先を急いだ。
その道程には罠がふんだんに仕組まれていた。
「うわーっ」
宇崎四郎時貞が深い落とし穴にはまって出られなくなった。
足首を骨折したようだ。
しばらく行くと「この橋渡るべからず」と立て札のある橋にさしかかった。
橋のまん中には地雷が埋めてあるようだ。
端を渡ればいいのだが、何だかシャクだ。
「よし。『この橋』を渡るんじゃなくて」
と、ジュ-ク東郷が橋から離れて指差し、
「みんな、『その橋』を渡るんだ」
と、声をかけた。
全員その橋を渡り、上野の居場所に到着した。
その時、乃木から携帯で連絡があった。
「たいへんだ。ドクロが殺されている。道の向こうの建物に敵らしき人影が見えている。 俺は奴らの動向を監視しておくので、俺を待たずに殺人鬼に復讐してくれ」
我々はついに進入し、殺人鬼を追い詰めた。
上野は叫んだ。
「くそっ。大勢でやってきやがって!首謀者は誰だ」
私はπのリーダーを上野に教えた。
さあ、ここで問題。
πのリーダーは誰?
πの中の名前を記さなかったメンバーは除外します。
□解決編
今回の事件はつくづく寓話的だった。
全員で上野を殺す計画に、私、オリエント京子が参加していたのもその1つ。
その後に続く諸々の出来事も、絵に描いたような偶然の暗示に支配されていた。
まず、ドクロの後を追って右側の道を行ったのが乃木だったことも象徴的だった。
後追いする人物として、乃木はうってつけだった。
言うまでもなく、明治天皇薨去の際、後追い自殺で切腹した乃木将軍を連想させるからだ。
また、不思議の国のアリスの白ウサギのように、深い落とし穴にはまったのは、宇崎四郎だった。
シロ・ウサギならぬシロー・ウザキなのだ。
「この橋渡るべからず」を頓智で切り抜けた一休さんのような男は、ジューク東郷だった。
ジュークは19。
そのまま「いっきゅう」と読める。
これらの暗示以外に、今回の復讐行そのものに、大がかりな見立てが存在していた。
忠臣蔵だ。
πのメンバーは、殺された野田アーサー組の教え子有志が集まったものだ。
アーサー野田組と姓名を逆に読むと、「アーサーノダグミ」「アサノタクミ」
バンザーイ、バンザーイ!
怨みを抱いて死んだ浅野内匠頭(アサノタクミノカミ)をもじったかのような言葉の連なりだ。
一方、かたき役の殺人鬼上野は、吉良上野介に見立てられた。
キラー上野だからだ。
野田先生が殺害されたのは、3月14日だった。
(4月14日提出の問題編で、「1ヶ月前」と記したとおり)
その日付けを忘れまいとして、3.14をあらわす「π」を我々のチーム名に定めた。
奇しくも、松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだのも、同じ3月14日のことだったのだ。
仇討ちの為に集まった人数が、母校の教室にすわりきれない47人であったことも、赤穂浪士四十七士を想起させた。
さらに、上野が潜伏していた場所が、元「重力センター」だというのも、ダメ押しの暗示になった。
重力センターは、単語それぞれを訳すと「グラビティ・中心」になる。
「中心グラ」だ。
これだけ偶然の暗示が揃えば、「π」のリーダーとして選出される人物は1人しかいない。
忠臣蔵、四十七士のリーダー、大石内蔵助の役割を担ったのは、Dr.O。
ドクタ-・オーは「オー医師」で、まさに大石その人であったのだ。
無念なことに、リーダーのドクロは仇討ち前に死んでしまった。
義肢等で人体の半分が人工物で出来ていたドクロの死骸。
「犯人は意外」の言い方からすれば、「半人は遺骸」
ある意味「遺骸な半人」だったのだろう。
ところで、この物語にはもう一つの答がある。
作者からの問いは「πのリーダーは誰か?」だった。
本作品「π」を読んでくださったリーダー(読者)。
それはあなた自身だったのではありませんか。
「迷惑館の殺人」 保山宗明玉
□問題編
(注 この物語は2003年4月14日の出来事であり、人肉嗜食、シャム双生児、人魚、俳句は登場しません)
御戸家に集まった面々はいずれも、つわものぞろいだった。
格闘技の達人、北出。
怪力の持ち主、西岡。
天才的ハッカー、南田。
IQ200の才媛、東畑。
拳銃マニア、中川。
彼ら5人は裏街道の大物、御戸老人の秘書、宮脇から電話で招集を受けた者たちであった。 詳しい用件は御戸老人の口から直接聞かされることになっていた。御戸老人からの招集は、すなわち、秘密厳守の危険な任務に決まっていた。
5人の前にあらわれたのは、御戸老人でも秘書の宮脇でもなく、弁護士の大島だった。
「みなさん、御戸老人は昨夜より病に伏せっており、宮脇秘書はそれにつきそっております。私は御戸老人から本件についての伝言を承ってまいりました」
大島弁護士は本件の報酬金額とその支払い方法等を説明した。
拳銃マニアの中川が言った。
「宮脇秘書から電話で聞いたところによると、その依頼主のところ、ええと、神津家か」
「迷惑館と自称されております」
「結局、その迷惑館で何をすればいいのかは、行ってみて依頼主本人から聞くしかないのか」
「申し訳ございません。御戸老人自身しか今回の任務の内容は把握していないのです」
頭脳明晰の東畑が面倒くさそうに言った。
「とにかく、行くしかないのよ。行きましょう」
5人は車に分乗して迷惑館に向かった。
くわしい地図もなく、道をたずねるにも人通りはゼロ。たどりつくのに困難を要した。
林を抜けたところに迷惑館は建っていた。
「あれが迷惑館か。周囲に建物はゼロだな」
と、怪力の西岡が言った。
迷惑館は大ホールを独立させたような建物で、居住空間は迷惑館から100メートル離れた地下壕に設えられていた。
ハッカーの南田が玄関に近付いた。
「あぶない!」
格闘技の達人、北出が南田の身体を突き飛ばした。
間一髪、南田の立っていた所に上から鉄塊が落ちてきた。
「罠だ。気をつけろ」
5人は建物の周囲をぐるりと回って調べた。近付くと上から重量物が落下してくるようなトラップが方々に仕掛けてあった。 まるで館そのものが悪意を持って人を拒んでいるかのようだ。
南田は怒りながら言った。
「おい、俺たちは呼ばれて来たはずだぞ。どうしてこんな目に会わねばならない!」
「とにかく、俺が入ってみる」
拳銃マニアの中川が玄関から中に入っていった。
中川は玄関の扉をしめ、前後上下左右、全方位に目をやった。
何者の姿も見当たらなかった。
一方、外側では、玄関を真正面に見据えた位置、建物の東側に東畑が監視しつつ5メートル程離れて待機した。
建物の西側には西岡、北側には北出、南側には南田がそれぞれ建物から3メートル程の距離をおいて、監視、待機した。 これでもしも建物に誰かが近付いたり、逃げたり、あるいは、両隣の仲間に異変があれば必ずわかるのである。
そのとき、建物の中から銃声が聞こえた。
北出、南田、東畑、西岡が玄関に集まり、4人同時に玄関から中に入った。
ホールの中央に中川がナイフで刺し殺されて倒れていた。
4人は玄関口に立ったまま現状を確認した。中川の死体と玄関口の4人以外に人はいない。人以外の動物もいなければ、遠隔装置や機械仕掛けでナイフを発射したのでもない。
犯人は自らの手によって中川を殺害したのだ。壁にも窓にも床にも天井にも人も物体も出入りできる隙間や穴はない。
迷惑館の出入り口は玄関1箇所だけで、中は1つの大きな吹き抜けのホールになっていた。他には部屋はない。東西南北にそれぞれはめ殺しの窓があったが、高さ5メートルの位置にあり、人の出入りは不可能である。
同じくはめ殺しの天窓からも何者も出入りすることは不可能である。人が隠れる場所や死角はどこにもなく、もしも誰かがいれば、玄関口から必ず確認することができるのだ。
もちろん、4人は中川の死体1体以外誰も見つけなかった。館の中は適度な採光で明るく、保護色や鏡、偏光ガラス等のトリックによって人間が隠れていたのでもない。
中川の死体のそばに血痕が点々とついていた。中川が発射した銃弾が犯人を傷つけたものである。4人は血痕をたどって、正面奥にある西洋の鎧にたどりついた。中を確かめてみた。何かが入っている。北出が尋ねた。
「おい、これは何だ」
東畑が調べてみて答えた。
「この館1つ吹っ飛ばすくらいの強力な爆薬だったわ。今、リモコンの装置を解除したので、安心よ」
西岡が上下左右に注意を向けながら言った。
「俺たち皆殺しにする気だったのか?」
4人は、中川の死体を運び出して、埋葬することにした。
「くそっ。中川を殺したのはいったい誰なんだ」
と、南田は言った。
読者への挑戦
中川を殺したのは誰でしょう。
そして、なぜ中川は殺されたのでしょう。
もちろん、無差別殺人ではありません。中川の拳銃に対する正当防衛でもありません。
さらに、監視状態の密室(と呼んでさしつかえないと思います)の謎を解いてください。
もちろん、壁等を壊して出入りしてその後修復したわけではありません。秘密の抜け穴等はありません。
中川を殺した瞬間、犯人(単独犯です)はその建物内に存在しており、死体発見後、中川を埋葬するために4人が外に出たとき、迷惑館の中に中川殺しの犯人はいかなる形においても存在していなかったのです。
□解決編
男は迷惑館をめざして長い道のりをやってきた。
扉や窓に近付いたときに上から落ちて来た鉄塊は全てかわした。
こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。
男は充分に用心しながら建物の中に入ったが、どうやら中には誰もいないようだ。
男は2階、3階から地下室まで、すべての部屋と収納スペースを丹念に調べた。
人が潜んでいる気配はさらにない。
そのとき、外で車の止まる音がした。
窓から様子をうかがうと、5人の男女が降り立ち、こちらに向かってくるではないか。
男はマオリ族の盾の後ろに身を隠した。
彼ら5人が敵の傭兵で、強者ぞろいの殺し屋集団だということは、疑う余地がなかった。
この建物が大きな罠の蜘蛛の巣で、自分は自らその巣に飛び込んできた虫のようなものだ、と、男は自嘲した。
外から「あぶない!」という声と、鉄塊の落ちる音が聞こえてきた。扉のすぐ近くまで来たと知れる。
5人全員を相手に闘わねばならないのを覚悟したが、幸いにも、敵は1人で入ってきて、扉をしめた。ただし、手には拳銃が光っている。
男は拳銃男の背後に接近し、電光石火の早業でアーミーナイフで喉を掻き切り、心臓に突き立てた。
拳銃男、中川はふりむきざまに男の腹めがけて発砲した。中川はそのまま身体を回転させてくずおれた。既に絶命している。
男は拳銃を奪い取ろうとしたが、中川の死体の下敷きになっており、たやすく取れそうになく、とっさの判断であきらめることにした。
男は奥の西洋鎧の影に身を隠し、簡単な止血をしてから、屏風の裏を渡りながら北側の窓まで移動した。
玄関から4人が入ってきた。
死体を調べた後、鎧の中を見て何やら会話をかわしている。
今の内だ。と、判断した男は、すばやく窓から外に出て、死にものぐるいで走った。
何としても仲間に合流して状況を伝えねばならない。携帯は途中で落としてしまったのだ。
男の運もそこまでだった。
怪力の西岡が男に追いつき、首の骨をあっけなく折った。
道のまん中に倒れている男を発見した乃木は、近寄って生死を確かめたが、男に生命の徴はなかった。乃木は携帯を取り出し、πの仲間に声をひそめて連絡をいれた。
「たいへんだ。ドクロが殺されている」
50メートル程先の建物の前で、4人が中川を埋葬している姿が遠目に見えていた。
御戸老人から招集を受けた彼ら5人の依頼主は上野であった。
上野は仇を討ちにくるπ47人に対抗するため、多くの手勢を迷惑館に集め、罠を縦横に張り巡らせた。御戸老人に依頼したのは、その中でも中核となるべきエキスパートたちである。 (中川は上野の名前「こうずけ」を電話で聞き、それを神津家「こうづけ」と勘違いしたようだ)
上野は分岐路のもう一方の道の先に、罠の為の建物を用意していた。πをそちらに導き、鉄塊と強力爆弾の洗礼を浴びせようとしていたのだ。
だが、道標操作と、5人の案内の為に分岐路に待機していた上野の手下が、ドクロに殺されてしまった。道標は間違ったままになり、ドクロだけでなく、迷惑館に呼ばれたはずの5人も違う道を進んでしまったのだ。
ちなみに、πのメンバーが駅舎で待機中に目撃した車は、彼ら5人の乗った車だった。
上野のいる迷惑館は元重力センターという特殊な建物であり、中は吹き抜けのホールになっている。身を隠す場所はどこにもなく、玄関以外に出入り口はない。
しかし、罠を仕掛けた建物の方は、窓からの出入りも自由、隠れる場所もふんだんにあったのだ。
御戸老人選抜精鋭軍の残り4人と、新リーダーO・E・C率いるπとの抗争はこの後、長きに渡って展開されるのだが、それはまた別の話である。
「川田興業ビル連続墜死事件」 池上宣久
□問題編
天崎は慌てていた。
諍屋が事件関係者を一堂に集めて「川田興業ビル連続墜死事件」の謎解きをすることになっているのだが、その開始時間に大幅に遅れてしまったのだ。
何としても、あの不思議な不可能犯罪の謎解きを聞かなければならない。
ようやく諍屋が謎解きをする屋敷にたどりついた。正面玄関に廻ると遠回りになるので、裏口が開いているのを幸いに中に入った。
すぐが諍屋が説明する部屋だった。窓越しに諍屋の姿が見えた。もう説明が始まっているようだ。もう玄関に廻っている時間はない。
天崎は窓際に耳を寄せて、諍屋の話を聞くことにした。
ちょうど、謎解きのクライマックスのようだった。
聞き取り難い部分もあったが、天崎は一生懸命耳をそばだてて聞いた。
諍屋は犯人の名前を指摘した。
「犯人は、川田興業ビル内にいた人物でしかないわけですが、それは誰かと言う前に、皆さんに聞いてもらいたい手記がここにあるのです。この事件についての手記です。これを今から読んでみます。
『橋本はマンションの六階の自室の窓から外を何気に見て、公園と川を挟んだ真向かいに川田興業ビルという四階建ての建物があるのだが、その最上階に三つ並んだ部屋の真ん中の窓から人が突き落とされるのを目撃した。
橋本の部屋の方が位置が高くて見下ろす形になったのと、黄色いヘルメットを目深に被った犯人がすぐに窓際から姿を消したため、人相までは判別できなかったが、犯人の方が被害者よりも一回り大きい男だということと、被害者もまた黄色いヘルメットを被っていたことは分かった。 公園の樹木が邪魔をして川田興業ビルの三階から下は見えなかった。
橋本はすぐに警察に通報した。
その同時刻、黄色いヘルメットを被った俺は、川田興業ビルの一階の集会室でヘルメット販売説明会が始まるのを待っていた。開始時刻をかなり過ぎている。 絶対大儲けできるというパンフレットに釣られたのだが、参加者は俺の他に一人(小橋という名前で、身長ニメートルを越す巨体の持ち主だ)しかいなかった。 「営業部長浜口」という名札をつけた大男と「製造部長寺西」という小男から、少し開始が遅れるという断りがあったけど、販売の説明をすることになっている川田社長は出て来なかった。 全員が黄色いヘルメットを被っていた。
小橋がお手洗いに行き、気がつくと部屋には俺一人だけになっていた。その時、外でドンガラガッシャーンという大きな音がするのが聞こえた。
その音は、川田興業ビルの正門の前に陣取った刑事の大木と遠藤にも聞こえたが、その場を動くわけにはいかなかった。指名手配犯の冬木が知り合いの木村を頼って姿を現わすという通報があり、正門を見張っていたからだ。 ビルは四方を塀に囲まれていて、出入り口は正門しかない。監視状態に入ったのが遅れたたため、冬木はすでに中に入ってしまった可能性はあったが、出て来るところを押さえられるかもしれない。 一度だけ人の出入りがあって、冬木かと身構えたが、それは寺西だった。
大木の携帯が鳴り、取ると警察署からで、「目撃通報があって、川田興業ビルの四階の部屋から誰かが突き落とされたらしい。確認してくれ」というものだった。 遠藤に正門の見張りをまかせ、大木は川田興業ビルの敷地に入った。すぐがビルの正面玄関で、建物に沿って裏側に回った。
大きく枝を張った木の根元に、大量の黄色いヘルメットが散乱し、そこに男が倒れていた。ヘルメットは、耐久性テストを客に見てもらうためにそこにピラミッド状に積み上げられて用意されていたもので、その上に落ちたようだ。 男は、川田興業社長の川田だった。ヘルメットを被り、首の骨を折って死んでいた。死体の側に名札が落ちていて、「社長川田」と書かれていた。
すぐに近所の警察署から鑑識と刑事たちが駆けつけてくれたので、あとをまかせて大木はビルの中に入り、会社の者を呼び集めた。 営業部長の浜口、製造部長の寺西、技術部長の木村の三人だ。アリバイを確認すると、浜口は屋上に、寺西は三階に、木村は二階にそれぞれいたと主張するだけで、裏付けるものはなかった。
大木は三人を引き連れて四階に上がった。階段はビルの正面玄関を入ったロビーにあり、その横に集会室とトイレのドアが並んでいた。
四人は、四階の真ん中の部屋に入った。大きな姿見が二枚壁に立て掛けてあるだけで、机も椅子も何もない殺風景な部屋だった。 川田興業は経営が行き詰まっていて、現在仕事で使われているのは二階の部屋だけだった。 今回の説明会は経営の起死回生を狙ってのものだったが、刑事たちはマルチ商法の疑いを持ってずっと以前からマークしていたのだった。
窓の下枠の高さはかなり低く、突かれたらひとたまりもなかっただろう。
携帯が鳴った。橋本の証言を聞きにマンションを訪ねていた刑事の吉村からだった。マンションに目をやると、六階の窓に手を振る吉村の姿が見えた。
「犯人は、被害者よりも一回り大きい男らしい」と、吉村は言った。
川田は中肉中背の男だった。ということは、犯人は大男だということになる。寺西は小男だ。浜口と木村は大男だが、木村には両腕がなかった。 自然と大木の質問は浜口に集中した。
「俺は犯人じゃない!」
突然浜口は大木を突き飛ばし、廊下に出て少し迷ってから、表の階段を駆け下った。階段は裏手にもう一つあって、それはビルの裏口に通じていた。
大木はすぐに後を追いかけた。
俺は集会室で小橋と一緒に刑事から尋問を受けていた。社長の川田が突き落とされて殺されたらしいが、俺はずっと集会室にいたので証人としてはあまり役に立てない。
ドアが急に開いて浜口が乱入してきて暴れだしたのには驚いた。刑事や警官が押さえ込もうとするが簡単には行かず、大乱闘となった。
その時、第二の墜落事件が起きていた。
吉村は、男が川田興業ビルの四階から落ちて行くのを目撃した。先の墜死事件と同じ部屋の窓だった。もう一瞬早く視線を向けていれば、犯人の姿を目撃できたかもしれない。そう思うと吉村は悔しかった。
現場検証を終えた鑑識が川田の死体を担架に載せて移動した直後のことだった。
男は途中の枝に一旦ひっかかり、そこからゆっくりずり落ちて、頭から地面に激突した。男はヘルメットを被っていなかった。男はうつむけに倒れ、額が割れて顔面は血に染まっていたが、まだ息はあった。遠藤は男に近づいた。
「四階の窓から突き落された。犯人は、黄色いヘルメットを被った、俺よりも一回り大きな男」
そう言い残して、男は死んだ。
その顔を見て、遠藤は驚いた。指名手配犯の冬木だった。
大乱闘は、集会室から外に移った。
乱闘に巻き込まれながらも俺が確信を持てたことが一つあった。浜口は怒りに我を忘れて暴れていたが、その怒りは罪を犯した故に発生したのでなく、潔白故であるということだ。
外に出るとすぐに乱闘は収まった。第二の墜落事件発生を知ったからだ。
その時、俺は見た。
(またか)
死体から幽霊が抜け出て来たのだ。俺は霊視能力の持ち主であって、これまでもこんなことが何度かあった。
まず顔が起き上がり、次に上半身がゆっくり持ち上がり、そこから二本の足で立ち上がった。微妙に透けた体。周りの警官たちは誰も気がつかない。
幽霊は最初呆然と突っ立っているだけだったが、しばらくすると周りを見回し始め、俺に気がついた。幽霊はまっすぐ俺に近づいてきた。間に警官が何人もいたがもちろん素通りで通り抜けて来る。
幽霊は俺の目の前で立ち止まった。背は中肉中背の俺と同じ高さだった。
「俺を殺した犯人を探し出してくれ」
幽霊はそう言って、俺から離れなくなった。
刑事に尋ねると、事件発生時に敷地内にいたのは、俺の他には、客の小橋、社員の浜口、寺西、木村だけで、何者かが塀を越えた痕跡はなく、ビル内に誰も隠れていなかったという。
さらに不思議なのは第二の墜落事件の時、容疑者も刑事たちも含めて全員が一階にいたことだ。ビル全体を封鎖した状態でしらみつぶしに調べたのだが、犯人の姿はなかった。
幽霊は自分を殺した犯人が分かれば、成仏できると言う。だから犯人を見つけてくれと俺を頼りにする。変になつく風なのだが、本人が被害者なのだから一番分かるだろうと言うと、頭を打って記憶を一部なくしたようだと答える。
幽霊が記憶喪失って!?
はてさて困った。誰が犯人なのだろう?』
以上です。もうお分かりになったはずです」
諍屋はここで一旦口を閉じた。
□解決編
「犯人は、川田です」
諍屋の言葉を聞いて、俺は耳を疑った。
警察が疑う浜口の無実を信じる俺は、独自にその潔白を証明するために、知人に紹介された諍屋に事件の解決を依頼したのだ。 諍屋は一介の整体師に過ぎないと聞いていたので、幾らかの金を使って情報も集め、それに俺の見聞を付け加えてわざわざ手記にまとめ諍屋に手渡しさえしたのに、その結果がこの馬鹿らしい結論だというのか?
「ではその説明を順々にしていきますが、その前にあなたのある誤解をひとつ解いておきたいと思います」
「誤解?」
「幽霊の正体です。今もあなたの横におられるのですか?」
俺と諍屋は、俺の屋敷の居間にいる。俺は横の椅子に座る幽霊に顔を向けた。幽霊はニコリと笑い返した。
「冬木の幽霊はいるよ」
「その幽霊は、冬木さんではないのです」
「何だって」
「幽霊は、あなたと同じ背の高さだとい言いますが、冬木さんは小男なのです。中肉中背なのではありません。正門監視中の大木さんと遠藤さんが、出入りした寺西さんを冬木さんかと身構えたのは、冬木さんが寺西さんと同じく小柄な男だったからです」
「じゃあ、この幽霊誰だってんだよ?」
「その幽霊は中肉中背だと言われます。事件関係者で、中肉中背の男は一人しかいません。それは、川田社長です。川田さんは、冬木さんが墜落した同じ場所で死にました。川田さんもまたあの場所に幽霊として現われても不思議はないのです」
「俺は冬木の死体からこいつが抜け出すのを見たんだよ」
「幽霊は人の体を素通りするのです。あなたは、手記の中で警官を素通りしながら近づく幽霊の姿を描写されました。とするなら、幽霊は別の死体に重なることも可能だったはずです。 川田さんは、冬木さんが墜死したまさに同じ場所で死んでいました。普通なら、川田さんの幽霊は死体からすぐ抜け出しているところでしょうが、頭を打って記憶を失ってしまった幽霊はその場にしばらく留まっていました。 そして死体は担架に載せられて移動されてしまいます。この時、幽霊だけがその場に地面に横になった形で残ってしまったのです。幽霊は、死体から抜け出たのでなく、死体から抜け落ちたのです。 そこへ、冬木さんが墜落してきました。川田さんの幽霊に冬木さんの死体が重なりました。そこでようやく川田さんの幽霊が立ち上がり、これをあなたが目撃したのでした」
俺は横の幽霊に目をやった。ほうと感心したようにうなづいている。
「その裏付けが一つあります」諍屋は話を続けた。「冬木さんはうつむけに倒れていました。そこから幽霊が起き上がってくるのなら、まず後頭部が持ち上がり、背中が見えて上体が立って来てしかるべきでしょう。 しかし、冬木さんの体から出て来た幽霊は仰向けの状態から立ち上がってきたのです。これはおかしいです。あなたは、川田さんに会ったことがなく、 また墜落した冬木さんは顔を打って血まみれになりましたから人相が分からなくなっていました。ですから、あなたが冬木さんと川田さんを誤認する余地がありました」
俺は幽霊に聞いてみた。
「お前、本当は川田なのか?」
幽霊は人差し指で自分の顔を指して、俺?と聞き直し、それから両手の平を上に向けてお手上げのポースをした。俺はため息をひとつついて、諍屋につぎの話をうながした。
「でも、この幽霊が川田だとしても、冬木が墜落した時、川田はもうすでに死んでいたんだよ。さっき川田が犯人だと言ったけど、犯行は無理だろ。どう説明つけるの?」
「犯行が無理だというのなら、それはどこの誰であっても無理です。ビル内には誰もいなかったのですから。浜口さんの大乱闘の最中に、裏口から入って裏階段を上がって四階の部屋に入ることはできたでしょう。 でも、冬木さんが落ちた後、ビルを封鎖してしらみつぶしにしたのですから、犯人は逃げることができません。それが誰もいなかったというのなら、この事件には犯人はいないのです」
「どういうこと?」
「冬木さんは勝手に一人で四階に上がり、勝手に窓から落ちて死んだのです」
「え。でもさっき、冬木を突き落したのは、川田だって」
「そうです。ですから、冬木さんは二回、四階の窓から墜落しているのです」
「二回?」
「川田さんが突き落したのは、冬木さんの一回目の墜落の時です。橋本さんが目撃した墜落です。橋本さんは、犯人の方が被害者より一回り大きな男だったと証言しています。 冬木さんは小柄な男なのですから、一回り大きい男とはここでは中肉中背の男のことです。川田さんは中肉中背ですから、話は合います」
「でも墜落死したのは川田だったじゃないか」
「川田さんが被害者だと言うのなら、中肉中背の川田さんよりも一回り大きい男が犯人だということになり、犯人は大男の浜口さんか木村さんだということになってしまいますが、木村さんには両腕がないし、浜口さんは犯人ではないと考えるのですよね。 ならば犯人がいなくなってしまいます」
この男は何を言っているのだ?俺は話の先行きが全く読めなくなってきた。
「突き落したのは川田さんで、落ちたのは冬木さんなのです。ここがポイントです。冬木さんは四階の窓から落ちはしましたが、地面には落ちなかったのです。 二回目の墜落の時と同じことが起こりました。同じ窓から落ちたのですから、それも当然のことです。冬木さんは木の枝にひっかかりました。二回目の時はすぐにずり落ちましたが、一回目の時はしばらく木の枝にひっかかったままだったのです」
諍屋はテーブルの上の俺のレポートを指差した。
「それはあなたの手記にも明確に記されてますね。橋本さんが墜落事件を目撃した時間と、あなたや刑事さんたちが聞いた墜落の音、ヘルメットがドンガラガッシャーンと大きな音を立てた時間との間には差があります。 その時間差が、冬木さんが枝にひっかかって留まっていた時間です。その間に、川田さんは四階から一階に降りてきたのでした。つまり四階から突き落した冬木さんを、突き落とした本人がここで追い抜いたのです。 川田さんは一階に降りてビルの裏手に廻りました。驚いたでしょうね。落ちたはずの冬木さんの姿がそこに見えないのですから。川田さんは墜落予想地点に立ちました。その瞬間に、枝にひっかかっていた冬木さんがずり落ちました。 冬木さんは逆様に落ちて、頭と頭が激突しました」
幽霊は痛そうな顔をして、両手で頭を撫でさすった。
「冬木さんは四階から落ちましたが、途中の枝に一旦ひっかかりましたので、墜落の高度はそこからになります。 川田さんは立っていたのですから、彼の身長分も高度から差し引きされますし、また、脳天直撃を受けた川田さんはすぐ横のヘルメットのピラミッドに倒れ込みましたのでこれが緩衝材の役目も果たしました。 結局落下エネルギーはかなり軽減されましたので、冬木さんは死なずにすみました。一方、同じことは川田さんについてもいえますが、これは打ち所が悪かったとしか言えません。 コキンと首の骨を折って死んでしまいました」
幽霊は肩をすくめて、首の裏側を揉み始めた。
「もし、二人がヘルメットを被っていなかったら、頭が直接ぶつかっていたはずですから、お互いの頭に何らかの傷を残していたでしょう。 しかし、ヘルメットを被っていたためそんな傷は残りませんでした。また冬木さんのヘルメットはぶつかった勢いで脱げてしまい、散乱したヘルメットの中に混じってしまいました。 川田さんの体には、墜落したならなくてはならない打撲傷がほとんど残っていませんでしたが、それは、冬木さんと同じ窓から落ちて同じ場所に落ちたのだから、同じように途中の枝にひっかかったのだろう。 そこからずり落ちて、積み上げてあったヘルメットのピラミッドの上に落ちたので、それが緩衝材になったのだろう。そう鑑識は判断してしまったのです」
幽霊は体を両腕で抱いて、うんうんとうなづき始めた。
「冬木さんは死にはしませんでしたが、頭を強く打っています。朦朧とした意識でビルの裏口から入って裏階段を上がっていきました。 ゆっくりゆっくり上がっていきます。そして、浜口さんが乱闘を始めて一階に降りたのと入れ違うようにして、四階の部屋に戻ったのです。 突き落した川田さんに復讐するつもりだったのか、ただ最後に記憶に残る場所がそこだったからか、冬木さんが死んでしまった以上、なぜ戻ったのか、その動機は闇の中ではありますが。 冬木さんは窓際に立ち、そこでバランスを崩して転落しました。またもや枝にひっかかりましたが、今度はヘルメットを被っていませんでしたので、頭が地面に激突することになりました。 死の直前口にしたのは、彼の記憶の最後に明確に残る、自分を突き落した犯人の姿なのでした」
諍屋は口を閉じた。
突然幽霊が立ち上がったので、驚いた。その顔に初めて英知の表情が浮かんでいた。
「思い出した」
幽霊は喜色満面で叫んだ。
「そうだ俺は川田だ川田(中略)だ起死回生を狙ったヘルメット販売も客がたった二人しか集まっていないのを知って自暴自棄になっていた俺は木村の昔の悪行を盾に取ってかくまうか高飛び用の資金を用意するか 脅迫した冬木を窓から突き落したのだがその時にうっかり名札が外れて落ちたのでこれを取り戻すために一階に降りたら落ちたはずの冬木がいなくて 突然頭に衝撃を受けて昏倒したので何者かが俺の頭を殺すつもりで殴ったのだと思い込んだのだが実は冬木が落ちてきて当たったのだと今初めて知った判った了解した 思い出したよしやったこれで成仏できるナンマイダありがとうあっ小さな可愛い天使たちが俺をお迎えにこんな俺でも天国に連れて行ってくれるというのかい有難うじゃあそろそろ行くよさようならさようならあぁぁぁ」
一方的にまくしたてて、幽霊はすうっと俺の目の前から消えた。
「どうやら行かれたみたいですね」
「はい。成仏できたようです。でも諍屋さん、素晴らしい推理でした。あの不思議な事件が糸がほぐれるように解けました」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
遠くで雉が鳴いた。
諍屋は小さく頷いた。
俺は立ち上がった。
「あっまさか貴様?!」
「ワハハハハハハハ」
諍屋は高笑いを上げながら、顎に両手をかけて顔の皮をめくりあげた。下から別の顔が現われた。変装していたのだ。
「貴様は覗き見探偵神主!」
「神主は覗き見てるぞ~。どこかで覗いてるぞ~。悪い子はいねが~」
そう言いながら、神主は窓から外に飛び出した。
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