2009年1月6日火曜日

第11回(2003.7.28~) テーマ:神主さま

「神主さまvs満干全席」長井正広
「天崎サカヤの事件簿その3~神主~」池上宣久
「保山宗明玉殺人事件」池上宣久





「神主さまvs満干全席」 長井正広


□問題編

 満干全席の避暑のための別荘「夏の蟹荘」で「満干殉死事件」は起こった。
 その死亡状況だが・・・。
 まず満干全席は別荘の中の居室ではなく、執筆作業のために建てた、離れで服毒死を遂げていた。机の上には端を破かれた便箋に「私はつねに死ななければならない。ゆえにわれあり」との遺言が墨で書かれてあった。 全席は耳なし芳一のように、全身墨まみれだった。
 離れは別荘の敷地にあるが、十メートルほど離れていて、その入り口まで勝手口から石畳が続いていた。前夜の雨のために、離れの入り口の手前、石畳の途切れた所に全席の足跡があった。
 一方、勝手口すぐの厨房では、全席の一番弟子の満干半席が同じく服毒死を遂げていた。検視の結果、同じ毒だと、さらに死亡時刻もほぼ同時だと判明した。死亡推定時刻は雨の降ってるまさにその時間帯だった。
 満干全席の宴に象徴される、料理を追求するエキセントリックな生き様に、もうついていけない、ともらしていた半席が同じ服毒死とは運命の皮肉を感じざるえなかった。
 厨房はまさに料理人の死に様にふさわしい現場だった。半席は手に濡れた全席の遺言の切れ端をつかみながら、もう一方の手で、イカ焼きそばののった中華なべを握っていた。手は火で焼け爛れていた。 全席の死に比べ、これこそ料理人の死である。
 二つの死体の発見者は満干上席だった。上席は朝食の準備を半席に伺いに来て、死体を発見、さらに全席に知らせようとして、また死体を発見したのだった。上席は泡を吹いて倒れ、石畳で後頭部を打ち、しばらく動けなかった。 上席は十年以上も修行しながら、なべをつかむことすらできなかった。もちろん、前夜も料理をさせてはもらっていなかった。全席の死に立ち会えたのがせめてもの恩返しだろう。
 上席につっつかれて警察に連絡したのは、満干痰席であった。
 痰席は別名「中華料理の殺人者」と呼ばれ、痰席の調理した料理を食べた人間は必ず腹痛を訴え、うむをいわさず動けなくするという料理人で、特別の許しをえなければ、料理をさせてはもらえなかった。 まともな弟子は半席しかいなかった、いや、全席はまともに修行させるのを嫌っていたのかもしれない。
 当日、別荘にいた弟子は以上だが、もう一人、半席の友人の、切裂き研究家の霧裂雀三郎がいた。警察が来る前の現場で、霧裂は厨房で破かれた切れ端を見て、ああ、ついに、と呆然とするばかりだった。 霧裂はいつも携帯しているナイフをくるくると回しながら、何度もため息をついた。
 だがしかし、ふいにイカ焼きそばのイカが宙に浮かび、回転し始めた!まるで伊賀の影丸の木の葉のように・・・。
「見たぞ・・・・」
 そこにはイカにまみれた、あの神主さまの姿がっ!
「この世に見えぬものはなし! 人の世の不可思議、すべてを見通す!」
 光につつまれて、推理のオーラを放ち、みえをきる、神主さまの姿!
「満干全席も人の心を持っていたのか・・・」
 神主さまのつぶやきは遠く月までとどいていた。


□解決編

 ふるふると体をふるわせて、イカを落とした神主さまは周囲を見渡し、優しく語り始めた。
「満干半席の死はまさに料理人の死にふさわしい死だった。全席にもう、ついてはいけない、ともらしながらも、蟹人間である上席や「中華料理の殺人者」と呼ばれる痰席に比べ、 じつは全席ともっとも深くつながっていたのが、半席だった。
 半席の服毒死、自殺現場を見て、(衝動的な自殺だったのだろうが、全席はすぐに犯罪ではなく、自殺だと納得した。)全席はその死を料理人の死としてまっとうさせようとした。 イカ墨でイカに書かれた遺書をイカ焼きそばに代えて調理をし、調理台の墨の汚れはそのままにして、便箋の端を破って、床へ置いた。
 次に、全席は離れへ向かい、破れた便箋に遺言を書き、さらには全身に墨を塗りたくった。こうすれば、全席の死を見た、半席が自殺したと考えられると思ったからだ。 丁寧に遺言書まで濡れしておいて。しかし、石畳の間に半席の足跡をつけ忘れて、ややこしくなってしまった。
 本来ならば、全席の死に殉じようと、自殺現場を見た半席が全席に最後の晩餐のつもりで、遺言の墨を連想させるイカ焼きそばとともに自殺したという物語のはずだったが、半席の発見の痕跡がなくなってしまった。
 だから、この事件は満干全席に対する半席の殉死ではなく、半席に対する全席の殉死だったのだ。したがって、作者は「満干殉死事件」としか表現できなかったのだ。これは単純な二重自殺事件にすぎない。 そうだろう・・・、作者よ」
 神主さまはまた厨房の周囲を見渡した。
「作者は初めから「殉死事件」と書くしかなかったのだ」
 そして、神主さまは作者が何らかの表現を講じないのを確かめると、満干全席ってば、人を心を最期に表すとは、と言いながら、つぶやきそのものとなって、やがて消失した。
 だがしかし、事件現場でもう一人、ああついに、と何もかも見透かすようにため息をついていた霧裂は神主さまが姿を現わす前にいつのまにか逆に、姿を消していた。
「切裂き」を研究する霧裂へは神主さまは何も言及しなかったが、破かれた遺言とは何も関係はなかったのか。はたして・・・。
 それは。厨房の端に放置された霧裂のナイフだけが知っていた・・・。




 
「天崎サカヤの事件簿その3~神主~」 池上宣久


□問題編

 諍屋の所用で診療所が連休になったので、天崎サカヤは、従姉の天田ヒロミの別荘に、共通の友人たちを引き連れて、遊びに出かけた。
 男四人女一人の一行が別荘に着いたのは、午後二時のことだった。荷物を別荘に運び込む時にアクシデントがあった。武蔵博之がつまづいて、 前を歩いていた徳之島徹と朝日昇の二人を押し倒してしまったのだ。難を逃れた村田一美が悲鳴を上げる。倒した本人は怪我一つなかったのに、徳之島は足を捻挫し、 朝日は腰を痛めてしまった。徳之島は武蔵の親友だったので問題はなかったが、犬猿の仲の朝日はカンカンになって怒った。
 というわけで、天崎は朝日と部屋を交換することになる。別荘は母屋と離れの二つの建物からなっていて、最初は離れに天田、天崎、村田、母屋に武蔵、徳之島、 朝日という割り当てだったが、朝日が武蔵と同じ建物内は嫌だとゴネたのだ。
 こうして一部険悪な雰囲気をはらんだまま六人は、パーティの始まる六時までを勝手に過ごすことになった。

 お昼寝で時間を潰した天崎サカヤは、四時に自室のベッドで目を覚ました。
 そろそろパーティの準備を始めなければならない。天田ヒロミは手伝ってくれない。そう宣言していた。パーティである仕掛けを用意していて、その準備があるからだそうだ。 そういえば、赤いドレスに凝ったヘアスタイル、濃い化粧と、いつにも増して気合いが入っていたような…。
 天崎はふと窓の向こうに目をやった。
 天崎の部屋は母屋の一番奥にあり、裏手に建つ離れを見ることができた。正面に離れの居間があって、その窓越しに、ちょうど天田ヒロミが居間に入って来るのが見えた。
 彼女は大変怒っていた。どうやら居間に先に人がいて、その人に向かって激しくののしっているようだが、相手の姿は壁に隠れて天崎には見えなかった。
 天崎は目を見張った。壁の陰から突然二本の腕が突き出され、その両手が天田の細い首を締めたのだ。あっという間に、天田は縊り殺された。血の流れを止めたというより、 頚骨を一気にへし折ったかのような勢いだった。
 大変だっ!
 天崎は立ち上がりドアに向かいかけた。ところが、離れの玄関が開いて村田一美が出て来るのが見えた。村田は、居間の惨劇には全く気づいていない様子だった。 天崎は村田に声をかけようと慌てて窓に近づき、足元がおろそかになった。足を滑らせ倒れた拍子に、頭を床に打ちつけて気を失ってしまった。

「君が気を失っていたのはどれくらいの時間だったのかな?」
 時間は午後七時。通報を受けた警察の捜査はもう始まっていて、天崎サカヤは刑事による二回目の尋問の最中だった。
「五分後でした。気がついてすぐに腕時計を見ましたので、これは確かです。ドアを開けたら廊下に武蔵が立っていて、ヒロミが殺されたことだけ伝えて、 僕は別荘備え付けのサンダルを履いて裏玄関を出、二十メートルの距離を一気に走りました。武蔵がすぐ後を追いかけて来ました。僕は玄関に入る前に、 居間の窓から中を覗いてみました。居間は玄関の横の部屋なんです。そうしたら」天崎は手で顔を覆った。「ヒロミが床に俯けに倒れていました。 首が捻じ曲がって顔がこっちを向いてて、顔は苦悶に歪んで固まって、明らかに死んでて」
「それで、君たちは離れに上がったんだね」
 刑事が先を促がした。天崎は息を整えて、答えた。
「はい。でも、居間のドアにも内側から鍵が掛かっていましたので、二人でドアを破ることにしました。息を合わせてドアに肩をぶつけて、 五回目にやっと鍵が壊れてドアが勢いよく内側に開きました。居間には死体が倒れているだけで、他に誰もいませんでした。 居間には戸棚や押し入れなど人が隠れられるスペースはありません。椅子とテーブルがあるだけです。ドアにはラッチ錠と差込み錠の二種類の鍵が取り付けられていて、 両方とも施錠された状態で壊れたのは明らかでした。とすると、これは完全密室殺人になります。必要以上に現場を荒らさない方がいいだろうと考え、僕たちは居間から出ました。 そして、僕が居間の前に見張りで残り、武蔵君が母屋から110番しました。電話は母屋にしかなく、携帯は元より圏外でしたから」

 こうして、警察の出動となった。しかし、所轄の警官が別荘に到着する前に事件は新たな様相を見せる。
 母屋で110番を終えた武蔵博之は、自室から出て来た徳之島徹から声をかけられる。徳之島はそれまで寝ていたと言う。武蔵は事件の説明をし、二人は離れに向かった。 離れに入ると、居間の前の廊下に天崎サカヤが村田一美と一緒にいた。村田はそれまで近くの林を散歩していて今さっき戻って来たと言う。 そのまま四人で警察の到着を待っていたが、姿を現わさない朝日昇のことが気になった。
 四人で朝日の部屋に行き、声をかけたが返事がない。念のためノブを回すとドアが開いた。部屋の中で朝日が死んでいた。
 机の上に朝日のPCの電源が入っていて、「私がヒロミを殺しました」という文章が打たれてあった。朝日は床に仰向けに倒れていて、そばにジュースの空瓶が転がっていた。 鑑識が調べると、中に毒が入っていたようで、それが朝日の死因であった。
 状況は、天田を殺した朝日が自殺したように思えた。

 警察の捜査が始まって、色々なことが確認された。
 まず、天田ヒロミの死亡推定時間は、午後四時を中心として前後十五分の間とされた。死因は明らかな扼殺であった。
 窓には隙間はなく、捻じ込み錠もしっかりかかっていた。鉄格子の幅は十センチしかなく、ここからの人の出入りは不可能である。
 ドアの差込み錠の方は、糸を使えば何とか鍵をかけられそうだが、その糸を通す隙間がどこにもない。ラッチ錠の鍵穴はドアの表にも裏にも開いているが、 直接つながっていないので、鍵穴に糸を通すことはできない。差込み錠は吹き飛んで床に落ち、ラッチ錠は捻じ曲がり壁側の受け口は裂けていた。 どちらの錠もドアが壊された時、しっかり施錠されていたのは間違いない。ラッチ錠を開けることのできる唯一の鍵は、机の上に置いてあった。特別な意匠を施された鍵なので、 複製は不可能である。
 朝日昇の死亡推定時刻は、午後四時十分を中心として前後十五分の間とされた。毒は無味無臭で即効性の高い種類のものだったが、 毒の入っていたジュースの瓶の容量が小さかったため、朝日は一気飲みできたようだ。

「朝日昇が犯人だとしても、密室殺人の謎は残る」
 刑事の尋問は続く。
「そう考えると、本当に朝日は自殺したのかという疑問も湧いてくる。遺書はワープロで打ったものだから筆跡は関係なく、誰でも打てるからね」
「別に犯人がいて、罪を朝日になすりつけて自殺に見せかけて殺したと言うんですか?それでも、密室の謎を解かないといけないのは一緒ですよ」
「私は、君が犯人ではないか、と考えている。ドアに二つ鍵がついていたのがミソでね。君はまず差込み錠が掛かっただけのドアを壊して居間に入り、 天田さんを殺してからラッチ錠の鍵を外から掛けた。そして死体発見の時に鍵を机の上に置いたのだ」
 天崎は愕然とした。
「違う。窓から居間を覗いた時には、差込み錠は壊れてなくてしっかり掛かっていた。机の上に鍵もあった。僕は犯人ではありません!」
 天崎は隙をついて、諍屋の携帯に電話した。この窮状を説明して、知恵を借りなければならない。
 しかし、諍屋の携帯はずっと圏外で、つながらなかった。
 遠くで雉の鳴く声が聞こえた、ような気がした。

 雉の鳴く声?
 天崎サカヤは、もしやと思って周りを見渡した。天崎は母屋の食堂で尋問を受けていた。
 「ワハハハハハハ」と突如響く高笑い。しかし、刑事以外に人はいない。
 その時、「チーン!」と鳴って、冷蔵庫の上の電子レンジの蓋が手前にパカッと開いた。中に人の顔があった。
 「覗くぞ覗くぞ。お前の人生覗くぞ。お前の心の闇を覗くぞ。電子レンジの奥からチンと覗くぞ」
「あっ!貴様は覗き見探偵神主!何故こんなとこに?!」
 電子レンジの顔が下に引っ込んで、冷蔵庫のドアが開いて、中から神主が全身を現わした。
「そんなことはどうでも宜しい。今から事件を解決しますから関係者を全員この場所に集めて下さい」

 集まった。
 神主は話を始めた。
「いつもならここで私の推理を披露するのですが、今回はQEDのテーマ「神主さん」にちなんで特別サービスです。皆さんに謎を解くチャンスを与えましょう」
 天崎サカヤは首をひねった。「神主さん」にちなんでって?
「私、今回も覗いておりました。というか、殺人事件発生時に、私、現場の居間にいました。柱の一本が私でした。節穴から覗いてました。
 皆さん、まず天崎さんの四時の目撃を疑っていませんか?死亡時刻が四時を挟んで前後十五分なのですから、実際の殺人は密室が破られた後に起こったのだとも考えられます。 つまり、四時に窓越しに天崎さんが見たのは殺人に見せかけたお芝居ではなかったか?居間のドアを破って天崎さん武蔵さんが入った時、 天田さんは実はまだ生きていて死んだ振りをしていたのではなかったか?」
 神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います!」否定のポーズのようだ。「天崎さんが四時に目撃したのは間違いなく殺人の瞬間でした。なぜなら、私自身が居間の中にいて、 この目でしっかと目撃していたからです。天田さんの死亡時刻、それは四時一分です。この時、犯人もまた居間の中にいました。犯人が自分の手で天田さんを絞め殺しました。 私の目の前で殺しました。
 しかし、問題はここからですね。まだ現場は密室になっていない。天崎さんは直後に気を失ってしまいました。ここに、密室状況を形成する時間的余裕が生じてしまいました。 もし天崎さんがすぐに現場にかけつけておれば事件は別の形になっていたかもしれません。
 ではこの時に何が成されたのか?」
 神主は目をつぶって顔の前で人差し指を振ってみせた。
「これは言いますまい言いますまい。私、ずっと居間にいて、ずっと見てましたけど、事件の根幹の部分ですからね。これは皆さんが考えて下さい。
 話は、天崎さん武蔵さんによる死体発見場面に飛びます。皆さんは考えていますね。もしかすると、お二人がドアを破った時、まだ犯人は居間の中にいて、 どこかに隠れていたのではないか?」
 神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います!お二人が母屋からやって来た時、私、まだ居間にいました。ずっといました。この時、犯人はすでに居間を脱出していました。居間の中には死体だけで、 犯人どころか他の人どころか人以外の生物も、いませんでした。壁の中に埋まってたという類いの発想も捨てて下さい。当然、自動鍵締め装置などという仕掛けも存在しません。 実は存在したのだけど、作業を終えた後に爆発して塵になったとか、バイオで土に返ったとかいうこともありません。元から存在していないのです。私、見てました。
 だとすると、もしかすると施錠自体がまやかしだったのではないか、と考える人も出て来ますね。掛かっていたのは片方の錠だけで、もう一方はすでに壊れていたのではないか、 という刑事さんの推理。例えば他には、両方ともにすでに壊れていたのだけど、接着剤とかの別の要因で鍵が掛かっていたかのように思わせるトリック、とか」
 神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います!差込み錠もラッチ錠もともにしっかり掛かってました。壊れていません。両方の鍵は私の目の前で、天崎さん武蔵さんのアタックで吹き飛び、壊されました。 世界に一つしかない複製不可能なラッチ錠の鍵は、天崎さんが居間に飛び込んだドサクサに机の上に置いたのではなく、その前から机の上にありました。私がそれを見てました。 間違いありません。勿論、窓の施錠も完璧でした。
 だとすると、あと考えられるのは、抜け道の類いですね。壁が取り外しが利いたとか、屋根が浮いて隙間ができたとか。 居間を脱出してから外から釘打ちなどしてその痕跡を消してしまうというような類い、ですね」
 神主は腰を屈めると同時に両手を真横に振った。
「違います! 壁にも屋根にも床にも、人や人以外の生物や物体が出入りできる隙間や穴は全くなく、部屋及びその周辺に、改修補修解体建築増築新築移動傾け落下回転浮遊などの事実は全くありません。 私、見てました。間違いありません」
 神主はくるりと振り向いて、天崎たち関係者に顔を向けた。
 それまで虚空に向かって話しかけていたのだ。
「潰せるトリックは大方潰しました。さて、密室殺人はどのようにして構成され、犯人は誰なのでしょうか?」


□解決編

「説明します」神主は謎解きを始めた。「密室が破られた時、犯人は室内に隠れてはおらず、二つの鍵は施錠されていて、自動鍵締め装置のような仕掛けはなく、 部屋に抜け道の類いもなく、早業殺人でも早業鍵放り込みでもなく、密室の中に死体一体しか存在しなかったという状況です。したがって、答は一つです。 居間の内側から鍵をかけたのは、死体の人なのです。死体の人が居間に入り、内側から鍵をかけ、そして死にました」
「え?でも死体は天田ヒロミだったんだよ。天田は絞め殺された。絞め殺した犯人はどこに行ったんだよ。それが問題なんじゃないか」
「ですから、居間に鍵を掛けた死体の人は、天田ヒロミではないのです。居間の死体は二回入れ替わっているのです」
「二回入れ替わって?じゃあ、入れ替わったもう一体の死体っていうのは、誰の死体なんだよ?」
「この事件にはもう一体の死体が見つかっていますね。朝日昇さんの死体です。天崎さん武蔵さんのお二人が密室を破った時に居間で倒れていたのは、彼女の死体だったのです。 毒を飲んで苦悶の表情でしたし、この時彼女は天田さんとまったく同じメイク、ヘアスタイル、服装をしていましたので、見間違うのも仕方のないところです。 もうお分かりでしょうが、これが天田さんがパーティの前に宣言していた「ある仕掛け」でした。何かの拍子に天田さんは自分と朝日さんが似ていることに気づき、 これを利用して二人で入れ替わったり同時に別々の場所に現われたりして、驚かせてやろうと企んでいたのです。
 では最初から説明しましょう。
 まず、四時一分に居間で天田ヒロミが扼殺され、これを天崎さんが目撃します。すぐに天崎さんが現場に駆けつけておれば、事件の展開は変わっていたでしょうが、 彼は頭を打って気を失ってしまいました。その間に天田さんを殺した犯人は死体を居間に置いておくわけにはいかないと判断して、死体を天田さんの部屋に移動しました。 ここで大きな偶然が重なりました。すでに天田さんと同じ扮装をすませていた朝日さんが、犯人と入れ違うようにして居間に入り、鍵を掛けた上、毒を飲んで死んでしまったのです。 その直後に天崎さんたちがドアを破って居間に乱入しました。天田さんに積極的に似せようと扮装している上に苦悶の表情ですし、自分自身の直前の目撃がありますから、 天崎さんはその死体がまさか天田さん以外の何者かである可能性など頭に浮かびようもありません」
「でもそれじゃあ、居間の死体は朝日ってことになって、でも警察が調べた死体は天田で、朝日は自分の部屋で死んでいたのだから…。あれ?どういうこと?」
「さっき死体は二回入れ替わったと言いました。警察が来るまでの間に居間の朝日さんの死体は彼女の部屋に運び込まれ、 天田さんの部屋に運ばれていた彼女の死体がまた居間に戻されたのです。こうして、一貫して天田さんの死体は居間にあったという状況が作り上げられ、 完全密室殺人事件が成立してしまったのでした」
「じゃあ、犯人は?」
「この犯罪が可能なのは、武蔵さんだけですね。村田さんには天田さん殺しの時のアリバイが成立していますし、足を捻挫した徳之島さんには天田さんの死体の移動は無理です」
 ここまで神主の推理を聞いて、武蔵は観念して全てを告白した。
 武蔵博之は実は朝日昇のことを愛していたのだが、成すことすべてが裏目になって彼女から嫌われてしまう。絶望した武蔵は朝日を殺してしまおうと考え、彼女に毒入りジュースを手渡す。 偶然から武蔵の企みを知った天田ヒロミは居間にいた武蔵を難詰するが、自暴自棄になっていた武蔵は彼女を絞め殺す。一旦天田の死体を彼女の部屋に移した武蔵は親友の天崎に助けを求めるために母屋に行く。 ところが、天田殺害場面を目撃してしまった天崎は興奮していて聞く耳を持たず、離れに走ったので、武蔵も後を追わざるを得ない。その間に、朝日が居間に入って、 毒を飲んで死んでいた。さっき自分の手で殺して天田の部屋に運んだはずの死体がいつの間にか居間に戻って、しかも内側から施錠されていたのだから、武蔵は激しく困惑する。 しかし、密室を破り、警察に知らせる段になって、ようやく武蔵は事態を理解する。天崎に相談して、天田を殺した朝日が自殺した状況を二人で作り上げることにする。 朝日の死体と毒入りジュースの空き瓶を彼女の部屋に運び込み、天田ヒロミの扮装を解き、PCを立ち上げて遺書を書き残したのだ。服と鬘は天田の部屋に移し、天田の死体を居間に戻してから、 武蔵は母屋に行って110番したのだった。
 天崎は頭を下げた。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
 遠くで雉が、また鳴いた。
 神主は小さく頷いた。




 
「保山宗明玉殺人事件」 池上宣久


□問題編

 この物語はフィクションです。

 タクシーに乗ったみのもんたを見送って、池上宣久は大きく伸びをした。
「さあ、飲むぞ」
 「QED開設一周年記念パーティ」は盛況のうちに幕を下ろそうとしていた。しかし池上にとってはこれからが本番である。式次第はすべて済んだ。あとは飲むだけ。 裏方に徹した池上はまだ一滴のアルコールも口にしていなかった。残りたい人は残り、帰りたい人は帰る。会場が正宗屋であろうが帝国ホテルであろうが、この流儀は変わらない。
 「鳳凰の間」に戻ると、ほとんどの人がまだ残っていて、広い会場のあちこちで談笑の輪を作っていた。
 雅な歌会のように聞こえたのは、歌羽弐無法、歌羽経乃、奇天可、翁藻、睥倪地見世可、睥倪地千里可、静寂緒たちの会話だった。
 横山愛子と白澤慶子が何やら熱心に話し込んでいる。それぞれの隣りで横山権兵衛と白澤栄三が憮然とした表情をしているのが可笑しかった。すぐ横で増本恵子が白澤実を嬉々としてブランド物で飾り立てていた。 立川慎也と安藤京子が取り成そうとするが聞く耳を持たない。
 横山権三は、サム・ライミ、塚原卜伝、狩野宗逸、狩野香逸、木蓮の転生センター組と、四葉頼太、戸松田新三を相手に、生と死を分かつものについて持論を熱く語っていた。
 丹羽が、具瑠芽衣子、山本益博子に、肉まんと餃子の中身は絶対に違うと涙ながらに語っている。
 野田アーサー、オリエント京子、Dr.O、ソルティ乃木、宇崎四郎時貞、ジュ-ク東郷のπグループが、北出、西岡、南田、東畑、中川、連続殺人鬼上野と仲良く酒を飲み交わしていた。 最初に顔を合わせた時には一触即発の雰囲気だったが、ニコラス・ペタスが仲裁に入って「押忍」の心を説き、この時ばかりの仲直りを成立させたのだ。
 その隣りのテーブルでは、満干全席がようやく機嫌を直したようで、楽しそうに話をしていた。パーティの途中に急に即席料理を作ると宣言して立ち上がったのだが、 過去に彼の料理でひどい目に合った人たち―T・ヒットマン一等航海士、古語三郎航海医、海老沢海雄二等航海士、蟹田蟹蔵艦長、見城和夫鍼灸師、金城花子家事手伝い、 顎山巌石材職人、田頭聡美術鑑定家―から一斉に抗議の声が上がってすごすご引き下がったのだ。特に「ペンタグラム」の四人は、口角泡を飛ばしつつガンガン身振り手振りを交えてだったので、 同じテーブルでアニメ話で盛り上がっていた睦子、涼平、紗香、康平の四人が口をつぐんだほどの迫力だった。
 満干全席のテーブルには、包丁万太郎、蟹江、満岸全席、満干半席、なにわのラーメン大王高橋一介、その息子一郎、次郎、伝説の名コックマース・オオヤマ、カジワラ、 カクタの料理人たちと、抜田抜造、修善寺音也、「隣のおばさん」事件の隣のおばさん、おじさんといったグルメたちが同席していた。修善寺音也は涎をすすりながら周りの人たちを物色している様子だったので、 いつでも取り押さえられるように、御殿山一郎と修善寺春子が彼のすぐ後ろに控えていた。
 似た顔がずらりと並んだテーブルがあった。箱崎一家だ。箱崎警部に、探偵箱崎、高校生の箱崎少年、大学生の箱崎青年、ジョージ箱崎たちだった。
 ジミーは相変わらず相棒のハーヴェイに話しかけていた。それを不気味そうに道成寺晃と児玉信弘が身を寄せ合って見ていた。
 川田興業の浜口営業部長、寺西製造部長、木村技術部長がヘルメットを手に、その効能を同席のテリーとロビンソンに熱心に説明していたが、よく伝わってないようだ。
 安田博之、周明華、小座成夫、千野、吉川秋広、ドリーは、戻ってきた自らの首を祝って何度も乾杯を繰り返している。
 永、敏、椎井、諍谷、橋本、冬木、小橋、佐脇の八人は、新しいあっち向いてホイで遊んでいた。勝ち残りと負け残りの人が決まるまでジャンケンを繰り返し、決まった瞬間にその二人の間だけであっち向いてホイをするのだ。 何が面白いのかわからなかったが、八人は大層盛り上がっていた。
 「川田興業ビル連続墜死事件」の俺は、誰もいない空間に向かって「お前成仏したのじゃなかったのかよ。そうなつくなって」と文句を垂れていた。その様子を手塚と張がポカンと口を開けて見ていた。
 会場の隅の方で、辻本真孝が小錦、モハメド・アリ、乙武、タモリに取り囲まれていた。何かを固辞している風だったが、しばらくすると諦めたように首を横に振り、鞄から取り出したのがドミノだった。 辻本は床にドミノを並べ始めた。

 そんな参加者たちの様子を見ながら池上は、今回のパーティは概ね成功だったなと確信し、今日一日のことを思い返した。
 パーティに参加表明のあったのは、QED主催者三人(辻本、安孫子正浩、池上)、問題出題者五人(保山宗明玉、長井正広、丹羽、狸代 吉本正)、投稿者九人 (平加屋吉右ヱ門、高橋、梅田メメ子、おね、松岡亜湖、宙人、マイペース、山口ユリ、ゲームメーカー)、生QED参加者三人(玉井扶美、街子あかね、フレンチカンカン) の計二十人で、仕事が残業で遅れて参加する高橋を除く全員に、夕方四時に梅田のショットバーに集まってもらったのだった。もう一人前日に急に思いついて、 池上は友人の和尚という男に「のぶりん」役で参加してくれないかとお願いしていたのだが、直前に寝過ごしたという連絡が入って、これも遅れての参加となった。 ついでに前日に保山にジュニア役の人をどうしますかと問い合わせたのだが、そんな者を用意する必要はないと珍しく不機嫌悪そうな答だった。
 ショットバーが約二十人でパーティをするには手頃な広さだったので、そこが会場だと思った参加者もいたようだが実はそうではなく、そこはオリエンティーリングのスタート場所だった。
 池上は参加者に地図と暗号と手掛かりを渡して、順々に街に送り出した。街中に散りばめられた謎を解くことによって真のパーティ会場にたどり着ける仕掛けである。 スタート前にパーティ代を徴収しているので、パーティの開始時間に遅れれば遅れた分だけお金を損することになる。結局たどり着けなければパーティ代は丸損だ。 といってそれほど難しいコースを用意したわけではなく、ほとんどの人が開始前には会場にたどり着けた。
 会場についた参加者は皆口をあんぐり開けた。会場が、大阪最高級帝国ホテル、三百人収容の「鳳凰の間」だったからだ。壁の一面は芝生の中庭に面していて、 そこも貸し切りになっていた。しかも、司会進行役はみのもんただ。
 これは全てQEDの管理人辻本のお陰である。ブラジルの叔父さんが亡くなって入った遺産を全額提供してくれたのだ。
 しかし、いくら参加者の負担がゼロだといっても、三百人の広間に二十人である。大きな無駄遣いだと言っていい。しかし、この趣向の謎はすぐに解けることになる。
 参加者の紹介が済んだ後、みのが、記念すべきQED初作品「開かなかったか」の最初の登場人物として箱崎警部をステージに呼び寄せたのだ。
「あれ?箱崎って本当にいたの?」あちらこちらのテーブルで声が上がる。
 みのは次いで「開かなかったか」の被害者を呼び寄せ、さらに二番目の作品「開かれたドア」の被害者黒井、そして青田とその息子三人と勘臓秘書と腎臓運転手を呼び寄せた。みのは次々と名前を読み上げ、 遂にはQED全十回三十九作品の登場人物約二百人がステージに並ぶことになった。死んだはずの被害者も捕まったはずの犯人まで全員が揃っていた。
 みのは、被害者は「転生センター」で甦えらせ、犯人は国にかけあって今日だけの超法規的措置で刑務所から出てきてもらったと説明したが、そんなわけがない。 実はほとんどは金で雇った役者で、それぞれの登場作品を読ませて、役作りをしてもらったのだ。そのギャラも全部辻本が出してくれたお金で賄った。辻本さまさまである。
 参加者たちもみのの説明を心底信じたわけではないが趣向には乗ってくれて、テーブルについた登場人物たちを捕まえては熱心に話しかけ、役者たちもその役柄になり切って対応した。
 しかし、実を言うと中には本物もいる。池上の書いてきたものの一部は実話だし、他の作者の作品にもそういうものがあるらしい。「あるらしい」と曖昧に書くのは、 池上たち作者はその詮索をあえてしなかったからである。作者が本人を呼べる場合は本人を呼び、呼べない場合はそれをリストにして、役者を派遣する芸能プロダクションに個別に提出したために、 誰が本物で誰が役者なのかは作者以外は知ることができないのだった。その方が皆を実在の人物だと思えて面白かろうという判断である。
 最も参加者を驚かせたのは、グリングリンの出現だった。ステージに上げるわけにはいかないので、登場人物たちが舞台に勢揃いした後で中庭に連れて来たのだ。 右肩に兄のクリンクリンを乗せ、頭の上には伝書鳩をとめていた。皆がグリングリンの背中に乗りたがって長蛇の列を作った。ちょうど今は、紙村弁護士と鷺沢時彦と鷺沢舞子の三人が乗っていた。嬉しそうだ。
 残念なのは、諍屋ととうとう連絡がつかなかったことだ。携帯が全然つながらない。古尾谷雑把、古尾谷専、板倉、高松、佐藤、木村、佐々木、堂島、赤松、名村、山井、竜胆、間宮たち下駄拳一派も不参加となった。
 登場人物たちは名札に名前を記入して胸につけてもらっていた。登場人物の中には「抜かれなかったか」の“オレ”や、「シジフォス」の“俺”のように名前を与えられなかった者がいるので、 名前の下に備考欄を用意して、「金庫の中の遺言状を見つけられなかった男」とか「毎日色々なことをしてからカンタを殺す人」とか、書き込めるようにしておいた。海乃幸や「蔵の中」の被害者の少年など、 名札がなくてもそれと判る者も中にはいたが、参加者とのコミュニケーションに大いに役立ったようだ。
 会場入り口には受付けを設けていて、そこで参加者たちにも名札を渡していた。受付け係りは、「見えない人」事件の自然公園の門番である。
 式次第は、QEDカルトQクイズ大会、テーマ「一周年」で生QEDと、進んだ。
QEDカルトQでは、ボタンを押すと天辺がパカンと立つアメリカ横断ウルトラクイズ払い下げの帽子を、全員が被ってクイズに参加した。
「狸代さんQED初投稿の時のタイトルは何だったでしょう?」
「ピコーン」
「はい。狸代さん」
「すっ推理です、だったと思うんですが」
「ブー。間違いです」
「あがっ!」
「ピコーン」
「はい。マイペースさん」
「一応。。。推理です」
「ピンポンピンポンピンポン。正解です。では次の問題。猫舌六三郎さんの職業は何でしょう?」
「ピコーン」
「はい。マイペースさん」
「運転手」
「ピンポンピンポンピンポン。正解です。では次の問題。冤罪に関するテレ」
「ピコーン」
「はい。マイペースさん」
「なんたることの、なにごとぞ」
「ピンポンピンポンピンポン。正解です」

 そうして、各部門年間最優秀賞の発表でもって、「QED開設一周年記念パーティ」のすべての企画は終わったのだ。後は飲むだけだ。
 池上はさらにテーブルの間を練って歩いた。
 壁際の大きなソファにふんぞり返って座っているのは、年間最優秀主演賞を獲得した覗き見探偵神主だ。黒のサングラスをかけ、両腕をソファの背もたれに乗せ、足を高く組んでいた。 周りを、浅倉麻由美、池本貴志や、天崎サカヤ、天田ヒロミ、武蔵博之、徳之島徹、朝日昇、村田一美や、花野愛子、花山大吉、花田おさるの顔なじみが取り囲んでいた。
 ステージでは、保山宗明玉がライブを勝手に始めていた。歌うはゴスロリユニット「バッハ」の代表曲「毎月三日は消費税三パーセント」である。ゴシックロリータのスカート姿で、今日はずっとこのいでたちだった。 おねがバックで踊り、ステージの前には鯨本幸、野寺かをり、京本茜、高橋玲子、家政婦悦子、山口ゆり、玉井扶美、待子あかねといった女の子のグルーピーがいつの間にやら形成されて、キャーキャー声援を送っていた。
「まいちゅき♪まいちゅき♪みい~っかには♪しょ~おひぜ~いは♪さ~んぱ~せ~ん♪」
 中庭に目を向けると、松岡亜湖がグリングリンの背中に乗るところだった。その時池上は嫌な生き物を見た。静寂緒が連れて来たペットの牝猫、魑魅だった。声をかける暇もなく、 グリングリンが魑魅に気がついて「ガオ~ン」と一声鳴いて松岡を乗せたまま走り出した。
「た、助けて~!」悲鳴を上げる松岡。
 グリングリンは受付けを無茶苦茶にし、鳳凰の間の中央に向かった。
 多くの人は逃げたが、バリケードを築いて踏みとどまる一群がいた。彼らの背後には、辻本が作り上げたドミノの列があったのだ。平加屋が吹き飛ばされ、磯崎と鯨本が宙に飛び、 フリーダム降田氏とゲームメーカーが踏み潰され、やっとグリングリンが進路を変えた。
 そこへ、紅三四郎が紅い空手着をグリングリンの顔に投げて視界を奪い、貝原が銛を足元に放って動きを封じ、「アメリカンロデオショー」の調教師が背中に飛び乗って松岡を助け、 ボブと演出家がグリングリンをなだめて、何とか騒ぎを収めた。クリンクリンと伝書鳩がやって来たので、あとはまかせることにした。グリングリンはしょぼんとして、中庭に戻って行った。
 その騒ぎの間に保山のライブが終わっていたので、池上は挨拶に行った。
「保山さん、お疲れ様です」
 しかし、保山はライブ後でハイになっているのか、「アオアオアオアオ」と答えるのみだった。
 携帯電話が鳴ったので出てみると、梅田メメ子からだった。
「池上さん、降参。会場どこ?教えて」
「…君、まだ到着してなかったの?」
 簡単なコースのつもりだったが、決断力と行動力ある方向音痴の彼女には難しかったようだ。池上は会場の場所を告げて、電話を切った。
 池上は電話に気を取られて、足元がおろそかになっていた。
「ガシャン」
 足が何かを蹴飛ばした。「カチャカチャカチャ…」と音が続き、周りで「あ~!」という悲鳴とも溜め息ともつかぬ声が上がった。さっきグリングリンの暴走から皆で力を合わせて死守したドミノを今、 池上が台無しにしたのだ。皆が一斉に口々に「この粗忽者、この粗忽者」と言い募るのでその場を慌てて逃げ出した。
 ようやく池上は、吉本正、長井正広、宙人、マイペースたち関西学院大学推理小説同好会OB会が陣取るテーブルを見つけて、席についた。
近くのテーブルには、関学走り幅跳び同好会OBの田村緑、赤目、灰谷、紫頭巾、紺野、黄河たち、十種競技同好会OBの水溜、橙田、桃木、群青、栗具たち、 大相撲同好会OBの浜地 田井、井倉、勝尾たちが座って、一大学閥を形成していた。
「高橋はまだなん?」
「さっきもうすぐ来るて連絡あった」
「保山さんに挨拶した?」
 保山はOB会の先輩である。
「何かテンション高かったな」
「アオアオ言うてはった」
「あ、懐かし」
「僕が声をかけた時は、アーベンイーベン言うてはった」
「それも懐かしいな」
「僕の時は、ゲンガンボンビンガラビンゲンやった」
「それを言うならガンボンゲンガンバラビンゲン」
「君も間違えてる。ボンゲンガンバンガラビンゲンやん」
「そやったそやった。」
 そこへ高橋がやって来た。
「すいません。遅なりました」
「仕事やってんからしようがないやん」
「で、安孫子さんは凹んではいませんか?」
 と、まずそれを気にする。
 池上は背伸びをして、安孫子の姿を捜した。
 安孫子は、コステロ、アボット、マリリン・モンンロー、W.Cと同席していた。意気投合しているようで、破顔大笑している。
「元気そうやで」
「そうですか。それは良かった」と高橋はひとまず安堵し、「では、久し振りに新エリュシスでも行きますか」と言って、カバンから取り出したトランプをテーブルの上に広げた。

 三十分が経った。
 酔いがさらに進み、テーブル間の行き来も激しくなって、誰がどこにいるのか判りにくい状況になっていた。
 その間に、メメ子がようやく会場に到着した。
 トランプに熱中する池上たちのテーブルにやって来て、
「池上さん、むっちゃ難しかった。なんで携帯の電源切ってたんよ」
「え、ずっと舞台の袖口で走りまわってたから、邪魔にならんように」
「場所わからんし、携帯つながらないし、泣きそうやった」
「え~と、どなたですか?」
「あ、マイペースと宙人は初めてやったね。こちらメメ子さん」
 そこへ和尚がやって来た。
「すまーん。寝坊したあ」
 池上が横目で睨む。
「また豪快な寝坊やなあ。何時間の遅刻や?」
「いや、午前と午後を取り違えてもて」
「どんな間違え方や」
 その時、会場の奥から女性の悲鳴が聞こえた。
「キャー。保山さんが殺されてる~!」
 皆、顔を見合わせて立ち上がった。
 和尚が叫ぶ。「何?ほざんそうみょうだまさんがっ?!」
 間違いを訂正する気も起こらず、池上たちは悲鳴のした方向に走った。
 扉があり、その向こうが廊下になっていて、お手洗いや更衣室が並んでいる。ある部屋の前にひとかたまりの集団ができていた。一宮、六田、二村、三河、四条カオル、五木の高校生たちだ。
 その部屋は、小倉庫だった。台車やホワイトボードや看板が並ぶ中に、保山宗明玉が左胸にナイフを刺して俯けに倒れて死んでいた。ゴスロリファッションからいつもの服装に着替え中だったようで、 あと、レインボウ色の長靴下を履くだけの状態になっていた。脱いだゴスロリファッションはすぐ近くの床に散乱していた。
 すぐに、古語三郎、馬井、比嘉の医者たちがやって来たが、「あ、だめだこりゃ」と言って退散した。
 入れ替わりに、平居、箱先、大木、遠藤、吉村の警察関係者が来たが、「あ、これは110番110番」と言って、走り去った。
 その間に池上は保山の右腕の先に気がついた。床に黒い文字があった。それは、「神主」と読めた。ダイイングメッセージである。
 保山を知る者の中に保山を知らぬ者なしとまで言われた関西インディーズ界闇のカリスマ保山宗明玉は、こうして帰らぬ人となったのである。

 警察が来て、捜査が始まり、色々なことがわかった。
 保山の死亡時刻は、死体発見までの三十分の間とされた。
 死因は胸をナイフで刺されたためのもので、即死ではなくダイイングメッセージを残す時間はあったと思われる。
 ダイイングメッセージを構成していたものは、看板に貼るだけになっていた文字のシールだった。シールは袋に入っていたのだが、保山が犯人と争った時に床にばら撒かれたようだ。 元々それは「八十日丹精マヨネーズ 羽王」という文字で、翌日にマヨネーズ会社の新製品発表会で使われる予定のものだった。保山はその中から、「ネ」と「日」と「―」と「王」と「ズ」の濁点の一つを選び、 「神主」という文字を作り上げたのだった。「ネ」は「しめすへん」となり、「-」は縦棒になって「日」と重なって「申」となり、それらは合わさって「神」になった。 「王」と「、」が一緒になって「主」になる。
 防音扉のために声は外に届かず、保山は筆記用具を会場の自席に置いたままで身につけていなかった。床には特殊なコーティングがされていたので、血は床に定着せず、 体に刺さったナイフで床に文字を刻もうにも、体から引き抜くと大量の出血を呼んですぐに死んでしまうかもしれなかった。保山は仕方なくシールでダイイングメッセージを構成するのを選んだのだろう。
 そうすると、犯人は神主なのだろうか?しかし、神主には完璧なアリバイが成立していた。彼はずっと「鳳凰の間」のソファに座ったきりで、そこをずっと動いていない。
 では、誰が犯人なのか?
 受付け担当の門番が会場入り口に常に陣取って目を光らせていた。グリングリンのために芳名緑や名札はズタズタになってしまったが、それまでに参加者のほとんどが会場入りしていたし、 事前に渡していたパーティ参加者リストを門番は完璧に覚えていた。
「会場に入ったのは、参加者リストに載っていた者だけじゃ。人を殺めるような怪しい人間は一人も通っておらん!もし、おったとしたなら、そいつは透明人間じゃ!」
 と、門番はお得意の見栄を切った。犯人はパーティ参加者の中の誰かであるのは間違いない。帰ってしまった者―「これから悪だくみがあるので」と言って帰った御戸老人、 宮脇秘書、大島弁護士と、「もう寝る時間ですから」と言って帰った「隣のおばさん」事件の老女と孫と隣家の三人兄弟の、計八人―もいたが、それは式次第が終わってすぐで、保山の死亡時刻を外れていた。
 死体を発見した高校生たちが、注目すべき証言をしていた。彼らは保山にサインを求めたのだが、着替えをしてからにしてくれと断られたらしい。この時更衣室は満員で、保山は小倉庫で着替えをすることにした。 高校生たちは会場に戻って保山が出て来るのを待っていたのだが、あまりにも時間がかかり過ぎるので、催促に行って死体を発見することになる。この時、重い防音扉を開けた時、 廊下から強い風が中に吹き込んで、床の文字を動かしたような気がすると言うのだ。どの文字がどう動いたのかは、判らない。それどころか、これは全員の意見ではないが、 文字の一部が飛んで他の使わなかった文字の一群に混じってしまったような気がするという者まで現われた。
 とすると、本当のダイイングメッセージはどんなものだったのだろうか?

 ずっとソファに座ったままの神主のまわりに、箱崎一家、満干全席、犯罪学博士、翁藻、木地凱、「テリーの馬鹿」事件の“俺”、「読者への十の挑戦」事件の正解者、オリエント京子、クリンクリン、 木蓮、ゲ-ム探偵ユウキが集まった。この中に、諍屋の姿がないのが寂しい、と池上は思う。
 翁藻が口を開いた。
「名探偵たくさんいてもしょうがない。この事件どなたが謎を解きますか?」
「神主さん、私たちは、ダイイングメッセージで名指しされてますし、また年間最優秀主演賞も受賞されたあなたの手に解決を委ねるのが、最も良いのではないかと考えているのですよ。どうですか?」
 それを横で聞きながら、池上は辻本の肘をつついた。
「あれでいいんですか?あの人役者さんなんでしょ?」
 辻本は困った顔になった。
「え?」池上は目を見張った。「まさか本物なの?」
 辻本は小さく頷いた。
 神主は言った。
「宜しい。私が事件を解決しましょう」
「しかし」池上は辻本の耳に囁いた。「あの人にアリバイが成立しているということは、あの人、今回は殺害現場を覗けなかった、ということですよ。神主はそれで事件を解決できるんでしょうか?」
 遠くで、雉の鳴く声がした。


□解決編

「今から事件を解決しますから関係者を全員この部屋に集めて下さい」
 集まった。
 神主は壁際のソファにふんぞり返って座ったまま動こうとしなかったので、関係者二百数十人がソファを取り囲む形になった。両腕をソファの背もたれに乗せ、足を高く組んでいる。
 神主は話を始めた。
「まず、ダイイングメッセージの解釈です。『神主』が指し示す私にはアリバイが成立しますから、死体発見の高校生たちの目撃を考え合わせれば、元もとのダイイングメッセージは別のもので、 風のせいでそれを構成する文字が飛んだり動いてしまった結果、『神主』と読めてしまったのだと解釈するべきでしょう。『神主』という文字は、『ネ』と『日』と横棒と『王』と濁点で作られていました。 これらを残し、他のシールのどれかを継ぎ足して、なおかつパーティ参加者の誰かの名前となる組み合わせは、私には一通りしか考えられませんでした」
 神主は言葉を切った。皆が固唾を飲む。
「それは保山宗明玉です。『八』と『十』を組み合わせればカタカナの『ホ』になります。『ヨ』を横にすれば『山』です。『マ』は裏向けにして横にすれば『ム』です。『ネ』はそのまま使い、 『申』は風で動いて重なったのだと考えて『日』と縦棒を離し、縦棒に『羽』の字の片側だけを合わせると、『明』の字になります。あとは簡単ですね。 『主』の濁点の位置を変えるだけで、『玉』の字になります。元のダイイングメッセージは『ホ山ムネ明玉』であったのです。つまり保山さんです」
「え?じゃあ保山さんが犯人だって言うの?被害者が保山さんなんだよ?」
「そうですね。普通に考えればおかしい。被害者の方が保山さんではなかった、と考えればどうでしょうか」
「そんなことはないよ。僕は昔から保山さんを知っているけど、あの死体は保山さんだった。それともあれは保山さんのそっくりさんだって言うの?」
「いえ、あの死体は保山さんでした。いや正確に言い直しましょう。肉体は保山さんでしたが、精神は保山さんではなく、別の人格に体を乗っ取られてしまっていたのだという解釈です」
「別の人格って?」
「それはジュニアしかいないでしょう。保山さんはテーマ『意外な犯人』で、ジュニアとの一人二役という離れ業を演じられました。その効果をより上げるために、『首』『ふりだし』と三回続けて一人二役を演じ続け、 その期間は三ヶ月に及びました。保山さんはやり過ぎたのです。その間にジュニアはジュニアとしての人格を形成し、遂には保山さんの人格を駆逐して体を乗っ取ってしまったのでした」
 それを聞いて、池上には色々と思い当たることがあった。
 保山は「意外な犯人」の解決編で、『「π」がジュニアの最後の作品』だと言明していたにもかかわらず、ジュニアはテーマ「雨」で「てんぷらとして死す」という作品を投稿していた。 保山は嘘をついたことになるが、こんなことで嘘をつくような人ではないのだ。ジュニアに一挙に人格を乗っ取られたのでなく、徐々に人格の侵食を受けたのではないだろうか?  テーマ「花の香り」ではジュニア作品はなく保山作品だけだった。次のテーマ「雨」では保山作品はなくジュニア作品だけで、テーマ「ゲーム」では保山作品だけでジュニア作品はなかった。 凄まじい両人格の綱引きの様子がこの辺りにはっきりと垣間見られるではないか。そして最新テーマ「神主さま」では、とうとうジュニア作品も保山作品も姿を消した。決着がついた小休止と捉えるべきだろう。
 そして、ジュニアは保山としてパーティに現われた。だからだ!池上は今にしてはっきりとわかる。池上が保山に挨拶に行った時、「アオアオアオアオ」としか答えなかったのも、 他の者に対して「アーベンイーベン」としか言わなかったのも、最近生まれた人格だからなのだ。記憶しさえすれば「毎月三日は消費税三パーセント」を歌ったり踊ったりはできるが、 昔馴染みとの会話を成立させるのは不可能だ。「ゲンガンボンビンガラビンゲン」の言い間違えも、聞いた者の聞き間違いだと勝手に解釈してしまったが、これはジュニアの覚え間違いであった。 ジュニア役の用意を保山に打診した時、機嫌が悪かったのも無理はない。池上はジュニア本人に代役の相談をしてしまったことになる。おおっ全ての辻褄が合うではないか。
 神主の説明は続いた。
「完全に駆逐したと思われた保山さんの人格はわずかに残骸を残していました。ジュニアが小倉庫に入った時に保山さんは最後の反撃を試みたのです。 一瞬に体のコントロールをジュニアから奪い取り、ナイフで胸を刺したのでした。人格を取り戻したジュニアは自分がもう助からないことを悟り、ダイイングメッセージを残したのです。犯人は『保山宗明玉』だと」
 「おおっ」という声が上がり、場の空気がやや弛緩した。しかし、次の神主の発言が爆弾だった。
「と、犯人は思わせたかったのです」
 空気が一瞬で固くなった。
「ど、どういうことですか?」
「つまり、ダイイングメッセージは偽物だということですよ。犯人は冤罪を作りたくなかったのでしょうね。それで『保山』というにせのダイイングメッセージを残し、 被害者がジュニアで保山が犯人だという解釈に警察の判断を誘導したかったのです」
「なぜそんなことがわかるのですか?」
「ダイイングメッセージをシールの組み合わせで作っているからですよ。左胸をナイフで刺されているのですよ。そんな悠長な作り方が許される状況ではありません」
「でも、保山さんは筆記用具を持っていなかったし、床は血をはじくコーティングがされていたし、あ、例えば服に血で書けば良かったというような意見ですか?」
「違います。もっと簡単なダイイングメッセージの残し方がありました。それは名札です。参加者全員が名札を胸につけています。保山さんも例外ではありませんでした。確かに殺された時には着替えの最中で、 着替えた服には名札はついていませんでしたが、脱いだゴスロリファッションの方には「保山宗明玉」と書いた名札がついたままでした。ちょっと手を伸ばせば、 簡単に保山が犯人だと示せる名札がすぐそばにあったのに、それを使わずに文字の組み合わせでダイイングメッセージを示そうとした行動には矛盾しかありません。 だから、このダイイングメッセージは犯人によるにせの手掛かりだと言うのです」
「それは判りましたが、でもそれだと犯人もその条件にそぐわなくなってしまいませんか?だって犯人はパーティ参加者なのだから、保山さんが名札をしていたのを知っていたはずです。 誰が犯人であっても、保山さんに名札を握らせるでしょう」
「良いことを言ってくれました。したがって犯人は保山さんが名札をしていたことを知らなかった人間なのです。さらに言うと、受付けで名札を渡されて参加者全員が名札の着用を義務付けされていたことを、 知り得なかった人物です。そんな人間はこの中に三人しかいません」
 神主は自分を囲む人々の顔を見回した。
「グリングリンの大暴れを思い出して下さい。そのお陰で、受付けは無茶苦茶になり、名札はズタズタになりました。以降に会場に現われた参加者は名札を与えられなかったのです。 彼らは、参加者全員が名札をつけるのだということを知る機会を持ち得ませんでした。その三人とは、グリングリンの大暴れ以降に会場に現われた、高橋さん、梅田メメ子さん、和尚さんです。 実際メメ子さんが池上さんのテーブルにやって来た時に、マイペースさんと宙人さんは彼女が何者なのかを池上さんに尋ねています。もしこの時彼女が名札をつけていたなら、 こんな問い掛けは無意味です。この三人の中に保山さん殺しの犯人がいるのです」
 囲む人間が身を離したのでそれぞれの三人の周りに空間ができ、その空間に押し出されるようにして、三人が神主の前に出て来た。
「一人ずつ検討していきましょう。高橋さんは、保山さんの死亡推定時刻の前に会場にやって来て、事件の発生までずっとトランプをしてテーブルを離れませんでした。 したがって、高橋さんにはアリバイが成立します。犯人ではありません。
 次に、和尚さんですが、彼は保山さんと面識がなく、QEDを読んでの関係しかありませんでした。死体発見の時、彼は叫びました。『ほざんそうみょうだまさんがっ!?』と。 保山さんの名前を『そうみょうだま』と読んでいた人に、『ホ山ムネ明玉』というダイイングメッセージは残せません。したがって彼も犯人ではありません。ということは」
 神主は梅田メメ子を睨み据えた。
「メメ子さん、あなたが犯人ですね」
 彼女は何も言い返さなかったが、その表情が犯行を認めていた。
 池上は神主に言った。
「まいりました。見事な推理でした」
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
「まるで見ていたかのような話し方でしたね」
 遠くで雉が、また鳴いた。
 神主は小さく頷いた。
「ちょっと待ったー!」
 人々の後ろから声が響いて、人を掻き分けて前に出てきたのは、保山だった。
「早くも転生センターで蘇ってまいりました保山です。そんなことはどうでもよろしい。神主さん、あなた今回はずっとそのソファに座っていて、現場を覗けなかったはずです。 推理だけで真相に辿りついたのかと感心もしていたのに、でも覗いたと言う。その説明やいかに?」
 神主はしばらく保山の顔を見ていたが、やがてソファに乗せていた左手をサングラスにかけ、ゆっくり外してみせた。
 おおっ!!
 どよめきと共に人々は後ろに一歩下がった。
 神主には目がなかった!暗い眼窩があるだけだ!
 そして神主は右手を持ち上げた。それまでソファの背もたれの陰に隠れていた指の先が現われた。人差し指と中指の二本の指が異常に長い。いや、長いどころではない。 指が紐のようになって会場の壁沿いにずっと伸びているではないか。しばらくすると、遠くからシュルシュルという何かが絨毯の上を滑る音が聞こえてきた。 音はどんどん近づいてきて、遂にその正体がわかった。神主の伸びた指が縮んでいるのだ。電気掃除機のコンセントが収納されるのに似ていた。 指の先が遠くの床に見えたかと思った次の瞬間には、指は普通の長さに戻っていた。その先端についているのは、二つの目玉だった。
 神主は、目のない顔に笑みを作ってみせた。

「ちょっと待ってー!」
 叫んだのはメメ子だった。
「何だかもう終わりそうな雰囲気だけど、まだ駄目ぇー!あたしがなぜ保山さんを殺さねばならなかったのか説明がまだじゃない」

 では、動機はメメ子さん自らに語ってもらいましょう。
 お任せします。


□犯人の自供(梅田メメ子)

 ……こんばんは、皆さんには多大な御迷惑ヲお掛けしました、梅田メメ子です。豪華で盛大な、二度と行われないだろう記念的パーティーを、人の血で台無しにしてしまって、 本当に御免なさい。特に、相続した遺産ヲ全てなげうってくださった辻本さん、そして何より、殺されてしまった保山さんには、お詫びの言葉すら見付かりません。なんだか、 ワタシには当日の記憶がないのですが……とにかく、ワタシが保山さんヲ殺してしまったそうなので、其れは、全人生ヲかけて償っていこうと思います……?
 さて、肝心の、梅田メメ子が保山宗明玉さんヲ殺すに至った動機ですが……なんせパーティーに参加した記憶がないので、ワタシ自身あやふやなのですが、数日、 自分の胸に詰問してみました。そうして……思い出したのです。故意に封印された記憶ヲ……。
 ジュニアさんが保山さんのもうひとつの別の人格であるように、池上さんにも別の人格がありました。言わずと知れた「のぶりん」です。この「ジュニア」と「のぶりん」は、 一見Net上での便宜的な使い分けにしか見えませんが、実は、保山さんと池上さんの精神ヲ現実に蝕んでいるアイデンティティだったのです。この隠された人格には、 それぞれ確固たる職業がありました。「ジュニア」は神主で、「のぶりん」は和尚です。神主については、ダイイングメッセージ「ホ山ムネ明玉」に内包された 「神主」の字でも記されていますし、和尚は、池上さんが「のぶりん」役ヲ和尚さんに頼んだという記述で明らかにされています。保山さんも池上さんも普段、 会社員として生活しながら、人格が入れ替わるとそれぞれ、神社と寺で職務ヲ全うしていました。
 ワタシが、寺の住職である「のぶりん」の現実での存在に気付いたのは、先月、毎日のように池上邸で芝居の稽古ヲしていた為です。池上さんが会社から帰ってくるまで、 ワタシは出演女優と池上邸で稽古していました。その時よく、押入の中から見慣れない木魚や見覚えのない袈裟が発見されました。それが一体何に使われているのか、 ワタシは何故か本人に訊けませんでした。見てはいけないものヲ見たような、触れてはいけないことに触れてしまうような気がしたのです。
 その芝居には池上さんにも出演していただいたのですが、彼は「二三行の台詞でないと、よう覚えられん」と言いながら、二頁にも及ぶ長台詞ヲ難なく覚え、 朗々と発してみせてくれました。しかし、女優との対話の場面になると途端に台詞がつまり、何度もやり直しヲ繰り返されました。これはひょっとして、 あの長いお経ヲ読むのに慣らされているからではないだろうかと、日々押入から怪しい和尚グッズを見付けていたワタシは考えました。
 そして公演も差し迫ったある日、ワタシは遂に決定的なものヲ見付けてしまったのです。それは、ある土地ヲ巡った権利書や借用証の書類でした。大阪の、 ある閉館した劇場の跡地に、お寺ヲ建てようという計画がそこに展開していました。池上さんの闇なる人格「のぶりん和尚」の野望です。しかし、 同じようにその土地ヲ狙っている別の人物がいました。神社ヲ建てようとしている「ジュニア神主」です。ひとつの土地ヲ巡ったふたりの争いが、書類には記されていました。 ふたりはお互いに、闇から多大な金ヲ用意し、土地ヲ買い取ろうとしていました。その争いはみるみるエスカレートし、ついには宗教争いにすら発展したようです。 人間の醜い欲望で汚れた書類ヲ、池上邸の戸棚の奥から発見して、ワタシは驚愕しました。
「見てはならないものを見てしまったね……」
 闇に囁く声に気付き振り向くと、そこには佇立する池上さんがいました。
「池上さん…」
「私は池上さんではないよ、のぶりんだよ……」
 のぶりんの右手には、木魚ヲ叩くバチが握られていて、それがやおら振り上げられると……。
 そこから先はあまり覚えていません。気付くと、芝居の公演は終わり、「QED開設一周年記念パーティ」が開かれていました。まるで夢ヲ観ていたように、 誰かに操られていたように、他人の眼から見た曖昧な記憶しかありません。
 とにかく、ワタシは「ジュニア」である保山さんヲ殺し、劇場の跡地には、立派なお寺が建つそうです。そしてその寺には、「のぶりん」という名の和尚が就くということです……。

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