2009年1月5日月曜日

第2回(2002.11.18~) テーマ:ぬくぬく

「抜かれなかったか」abiko masahiro
「蔵の中」保山宗明玉
「肉まん」長井正広
「ぬくぬくベッド」池上宣久





「抜かれなかったか」 abiko masahiro


□問題編

 遺言状がしまわれているのは祖父の書斎だということを、オレは弁護士の紙村から聞いて知っていた。 今日、葬儀が終わったあとで、みんなを食堂に集めていったのだ。 「鷺沢氏の遺言は、長男の時彦さんが帰国される明日の夕刻6時にこの食堂で開封します。 そこでご了承をいただいてから遺産配分の手続きを進めたいと思います」 だからみんな、あの場にいたものは、遺言状が明日まで書斎にしまわれていることを知っている。 書斎で大切なものをしまっておくといえば、あの金庫だ。 オレはこの1日を、遺産が欲しければ自分の力でどうにかしろ、1日だけチャンスをくれてやる、 という神様からのメッセージ、試練だと受け取った。
祖父の遺産がオレに十分な額、配分される可能性は低い。 複雑な鷺沢家の血の事情はさておくとして、幼い頃から、母や兄たちと鷺沢本家との間で起こったさまざまな出来事をオレは見てきた。 祖父の遺言状を奪って無効にしてやることは、自分のためにも、憎らしい本家の連中に一泡ふかせてやるためにも、重要なことだ。 遺言状の開封が終わればオレは一文無し同然にしてこの家を追い出される。 この家の当主になる時彦が洋航から帰国する明日の夕方までに、書斎から遺言状を奪わなければならない。
 真夜中。ひそかに奪っておいた鍵で書斎への侵入を果たした。 額縁の裏に隠し金庫がある。数字錠がついているのだがその番号は祖父の生前から調べてあった。 いつか役立つ日が来るだろうと思っていたのだ。窓から差し込む月光だけを頼りに、薄暗い書斎のなかでマティスの複製画を外す。 金庫の鍵を合わせていく。カチャリ、カチャリと錠が合う度に音をたて、オレはドキリとする。 恐れているのは祖母ではなく、時彦の妹・舞子だ。あいつの見る目は、オレの胸のうちに煮えたぎる憎悪を見透かしているかのようだ。 気づかれているのではないだろうか、いや、まさか。
 鍵が解けた。重い扉が軋みながら開く。なかには鍵付の祖父の日記、愛用していたパイプ。それから封筒が一通、入っていた。これが遺言状か。 他のものには見向きもせずに封筒に手を伸ばす。表には祖父の名前。裏には弁護士と立ち会い人だった祖父の弟の署名、捺印。封筒を開いた。 なかを見て、……オレは混乱した。入っていたのは(重みで気づいてはいたが)小さな一個の鍵だった。闇のなかで鈍く光る。他には何も入っていない。 ということは遺言状はまた別のところにしまわれていて、これはその隠し場所の鍵なのだろうか。 それとも、と思いながら一応、鍵を一緒にしまわれていた日記の鍵穴に当ててみた。違う。 オレはひとまず鍵だけを奪い、封筒は元の通りに封をして隠し金庫にしまった。どこにしまわれているのか。書斎のなかではないのか。いや。……。

「それで? 紙村くん」
 と箱崎は訊ねた。
「その男は遺言状をうまく奪えたのですか」
 いえ、と弁護士はにんまりと笑って答える。
「結局、男は失敗しました」
「それでは遺言状は他の場所に?」
 先刻から弁護士の指が気になって仕方がない。合わせた手の間でクルクルと回している。クセなのだろう。 長いつきあいだし、この男の利口なところも判っているし。いいヤツなのだがときどき気に障る。
「いえ、確かに遺言状はその金庫のなかにあったんですよ。 わたしはその翌日、みんなに話した通り、その金庫から取り出してみんなの前でそれを公開しましたしね。 どういうことだか判りますか、箱崎さん。遺言状は抜かれてはいなかったんですよ」


□解決編

「それで?」
 と答えながら、箱崎はその紙の束をテーブルの上に置いた。
「遺言状の公開が滞りなく行われたことは判りました、紙村くん。それで訊ねたいのは、きみが僕のところを訪ねてきた理由です」
 箱崎がいうと、紙村弁護士は少し困ったような表情を、特に眉間の間に浮かべ、それから箱崎が置いた束をじっと見つめた。
「……わたしにも判りかねてるんです、正直なところは」
 それから小声になって、だからあなたを頼ってきたんだ、というのを箱崎の耳は捉えた。 箱崎は溜め息をひとつつくと「じゃあ、最初から話したらどうかな」といった。
「そうですね」
 視線を落とした先に、手記があった。
「この手記を書いたのは、……」
「鷺澤氏本人」
「そうです」
 驚いた顔の紙村に、箱崎はいった。
「でないと上手く行き過ぎる。『ひそかに奪っておいた鍵で書斎への侵入を果たした。額縁の裏に隠し金庫がある。 数字錠がついているのだがその番号は祖父の生前から調べてあった』とか『窓から差し込む月光だけを頼りに、薄暗い書斎のなかでマティスの複製画を外す。 金庫の鍵を合わせていく。カチャリ、カチャリと錠が合う度に音をたて』とか書いてあるけれども、現実にはそんなに上手くいくもんか。 特に、ここに書かれているような母の代から冷遇されてきた男にそういった調べがつく筈がない。 この人物が金庫について熟知しているのは明らかに納得がいかない。もちろんこれが虚構でないとしてですが」
 机の上の束はA4版、罫線入りの紙に手書きで5枚あった。手記だ、と紙村はいって箱崎に差し出した。 字の乱れはない、崩し方は年配の者が書いたかのようだ。
「僕が訊ねたいのは、これを書いたのが鷺澤氏だとすれば、なぜ彼がこれを書いたのかではなく、なぜ、きみがこれを僕に見せたのか、それから、なぜ」
 紙村の唾を飲み込む音が聞こえた。
「遺言状が公開されたのか」
「亡くなられたからです」
 紙村がいう。箱崎の表情は少しも変わらない。
「これを書いた翌日、ここに予言された通り、そう予言といっていいでしょう。鷺澤氏は亡くなりました。 殺されたのです、そして生前からそれは予期されていたらしく」
 時彦さんに帰国を命じられていた、と紙村はいった。
「すべて、ここに書かれていた通りになった」
「で?」
「この手記は、遺書とは別にわたしに預けられていたものです。わたしは鷺澤氏がこれを書かれた理由を、わたしに預けられた理由を知りたい。 それで箱崎さん、あなたに」
 紙村の表情は真剣だった。
「それを考えてほしいと思って、読んでもらったのです」

もう弁護士の指は動いていなかった。箱崎は自分の口唇を指でなぞった。ひどく乾いている。窓をぽつぽつと叩く雨の音が聞こえててきた。
「告発、でしょう」と箱崎。
「そう思いますか」
「鷺澤氏は自分殺されることを予期していた。どういった理由からかそれは阻止できない、殺される日時まで予想はつくというのに。 実際に殺されてみるまで犯人を名指しで指すことも躊躇われた、これは精一杯の告発です。 それは紙村くん、きみも判っている筈だ。鷺澤氏を殺した犯人は」
 紙村が重い口を開いていった。
「舞子さんですね」




 
「蔵の中」 保山宗明玉


□問題編

 テレビは冤罪に関するドキュメンタリー番組の再放送をしていた。 今日と同じような気温7度の寒い日には、死後5時間までは毎時1、81度ずつ体温が下がるのだそうだ。 その後は約1度ずつ下がるらしい。要するに死亡推定時刻から考えると、刑期を終えて出てきたその男性が犯人でないことは明らからしい。
「なんたることの、なにごとぞ!」
 私はその場かぎりの憤りを覚えた。
 私は御殿山一郎。親の知人である修善寺家の離れに管理人の名目でぬくぬくと暮らさせてもらっている。
 現在修善寺家の豪邸には元冒険家の音也氏が一人で住んでいる。
 続いてテレビは午後3時のニュースにかわった。ここから車で約30分程の所で起こった事故を生中継していた。 ふーん、と思って見ていると、思いがけない顔を見つけた。
「あれは、音也さん!」
 事故のせいで道路は完全に運行がストップしていた。音也氏の大型トラックも道路上で立ち往生しているようだ。困った表情まで映っている。
 この離れから修善寺家の倉庫が遠目ではあるが、見ることができた。 音也氏は、音也氏の姉、春子さんが突然今日訪問する旨の連絡を受けて、あわてて倉庫内のガラクタを別の場所に移動していたのだ。 まあ、どんなガラクタかは知らないけど。私は手伝いもしなかったが、午後1時半に音也氏が大型トラックで出て行ったのは、この離れから確認している。
 午後6時半に春子さんが訪ねてきた。春子さんは倉庫を飼っていた猫の墓として改装すると決めて、その下見にきたのだ。
「御殿山さん、倉庫の鍵を貸してちょうだい」
 そうだった。倉庫の鍵は私と音也氏しか持っていないのだ。 私は鍵を開けて倉庫に入った。私が倉庫に入るのはこれがはじめてだ。中は真っ暗だった。換気扇の音だけが鳴り響いている。 冷暖房設備もないのでひんやりしている。
「えーと、どこかに電灯のスイッチが」
 と、手探りで進む内に私は何かにつまずいた。倒れて床に手をつこうとした拍子に、私の中指は何かにズボッと突き刺さった。 何だろう。人肌ほどのぬくもり。人肌?
「ここにスイッチがありましたわ」
 電灯がついた。がらんとした倉庫。私は全裸死体の肛門に指をつっこんでいた。
 後でわかったことだが、死因は後頭部への打撲。被害者は近所に住む一種のシャム双生児で、脇腹から赤ん坊の腕程の大きさの第三の手が生えていた。 ただし、死体発見時には死後チェーンソーででも切断されたらしく、第三の手は見つからなかった。
 死体発見から1分もしない内に音也氏が大型トラックでようやく戻ってきた。 私は音也氏に死体発見の詳細を告げると、音也氏は小声で「しまった」と言って倉庫に向かった。
「音也さん、すぐ警察を呼んで調べてもらいましょう」
「いや、その必要はない。犯人は私だ」
 私は、あることに気付いて言った。
「えっ、それはおかしいんじゃありませんか」


□解決編「臓の中」

「おかしいって?」
 私の問いに、御殿山君は息せき切ってまくしたてた。
「音也さんはここを1時半に出て行ったでしょう。死体を見つけたのは6時半を過ぎていました。 もしも音也さんが殺したのなら、5時間以上前に殺してなくちゃなりません。でも、そんなはずはないんです。だって」
 私たちは倉庫にたどりついた。入り口のところで姉が震えて立っている。
「姉さん、ごめん。ちょっとしたはずみで、この少年を死なせてしまったんあだ。今から自首してくるよ」
 姉の返事がかえってくる前に、御殿山君が言い立てた。
「音也さんは犯人じゃありません。さっきまで死体は体温を保っていてぬくぬくだったんです。 1時半に出かけた音也さんが犯人だとしたら、死体はすっかり冷えきっていたはずです」
 私はこみあげてくるものを押さえきれず、口を覆った。姉はそんな私を見て顔色を変えた。
「音也、あなた、まさか!」
 隠しきれなかったか。私はよだれをふいた。
「姉さん、まだなおっていないんだ」
 御殿山君は混乱して目を白黒させている。
「えっ、裸の少年を相手に、ひょっとして」
「違うよ、御殿山君。お稚児さんの趣味はないよ」
「そうなのよ。音也は。ああ、おそろしい。音也は人食いなのよ」
「えーーーーーーーーーーっ」
 若い頃の冒険旅行で蛮族の住む村に滞在する内に、私は人食いの味を覚えてしまったのだ。 日本に戻ってからも、私は時折、衝動にまけて人肉を食していた。何度かの揉み消し工作で姉には迷惑をかけ続けだった。 姉の手前、その悪癖はもう再発していない、と言っていたのだが、近所に住む畸形の少年を見たとき、 どうしてもその少年を食べてみたいという欲望をおさえきれなくなっていた。
 私は少年に、若い頃冒険旅行をしたときに土人からもらった贈り物を見せてあげよう、と誘って倉庫に連れ込んだ。 倉庫は私にとって第二の厨房だった。大きなまな板や包丁、チェーンソーに、人ひとり入る大鍋等が揃っていた。 私は少年の頭を殴って殺し、大鍋で煮た。そのとき、姉から「今日、倉庫を下見に行く」と連絡が入った。 私はあわてて湯を捨てて、調理器具一切をトラックに積み込み、別の倉庫に運ぶことにした。 まだ人を食べていることを姉に知られたくなかったのだ。死体はいずれ食べるつもりだったので、倉庫に転がしたままにしておいた。 家の中の大型冷凍庫に保存しておいて、少しずつ食べようかと思っていたのだ。
 途中、事故で足止めをくったせいで、死体が発見されてしまったが、刑に服して人食いの悪癖を矯正するにはいい機会なのかもしれない。 なにしろ、死体がまだ温もりを保っていることを知ったときに感じたのは、 今が食べ頃のおいしそうな少年を食べそこなってしまったことに対する悔恨だったのだから。思わず「しまった」と口走ってしまった程だ。
「すると、音也さん。あの畸形の少年から切り取った3本めの腕は」
「そうとも。トラックで調理器具を運ぶ道中食べるために、おやつとして持っていったんだ」




 
「肉まん」 長井正広


□問題編

 グルメ評論家の抜田抜造が寝室で毒殺されていた。 抜田は辛らつな評論で敵が多かったが、巨躯・大食の姿を見れば、評論にうむをいわさぬ説得力があったのも確かである。
 テレビ、雑誌の活躍によって建てられた抜田のグルメ屋敷には、秘書の具瑠芽衣子(さすがに看護婦の資格者を秘書として雇っていた)、 手伝いの山本益博子(めいで、抜田に劣らない巨躯で、業界では抜田の影武者と噂されていた)、 運転手の猫舌六三郎(ゲテモノ料理の抜田の毒見役だった)、 料理人の包丁万太郎(世界を渡り歩き、数々の料理に精通、かの料理探偵満干全席とも懇意だった)が住んでいた。
 その夜、炒飯・北京ダック・水餃子・紹興酒などの中華料理(料理の別は曜日ごとに決まっていた)で舌鼓を打った抜田は、強壮剤をのむと、自室に引きこもった。
満腹の後に仕事をこなし、また夜食を食べて、朝まで仕事をすることが、抜田の日課となっていた。 ときには包丁は深夜まで食事をつくらねばならなかった。
 翌朝、テレビ番組の収録があるにもかかわらず、いつまでも起きてこない抜田に、具瑠が部屋をノックした。 いつもは山本が起こすのだが、朝食の準備に忙しい山本に声をかけ、具瑠が起こすようになった。
 寝室には鍵がかかっていた。そして、ドアから室内の熱気がこぼれてきていた。 スペアキーで開けた具瑠は、あまりの暑さに驚いた。冬でも汗かきの抜田の部屋が暖房でがんがんに暑くなっていて、 しかも窓際で仰向けに抜田が倒れていた。
 しばらくして、おさだまりの悲鳴、駆けつける容疑者たち、荒らされる現場という流れの後、警察がおっとり刀で現れた。
 抜田は左手に肉まんをつかんで、死んでいた。その肉まんの皮に毒が塗られていた。そして、死体の周りには皮だけの肉まんがところせましと並んでいた。 ぬくぬくであったろう肉まんは死体とともに冷えてしまっていた。死体を見下ろして、刑事の一人がいった。
「肉まんを食べながら死んだのなら、グルメも本望だろう・・・、ん? こいつは?」
 肉まんが入っていたであろう箱に妙な紙切れが貼り付けてあった。 「手塩にかけた肉まんです。召し上がってください。 グルメなファンより」と紙切れにはあった。
 そういえば、昨夜は夜食を言いつけはされませんでした、と包丁は証言した。しかし、肉まんがどうやって届けられたのか、誰もこたえなかった。
 道路には面しているが、二階で、しかも面格子がはめられていた。窓に鍵はかかってはなく、肉まんひとつひとつなら格子の間から入るが、箱は入らない。
 事件の進展が見られなくなったとき、料理探偵満干全席が現れた。
「あんまんでなかったのは、仕方がない・・・。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」
 関係者への尋問を終えた後の満干のつぶやきが犯行のすべてを語っていた・・・。はてさて・・・?


□解決編

「あんまんって?」 包丁が尋ねた。
「あんこ入りのまんじゅうだ」 満干が自慢の髭をしごきながら応える。
「汗かきの抜田が暖房をかけていない・・・、ダイエット中とも思えない。 犯人はなぜ暖房をがんがんにかけているか・・・、死亡時刻をごまかすためと考えるのが定番だ。では、いつ毒を飲んだのか?」
「私は毒なんか料理に仕込みませんよ」
「夕食時にはまだ死んでいないよ。しかし、夕食時に毒は体内に入っているがね」
「北京ダックに入っている毒は消化しにくい・・・って、毒は入れてませんってば」
「強壮剤はカプセルではないのかね? カプセルが溶けて、初めて毒を摂取したんだ、抜田は」
「では、犯人は、具瑠」
「実際に肉まんには毒は入っていなかった。皮に毒を塗っていたのはカモフラージュだ。皮と箱を並べたにすぎない。 肉まんの中身と水餃子の中身は同じだ。つまり、あんこでは体内にあんこがないのがわかってしまう。 だから、あんまんでなかったのは仕方がない、のだよ」(長井嫁に聞くと、餃子と肉まんは一緒らしい。作者は料理しないので、さっぱりわからない。)
「でも、餃子を食べるかどうかなんて、わからないんじゃ?」
「曜日ごとに和食とか、中華とか決まっていたんだろう。包丁はグルメの抜田が食べてくれない料理を作っているのかね」
「いえいえ・・・」 包丁は北京ダックのように首を振った。
「具瑠は看護婦だから、強壮剤が深夜までに溶けるのははっきりわかっていた。夕食後に部屋を訪れ、死亡を確認して、暖房を入れ、立ち去ったのだ」
「皮と箱はそのときに置いたんじゃ・・・?」
「そう、そのときにはぬくぬくだったかもしれないがね・・・。一度に隠し持つには多すぎるから、翌朝にも冷え冷えの皮をおいたかもしれないが」
 満干は髭についたあんこを拭い、なめ、手をピザまんへ伸ばした。
「具瑠は肉まんの中身を抜く抜くだったんだ・・・」 包丁がひとつ、ため息をついた。




 
「ぬくぬくベッド」 池上宣久


□問題編

登場人物表
 田村緑 :K学院大学××××同好会OB。別荘の持ち主にして、女。
 赤目  :K学院大学××××同好会OB。滞在客にして、男。
 灰谷  :K学院大学××××同好会OB。滞在客にして、男。
 紫頭巾 :K学院大学××××同好会OB。滞在客にして、男。
 紺野  :K学院大学××××同好会OB。滞在客にして、男。
 黄河  :K学院大学××××同好会OB。滞在客にして、男。
 諍屋  :K学院大学××××同好会OB。滞在客にして、名探偵。

 冬の早朝七時、諍屋はメールの受信音で目を覚ました。
 メールは田村緑からで、「私が欲しかったらすぐに私のところに来て。早い者勝ちよ。」という文面だった。 彼女らしい言い回しで、いつもの気まぐれだろう。宛先詳細を確認すると、赤目、灰谷、紫頭巾、紺野の四人に同報していた。
 緑を入れた男女七人は、大学時代に「××××同好会」に所属していた同窓生で、緑の誕生日を祝うため、リゾート地にある田村家の別荘に滞在していた。 男五人は母屋に部屋を取り、緑の寝室は裏の離れにある。出身がこの土地の黄河だけは、パーティが終わった後に実家に帰った。
 仕方なく諍屋は着替えを始めた。昨夜は “お姫様”を少し冷たくあしらい過ぎたかもしれない。
 しばらくして廊下を走る足音がドア越しに聞こえ、それを追うように諍屋は部屋を出て裏玄関に向かった。
 夜の間降り続いていた雪はすでに止み、開いたドアの向こうに一面の雪景色が広がっていた。 一筋の足跡が二十メートル先の離れの玄関に向かって伸び、その先端で赤目がもんどり打って倒れるところだった。雪の下は砂利で足元が不安定である。
 右膝を抱えてのたうつ赤目を抜き去り、諍屋は残り五メートル、何者もまだ踏みしめていない雪の上を一気に走り抜けて玄関に到達した。 ドアを開けると、玄関からまっすぐ廊下があって、その沿いに手前からトイレ、書斎、寝室が並んでいる。
 立ち上がった赤目と、後から追いついて来た灰谷が横に並んだ。
 諍屋は寝室の入り口を見て驚いた。書斎にあった巨大な本棚が移動されて、ドアをふさぐ形になっていた。 諍屋と、赤目、灰谷が本棚の両端にはりついて動かそうとしたが、動くのは二人がついた側だけで、諍屋のついた側は全く持ち上がらず、 それまで少しのよじれもついていなかった床の絨毯に深いよじれを作った。
 ようやく人一人が通れる隙間ができて、諍屋を先頭に三人はドアを開いて寝室に入った。
 寝室には誰もいなかった。人が隠れられるスペースはどこにもない。
 窓際のベッドには今さっきまで人が寝ていたかのようなくぼみができていた。諍屋は手でその部分を触ってみた。
 人肌の温もりがまだ残っていた。

 紫頭巾が入って来た。「ああ、出遅れた。あの本棚なに?あれ、緑は?」
 赤目と灰谷が事情を彼に説明している間に、諍屋は窓を調べた。捻じ込み錠がしっかり掛かっていた。 錠を外して窓を開けて外を見た。外の雪には人が出入りした痕跡は残っていなかった。
 それから四人で離れのすみずみを調べた。書斎にもトイレにも何者もいず、全ての窓に内側から鍵が掛かっていた。
 四人は外に出た。雪の上には母屋と離れをつなぐ四筋の足跡だけ。離れの周りを一周しても何の痕跡も残っていなかった。 母屋に戻って緑の姿を捜したが、やはりどこにもいなかった。メールを受けた最後の一人紺野は自室で熟睡していた。 メールには全く気がつかなかったと言う。
 そして、母屋もまた雪に閉ざされていて、何人の出入りの痕跡もなかった。 別荘の敷地内には、諍屋、赤目、灰谷、紫頭巾、紺野の五人しかいないことが判明した。
 緑は、ベッドに “ぬくぬく”だけを残して消えてしまったのだった。
 それだけでなく、緑が母屋で飼っていた、最近品種改良された巨大スピッツ“グリングリン”までもが姿を消していた。

 ベッドの“ぬくぬく”は、メールを送信した直前まで緑がベッドで寝ていたことを示している。 諍屋は、人肌がベッドに残した温もりは真冬早朝の厳寒の中では五分間維持し得ないのを実験によって確かめた。 彼が緑のメールを受けてからベッドの温もりを確認するまでの経過時間も五分かかっていない。
 その間に、緑は部屋を出て、ドアの外に本棚のバリケードを築き、離れを脱出したことになるが、まず本棚の移動は彼女一人では不可能だと考えるべきだ。 男三人がかりでさえ床の絨毯に痕跡を残さずに動かせないことを、諍屋たちがすでに証明している。
 では、事前に本を全部抜いていたとしたらどうだろう? 本棚だけの重さは、百五十キログラム。床を引きずれば必ずその跡が残るが、男が二人でかかれば持ち上げることは可能だ。 しかしその後に、本を全て元通りに戻すとなると、五分足らずでは無理がある。
 それに、緑は足跡を残さずにどのようにして離れを脱出したのかという最大の謎もある。
 そうすると考え方は一つしかない。まだ雪が降っていた夜の間に、全てを済ませてしまうことだ。
 緑は、本棚のバリケードを築いてから離れを脱出し、そのまま別荘をも後にした。 その時の足跡は降雪が消し去った。朝になって、外部のどこかから彼女はメールを送信しただけだ。 本棚の移動は、緑のしもべでもある赤目たち男四人が協力したとしたら、簡単に片付いたことだろう。 前夜のパーティで冷たく接した諍屋に対する緑のしっぺ返しなのではないか。
 そうすると、あと考えるべきは、ベッドの“ぬくぬく”だけだ。
 みどりが離れを出たのは、その足跡が完全に消えていることから、降雪の終わっていた午前七時よりかなり前のことだと思われる。
 寝室内には、アンカや懐炉など、人肌の代わりになりそうな、熱を発するものは何もなかった。 しかし、“ぬくぬく”を保つ何らかの仕掛けがきっとあったのだ。

 しばらく考えて、諍屋は真相に達した。


□解決編

 諍屋が門を抜けて庭に入ると、グリングリンがコーナーに追い詰められて怯えていた。
「ガオーッ、ガオーッ、ガオーッ」
 じゃれつこうとする子猫を抱き上げて、グリングリンを安心させてやった。
「随分遅かったわね。」
 声をかけられて振り向くと、黄河を後ろに従えて、緑が立っていた。
「お待たせしました。」
「よくここだと分かったわね。」
「真夜中にグリングリンを引き連れて押しかけて泊めてもらえるとしたら、ここくらいしかないでしょう。」

「え?それでどうしたんです?」
 緑の別荘から帰って来た諍屋は、診療所の助手の天崎から問われるままに、別荘での出来事を語っていたのだった。
「だから、緑さんは黄河の実家にお邪魔して一晩過ごしていたんですよ。メールはそこから送信したのでした。彼女の居場所を見つけたので、僕の勝ちです。」
「それはいいとして、だから、ぬくぬくの正体ですよ。」
「緑さんはまだ雪が降っていた夜の間に別荘を後にしたのですから、彼女の出て行った足跡がまったく残っていなかったのは分かりますよね。」
 天崎は、諍屋の右手の甲をマッサージしながらうなづいた。
「黄河君に連絡してグリングリン搬送用トラックで迎えにきてもらったのでした。迷惑な話です。 さて、ぬくぬくについてなんだけど、最初は部屋の中にベッドを温めるような暖房機器がありはしないかと探してみたのだけど、 そんなものはなさそうだったし、それに本当についさっきまで人が寝ていたように自然な温もりとベッドのくぼみだったのですよ。 それで、メール受信のその時までベッドに人が寝ていたのだと考えることにしました。」
「え?ぬくぬくを解いた方が簡単そうな気がするんですけど。それじゃあ、本棚をどうやって動かしたんですか?」
「赤目君と灰谷君がついた側は浮いたのだから、男四人いれば持ち上がります。だから離れ内に四人の男がいればいい。」
「でも、離れには誰もいなかったんでしょ?」
「僕たちはまっすぐ寝室に向かったから、その時手前の書斎やトイレは覗かなかった。そこに四人が隠れていたのではないか、と考えました。」
「だけど、寝室を調べた後にちゃんと調べたんですよね。」
「その前に紫頭巾君が離れ内に姿を現わしている。僕たちは彼が母屋から歩いてくるところを見たわけではありません。 ずっとトイレに隠れていてタイミングを見計らって登場したと考えてもおかしくありません。」
「でも、紫頭巾さんの足跡は残っていたのでしょ?」
「したがって、その足跡を使ってもう一人を離れから脱出させることができます。」
「は?」天崎は首を傾げながら、諍屋の手を持ち替えた。
「もう一人は紺野君ですね。紺野君が後ろ向きに歩いて母屋に移動し、その足跡を紫頭巾君が自分の足跡だと主張したのでした。 土だったりすると体重のかかり具合が判って前向きに歩いたのか後ろ向きに歩いたのかまだ判断できたのでしょうが、 雪の下が砂利でしたので、そのあたりが不明瞭でした。」
「それでも、二人ですよね。まだ二人足りません。」
「その二人を紺野君が背負ったのでは、とまず考えました。」
「紺野さんてそんなに力持ちなんですか?」
「いえ、どちらかと言うと非力な方でしょうね。だけどそう考えれば不可能状況の説明はつきますので一応考えました。 でも母屋も含んだ敷地から誰かが出て行った足跡もなかったので、この考え方はすぐに捨てました。 敷地内には五人しかいなくて、紫頭巾君が姿を現わした時、その内の四人が離れにいたのですからね。」
「ちょっと待って下さい。本棚を動かすのに四人が必要で、その時敷地内に五人しかいなくて、その内の一人は諍屋さんで。」 天崎は宙を睨みながら、「そうしたら、紫頭巾さん紺野さん以外の二人っていうのは必然的に赤目さんと灰谷さんということになりますよ。 でも、真っ先に離れに着いたのは諍屋さんで、後から二人がやって来たんでしょ? 紫頭巾さんと違って、この場合諍屋さん自身がその目で二人が来るのを見たんでしょ?二人は母屋にいたんでしょ?」
 諍屋は飛んで来る天崎の唾から身を遠ざける。
「いや確かに彼らは離れにいたんですよ。四人で本棚を動かしたんです。」
「でも本棚を動かしたのはメール受信の直後ですから、その時に離れにいた人がどうやって母屋に戻れるのですか?」
「母屋の裏玄関を出ると、正面に離れの玄関はあります。そのドアを開けるとまっすぐ廊下が伸びているのです。その廊下が良い助走路になりました。」
 天崎は一瞬思考が固まり、そして、「助走路?!まさか、離れから母屋までジャンプしたというんじゃないですよね。 二十メートル離れてるんじゃなかったでしたっけ。」
「二十メートルは無理でも、五メートルなら跳べるでしょう。」
「五メートル跳んだところで、まだ母屋まで十五メートルありますよ。まさか三段跳び?いや四段跳びになるか。ん?五メートル?」
「そうです。離れから五メートル離れた地点、それは赤目君がもんどりうって倒れた地点でした。二人はその地点を目指して跳躍したのでした。 まず、灰谷君が跳び、五メートルの地点に着地しました。走り幅跳び男子世界記録八メートル九十五センチ、日本記録八メートル二十五センチ、 高校生記録八メートル十センチ、女子世界記録七メートル五十二センチ、日本記録六メートル八十二センチ、高校生記録六メートル四十三センチです。」
「……詳しいですね。」
 あれ?という表情を諍屋は一瞬見せ、「五メートルなら、身を投げ出すような着地でなく、ふんわり両足で立てる、 そんなコントロールされた着地が可能です。そして、灰谷君は後ろ向きに歩いて母屋に戻りました。次いですぐさま赤目君が跳躍。 灰谷君の着地点をピンポイントで狙いましたが、幾らコントロールしたといっても若干の誤差は生じただろうし、 雪や下の砂利を荒らすのは仕方のないところです。これを誤魔化すために、赤目君はもんどりうって倒れる必要があったのでした。」
 これに続く諍屋の説明は以下の通りであった。
 事件の前夜、諍屋が自室に戻った後、緑は離れに赤目たち四人を召集し、諍屋の鼻をあかしたいので何かトリックを今から考え出すように命じたのだが、 そんなアイデアがすぐに出て来るはずがない。業を煮やした緑は腹を立て、黄河を呼び出し、明朝までに考え出せとの宿題を残して、 別荘を出て行ってしまった。
 残された四人は何とか知恵を絞ろうとするが、出て来るのは愚痴ばかり。その内に雪が降り止み、離れが雪に降り囲まれた状況が出来上がっていた。
「もしさ、離れに人がいたはずなのに、足跡を残すことなく姿を消していたら不思議だよな。」
 一人が発したこの言葉がきっかけになって、アイデアが転がり出した。
 難しいのは、今さっきまで人がいたという痕跡を残すこと。どんな痕跡を残しても、 それはまだ雪が降っている間にやったことだと言われればそれで説明がついてしまう。 最善の手は、メールを送信した携帯を寝室内に残しておくことだったが、緑に電話してお伺いを立てたところ、一言で却下されてしまった。 彼女の携帯は彼女自身が所持しているのでこれは利用できず、代わりに男四人の誰かの携帯を使おうとしたのだが、それでは緑の関与が諍屋に伝わらない。 緑の名前を騙ってメールを送ったとしても、そのアドレスは諍屋に知れるのだから、「そんなのおかしいじゃん」とのコメント。
 その辺になると男たちもどうでもよくなってきて、じゃあ、ぬくぬくでいいじゃん、と急遽意見がまとまった。
 まずあらかじめ本棚を書斎から寝室の前まで移動し、ドアをほんの少しだけ開けられる隙間を作っておく。
 ベッドに寝たのは紺野で、朝七時の緑からのメールがゴーサインだった。
 飛び起きた紺野は寝室を出、待ち構えていた三人と力を合わせて、本棚を移動する。
 そして、灰谷が廊下を走り、玄関からジャンプして五メートル先に着地。そこから後ろ向きに歩いて母屋に戻った。
 すぐさま、赤目が同じくジャンプし、着地点に留まり、離れの方に向きを変えてそのまま待機。
 母屋に戻った灰谷は足を忍ばせて諍屋の部屋を通り、すぐにUターンして廊下を足音高く走り抜け、そのまま玄関手前の部屋に入って、 出て来た諍屋をやり過ごす。もしその過程で諍屋に見つかったら、以降一緒に行動を共にする予定だった。
 一方、開いたままの離れの玄関のドアを閉めるのは、残った紺野と紫頭巾の仕事だったが、その前にやらねばならないことがあった。 諍屋が母屋から出て来るそのタイミングを、待機している赤目に知らせることである。 ドアを細目に開けて母屋の玄関を監視し、諍屋が出て来た瞬間にドアを閉める。これを見て、赤目はオーバーにダイビンングして見せた。 そして、膝を打った振りをして地面をのたうち、二人の着地の痕跡を消し去ったのである。
 諍屋に離れに一番乗りさせ、二人はその後をついてまわる。
 三人が寝室に入るのを確認して、トイレに隠れていた紫頭巾と紺野が出て来て、紫頭巾は寝室に顔を出し、紺野は後ろ向きに歩いて母屋に戻ったのである。

 ここまでの説明を聞いて、天崎はやっと納得の顔になったが、最後に質問一つ。
「それで全ての説明がつくのは判りましたけど、五メートル先にピンポイントっていうのが、僕が運動オンチなもんでよく判らないところなんですが、 そんなに簡単にできるもんなんですかね?」
「あれ、さっきも気になったんだけど、前に言ってたと思うんだけど。あれ、言ってなかったかな。僕たちの所属していた同好会が何なのか?」
「推理小説同好会じゃないんですか?」
「あ、それはまた別。入ってたけど。僕は五つぐらいのサークルに所属していたから、緑さんたちと一緒だった同好会はまた違うんだよ。」
「じゃあ、何なんですか?」
「走り幅跳び同好会。」

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